17 すれ違ってもいいのです
「まさかこんなに早く結婚する事になるとは思いもしなかったなぁ」
クレマンは執務室で黙々と書類をさばいているトリスタンを見ながら、楽しそうに呟いた。仕分けした書類を文官に渡し指示をしながら自らの帰宅準備を始める。椅子に掛けていた上着を取ろうとした所で、クレマンはその袖をぎゅっと握った。
「子供みたいな真似はお止め下さい」
「酷いな。もうすぐ離れ離れになる友に言う言葉?」
「離れ離れって、第一あなたのご命令でしょう!」
トリスタンは結婚の挨拶を兼ねてコレットが今まで世話になったグレンツェ領の者達に挨拶をしに行く事になっていた。期間は半年。しかしそれは表向きの用事で、本当はその間にレア王国との取引にデュボワ家も介入出来るよう交渉しに行く為でもあった。コレットは早々に専売契約を放棄して、権利はシモンに譲るつもりだと聞いた時は、正直トリスタンも焦ってしまった。辺境伯にそれだけの莫大な利益が発生する仕事を譲渡すれば必ず貴族間の中で軋轢が生じてしまう。下手をしたらよく思わない者達によって内乱が起きてしまう可能性だってある。コレットは優しく裏表のない真っ直ぐな性格だが、世の中にはそれだけでは済まない事も多々あるのだ。しかしそんなコレットだから職人達の心を掴んだとも言えた。
「やっぱり寂しいものは寂しいかな」
「それではどうぞジャンと仲良くして下さい。二人共独り身同士、さぞ話も合うでしょう」
ジャンは会話に関わらないようにドア付近でそっぽを向いていたが、さずがに自分の名前が聞こえてぎょっとした表情をしていた。
「ジャンもからかいがいがあるけど、やっぱりトリスタンが一番だよ」
心底迷惑そうな溜息を吐くと、トリスタンは掴まれていた上着をクレマンの手から奪うと歩き出した。
「ちゃんとクレマン様のご希望通りになる事を祈っていて下さい」
「そこはトリスタンとコレット、それにシモンを信じているよ」
「まさかとは思いますが、グレンツェ辺境伯とも繋がっているんじゃないでしょうね」
「さあどうだろう。でも私は良い臣下達に恵まれたと思っているよ。だから私が王位を継ぐ頃には国は安泰だね」
どこまで関与しているのか分からない王太子を半ば呆れたように見ながら、渋い顔をしているジャンの側にいった。
「留守を頼むぞ」
「半年ですよ。延長しないでくださいね」
じっとりとした視線に苦笑いしながらドアに手を掛けた時、通り過ぎざまに声がした。
「姉の事を宜しくお願い致します」
トリスタンはジャンの背を軽く叩くと部屋を後にした。
「コレットはどこに行ったんだ?」
トリスタンは白い上着に袖を通しながら、屋敷の中を早足で歩き回っていた。
「もう式が始まるぞ!」
「まさか結婚が嫌で逃げ出していたりして」
楽しそうに廊下に背を付いていたクレマンは、ちらりと横を見やった。ぎょっとしたジャンが視線を彷徨わせてから目を逸した。
「くだらない事を言っていないであなたはもう会場にお入り下さい。ジャン、お連れしろ」
「そうお伝えしているのですが……」
当のクレマンは動こうとせずに憐れそうな視線を向けていた。
「コレットはもうお前に嫌気が差してしまったのかもしれないよ。分かりにくいお前よりも、もっと自分を大事にしてくれる男に嫁いだ方が幸せだと気づいたんじゃないかな? 最近はめっきり綺麗になったし、コレット嬢はどこにいても男達の視線を集めているみたいだしね」
「コレットは今も昔も綺麗です。それに、今までもこれからもコレットを一番に愛しているのは俺だけです!」
「だそうだよ」
トリスタンはハッとしてクレマンとジャンの後ろに回った。
廊下を曲がった先には、顔を真赤にしたコレットが立っていた。
「トリスタン様、あの、遅くなり申し訳ございません」
「コレットが謝る必要はない。全部素直じゃないトリスタンが悪いんだからね。これは結婚祝いという事にしてもらおうかな」
ヒラヒラと手を振るクレマンと、その後ろを着いて行くジャンが申し訳なさそうに振り返っている。トリスタンはオドオドしているコレットを見つめて溜息を吐いた。コレットの目は潤み、頬も首も上気している。その熱をごまかそうとして小さな手でパタパタと扇いでいる姿を見て、トリスタンは半ば無意識に抱き締めていた。
「こんな所でいけません! 誰かが来てしまいます!」
「そんな表情は誰にも見せたくなかった」
「そんな表情、ですか? 酷かったでしょうか?」
「そうじゃない。俺だけが見たかった特別だという事だ」
「……すみません」
「コレットが謝る事じゃない。それよりもなんでこんな事になったんだ?」
するとコレットはトリスタンの腕の中でちょこんと顔を上げた。
「クレマン様が面白いものを見せてやるから遅れて来るようにと。でもトリスタン様を騙すような形になってしまうと分かっていたら最初からお断りしていました」
トリスタンは小さく首を振ると、再びコレットを腕の中にしまった。
「私、こうしてトリスタン様のお側にいられるだけで……夢みたいで幸せです」
すると頭上から盛大な溜息が漏れてきた。寄り掛かるようにトリスタンの頭が肩に落ちてくる。首筋に埋められるようにして置かれた頭が僅かに首の方へ擦り寄ってきた。
「……これから夜まで予定がびっしりだなんて考えたくもないな」
「仕方ないですよ。私達の結婚式なんですから」
「それでも早く終わればいいのに」
「トリスタン様は式がお嫌ですか?」
少し悲しみを帯びた声に、トリスタンはハッとして頭を上げた。
「そうじゃない。また言葉が足りなかったようですまなかった。俺はただ、早く本当の夫婦になりたいと思っただけだ」
「本当の夫婦……」
コレットは繰り返して、一気に顔が熱くなってしまった。
「結婚式もきっと最後の方は皆酔っているだろうから、その時は二人で早々に抜け出そう。その頃にはもうお前は正真正銘俺のものだから遠慮はしないぞ」
「トリスタン様も私のものですか?」
驚いたような顔をしたトリスタンはその後すぐに微笑んだ。
「もちろんだ。俺もコレットのものだよ」
「それなら、遠慮はいりませんね」
コレットは少し遠くの方で自分達を呼ぶ声を聞きながら、トリスタンの広い背中に腕を回した。ふと贈った耳飾りが視界の端に入り、そっと確かめるように自分の耳飾りに触れた。




