第1話:捨てるにはあまりに大きすぎた光
これは、大学生として普通の暮らしをしていた日本人 相沢 葵が異世界に召喚されわずか数時間で追放されるお話。
その序章である。
眩い光と、耳をつんざくような管弦楽の音色。
重厚な香炉の香りが鼻腔をくすぐり、相沢 葵はゆっくりと瞼を開けた。
「……え?」
見覚えのない巨大な大聖堂。
足元には青白く脈動する見たこともない魔法陣。
目の前には、豪奢な衣装をまとった男たちが、感極まった表情で膝をついていた。
「おお……! 成功だ! 異界より『救世の聖女様』がおいでになられたぞ!」
わけが分からなかった。
さっきまで大学からの帰り道、いつもの横断歩道を渡っていたはずだ。
混乱する葵を置き去りにして、神官長らしき老人がうやうやしく透明な水晶玉を差し出してくる。
「さあ、聖女様! その御手でこの水晶に触れ、あなた様に眠る神聖なる魔力をお見せください!」
「あ、あの……私、普通の大学生で——」
「ええい、早く!」
強引に手を引き寄せられ、水晶の上に置かされる。
言われるままに息をのんだその瞬間、水晶がほんの少しだけ——芽吹いたばかりの葉のような、淡い緑色にぽつんと光った。
「……む?」
神官長が目を細める。
数秒が経過し、十数秒が経過する。
水晶はそれ以上、何の反応も見せなかった。
「……測定値、微弱。属性……解析不能。神聖気質の反応、ほぼゼロです」
横に控えし記録官の淡々とした声が、静まり返った大聖堂に響き渡った。
「な……なんだと……!?」
一瞬前までの熱狂が、嘘のように氷点下へと凍りつく。
神官長の顔から敬意が消え去り、露骨な嫌悪と蔑みが浮かび上がった。
「使えぬ……! 召喚は失敗だ! 救世の聖女などではなく、ただの『無能な出来損ない』を引き当ててしまったのだ!」
「そんな……っ」
「引きずり出せ! この女の衣食を賄う予算など我が国にはない! 」
罪人のように両腕を掴まれ、葵は大聖堂の冷たい石畳を引きずられていく。
ろくな説明も、水一杯すら与えられず。
召喚されてから、わずか一時間にも満たない出来事だった。
ガタン、と重い鉄格子の馬車の扉が開かれ、葵は容赦なく地面へと投げ出された。
「ここで野垂れ死ね、無能が」
捨て台詞とともに去っていく騎士たちの馬車。
あとに残されたのは、陽の光すら遮るほどに鬱蒼と立ち込める、不気味な黒い霧だった。
ここはこの国で最も恐れられている禁忌の地
——『黒蝕の森』。
濃密な魔気が毒となって立ち込め、飢えた魔獣が跋扈する、入れば二度と生きては戻れない死の森だ。
国のお偉方たちは「追放」という体を取りながら、召喚失敗の口封じとして、葵を確実に殺すためにこの地を選んだのだった。
「う……っ、く……」
冷たい土の上で、葵は身を縮こまらせた。
急激な環境の変化と、あまりにも身勝手な仕打ち。悔しさと恐怖で涙が零れ落ちそうになる。
その時だった。
ガサリ……
奥の暗闇から、赤く光る眼がいくつも現れた。
魔気の毒に狂い、肉を求めて蠢く魔獣たちだ。威嚇するような低い唸り声が、葵を取り囲む。
(殺される……!)
葵は逃げるために一歩、後ろへ足を引いた。
——その瞬間。
サァ……ッ
葵の足が触れた黒い土が、一瞬で温かな黄金色の光を放った。
「え……?」
葵が一歩踏み出すごとに、足元から波紋のように光が広がっていく。
地面を覆っていたどす黒い魔気と毒が、まるで純白のキャンバスに水を打ったかのように一瞬で消し飛び、足元から鮮やかな青草と、色とりどりの小さな花々が爆発的に芽吹き始めたのだ。
『ガアッ……!?』
襲いかかろうとしていた魔獣たちが、悲鳴のような声を上げた。
だがそれは苦痛の悲鳴ではない。
葵から溢れ出す圧倒的な「生の波動」に触れた瞬間、魔獣たちの体に絡みついていた黒い魔気がサラサラと霧散し、狂暴だった瞳に穏やかな光が戻っていく。
魔獣たちは争うのをやめ、まるで温かな陽だまりに包まれたかのように、その場にぽてんと丸くなって眠りについてしまった。
「これ……私……?」
葵は自分の手を見つめた。
あの水晶玉は、あまりにも巨大すぎる葵の力を「小さすぎて測定不能」だと勘違いしたのだ。
彼女の力は、単に魔気を払うようなちっぽけなものではない。
「死に瀕した世界そのものを、芽吹かせ、蘇らせる」という、文字通りの神域の権能。
葵がゆっくりと森の奥へ向かって歩き出す。
一歩。黒い木々が瑞々しい緑を取り戻す。
二歩。濁っていた川が清らかなクリスタルのような輝きを取り戻す。
三歩。どこからか心地よい風が吹き抜け、枯れ果てていた大樹に一斉に花が咲き誇る。
自分をゴミのように捨てた愚かな者たちが、その手で「唯一の希望」を追放したことなど、彼らはまだ知らない。
「……よし。悲しんでる暇はないよね。まずは……この森を、綺麗にしてみようかな」
絶望の底に捨てられた聖女は、静かに、けれど確実に、この世界で一歩を踏み出そうとしていた。
お久しぶりにございます。炊き立て賢者です。
最近筆が乗りまして、新作を書いてみました。
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