ビアンカ・ルーフは愚か者 〜失敗した呪いの代償は……コモドドラゴン!?〜
ビアンカ・ルーフは愚か者である。
どれくらい愚かかと言えば、自分を馬鹿にした特進クラスの生徒全員をつけ焼き刃の知識で呪おうとするくらいの愚か者だ。
その愚かさゆえにビアンカは呪いに失敗し、現在、わかりやすく狼狽していた。
「ど、どどどどどうしよう……」
そう言ってみたものの、もちろんどうすることもできないのは自分自身が一番よくわかっていた。なにせ呪いが失敗することを想定していなかったのだからその愚かさも窺えようものだ。
ビアンカには婚約者がいる。
伯爵令息であるケインだ。
成績優秀かつ容姿端麗、青灰色の髪をひとつに括り、闇を照らす一筋の光のような優しい色を讃えた瞳を持つ、思慮深く物静かな青年だ。そのため人望は厚く、貶すところがひとつもない完璧な青年である。
対するビアンカは、黄色い絵の具をべったりと塗りつけたような陽気な髪色に、芽吹いたばかりの若葉のような色の瞳をした子爵令嬢である。容姿は並ちょっと上くらい。秀でたところはなにもない。
婚約者となったその日から、ビアンカが彼に夢中になるのは必然だった。
ケインがビアンカのことを愛してくれないのもまた、案の定でもあった。
その証拠に彼はいつもビアンカにそっけなく、笑顔ひとつ見せてくれたことがない。
もちろん会話だって弾まない。
片や成績優秀者の集まりである特進クラス、片や成績最下位常連たちで構成された、落第崖っぷちクラス。
話が合うはずもない。
釣り合っているのは家柄だけ。
本人たちはまるで不釣り合い。
それは学院に入ってからさらに顕著となり、焦ったビアンカは、振り向いてくれないケインにしつこくつき纏った挙句、特進クラスの生徒たちに嘲笑されてわかりやすく激昂した。
行動力だけはピカイチのビアンカだが、残念ながらやる気と力量が比例することはなく、激情に駆られたまま手を出した呪いは普通に失敗した。
……いや、思わぬ形で成功したと言うべきか。
ビアンカは特進クラス全員、爬虫類にでもなってしまえと呪いをかけた。
それなのに、なぜなのか。
ビアンカの目に映る特進クラスの生徒たちの容姿が、みなコモドドラゴンになってしまったのだ。
世界最大のトカゲである、あのコモドドラゴンである。
とはいえビアンカはコモドドラゴンなる生物の実物を見たことはなく、あくまで伝聞に想像が混じった空想の産物。
トカゲをそのまま大きくしたイメージに、ドラゴンとつくくらいなのだから角や翼もあるはずだと、あるはずのない山羊のような二本の角が生え、あるはずのない蝙蝠のような翼をつけた、コモドドラゴンならぬ、コモドドラゴンもどきである。
右を見てもコモドドラゴンもどき。左を見てもコモドドラゴンもどき。二足歩行のコモドドラゴンもどき。もはやコモドドラゴンモドキという名の生物だ。
無類の爬虫類マニアでもない限り、コモドドラゴン(厳密にはコモドドラゴンモドキなのだが)の顔の違いなど見分けられるはずもなく、愛する婚約者がどのコモドドラゴンモドキかすらもわからない始末。
せめてもっとわかりやすいように体の色でも違えばよかったのにと思った瞬間、コモドドラゴンモドキたちが一斉に派手なオレンジ色へと変化した。
「……」
(……違う。そうじゃなくて)
相変わらず思ったのと違う方向に着地する呪いだ。成功と呼んでいいのか失敗なのか、判断がままならない。
ビアンカの空想の産物が具現化されているため、カスタマイズは望みのままらしいが、全員揃ってオレンジ色ははっきり言って、ない。
戻れ戻れと願ってみたが、これは呪い。一度変化してしまったものを戻してくれる慈悲はないらしい。
派手なオレンジ色の角と翼のあるオオトカゲのコモドドラゴンモドキ。
(……目が痛い。チカチカする)
ビアンカは爬虫類に抵抗のないタイプの令嬢ではあったが、この先一生、婚約者がどのコモドドラゴンモドキかすらもわからず生きて行くのかと思うと絶望もする。
幸いと言っていいのかわからないが、件のコモドドラゴンモドキたちは学院の制服を着ている。つまり、男女の区別だけはつく。
せめて婚約者だけは見分けられるようにならなくてはとビアンカは奮起した。
ビアンカは愚か者だ。
それでも、前向きなところだけは唯一誇れる長所であった。
**
ケイン・ハーミットは優等生である。
成績は常にトップクラスを維持し、特進クラスでも一目置かれた存在だ。容姿や物腰から大人っぽく見えるらしく、女生徒たちからだけでなく、男子生徒からもよく頼られる。
本音を言わせてもらえれば、誰にも煩わされることなく図書室に引きこもって延々と本を読んでいたい人間だが、そんなケインの性格を理解しているクラスメイトの距離感はちょうどよく、友人と呼べる者もそれなりに、学ぶことは楽しく、なんら問題はない学生生活。
ひとつ問題があるとするのなら。
それは婚約者のビアンカにほかならない。
ビアンカとの婚約は政略ではなく、かといって恋愛をしたわけでもなかった。
占星術によって選ばれた、ケインと一番相性のいい令嬢がビアンカだったというだけの話である。
ハーミット家は初代当主が占星術に傾倒しており、以降、親族の婚約を著名な占星術師に占ってもらい決めるのが代々伝わる婚約者選びの手法であり、絶対的な家訓でもあった。
ケインも幼い頃からそれが普通として育ったため、相手を占星術で選ぶことに意を唱えようと思ったことはない。どの道、貴族。好きな相手と結婚できるはずもなく、占いでなければ家の縁を繋ぐための政略結婚をさせられたに違いない。
政略か占星術。
冷え切った家庭を築く可能性のある政略結婚よりは、必ず相性のいい相手が選ばれる占星術の方がまだしも望みはある。
しかし選ばれたのは、ケインとは真逆の人間だった。
本当に相性がいいのか疑うくらいに正反対。
それでも幼い頃はまだよかった。少ししつこいところはあったが、まだかわいげがあった。
ビアンカの言動が目につくようになったのは、学院に入ってからである。
頭の作りを鑑みれば、同じクラスになることはないとケインは最初から気づいていたが、ビアンカの方はそうではなかったらしく。
ケインのクラスメイトたちに並々ならぬ敵愾心を抱いてしまったのが不幸のはじまり。
ケインは騒がしいのが苦手だ。
ビアンカはその最たる者である。
さりげなくケインからビアンカを引き離そうとする令息たちに噛みつき、苦言を呈する令嬢に暴言を吐き、「全員呪ってやる!!」と怨嗟を残して去っていった昨日のことを思うと朝から足が重くなるというもの。
登校するとすぐ、ビアンカの黄色い髪が見えてケインは深いため息をついた。それを聞きつけた友人がビアンカに気づいて顔を顰める。
「厚顔無恥と言うか、よく呑気に登校できたな。……あんな婚約者でお気の毒様」
本来そこまで言われる筋合いはないのだが、そこまで言わせたのはビアンカ自身である。
目が合った瞬間、いつものようにベタベタと引っついてきて周りを牽制して回るのだと思えばため息のひとつも出る。
ケインは内心げんなりとしながらも、婚約者として最低限、ビアンカを教室までエスコートしようと待っていた――のだが。
まっすぐこちらに歩いてきたビアンカは、ケインを一瞥することもなく、てくてく真横を通り過ぎて行く。
「……?」
出会ってからはじめて無視というものをされたかもしれない。ケインは戸惑い、ビアンカに声をかけることすら忘れてしばし呆然とした。
(……もしかして、怒っているのだろうか)
怒ってしかるべきはクラス全員に謝罪して回ったケインの方である。
それにすれ違った際に見えたビアンカの表情は怒りに満ちてはいなかった。
それならば、まさか、視界に入らなかったとでも言うのか。
(……いや、こんな近くで? 目が悪いわけでもないというのに?)
なぜだろう。自分はどのような物事が起きようと臨機応変に対応できると信じていたケインだが、自分の理解の及ばない相手に、普段と違う行動をされると途端にどうしていいのかわからなくなることを思い知った。
ビアンカの意図が読めない。
だが、本当に気づいていなかっただけということもあり得るのだ。
不快な習慣であっても、それが崩れると人は不安になるものらしい。
なんとも言えない気持ちを抱えたまま、ケインは黄色い髪の揺れるビアンカの後ろ姿を黙って見送った。
**
自分が呪った相手が特進クラスの面々だけだったことをひそかに褒め称えながら、ビアンカは席についた。
もし怒りに任せて全生徒呪っていたらと思うとぞっとする。
見慣れたクラスメイトたちの姿が寸分違わず見慣れたままであることに、これほど安堵したことはない。
普段ならば暇さえあれば特進クラスの教室を覗きに行くビアンカだったが、今日はさすがに足が向けられなかった。
コモドドラゴンモドキ、数匹固まっているだけならまだいいのだが、教室に整然と並んでいられると普通に圧と恐怖を感じる。偏見だが、紛れ込んだが最後、餌と間違われて頭からバリバリ食べられそうだ。
もちろん実際にそこにいるのは人間であるのだが、わかっていてもコモドドラゴンモドキの群れに単身突っ込むとなると勇気と覚悟が試される。
そうでなくとも愛する婚約者どころか、同じ特進クラスにいる王族を含めた上位貴族たちが、どのコモドドラゴンモドキなのかまだ判明していないのだ。不敬覚悟でしらみつぶしする度胸は、ビアンカでも持ち合わせていなかった。その全員を呪おうとしていたことは一旦忘れるとして、声で判断しようにもケインの声しか覚えておらず、そのケインはと言うと寡黙なタイプなので声を出すことの方が珍しい。コモドドラゴンモドキの口から普通に人語が出てくるところも、違和感でしかなかった。
愛する婚約者がコモドドラゴンモドキになっても見分けられると楽観視していた部分がないとは言えないが、実際コモドドラゴンモドキたちを見て、ビアンカは己の浅はかさをこれでもかと痛感した。
犬猫ならまだ顔立ちの違いを見分けられる自信があるが、コモドドラゴンモドキは無理だ。
なにせビアンカは本物のコモドドラゴンを知らない。あくまでも漠然とした想像上のコモドドラゴンであり、そうなると一律に同じ顔をしているので、もはやお手上げ状態。
無理してコモドドラゴンモドキに当たって砕けずとも、数日でビアンカの視界が元通りに戻る可能性はある。待てば海路の日和あり。待って様子見するのもひとつの手だ。
その間に一応呪いを解く方法を探っておこう。
ビアンカは元来の楽観さで、問題を先延ばしにしたのだった。
**
ビアンカに無視されたあの日から数日。ケインは相変わらず彼女に無視され続けていた。
はじめは単なる偶然かと思っていたが、何度も続けば意図して避けられていることを悟るというもの。
クラスが違うと交流の機会も限られる。向こうから接触して来ないと顔を合わせることもないのだなと改めて思い知ったケインだが、だからといってどうすることもできずに淡々と日々を過ごしている。
普段ならば、ビアンカがいなければ静かなのに……と、その存在そのものに不満を感じることもあったのだが、今は不思議と静かなのに落ち着かない。
ビアンカのくっついていない腕は軽いし、どこか寒さすら感じる。ビアンカのぎゃんぎゃんとした甲高い声が聞こえないことに、妙にそわそわとしてしまう。
ビアンカがくっついている状態こそ、いつしかケインの日常となっていたのだ。
「ビアンカ」
躊躇いがちに声をかけると、彼女は顔を上げたものの、その瞳にいつものような熱はなく、どこか探るような目つきをしている。「コモド……」という、ごくささやかなつぶやきがケインの耳へと届いた。
「コモド……?」
「あっ、ケイン様?」
ビアンカは目の前にいるのがケインだとようやくわかったように目を丸くした。
「……大丈夫か? もしかして、視力が落ちた……とか?」
「……まあ、ある意味、目は悪い方向に進んでおりますよね……」
ビアンカは妙にぎこちなく視線を逸らす。
「眼鏡は?」
「眼鏡でどうにかなる状態では……」
なるほど、視力の低下によりケインのことが見分けられなくなったのかと安堵しかけ、いやちょっと待て、と思い直す。
避けられていたのは嫌われてのことではないのだとしてもだ、人の見分けがつかないほど視力が悪化していることこそが問題である。
「なぜもっと早く言わない。今日は早退して、すぐに病院に行って医師に相談しよう」
ビアンカの愚かさはケインのよく知るところである。きっとそのうちよくなると楽観視して放置していたに違いない。
「えっ、いえいえ! 病院は……!」
「もう診てもらっていたのか?」
「えっと……そう、です」
「それで診断結果は?」
「え、と……あれ、です。……人の顔が見分けられない、みたいな……?」
記憶力が致命的なビアンカのことだ、病名を記憶できなかったのだろう。
(人の顔が見分けられない……相貌失認か?)
いつも迷惑をかけられているとはいえ、婚約者だ。心配しないはずがない。ビアンカの頰に手を添えて顔を覗き込むと、彼女はじわっと瞳を潤ませた。
「ああっ、なんでこんなことにっ……!」
見えないことがよほどつらいのか、彼女はしくしくと涙を流す。いつも空元気なビアンカだからこそ、ケインの胸を衝いた。これほどまでに傷ついた婚約者を放置していたことに罪悪感が湧き上がる。
「気づかなくて、ごめん……」
そっとその肩に触れ、抱き寄せた。
せめて彼女が不安なく過ごせるよう、夜道を照らすカンテラのような、踏み出す一歩を支える杖のような、そんな役割をしなくてはと決意した。
**
ケインに抱きしめられながら、ビアンカは本気で悔し泣きをしていた。
人間、悔し過ぎると涙が出るなんてはじめて知った。
愛するケインに抱きしめられているはずなのに、その感覚はあるのに、目に映るのはコモドドラゴンモドキなのだ。これを泣かずしてどうしろというのか。
不思議なもので、ケインだと頭では理解していても、目が全力で裏切っているので、歓喜と怖気が内心でせめぎ合っている。
結果、勝ったのは鳥肌であり、ビアンカは反射的にケインを押しやり身を引いていた。
見上げた先にはコモドドラゴンモドキ。心配そうな顔をしているような気もする、コモドドラゴンモドキ。
もう二度と見られないかもしれないあの端正な顔立ちを思い出して後悔と絶望が込み上げる。
「――ご、ごめんなさいぃぃ……!」
「……は?」
ぽかんとするコモドドラゴンモドキをその場に残して、ビアンカは脱兎の如く逃げ出した。
ケインなら外見がコモドドラゴンモドキでも大丈夫だと過信していた。だが、やはり無理だった。遠目に見るくらいならまだいい。でも近過ぎるとやはり恐怖が勝る。
(のんびり構えている場合じゃない! 呪いを解く方法をどうにか見つけないと!)
泣きながら図書館へと駆け込み、呪詛関連の本を片っ端からかき集めて読書スペースへと積み上げる。
そうして一冊目を取り、真剣な面持ちで目を通した。
「…………」
無理だった。最初の一ページ目から理解できない。そんな頭は持ち合わせているのなら、短絡的に呪いに手を出したりしていないのだ。
(ああぁぁぁぁぁ……!)
ビアンカは頭を抱える。スッカスカの中身のない頭を。
それでも必死にページをめくっていき、ようやく、巻末にビアンカの頭でも理解できる一文が現れた。
『――古今東西、どのような呪いでも解けるのは、真実の愛のキスのみではないだろうか』
ビアンカは、バーン! と机を両手で打ちつけながら腹の底から叫んだ。
「それができたら呪ってない!!」
日常的にキスをしてくれる相手ならばこんなことになっていないのだ。
婚約者とはいえケインとの関係は健全も健全。キスなど頰にすらしてもらったことがない。エスコートの際に軽く手にしてもらったことはあるが、それだってビアンカが強請って強請ってケインが折れた結果である。
それにだ。もし万が一ケインがビアンカとのキスを受け入れてくれたとして、ビアンカがキスすべき相手はコモドドラゴンモドキ。
果たしてコモドドラゴンモドキとキスができるのか。
それがなにより重要な問題だ。
(薄目で見れば……いや、目を瞑れば、どうにか……)
だがしかし、現在コモドドラゴンモドキの前に愛が屈したばかりである。
戦慄いていると司書ににらまれ、すごすごと席に着いた。
呪いが解けなければビアンカはこの先、コモドドラゴンモドキと結婚して、コモドドラゴンモドキと番い、コモドドラゴンモドキの子を産まなくてはならないのだ。
(このままだと、子供までコモドドラゴンモドキに見える可能性も……)
コモドドラゴンモドキの子――コドモコモドドラゴンモドキである。
もはや舌を噛まずにはいられない種族だ。
ケインのことは愛している。
元より容姿だけが好きだったわけではない。
コドモコモドドラゴンモドキでも、愛せる、はず。
(……やるしかない!)
まずはコモドドラゴンモドキに慣れるところからはじめなくては。
ビアンカは動物図鑑を借りるべく書架へと駆け出した。
当然だが、直後に司書の小さな雷が落ちた。
**
ビアンカがわからない。
元々わからない部分は多々あったが、それに輪をかけてわからなくなっている。
だがケインもさすがに色々気づきはじめていた。
これは避けられているどころの話ではなく、たぶん、おそらく、本当に信じられないことではあるが……嫌われたのだろう。
顔の見分けがつかないというのは、あくまでもきっかけに過ぎない。
とうとう愛想を尽かされたと考えればあの態度も納得がいく。
どこで対応を誤ったのだろうかと冷静に振り返ってみた。思い当たるのはビアンカが特進クラスで暴言を吐いて去って行ったあの日。
だが果たして、どう行動すれば正解だったのだろうか。すぐに追いかけていればよかったのか。だがしかし、まずは謝罪が先だ。婚約者が周りに迷惑をかけたのだから、その点は間違っていないはず。
(その後にビアンカのところに足を運んで、宥めればよかったのか……)
婚約者ではあるが、感覚としてはもはや身内も同然。親しいがゆえに対応を後回しにしたわけだが、それが原因だったのなら、間違いなくケインの失態である。
あれだけケインに執着しているビアンカだ。多少優先順位を後にしても嫌われてることはないと勝手に思い込んでいたが、相手にも心があるのだ。
婚約を継続するのに致命的な要因がない限り、この婚約がなくなることはない。ケインがビアンカに愛想を尽かされたとして、ハーミット家は占星術を信奉しているのでビアンカ以外の相手と結婚が許されることはないし、ケインとしてもビアンカ以外と結婚するつもりはなかった。
もしケインがハーミット家を出るということであれば、ビアンカ以外と結婚しても許されるだろうが、ケインは根っからのハーミット。占星術への傾倒も深い。やはりビアンカ以外との結婚を考えることはできなかった。
できればこの先を占ってほしいところだが、占星術師はそう簡単に捕まるほど暇ではない。嘆息しながら図書館へと向かうと、思いがけずにビアンカを見つけてケインは足を止めた。気まずさや戸惑いからではない。あの文字を見たら眠くなるビアンカが、真剣に読書をしていたからだ。
天地がひっくり返るほどの衝撃に震えながら近寄ったが、それが動物図鑑だとわかると心底ほっとした。リアルな爬虫類の絵を凝視している点に疑問を持ちはしたが、文字ではなく絵を見ているのであれば納得もいく。
早急にこれまでのことと、許可なく抱きしめてしまった件についての謝罪、それにできれば今後のことについて話し合いをしたいと思い声をかけようとしたが、ビアンカの目のことを思い出して一旦引いた。
顔が認識できないとなると、ケインが声をかけてもケインだとわからず困らせてしまうことだろう。
(……そうだ)
ハンカチを取り出すと、名前の刺繍がしてある部分が見えるように、ポケットチーフにして差し込んだ。
顔で見分けられない以上、ほかの部分で見分けてもらうしかない。名前は一番わかりやすい個人識別の方法だった。
「ビアンカ」
やや緊張のにじむ声で呼びかけると、彼女はケインを振り返り、一瞬戸惑った表情をしたが刺繍入りのハンカチを目にすると瞬いた。
「ケイン様、それ……」
「急場凌ぎだが、ないよりはましかと思って」
「ありがとうございます! わかりやすくて助かります!」
やはり顔の判別ができないだけで、文字は普通に読めるようだ。
「……隣にかけても?」
「えっ、えーと……はい」
着席して、さてなにから話すべきかと考えた。話し合わなければならないことがたくさんある。
だがやはりなにから話せばいいかわからず、結局目についた図鑑について尋ねることにした。
「爬虫類に興味が?」
「これは……特になんでもなくて。て、手慰みに開いていただけで……」
慌てて図鑑を閉じる挙動は怪しいが、普段からそんな感じだったことを思い出して追及することはやめ、素直に頭を下げた。
「これまで申し訳なかった」
「えっ、なっ、どうしたんですか? 頭を上げてください!」
ビアンカが図書館だというのに大きな声を上げるのですぐに頭を上げた。なぜ周囲に気を遣えないのだろうかと呆れかけたが、こんなところで話を切り出したケインに問題があると自省した。
「外で話せるか? 少しでいいから」
ビアンカも突き刺さる司書の視線に気づいたらしく、同意してくれたのでほっとする。また拒絶されたらどうしようかと、実は結構不安だったのだ。
「いきなり抱きしめてしまい、すまなかった。驚いただろう?」
「そそそそんなことは……! わたしもいつも腕に抱きついたりしていますし……」
ケインはここしばらくビアンカをぶら下げていない腕を見下ろしてから、ゆるゆると首を振った。ケインは男でビアンカは女。力の強さにも当然差がある。もし嫌だと思っていたら、いつだって振り払えたのだ。そうしなかった時点で、嫌ではなかったということにほかならない。
「ビアンカがそばにいることを、これまで当然のことのように思っていた。……愛想を尽かされることになるなんて、少しも想像せずに」
「え?」
「きみがいないと、僕は寂しいらしい」
「ふぁっ!?」
「今度は僕がきみを支える。……手に触れても?」
「もちろんです!」
そう言ったビアンカだか、なぜかその目は明後日の方を向いている。
「どこを向いて……?」
「条件反射なので気にしないでください!」
(条件反射……?)
理解不能だが触れる許可を得たケインは手を取り、そのまま繋ぐ。
「今後は、授業以外は一緒に過ごそう」
ともにいればビアンカが王族や上位貴族の子息令嬢相手に、致命的な間違いを犯すこともない。
相変わらず視線を合わせてはくれないが、身から出た錆。ケインはすべてをあまんじて受け入れ、以前のようにとはいかないまでも、せめてこれ以上嫌われないよう、献身的に支えることで挽回しようと思った。
**
ケインが優しい。
元々優しい人ではあったが、朝は家まで迎えに来てくれ、学院に着けば教室まで付き添ってくれる。帰りも同様に、授業中以外はケインがそばに寄り添って細やかな配慮をしてくれていた。
出会うコモドドラゴンモドキたちをその都度誰であるか囁きで教えてくれるため、非礼をすることもない。
これまでは一線を引いて理由もなく手にすら触れることはなかったのに、今は当たり前のように手を引いて歩いてくれる。エスコートと言うよりは介助の様相ではあるが、それでも周りの見る目は明らかに変わった。
これこそビアンカが願っていたことだ。
願っていたことなのだが……。
愚かで能天気なビアンカでも、人並みに罪悪感というものを感じるわけで。
罪の意識に押しつぶされる前に白状するのがビアンカだった。
「――ごめんなさいっ!!」
平身低頭謝罪した。
いわゆる土下座である。
「……なにに対しての謝罪だろうか?」
困惑するケインに、ビアンカは半泣きですべてを包み隠さず白状した。特進クラス全員を呪おうとしたと言ったあたりでケインのこめかみがぴくりと動いたが、まずは口を挟むことなく聞く姿勢を崩さずに耳を傾けてくれている。
そしてすべてあますところなく聞き終えたケインは、頭痛がするというように額に手を当てて大きな嘆息をした。
「……つまり」
「……はい」
「特進クラス全員が、コモドドラゴンに見えている、と?」
「コモドドラゴンじゃなくて、コモドドラゴンモドキです」
ビアンカは懇切丁寧にコモドドラゴンモドキの詳細を語ろうとしたが、ケインはどうでもよいとばかりに続ける。
「とにかく、僕を含め、特進クラス全員が爬虫類に見えているということに相違はないな?」
「……そうです」
「なぜそんな珍妙な現象が……」
なぜと言われても一番びっくりしているのはビアンカなので答えられない。
「……まず、人を呪おうとしたことに対してなにか思うことは?」
「申し訳なく思っております……」
「もし万が一その呪いが成功していたら、退学どころでは済まなかった。最悪処刑もあり得たいことは理解しているのか?」
正直なところ言われるまで気づかなかったが、自分の行いが間違っていたということは、すでに痛いほど身に染みている。
「……わたしが愚かでした」
「知っている」
反論の余地もない。
ビアンカは自他ともに認める愚か者である。
「お願いだから、嫌いにならないでくださいぃぃ……」
それでも、ケインに対する愛だけは本物なのだ。
**
べしょべしょに泣きながらうなだれるビアンカのつむじを見下ろし、ケインは嘆息した。ひとまず地面に座ったままだった彼女を立ち上がらせると、椅子に座らせて落ち着かせる。力なくケインに従うビアンカには普段の能天気さはない。ビアンカは感情がすべて外に出てしまう体質なので、殊勝な振りをしているわけではないとケインにはわかる。本当に、心から反省しているようだ。
ビアンカが軽率だったとはいえ、これはケインの監督不行き届きである。
ビアンカが愚かなのはいつものことなのだ。だからこそケインが細心の注意を払い、気にかけていなければならなかった。
それを怠ったからこそ、こんなわけのわからない状況に陥っている。
呪いなどという眉唾なものを本気で信じて手を出そうと考えるのは、世界広しといえどビアンカくらいなものだろう。
普通に考えて呪いなど成功するはずかないわけで、今のビアンカの状況は呪いの反動というより、自己暗示に近いものだろうとケインは推測している。
となれば普通に呪いの解き方を調べても求める答えが見つかるわけもないのだが、幸いにして、彼女は“真実の愛のキス”をすれば解けると信じ切っていた。
となればキスすればその自己暗示が解ける可能性は高い。
ビアンカのためにも、今ここで、ケインが彼女にキスをしなくてはならないだろう。
婚約者であるケインでなくとも、家族愛もいわゆる真実の愛の範疇に入る気もするのだが、さすがにここまで話を聞いた上で彼女の家族に丸投げするほど恥知らずでも薄情者でもなかった。
ケインは占星術によって選ばれた運命の相手だ。
真実の愛があるとするなら、ケインとの間にこそあるべきである。
それにだ。
(……嫌というわけではない)
そう、嫌ではないのだ。
そういう欲求が著しく低いケインだが、ビアンカとキスをすることに抵抗感はまったくなかった。
これが他人だと思うと嫌悪感や拒絶感を覚えるので、やはり占星術は正しかったということになるのだろう。
ずっとともにいるはずだったビアンカが一時的にでも離れていき、己の心と向き合ったからこそわかる。
ケインはビアンカを婚約者として愛している。
本当はもう少し慎重にことを進めたかった気持ちもあるのだが、先延ばしにしてビアンカが致命的なやらかしをした場合の対処の方が大変だ。
だがケインにも心の準備というものが必要で、こんな形でという忸怩たる思いもあるが、人助けと考えれば否やはない。
意を決し、ビアンカを抱き寄せて頤に指をかけると視線を合わせた。
「ケ、ケイン様……!」
慌てふためくビアンカの言葉を聞き流し、目を伏せ顔を近づける。そしてあと少しで唇が触れる――というところで、ビアンカがさっと顔を逸らした。
「……どうして避ける」
「えぇと、避けては……。条件反射というか、なんというか……」
ごなょごにょと言い訳をするビアンカは、バツが悪そうに、つつっと目を逸らす。距離を詰めたら、またふいっと顔を背けられた。
「……元に戻りたくないのか?」
「戻りたいです! 切実に!」
「だったらどうして避ける」
「コモドドラゴンモドキに迫られたら、誰だって腰が引けますよ……!」
「自業自得だろう」
「そうですけども!」
「いいから、我慢しろ」
多少強引にだが引き寄せて、有無を言わさず唇を重ねる。ムードもなにもないが、人命救助と思えばこんなものだろう。
一秒にも満たない時間だったが、唇を離すと同時にビアンカは泣き崩れた。
「うぅっ、……ゆ、夢にまで見た、ケイン様とのファーストキスが! コモドドラゴンモドキにっ……! コモドドラゴンモドキにぃぃ……!」
そのコモドドラゴンモドキはよそのコモドドラゴンモドキではなく、ケインだ。
そう泣かれるとこちらも傷つくのだが。
しかしビアンカの嘆きやケインの心情よりも、まず先に確認しなくてはならないことがある。
「目はどうなった?」
ビアンカは、たった今気づいたとばかりにケインへと顔を上げ、ぱっと笑顔を見せた。
「見えます!」
「それはよかった」
ケインもほっと安堵した。確証はなかったが、うまくいって本当によかった。自分の目には映らないのだとしてもだ、一生コモドドラゴンモドキに見られているのは嫌過ぎる。
「だけど……だけどだけどぉ!」
身から出た錆なのに、コモドドラゴンモドキとの悔いの残るファーストキスに納得いかずに嘆くビアンカに小さくため息をついてから、ケインは涙に濡れる彼女のその頰を両手で優しく掴んで、さきほどよりも優しく口づけを落とした。
「!?」
「……こちらをファーストキスにすればいいだろう」
先ほどのは人助けであり、人工呼吸に類するものだと思えばいい。実際そのようなものだ。
ビアンカは散々泣いたからなのか、それとも恥ずかしかったからなのか、顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせている。
そういうところは素直にかわいいと思う。
ビアンカは瞳をうるうるとさせながら、ケインの腕に抱きついてきた。
「好きです!」
「知っている」
慣れ親しんだ重みが腕にかかる。
ようやくいつもの日常に戻ったと、しっくりときてしまっている自分に、ケインはそっと苦笑するのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
この後、ケインは特進クラス全員に改めて謝罪をして回り、二度と呪いには手を出さないと誓わされたビアンカも一緒に頭を下げさせられました。
【後日談】
「ケイン様ぁぁぁ……」
しくしくと泣くビアンカに嫌な予感しかしない。
「今度はなにをした?」
「恋愛運が上がるおまじないをしたんです……」
「……」
呪いもおまじないも同じようなものだ。
おまじないとは、お呪い、なのだ。
しかしそれがわからないのがビアンカだ。
「そうしたら、トノサマガエルに!」
「……」
「鏡に映る自分が、黄色のトノサマガエルに見えるんです……!」
それを聞いてケインは静かに安堵した。コモドドラゴンモドキのときと同じように、トノサマガエルに見えると言われるかと思ったが、違ったので。
ケインの目にはビアンカはいつも通りに見える。
相変わらずビアンカ以外には実害のない現象だ。
「黄色……というと、繁殖期の雄か」
「雌ですらない……!?」
嘆くビアンカに、もう少しトノサマガエルで反省させておくべきかとも考えたが、放置してもっと酷い事態を引き起こした場合に対処しなくてはならないのはケインである。
嘆息してから、軽く触れるだけのキスをした。
「!?」
「鏡を」
鏡のある方を示すとビアンカは転がるように駆け出した。
ドタバタと走るその後ろ姿を眺めながら、ケインははたと気づく。
(この先ずっと、ビアンカがなにかする度にキスをしなくてはいけないのでは……?)
それで問題が解決するのなら安い代償ではあるのだが、愛情表現としての普通のキスよりも、こちらの方が頻度が多くなりそうな予感がしているケインだった。




