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魔法学校恋愛模様

作者: おきょう

 王立高等魔法学校の卒業式。


 在校生と、卒業生、招待客や保護者など、たくさんの人が学校の敷地内に建つ講堂に集まっていた。

 ステンドグラスを通して(いろど)られた光の射し入る構内。

 古い建物独特の、埃っぽく湿り気のある匂い。

 別れの式典ということもあり、どこか哀愁がただよう。


 高いドーム型の天井に響くのは、式典の司会進行をしている長い白ヒゲが特徴的な教師の、少ししわがれた声。


「卒業生代表、アルベルト・サーディン」

「はい」


 しとやかに、(おごそ)かに進んでいく式で、卒業生代表の挨拶をするために舞台にあがったのはこの国の第一王子、アルベルト・サーディンだ。

 

 高い位置でまとめて結われた薄茶の髪に、整っていて華のある顔だち。

 彼の登場に女子生徒ばかりか、母親たちも揃って頬を染めた。


 場の空気を壊さない程度の小ささで上がった黄色い声を受けながら、アルベルトは舞台の中央に立つ。


「…………」


 そして彼はおもむろに、舞台の下で他の卒業生たちと共に椅子に腰を下ろしている公爵令嬢、ビアンカ・トライストッティに新緑色の瞳を向けて。


 宙に浮かんだ輪状の金属―――音声拡張魔法具の前で、突然に叫ぶ。


「ビアンカ! 君がロゼッタにした嫌がらせの数々を、今日のこの場で、皆にみて貰おうじゃないか!!!」

「ア、アルベルト殿下?」


 名指しされたビアンカは、突然の事にもちろん驚いた。

 昨日の予行練習では、このような台詞はもちろん無かった。

 王子の不可解な叫びにビアンカはゆるく巻いた金色の髪を揺らして首をかたむけ、青色の瞳を瞬かせる。


「卒業生代表の挨拶ではなく、なぜ私のことを?」

「「まったくだ」」


 ビアンカの呟きに、左右に座る同級生が同時にうなずく。


 彼は挨拶の為に舞台へのぼったのではなかったか。

 どうしてビアンカの話を語り始めるのか。

 なぜ手まねいて、黒髪をした可愛らしい少女――男爵家令嬢のロゼッタを、舞台にのぼらせ、隣に立たせるのか。


(ええと……嫌がらせの数々とは一体? まぁ確かに、ロゼッタ様にはきつく当たっておりましたけれど)


 公爵家の娘であり、アルベルト王子の婚約者であるビアンカは、間違いなく彼と必要以上に親しくしているロゼッタに嫉妬していた。

 アルベルトが彼女に惹かれているのが分かったから、悔しくて悲しくて、友好的な態度を取ることが出来なくなっていた。

 だからってネチネチとした陰険な嫌がらせをした覚えはない。

 正々堂々と、真正直に戦っていた。


 入学から三年間続いていたビアンカとロゼッタの、女と女の戦いはこの卒業の日になってもまだ決着がついていない。

 そう。確かに。

 自分たちが恋愛事で揉めているのは実だが。


(どうして、今?)


 当事者同士で話し合えば済むことを、どうして卒業式でもちだすのか。


 当たり前だけれど周囲の人々は困惑している。

 動揺した声は波紋のように広がっていき、すでに先ほどまであった式典ならではの厳かな空気は霧散してしまっていた。

 

「何?」

「王子はどうされたのだ?」

「式の進行表にはこのようなこと書いていないぞ」


 この騒ぎの中、なぜか頬を染め見つめ合うアルベルトとロゼッタ。


「これさえ上手くいけば私たちは一緒になれるんだ、ロゼッタ!」

「嬉しい! アルベルト!」


 頭の中だけ自分たちの世界へと飛んでいっているらしい彼ら以外の全ての人間が、ただただ困惑するばかりだ。


(先生は―……)


 なぜ教師が止めに入らないのかと、ビアンカは視線を巡らせる。


(――あら、駄目ね。期待できそうに無いわ)


 舞台へと上る階段前で、アルベルトの専属騎士たちが教師と言い争っていた。

 残念ながら国内きっての剣の腕を持つといわれるあの騎士を退けるのは、警備の者たちを総動員したとしてもまだ時間がかかるだろう。


「…………」


 ビアンカが舞台へと視線を戻したのと同じタイミングで、アルベルトは大きく両手を広げ、再び音声拡張魔法具へ向かって口を開く。

 さすが王子として育っただけのことはある。人前での演説は堂々としたものだ。


「私は、ビアンカの罪をここで公にし、彼女が私の婚約者として……いや、未来のこの国の王妃として、ふさわしくないことを皆に知らせたいのだ! それが将来のこの国の為になるのだと確信している!」


 アルベルトの宣言にビアンカは目を丸くして息をのむ。

 

(私が、アルベルト様の婚約者にふさわしくないと?)


 婚約が決まった三歳のころから、ビアンカは王妃になるにふさわしい淑女となるためにたいへんな努力をしてきた。

 その姿を一番近くで見ていた人に、否定される意味がわからない。


「アルベルト様……」


 動揺にふるえた、吐息まじりで漏れたのビアンカの声がアルベルトに届いたはずは無い。


「ビアンカ」


 けれどアルベルトは応えるように真っ直ぐに、ビアンカを見つめて言う。


「なぜ、卒業式でこんなことをと……君は思うだろう。しかしこれくらい皆に晒されないと、反省しないだろう。それに、誰もが君が王妃にふさわしくないと思うほどでなければ、王子と公爵令嬢という立場の私たちが婚約解消なんて難しいからな」

「婚約、解消……?」


 ―――数瞬、置いたのち。


 事態を理解したビアンカは、さらりと肩から前に滑り落ちた金色の髪を耳にかき上げ、顔を上げる。


「そう、ですの……」



 彼のしようとしている事を理解した。



 ロゼッタと一緒になるために、ビアンカの地位を追い落とすつもりなのだ。

 公爵家の令嬢が悪事を働けばそれはそれは大きな噂と騒動になる。

 その騒動の間に、どさくさに紛れてロゼッタとの婚約を固めようとしているのだろう。

 ビアンカにいじめられた心優しき令嬢という立場になれば、人々からの後押しも得やすいはずだ。


「何ということを」


 ビアンカの青の瞳にはもう驚きや困惑の色はない。

 あるのは憤りと怒りのみだった。

 氷魔法を得意とする彼女の周囲の気温が、じわりじわりと下がっていっていることに気づいたのは、前後左右の数人の生徒だけだろう。いくつかのくしゃみが、すぐ近くから連続で聞こえた。


「婚約解消………その為に、卒業式を乗っ取ってこの騒ぎですか……馬鹿馬鹿しい」


 ざわざわと騒がしい観衆の前。

 ビアンカは、眉を寄せて溜息を吐くと、おもむろに椅子から立ち上がる。


 一斉に人の視線が身に突き刺さるが、気にはならない。

 未来の王妃として育てられたビアンカは、いつだって人の興味の中心にあった。

 こんなの慣れている。

 ビアンカは堂々と胸をはり、舞台の上に立つアルベルトに寄り添う少女を、真っ直ぐに睨みつけた。

 彼にこんなバカなことをさせている、張本人だ。


「ロゼッタ様。貴方が、このような茶番を殿下にさせていらっしゃるのね?」

「えっ……き、きゃあ、怖い!」


 なぜか細い肩を跳ねさせ、怯えたようにアルベルトの背に隠れた彼女―――ロゼッタに、ビアンカの苛立ちは更につのる。

 アルベルトは途端に眦を下げて、ロゼッタの髪を優しく撫でた。


「心配ない、ロゼッタ。私がついている」

「アルベルト……頼もしいです」


(正式な婚約者である私を指しおいて、アルベルト様のお傍にいるなんて……!)


 許せるはずがない。



 だってビアンカは、アルベルトが好きだから。



 幼いころから、自分は彼と一緒になるのだと聞かされてきた。

 大人たちはことあるごとにビアンカとアルベルトを共に行動させた。

 ビアンカの近くにいる同年代の異性は、アルベルトと彼の傍付の者が数人だけ。

 誰もがビアンカが将来は王妃になることを前提に話すから。

 そんな環境で育ったから、運命の人なのだと信じこんだ。

 まるで一種のすりこみされた雛の様に、ビアンカは彼になつき、彼の隣に居ることを当たり前だと思っていた。



 魔法学校に入ってしばらくした頃。

 アルベルトとビアンカの関係が揺らぎ始めた。

 同級生となったロゼッタにアルベルトが惹かれ始めていると気づいて、始めて自分の立ち位置が危ういものだと自覚して、焦りを覚えた。


 しかし取られそうだからと泣き寝入りしてしまうほどに、ビアンカは弱虫ではない。

 言いたいことは言ってやる。

 気の強い性格だから、はっきりと「取らないで」と、何度も何度も伝えてきた。



 ビアンカは背筋を正して、眉を上げると、拡張魔法具を使っている彼らに負けないように声を張る。

 元々高く澄んでいて、遠くに響きやすいビアンカの声は講堂の隅々にまで届いた。


「アルベルト様から離れなさい、ロゼッタ」

「っ、い、いやですっ……」


 艶やかな黒い髪と、たれ目気味の大きな瞳を潤ませながら気丈に答えた男爵令嬢のロゼッタは、ついで王子の腕に縋りつき、彼の耳元に小さく何ごとかを囁いている。

 何を言われたのかはビアンカ分からないが、大方「怖い」とか「助けて」とか、男の比護欲を掻きたてるような甘えた内容なのだろう。

 認めたくはないがビアンカのものの数倍は大きな胸に、アルベルトの腕は半分埋っている。

 彼女の色仕掛(いろじか)けは、相当に効き目がありそうだ。


 ビアンカは視線を横へとずらし、今度はアルベルトへと訊ねた。


「アルベルト様。先ほどの、私の罪をさらすとは? どういうことでしょうか」


 こんな大々的に広められなければならないような罪に、身に覚えはないとビアンカは眉を寄せる。

 しかしアルベルトはしたり顔で、もったいぶって首を振り、その後にわずかに口端を上げてみせた。


「それはだな。……ディート」


 アルベルトが男の名を呼ぶと、座っていた卒業生たちの中。

 一人がおもむろにゆっくりと立ち上がる。


「彼に、説明してもらう」

「ディートに、何を?」


 ディート・ヴァイオレット。

 魔力の高さゆえに、幼い頃からアルベルトの傍付きとなっていた将来有望な魔法使いだ。

 王子の傍付きと言う事で、ビアンカも昔から知っている。


 そのディートは無言のまま。

 ゆっくりゆっくり、卒業生たちの間を縫ってビアンカの傍まで来る。

 彼の顔は見えない。

 頭からすっぽりと藍色のローブを羽織っているからだ。

 しかし背格好と歩き方だけで彼がディートであるとビアンカに分かるくらいには、良く知った男だった。

 

 藍色のローブは高等魔法学校の中でも、魔法研究科に属する者の制服。

 

 ちなみにビアンカとロゼッタが入っているのは魔法技術科。

 己の魔力を使って様々な術を行使することを学ぶところで、セーラー衿の白いワンピースタイプの制服を着ていた。

 

 第一王子であるアルベルトが入っているのは魔法騎士科。

 魔法と武術を組み合わせた戦闘方法などを主に学ぶ科であり、騎士服を模した制服になっている。


 もっとも、みんな今日で卒業する予定であるから、制服も所属科も関係なくなるのだが。


 近づいてきたディートはビアンカの斜め前に立った。

 縦にばかり長い、ひょろりとした体型の彼が近くにくると、ビアンカは首が痛くなるほどにまで大きく見上げなければならい。

 そんな彼はおもむろにローブの中で腕をごそごそと動かしつつ、静かな声を出す。

 

「……ここに、すべての証拠をもっています」

「何? 証拠って?」


 ごそごそしていたローブの中から、ディートが何かを取り出した。


「これです」

「水晶玉?」


 指でつまめる程度の小さな水晶玉が二つ、彼の手のひらにのっていた。


「これが何?」



 ビアンカが青の瞳を剣呑に細めて訊ねると、ディートは水晶に複雑な魔法言語を囁きかける。

 すると透明だった水晶玉が、赤と緑の色へと変わっていき、さらに宙へと浮かび始めた。


「ディート………何をしようというの?」

「…………」


 浮かぶ二つの水晶玉が何の証拠になるのか。

 周囲にいる大勢の人間も、意味が分からずに不思議そうな顔をしている。

 しかしディートとアルベルト、そしてロゼッタは、何か知っているようで、真面目な顔を崩さない。

 自分は意味が分かっていないのに、彼らだけが訳知り顔でいることが苛立たしく、ビアンカはますます声を荒げた。


「いい加減になさって。アルベルト王子、神聖な式典でこのようなお遊びはおよしくださいませ」


 アルベルトがこんなわけの分からない遊びごとをするようになったのも、この男爵令嬢であるロゼッタがかどわかしたに違いないと、ビアンカはますます苛立った。

 怒りをあらわにするビアンカの前、ディートはゆっくりと、静かな声で言う。


「赤い水晶玉は、音声記録魔法具。映像を記憶すのは、緑色の水晶玉」

「おんせい、きろく?」



「己の愚行を、この国の民の集まったこの場で反省するがいい」


 アルベルトは瞳を(すが)め冷たく言い放ちながら、ディートへと頷いてみせる。

 それを受けた彼は今度はローブの中から取り出した杖を(かか)げ、振りながら短い呪文を唱えた。


 ディートの呪文を受け、緑の石は光の筋を放つ。

 その光があたった先の壁に影像を映し出した。

 影像は、学内の廊下。

 さらに向かい合うロゼッタとビアンカが映っていた。


 つぎに音声を記録する赤い水晶玉が淡く光を放ち出し、中に保存された音を再生する。

 それも、この会場中に響き渡るほどの大音量で。

 同時に壁に写し出された影像も動き出す。



『――ロゼッタ様は本当にあさましいご令嬢だこと。こんな菓子でアルベルト王子の気をひこうだなんて』

『お、お願いします。返してください……! 気をひくつもりでは無く、アルベルトが、食べてみたいから作ってきてほしいと……』

『アルベルト? 呼び捨てを、しているの……?』

『あっ! す、すみません。二人きりの時はそうして欲しいと、ねだられてしまって』

『っ!! このっ、人の婚約者を……!』


 ビアンカがクッキーを床へ叩きつけ。

 そのまま足で踏み潰す。


 グシャリ、という音を最後に、水晶玉は光を失い、高い音をたてて落下する。


 ―――。


 ――――――。


 ――――――――。



 会場内はシンと静まり返ってしまっていた。

 皆の視線が、ロゼッタへと注がれていた。

 その視線の色は、先ほどの影像と音を聞いて、明らかに敵を見るものへと変わっていた。


 ロゼッタは手の平をきゅっと握り締め、屈辱に顔を歪める。


(こんな、こんな大勢の人の前でっ……!)


 晴れの舞台である卒業式。

 父も母も、そして国王夫妻だって出席している。

 そんな舞台で、大勢の前で自分の恥をさらされるなんて、たまらなかった。


 ぷつんと、頭の中で糸が切れた音がした。


 ビアンカは大声を上げて抗議する。


「あれはさすがにやり過ぎたと思って、直後にきちんと謝罪しましたわ! 材料も買い直し、アルベルト様にもご報告して謝罪し、ロゼッタ様も許しださって、解決したはずです。―――どうして、一部分だけ切り取られているの!」

「そ、そんなの嘘よ! ビアンカ様は、私にいつもいつもひどいことを……!」

「あぁ、そうだ。俺もそんな事覚えていない。ロゼッタが全て正しい!」

「はぁ? ……ふざけたことを!」


 ビアンカは怒りに顔を真っ赤に染める。



 少なくとも、ロゼッタが現れる時まで、彼にとっての一番はビアンカだった。

 大切にしてくれていたし、いつだって傍で笑っていてくれた。

 困った時には真摯に相談にのってくれて、抱きしめて慰めてもくれた。


 こんなことをされても、どうしても嫌いになれないくらいには、ビアンカは彼に恋をしていた。


 彼の隣に立つ女性は自分だけ。

 彼に守って貰えるのも自分だけ。

 彼に愛をささやいてもらうのも、手を握ってもらうのも。


 三年前までビアンカだけがしてもらっていたこと。



(絶対に、私は間違ってなんておりません!)


 害を取り除くために彼女に辛くあたったのは事実。

 でも、自分にはその権利があるはずだ。

 両親の承諾(しょうだく)も得ている正式なアルベルトの婚約者なのだから。


 アルベルトに近付かないでと言うことも、祝い事でもないのに気軽にプレゼントを渡すことに、やめてほしいと言うことも。婚約者である立場の者の反応として間違いではないはずだった。


(でも、これでは……)


 周囲からの視線は鋭さを増していた。

 ロゼッタが泣きながら、ビアンカにされたことを語り始めたからだ。

 「靴を隠された」「制服を破られた」「王子に貰ったアクセサリーを捨てられた」

 全て身に覚えのないことだけれど、信じてくれる人はいない。

 さきほどの水晶が見せた記録は、みんなにビアンカか悪者だと意識づけるのに充分なものだった。

 既にロゼッタが被害者で、ビアンカが加害者という形が、完全に形成されてしまっていた。


「っ……!」


 ビアンカはプライドが高く、気が強い。

 感情的になると悪い言葉を使ってしまうのも、自身の短所だと自覚していた。

 自覚、してはいるけれど。

 でもまだ十代の未熟な身で。

 完璧に制御できるほどに、大人にはなれていないのだ。


「ロゼッタ様! どういうことです! こんな姑息なやり方で私を追い落とそうだなんて!なんてひどいお方!」

「っ…、ひっ、こ、怖ぁい」


 黒い瞳に涙をためて、頭を下げようとしたロゼッタを、王子が優しく制する。


「ロゼッタ。怖がることはない。ここはビアンカの罪を糾弾する場だ。俺が、父上たちの前でビアンカのしたことを公表したかった。愛おしいロゼッタを苦しめるこの女を、」

「この、女、ですって?」


 この女。なんて、今まで誰にだって言われたことがない。

 公爵家の令嬢であり、未来の王妃を約束されているビアンカのことを、誰もが褒めちぎり湛えていた。

 なのに、一番ひどい言葉を、一番言われたくない人に言われた。

 ロゼッタは衝撃に眩暈を覚え、足を震わせる。


「アルベルト、そんな言い方……」

「彼の名を呼び捨てにしないで!!」


 ビアンカの叫びが、会場中へ響き渡った。


 ビアンカは頭を抱えて大きく頭を振る。

 そんなビアンカの姿は、もうアルベルトにとってどうでもよい存在になりはてていた。

 彼は今自分の手の中にいる、珍しい黒髪を持つ少女、ロゼッタに夢中だった。


「あぁ、ロゼッタ。あんな女をかばうだなんて、なんて心優しい娘だんだろう」

「アルベルト。みんなの前で恥ずかしいわ」


 なぜかどうしてか、アルベルトとロゼッタは盛り上がっていく。

 手に手を取り合い、見つめ合い、愛をささやき合いだした。

 その光景は、アルベルトの婚約者であるビアンカの心を砕くに十分なものだった。


「ロゼッタ。今回のことでビアンカの非道さは父上にもしっかりと分かってもらえたに違いない。すぐにあの女との婚約を破棄し、お前を我の未来の期先として迎え入れられるように、整えよう」

「アルベルト……! 嬉しい!!」

「ロゼッタ!」

「アルベルト!」


 ビアンカは、アルベルトを好きだ。愛している。


「やめてっ、やめてやめて!!!  私のアルベルト様を取らないで!」


 ビアンカの悲痛な叫びを無視して。


 彼らは盛り上がっていく。


 観衆の中、舞台の上、赤く染めた頬をさらしながら、口づけを―――。



「………」



 ――――――?



「あ、れ……これ、って……」


 卒業式の舞台上で、人々の注目を受けながらのキスシーン。


 二人の足元には、婚約者を奪われて取り乱すライバル。




 この印象的な場面を『知っている』とビアンカは思った。




(だって一番好きなイベントスチルなんだもの。初キスが人前なんて大胆すぎてドキドキしたのよね!)


 そう、思った瞬間。


 突然、前世の記憶が脳内に流れ込んで来た。


「っ………!」


 ビアンカは青ざめていく。


 自分が乙女ゲームの悪役に転生しているのだと、気づいてしまった。

 そして今、主人公は丁度目の前でハッピーエンドを迎えている。

 ライバルキャラであり悪役令嬢であるビアンカにとってはバッドエンドでしかない。



 ビアンカの頭の中には、前世で何度も何度も聞いて覚えた王子ルートのエンディングロールが響いていた。

 脳内で鳴るオルゴール調の音を振り払うため、ビアンカは大きく頭をふる。


「……っ、なに、これ、有り得ない……」

「ビアンカ?」


 誰もが壇上の二人に祝福を送っていたが、ローブを羽織った魔法使いのディートだけが、青ざめたビアンカの異変に気付いた。

 ビアンカが逃げないようにと、元から注視していたのかもしれない。

 彼はビアンカの元へと歩きより、ひょろりと高い背を屈ませて、その顔を覗き込む。


「っ……、どうした」


 魔法使いディートは眉を寄せる。

 青を通り越して血の気が失せて白くさえなっている顔色の公爵令嬢ビアンカは、青い瞳を潤ませてガタガタと震えていた。


「やだ、これ、何。なんで……せめてエンディングより前に思い出してたらバッドエンド回避に動けたっていうのに……」

「ビアンカ?」

「ディート、どうしよう……」

「…………」


 ビアンカは目の前の、ローブで顔が隠れていて見えない男に、すがるような目をむけた。


 音声記録装置の内容を皆に聞かせたディート。

 彼は、将来アルベルトの側近になる予定で、ずっと彼に従っていたから、ビアンカとも幼いころから面識があった。


 良く知った相手であったから。

 この茶番に協力した、今のビアンカにとっての『敵』であるはずなのに。


 ビアンカはぽろりと、弱音をこぼしてしまった。


「……好き、だったの」


 小さく漏れ聞こえたビアンカの声に、ディートは小さく返事を返す。


「あぁ。――――――知っている」


 もうずいぶんと長い間……あのロゼッタが高等魔法学校に入学してきた三年前、王子とロゼッタが出会ってから、ビアンカは嫉妬に囚われ怒りっぽくなった。


「好きで、好きで、仕方がなくて……」

「………」

「アルベルト様の心がロゼッタ様に向かっていると気づいて……気づいたら、どうしたら良いか分からなくなったの」


 未来の王妃として、大切に大切に愛されて育てられたビアンカは、『嫉妬』という醜い感情なんて知らなかった。綺麗な世界しか知らされていなかった。


 アルベルトの気持ちがどんどん離れていく事実に、どうしようもなく焦って、怖くなった。


 奪われるかもしれないと恐怖した時。

 ビアンカはどうしたら解決できるのかが分からなくて、どうしたら彼がまた自分に「すき」の言葉をくれるようになるのか、どうしたらまた優しく髪を撫でてくれるようになるのか、分からなくて。



「……だから、ひどい事を言ったわ。アルベルトに近付かないでって。彼の傍に行かないでって。しつこいくらい、ロゼッタ様に注意したわ」


 前世の記憶を取り戻した今の状態ならば、怒りながら自分の欲求を突きつけるだけでなく、きちんと話し合うとか、好きになってもらうように今まで以上に自分を磨くとか、別の行動を取ることができたかもしれないのに。


 しかしもう遅い。


 ロゼッタとアルベルトはこうして寄り添い合っている。

 先ほどの映像を見た誰もが、ビアンカは性格の悪い女という印象をもっただろう。

 もう自分の味方をしてくれる声はあがらない。


 足元が崩れ落ちていく感覚。

 暗い暗い底無しの穴に、心が、落ちていく。


「っ……」


 ビアンカはぽろぽろと涙を落とす。

 ハンカチでぬぐうことも、顔を伏せて隠すこともせず。

 子供みたいに、ただぽろぽろと泣いた。

 人生で初めての失恋を突き付けられ、心が悲鳴をあげていた。


「ひっ……つっ……」

「び、あんか」


 近くで、動揺したディートが息をのむ音が聞こえた。


 ―――もともとが金髪と青い瞳を持ち、儚げな雰囲気と美しい顔立ちが評判だったビアンカだ。

 気の強さが折れ、しおらしく泣くしかなくなった姿は、とても庇護よくを誘うものであった。


「おい、ビアンカ様、泣いてるじゃないか……」

「だいたいどうして卒業式でこれを行う必要が?」

「あの気の強い公爵令嬢を追い詰めるなんて、相当だろ」


 宿敵を見る様だった人々が、わずかに困惑に揺れていく。

 一人静かに泣くビアンカの姿に、これ以上の叱責を続けるのはかわいそうだと、大部分の者がうっかり思ってしまう。

 容姿の優劣で意見を変えるべきではないと心では思うけれど。

 しかしその弱々しい少女の、憐れみさえ感じる姿に罪悪感をくすぐられてしまうのは、仕方の無いことともいえた。 


 そして、アルベルトも。

 明らかな動揺を隠せずに、表情を堅くしていた。


「い、いまさら泣き落としなんて」

「っ。わ、分かっております」


 ビアンカはアルベルトの言葉に言葉を被せて切らせると、目元をぬぐう。

 何故かとてもタイミングよく、横にいるローブ姿の男、ディートからハンカチが差し出されたので有り難く借りた。

 目もとをハンカチで押さえながら、ぐっと息をこらえて涙を飲み込み、逸る心臓を落ち着かせるためにゆっくりと息をすう。

 顔を上げて、背筋を伸ばし、胸を張り、壇上にいるロゼッタとアルベルトを見すえた。

 目元を赤くはらしながらも、持っているハンカチごとスカートの裾をつまみ、腰を落とすと深々と頭を下げる。


「ロゼッタ様、私のした事は、間違いなく非道な行いでしたわ。心よりお詫び申し上げます、申し訳ありませんでした」

「え……」


 ロゼッタは黒い瞳を丸くして驚いている。

 これではビアンカがロゼッタをいじめていたと自白したようなもので、それが事実でないと知っているロゼッタにとっては、身に覚えの無いことを認めてしまうビアンカの心情が理解できなかった。


「ビアンカが、謝っただと?」


 アルベルトも同じく呆けている。

 そんな彼らに、顔を上げたビアンカはきつく唇を引き結んだ。


(これ以上、大切な卒業式を壊すわけにはいきませんもの)


 早く片付けて、元の進行にもどさなければ。

 たくさんの生徒達の一生の思い出に残る式をこのままにはしておけない。


 なによりも事実、自分の行いが完全に正しいものでは無かったとビアンカは自覚してしまったから。

 少し脚色は付けられてしまっているが、もういいと思って、頭を下げる。

 どうせ否定したって信じてはもらえないだろうという諦めも確かにあった。

 失恋が確定したことで少し自棄になっていることも有るのかも知れない。


「もう二度とロゼッタ様にあのような行いは致しません」

「っ、………」

「………」


 (いさぎよ)い謝罪に立ち尽くすアルベルトとロゼッタから、体の向きを九十度変え、ビアンカは貴賓席に頭を下げた。

 そこに居るのは、この騒動にも一言の発言もせず、ただ見守ってくれていた両親と、国王夫妻。


「お父さま、国王陛下」


 ビアンカは深く深く頭を垂れる。


「婚約の解消を認めてくださいませ。そしてこのような騒動を起こしてしまい、誠に申し訳ありません。処分はいかようにもお受けいたします」

「ビアンカ――、君は……」


 謝罪先にいた国王は、深く、長く息を吐いた。

 騒動が起こってからこの瞬間まで王が口をださなかったのは、アルベルトが己の始めた騒ぎをどう終息させるのかまでを見ようとしていたのだろう。

 しかし結果的に、彼は騒ぎ起こしただけで。

 始末をつけ、早く予定の卒業式へと流れを戻そうと動いているのは、ビアンカだった。


 言葉には出さなかったものの、王の表現には落胆が垣間見えていた。


 国王は静かに口を開く。


「お前たちの間にある(いさか)いについての報告は受けている。が、ビアンカのしたことは言葉での直接の抗議や注意くらいだと聞いていたがな……私の手配した部下が耄碌していたか?」

「ち、ちちうえっ………」


 アルベルトが顔色を青くする。

 国王の声色からして、事実はすでに知られているということを、彼も察したらしい。。


「アルベルト」

「はっ!」

「卒業生たちの晴れ舞台である場であり、来賓を大勢招いているこの式で、私的な恋愛の揉め事を広めることが、どれほどの恥であるかも分かっておるな」

「っ、それ、は……」


 ビアンカに婚約破棄を申し出るのなら、両親を交えての話し合いが必要だった。

 そうでなくても、このような大勢の前で罪を晒し、糾弾することなどなかったのだ。

 一生に一度の卒業式を壊されてしまった卒業生たちにとってはいい迷惑だろう。


「―――申し訳ありません」


「そしてロゼッタ嬢」

「は、はい」

「アルベルトにすがって、頼ってばかりの君の姿は、王妃という責務を全うできる器にあるとは私には思えない」


 礼儀も教養も、度胸も、貴族の令嬢としてはなんとかなる程度である彼女だけれど、王妃となると質が違う。

 本当に王妃として立つ覚悟があるのならば、それを身に付けなければならない。

 その覚悟があるのかと、王は()いているのだろう。

 ロゼッタは緊張と重責に顔を青くさせながらも、「これから頑張ります!」と大きな声で言いきってみせた。


 そうして、次に王が目を向けたのはビアンカだ。


「ビアンカ」

「はい」

「影像や音が本物かどうかも、彼らの発言が事実かどうかも、真偽ができていないうちから諦めるな」

「すみません」


 やっていないことをやったと言うことは、審議を錯乱させるだけでしかない。

 王の声に頭の冷えたビアンカは、肩を落として謝罪した。


「……全員、処分は後で沙汰(さた)をだす。こうなればやはり婚約についても、白紙に戻すが……よいか」


 王が「よいか」と訊ねながら視線を向けたのは、ビアンカの父である公爵だ。

 すぐ近くの貴賓席に座っていた公爵はため息を吐きながら頷く。


「娘にとって良き縁を、最初から探すことにします」

「お父様……」

「うむ。」


 アルベルトとビアンカとロゼッタの恋愛騒動。

 想い合っているのはアルベルトとロゼッタで、ビアンカは弾かれた形になる。

 親としては色々と複雑だろう。

 婚約を継続させ、ビアンカとアルベルトを結婚させても、アルベルトの心がロゼッタにある以上、娘であるビアンカが辛いだけだ。

 王子と公爵令嬢の婚約を、これ以上に継続させるのは、誰の目から見ても不可能だつた。


 国王は公爵にしっかりと頷いてみせてから、立ち上がり、会場内をゆっくりと見回して、声をあげる。

 人々は前へと出た王の姿に、直ぐ様姿勢を正した。


「さあ、卒業式の再開を!」









 ――――大きな騒動があったものの、卒業式は無事に終わった。


 式の後に学校内に部屋を用意してもらい、もう一度関係者のみが集まった。


 その場でビアンカは国王夫妻と自分の両親に再び謝罪した。

 ロゼッタとアルベルトも反省し謝罪を口にしつつも、やはり想い合っていることは変わらないらしく。

 完全にビアンカの入る余地は残されていないようだった。


 更にその場で、国王からビアンカたちに処分がくだされた。


 来月行われる王城の大掃除の手伝いをしろと……命じられた。

 学校内で学生が起こした騒動だった、ということで酌量(しゃくりょう)されたのだ。


(ギリギリとはいえ学生の身分でよかったわ)


 これが学校の外の城での行事であったり、卒業した後の学生ではない身分であったなら、おそらくもっと厳しい処分が下されていたのだろう。


 しかし何より、ビアンカたちの通っていたのは魔法学校だ。

 命の危険もある魔法を扱うことも多い。

 校舎が丸ごと吹き飛んだり、同級生の片腕をうっかり吹き飛ばしたりという事件はしょっちゅうで、だから学内で起こった今回の騒動も、その中の一つとして扱われた。




「おかえりなさいませ、ビアンカお嬢様」

「おかえりなさいませ。卒業おめでとうございます」

「おかえりなさいませ」


 疲れ切ったビアンカが家路についたのは、既に陽も落ち切った夜の事。

 使用人たちが出迎えてくれる。

 両親は、どこかの貴族と会食の予定があるとかで学園の門で別れていた。


「ビアンカお嬢様、お疲れのところ申し訳ないのですが……」


 玄関ホールで上着を脱がせてくれる侍女が、背後から話しかけてきた。


「どうしたの?」

「お客様がいらしております」

「お客様? 私に? そんな予定はなかったはずだけれど」

「はい。同級生のディート・グラリオン様です。卒業式で伝え忘れたことがあるとかで、応接室にお通ししておりますが……」


 ビアンカは大きな大きなため息を吐いて、うなずいた。


「…………制服から着替えたら、すぐに行くわ」


 ディート・グラリオン。

 あの映像と音声を記録する水晶を使い、ロゼッタとアルベルトに協力して追い落とす手伝いをした男だ。


 卒業式後の話し合いに参加したのはロゼッタとアルベルトとビアンカだけで、協力していたアルベルト付きの騎士たちなどは、後日の沙汰(さた)を待てということで帰られていた。

 沙汰といっても、ビアンカたちに与えられた罰と同じ、王城の大掃除なのだけれど。



「……ディート?」


 着替えて薄青色のドレスをまとい、髪もきちんと結いなおしたビアンカは、応接室の扉を開くなり、ソファに腰を落ち着け窓の外を眺めていた男の名を呼んだ。

 彼はゆっくりとこちらを振り向き、へらりとした気の抜ける笑みを浮かべる。

 やたらと縦に長い体型をしている、先ほどまで羽織ったローブで完全に顔を隠していた男。

 今は普通にシャツにジャケットという、侯爵家の子息として似合いの恰好をしていた。

 ローブがなくなり(あら)わになったきちんと撫でつけられたこげ茶の髪。

 顔は、気の良さそうな垂れ下がり気味の目元が印象的だ。


「やぁ、ビアンカ」


 ディートは立ち上がると、扉の前で立ち尽くすビアンカの前まで歩いてきた。

 ビアンカは無言のままで彼を見上げ、睨みつける。

 しかしビアンカの睨みなど何の効果もないといった感じで、ディートはへらりと笑って言う。


「卒業おめでとう」

「……」

「いやぁ、歴代の語り草になるだろう印象的な卒業式だったねぇ」

「……」


 ビアンカは無言のままに身体をひねり。


「とう!!!」

「うっ!!」


 思いきり。 力の限りに。

 足を振りかぶって、男の股間を蹴りあげてやった。


「つっ―――――!!!!!」

「ディート! 何あれ! どういうこと! いつもロゼッタ様についての私の愚痴を聞いてくれていたから味方だと思ってたのに! あんな水晶だしてきて! 裏切り者! ひどすぎるわ!」

「だ、だからって男の急所に蹴りをいれるのは……」

「当然の(むく)いよ!」


 股間を抑えてうずくまり震えるディートの額には冷や汗がにじんでいる。

 その苦しむ姿に、少しだけ溜飲(りゅういん)が下がった。

 でもまだ怒ってはいるビアンカは、うずくまるディートをしっかりと靴の踵で踏み超えて、ソファーに腰かけ腕をくむと、ふんっと鼻息を吐いて頬をふくらませた。


「あ、相変わらず……僕には、容赦(ようしゃ)、な……いね」

「だってディートだもの」


 アルベルトに接するとき、ビアンカは少し背伸びをしていた。

 完璧な淑女であろうといつだって緊張感をもっていた。

 けれど、幼い頃からアルベルトの傍付きとしてビアンカとも良く面識があったディートは違う。


 ディートは、ビアンカにとって本当にどうでもいい人間だった。

 本を読んでばかりのつまらない子だと、子供心に思ったものだ。

 だから気楽に、気軽に、何の壁もなく接していた。


 そうするうちに、いつの間にかディートはビアンカの相談役のような役回りになっていた。

 魔法研究科にあった彼の研究室にビアンカは入りびたり、毎日毎日毎日毎日、ロゼッタについての愚痴を吐いていたのだ。


 ビアンカは腰に手を当てて、ダンっと足を踏み鳴らす。怒っている!という意思表示だ。


「まったく! あれだけ私の話を聞いていたのに。結局はロゼッタにつくのね! 信じられないわ!!」

「いや、でもこれ……めちゃくちゃ痛っ……。うぅっ……っ……」

「いい気味だわっ」



 ……それから、しばらくビアンカは男の大事な場所を押さえて床で呻き転がっているディートを観察しながら、ソファーに座って優雅にお茶をたしなんだ。

 よほどに重症だったらしく、ディートが立ち直るまで二十分ほどもかかってしまった。

 さすがに可哀想に思って魔法で出した氷を、先ほど借りたハンカチで包んで作った簡易の氷嚢を患部に当ててあげようとしたら「やめて! 水滴が染みて漏らしたみたいになっちゃう!」と全力で拒否された。

 




「どうして僕が彼らに協力したんだと思う?」


 ようやく持ち直し、そう訊ねながら再びソファに腰かけたディート。


「……どうして正面ではなくて隣に座るの?」

「何となく」

「そう」


 怪訝に思いながらも、ビアンカは背の高い彼の顔を見る為に思い切り首を反らしながら答える。


「貴方はアルベルト様の傍に付く人だもの。将来の魔法研究の先導者になると言われているほどの優秀さですものね。王子に付くのは、彼があなたの主だから、彼のために動いたのでしょう?」

「違うよ」

「じゃあ何?」


 ディートはへらりと、何故かとてもとても嬉しそうに笑いながら言う。


「アルベルト殿下とロゼッタがくっ付けば良いと、思ったからだよ」

「同じことでしょう? でも、だから……アルベルト様とロゼッタ様の為に、あんな協力をしたの? 魔法の水晶を作るようなことを……」

「うん。あぁ…でもいや、アルベルトとロゼッタの為にってわけじゃないんだけど」

「………? あ、そうだわ。あの影像とかって、ほんもの? あの喧嘩の時、貴方はいなかったはずよね? 隠れて記録していたの?」

「嘘ではないけれど、本物でもない。あれはロゼッタの記憶から頂戴した映像と音声だよ。だから、やたらとビアンカが荒ぶってる感じにはなってたね」

「あぁ……」


 たしかに、よくよく思い返してみれば被害者っぽく描写されていたロゼッタは、もっとしっかり反撃してきたような気がする。

 あんなに弱々しい台詞を言ってはいなかった気もする。


「……、そういえば あの時腕にひどい引っ掻き傷つけられたのだったわね」


 ロゼッタとビアンカの戦いは一方的なものではなかった。

 時にはロゼッタからビアンカへ嫌みの応酬があったりしたし。

 互いに引っ掻き傷や青タンを作るような肉体的な争いだってたまに起こっていた。


「女の戦いは怖いねぇ」


 わざとらしくディートは自分で自分の身体を抱きしめ震えて見せている。



「――――――あら?」


 そこで、ビアンカは違和感に気付いた。


 ビアンカ自身も気が強くて、売られた喧嘩は買ってしまう性格だけれど、ロゼッタだって同じような感じだった。

 少なくとも周囲を巻き込みあんな騒ぎを起こして、ビアンカを追い落とすような陰湿な争いをしたことはなかった。やるなら正々堂々と、やりあっていた。


 やり方が、アルベルトとロゼッタらしくない。

 前世の記憶にある乙女ゲームでも、彼らはヒーローとヒロインらしく清く正しい行いをする人物像だった。


「どうして?」


 ビアンカの、独り言の疑問。

 一言しか呟いていないのにどうしてか考えを読まれたらしい。

 ディートが、へらりと笑いながら答えを差し出してくる。


「僕が二人を色々と()き付けたからねぇ。このままじゃ一緒になれないよ? 卒業式が最期の勝負どころだよ? どうすればいいのか、知恵と技術を貸そうか? とか。あはははは」

「つまり、……あなたが黒幕だったのね!?」

「ははははは」

「呑気に笑ってるんじゃないわよっ」

「ごめんね」

「………最悪」


 ビアンカが肩を落として、わずかに瞼を伏せて俯くと、ディートは慰めるように髪を撫でた。

 丁度良い高さにあるとかで、ディートは何故かこうしてしょっちゅうビアンカの頭を撫でるのだ。


(でも今日のは、いつもの撫で方よりも優しい気がするわ)


 ディートはゲームでは完全なモブキャラだった。

 悪役であるビアンカとこうして良く一緒にいたから、ヒロイン視点のゲーム内ではほぼ活躍シーンはなく、影が薄かったのかもしれない。

 ビアンカはひとつ息を吐いてから、瞼を上げてディートのこげ茶の瞳をみつめた。


「ディートは、私の味方だと思っていたのに」

「っ……。あぁ、もう。だから、ごめんって。すまなかった。まさか泣くとは思わなかった。―――驚いた」


 今まで、気の強いビアンカが誰かに泣き顔をみせる事はほぼ無かった。 

 ディートの気まずそうな表情からして、ビアンカの涙は彼にとっても結構な衝撃だったらしい。


「あー……」


 泣いたことの半分くらいの原因は、前世を思い出した衝撃からだ。

 これについてはディートのせいだけでは無いのだけれど、彼は責任を感じているようだった。


 前世……落ち着いた今は、あくまで自身とは違う『別人の』記憶なのだと思える。

 とても内容の濃く分厚い本を読んだような、そんな感じで思い起こされる前世の記憶は、これまで作り上げて来た『ビアンカ』を(いちじる)しく変えるものではなかった。


(もう大丈夫。今まで通りやれる。私はビアンカで、何も変わらないわ。展開も、ゲームの頃とは違ったし――いえ、ヒロインがメインヒーローの王子とくっついたのは事実だけれど、悪役の私は立場を追い落とされるとか殺されるとかもなく、城の掃除の手伝いをするくらいの処分になったし……)


 しかし、とビアンカは思い出す。


(そういえば、泣いた直後から流れが変わったのよね。思っていたよりも女の泣き落としって聞くものなのかしら?)


 自分には、意図して泣くような演技力はないけれど。と、黙りこんで考え込んでいたビアンカの顔を、 ディートはどうしてかとても近くの距離感で覗き込んできた。


「ごめんね? 泣かせちゃって」

「……ゆ、許さないわっ」


 ぷいっと、ビアンカは首を反らす。

 何にしても、ビアンカがロゼッタに負け、失恋が決定的になった今日の事件を仕立てたのはこの男だ。


「絶対、絶対許さないわっ。一生恨んでやるのだから!」

「一生? それは……うれしいね」


 耳の横で、小さく笑う声がした。

 子供みたいな仕草で拗ねたビアンカを、面白がっているのだろう。


 ビアンカはますます頬を膨らませ、眉をあげて勢いよく振り替える。


「もうっ!何が嬉しいのよ!ディートなんて嫌いよ!」

「え、僕は好きだけど」

「は?」

「好きだよ」

「は?」

「だからアルベルトとロゼッタを焚き付けたんじゃないか」

「は?」

「は? 以外にも反応くれない?」


 真正面にあるディートの顔は、今まで見たこともないほどの満面の笑みを浮かべていた。

 ビアンカはぽかんと口を開けて呆けるしかない。


「王子と公爵令嬢の婚約破棄だなんて、そうそう出来るものじゃないだろう? だから、諦めてたんだけど」

「えっと、ディート?」

「殿下とロゼッタが惹かれあうようになって、ビアンカが怒って彼らの邪魔をするようになって――――――気づいちゃったんだ。このまま、あの二人がくっ付けば、ビアンカが僕のものになる可能性があるんだって」

「……え? えっと? ディート、貴方、私のことが好きだったの?」


 顔をわずかに赤らめながら、信じられないと驚愕した表情のままで口にすると、ディートは「だからそう言ってるでしょ」と平然と頷いた。


「そうでなければ、毎日毎日、僕の研究を邪魔しに来る女の子の相手を根気強くするわけないだろう?」

「じゃ、邪魔だったなら言ってくれれば……」

「その邪魔が、ビアンカに限っては嬉しいんだっていってるんだよ。研究室に閉じこもって実験ばかりの面白味のないやつ。そう誰もが言う僕のもとへ、ビアンカは通ってくれて、飽きもせずに話を聞かせてくれた。ただの愚痴でもね、嬉しかったんだ」


 「ありがとう」と言いながら、ディートが柔らかいものをビアンカの頬へと押し当てた。

 ちゅっ。と、耳元で小さな音が鳴る。


「つっ……!!!」


 突然すぎる事態にビアンカは顔を真っ赤にしながら、はくはくと口を開閉することしかできない。

 そんなビアンカの様子にディートは幸せそうに、やわらかく微笑む。


(こんなに甘い顔、見たことないのだけど……!)


「っ……。――馬鹿」

「自分でもそう思うよ」


 なんて馬鹿な理由で、大それた事をするのだとビアンカはため息を吐く。


(ひどいやり方だわ。引きこもりの研究オタクだから、少しずれてるのよね。……でも。あれくらいされないと諦めようとは思えなかった)


 ビアンカは本当にアルベルトが好きだった。

 彼がロゼッタを想っているのだと誰の目に見ても明らかな中で、ビアンカだけはそれを否定し、ロゼッタと戦っていた。

 ビアンカが諦めるためには、あれくらい徹底的に打ちのめされての失恋が必要だったのだ。

 今日の騒動がなければ、ビアンカはずっとずっと現実を認めずに、ロゼッタを好きなアルベルトを追いかけ回していただろう。 


「私も、馬鹿だったわ」


 呟いて肩を落としたビアンカの姿に、また優しく微笑んでみせたディートは、次に宙へと視線を投げ、張り切った様子で胸の前で手を握りこんだ。


「さぁ、前の婚約は白紙に戻せたし! 頑張って公爵殿に自分を売りこまないと!」

「でぃ、でぃーと?」

「まぁ大丈夫だよね。魔法で僕に勝てるのなんていないし、次期筆頭(ひっとう)魔法師の座はほぼ確定。王子ほどでないにしても相当によい物件だ」


 自信満々でそんなことを言う背の高い男の姿に、ビアンカはもう絶句するしかなかった。




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[一言] いやいや 無いから 絶対に 許しちゃいけない こんなサイコパス
[一言] ビアンカ、アルベルト、ロゼッタの三人はともかく ディートのしたことは「学生だから」で許されるものなのでしょうか? 首刎ねられてもおかしくないような(´・ω・`)
2018/07/19 16:34 退会済み
管理
[気になる点] キーワードに胸糞がないのが不思議。
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