9 仕事が結婚の邪魔になるとは思いもしませんでした
「お嬢様! 完成しました! お嬢様?」
夜会用のドレスに身を包み、耳と首元にはレア王国原産の宝石と加工を施した装飾品を身に纏ったコレットは、じっと目を瞑ったまま黙り込んでいた。レースの手袋をした手を前で組み、化粧はルネに全て任せた。宝石を活かす為に、化粧や髪型は最小限の華やかさにしてほしいとは頼んだが、どのような仕上がりになったのかはまだ見ていなかった。
「お嬢様? 起きて下さい、もうお支度は終わっております。馬車も待機しておりますよ!」
ルネが椅子の周りを小動物のように回っている。コレットは意を決して目を開いた。
「お嬢様? もしかして体調でも崩されましたか?」
「……少しお黙りなさい」
「でももう時間がありません!」
「ルネ、本当にこれで今日の夜会は正解なのよね?」
鏡に映っているのは、素朴な顔の女性だった。自分には見慣れた顔。でも一年と八ヶ月振りの王都の者達はどう思うのだろうか。夜会は華やかな場だ。最新のドレスに髪型。派手は化粧に自慢の宝飾品。そのどれもが社交界を戦い抜く武器。それなのに、今鏡に映っているのは上品ではあるが薄い化粧に、アレンジをしていない長く真っ直ぐな髪の毛。耳は出すように脇の髪の毛だけは後ろに流して髪飾りで留めていた。もちろん髪はルネが丁寧に磨き上げて、仕上げにレア王国原産の香油を塗り込んでくれたのでツヤツヤに輝いている。そしてその髪に見劣りしない程の輝きを誇っているのは、胸元と耳に下がる宝飾品だった。宝石が光を集めるようにカットされた宝石は、きっと夜会の灯りの中で沢山の光を集め乱反射し、さぞ美しく輝く事だろう。でも不安になってしまうのは仕方ない事だった。
「大丈夫ですよお嬢様。お嬢様が一番です、きっとそうに違いありません! さあもう向かいましょう」
ルネに追い立てられるようにして玄関に行くと、そこには父親が待っていた。本来は婚約者であるトリスタンにエスコートされるはずだが、残念ながらトリスタンは今王太子と共に視察に出ている。婚約者がいるにまさか他の男性にエスコートを頼む訳にもいかず、今回は父親と母親と三人で出席する事になったのも憂鬱な気分に拍車を掛けていた。
「お母様はすでに馬車の中だよ」
父親も足早に玄関を出ていってしまう。父親も気が気ではないのだろう。
国王主催の夜会。
それも主役は自分の娘なのだ。数日で幾分頬が痩けたようにも見えた。母親は相変わらず存在自体が派手で、ひと目を引く格好をしている。若い頃は母親が着る物や髪型が社交界の流行りになる程、美しく人目を惹いていたらしい。今でも夜会の為に人生を掛けているような華やかさに、コレットは諦めて窓の外を見た。
馬車はゆっくりと走り出す。王城へは馬車であればすぐに着いてしまうその距離がなんとか伸びないか考えていると、向かいで父親が咳払いをした。
「トリスタン様は間に合わないようだな」
「仕方ありません。視察に出ていられるのですから」
「そうだが、共に出席しなければまた妙な噂が立たないとも限らんからな」
「妙な噂、ですか?」
「あなた!」
母親に窘められた父親は言いにくそうに口を開いた。
「お前が向こうに行っている間に、トリスタン様との婚約が流れたという噂があったんだよ。だから一時期はここぞとばかりにトリスタン様に取り入ろうとする令嬢達が列をなしていたよ。もちろんトリスタン様も馬鹿げていると一蹴してくださったがな」
「……そうですか」
胸にじわじわと重苦しいものが広がっていく。相手はトリスタンなのだ。離れている間に他の女性に言い寄られるかもしれないと考えなかった訳ではない。それでもその現場を目撃しなくてよかったとも思っている。政略結婚する相手に嫉妬されても迷惑なだけだろう。もしそれで婚約破棄にでもなったりしたら、それこそ悲しくて立ち直れない。気持ちはどうであれ、大好きなトリスタンと結婚する為には、多少の事は我慢しなくてはいけないと思っていた。それにトリスタンは婚約破棄の話を一蹴してくれた。今度はじわじわと嬉しさが広がっていく。コレットが口元を緩めていると、渋い顔の父親と目が合った。
「喜ぶのはまだ早いぞ。今夜の夜会が失敗に終われば、婚約も破談になってしまうかもしれないからな」
「どうしてです! 夜会での失敗となぜ結婚と繋がるのですか?」
すると父親は困ったようにコレットの首飾りに目をやった。
「それだけ今回の事は重大な件だという事だ。それに心配事もあるしな」
「……まさか私、お父様にご迷惑を?」
「いいや、私の事も家の事も気にしなくていいよ。お前のおかげでロシニョール家もグレンツェ家も更に資産を増やす事が出来るからね。それよりも杞憂しているのは、お前の身の事だよ」
「この間仰っていた、襲われるかもしれないという事ですか?」
唸るように頷いた父親は、近づく王城に視線を移しながら言った。
「夜会ではとにかく周りには気をつけるように。護衛は付けるが常にそばにいる事は難しいだろう。分かったね? 少しでも気になる事があれば、すぐに誰かに言うんだ。いいね?」
コレットは寒気がする身体を抱き込むようにショールを引き寄せた。




