私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました。

１５ 危険なお出掛け

「おかしいわね……」

　コレットは私室の窓に手をつきながら、ぼんやりと外を眺めていた。

　トリスタンに別れてを告げてから早四ヶ月。季節は変わり、時折涼しい風が吹き始めていた。

「お嬢様？　この書類の山はもう片付けて宜しいので？」

　ルネはコレットが散らかしたデザインの紙を束ねてから近付いてくると、窓を閉めた。

「冷たい風は身体を冷やします。どうか長時間当たらないでくださいね」

「だっておかしいのよ。ルネもそう思うでしょう？」

「何がです？　お嬢様の発言はいつも唐突過ぎます」

「だって！　いつまで経ってもデュボワ家から婚約破棄の通達がないの！」

　するとルネはし―ッっと手で口を塞いできた。

「お嬢様！　そのようなお話が旦那様のお耳に入ればどうなるかお分かりですか！」

「でもおかしいと思うでしょう？」

　するとルネは困ったように眉を下げながらその場に座り込んだ。

「私は今でもトリスタン様が憎くて堪りません。お嬢様をこんなに傷付けておいてあんな……」

「あんな？　何かあったの？」

　コレットはこの四ヶ月というもの、ノアイユ領と王都を行き来して多忙を極めていた。正直、王都に居たくなかったというのもある。それに新しい仕事を始めて忙しいというのもあった。

　新しく始めたデザインの仕事は自分に合っていたようで、しかし思い描いた物が本当に実現出来るのかは職人に聞いてみないと分からない。手紙のやり取りでは面倒な上に伝わらない事も多く時間も掛かる為、書き溜めたデザインの紙を持って直接グレンツェ領に出向くという暮らしを続けていた。そして帰ってきたのがつい数日前だった。その間ルネはついてくる事もあれば残る事もあり、先日グレンツェ領に行った時は王都の屋敷に留まっていたのだった。

「ルネ、私達の間に隠し事はなしよ」

「ですがお嬢様が聞いた瞬間、驚いて倒れないか心配です」

「もうさすがに驚く事なんてないわよ。さあ、話してみて」

　ごくりと喉を震わせると、ルネは震える手でコレットの手を握った。

「デュボワ家なのですが、シルヴィー様を屋敷に迎えたそうです。そして、その……」

「ルネ、大丈夫よ」

「そして、シルヴィー様のお腹は大きかったようなのです。ですが使用人には徹底的に箝口令が敷かれているようで目撃したという使用人仲間から聞いた以外の情報を集める事は出来ませんでした」

「そうなの。それなら婚約が解消されるのも時間の問題でしょうね。婚約者がいるのに別の令嬢が懐妊したのだから、きっとデュボワ家は面子を守るのに慎重なのだわ」

「お嬢様！　デュボワ家に乗り込みましょう！　そしてトリスタン様を引っ叩くのです！　私、処罰を受けても構いません！」

　涙を堪えるルネを抱き締めた。

「私が嫌よ。ルネが処罰を受けるなんて。だからそんな物騒な事は言わないで。私なら大丈夫だから。ね？」

　何度も心配だというルネを部屋から出すと、コレットは天井を見上げた。そうしないとじんわりと涙が溢れてしまいそうだった。トリスタンとシルヴィーは一体いつからだったのだろうか。訓練所に会いに来ていたという時からだろうか。それとも、自分が逃げ出すようにグレンツェ領に行ってしまった後からだろうか。もうそんな事を考えても仕方がないのに、解決のしないモヤモヤとした気持ちが次から次に溢れてくるのだった。

「もう見て見ぬ振りは出来ないわよね」

　コレットはこの数ヶ月ずっと考えていた事を父親に伝えるべく、重い足取りで書斎へと向かった。

「お父様？　いらっしゃる？」

「入っていいぞ」

　室内に入ろうとドアを開けた瞬間、言葉を失った。中にはデュボワ公爵が父親と向かい合うようにして座っていた。

「お客様がいらしていたとは知らず申し訳ありませんでした」

　体から血の気が引いていく。婚約破棄については自分から言い出した事。覚悟していたはずなのに、体は信じられない程に震え出していた。

「コレット、丁度良かったよ。少し話をさせてくれないかい？」

　逃げ出したいのに足が動かない。そうこうしている間にもデュボア公爵はあっという間に目の前に来ていた。

「トリスタンとの結婚が延びてしまった事を直接詫びたいと思っていたんだ。内々の話で今詳しく話す事が出来ない事も心苦しく思っている。本当に申し訳ない。恥ずかしい限りだが、どうか見限らずに息子を待ってやって欲しい」

「……待ってどうなるんです？　それにいつまで待てば宜しいんですか？」

「コレット、デュボア公爵に向かって失礼だろう」

「構わないよ、コレットが憤るのも無理はない。そうだな、あと少しだけだと約束しよう」

　そう言ってトリスタンと似た顔は困ったように微笑んだ。

　デュボワ公爵の用事はすでに終わっていたようで、見送った後父親を玄関横の応接間に押し込んだ。

「公爵は何の御用でいらしたの？」

「直接これを持ってきて下さったんだよ」

　父親は胸元から一通の手紙を取り出した。

「デュボワ公爵家で開かれる夜会の招待状だそうだ。もちろんすでに参加するとお返事したぞ」

「私は参加しません！　行くならお父様だけで行って頂戴！」

　すると父親の表情が深刻そうに変化した。

「もしかして、詳細を知っているのか？」

「……はい」

「そうか。そうだな。いくら内密にと言っても人の口に戸は立てられないからな。先程も直々に後少しで片がつくと伝えに来て下さったんだ。もう少し待てばトリスタン様との結婚話が進むだろうか、焦らずに公爵の仰る通りに待っていなさい」

「お父様はそれで良いの？」

「良いも何もお前はトリスタン様を好いているだろう？　貴族同士、想いを寄せる者同士結婚できる方が珍しいんだ。お前も多少の事には目を瞑って……」

「多少の事ですって？　お父様はロシニョール家が蔑ろにされているとは思いませんでしたか？」

「まあ確かに驚きはしたが、互いに独身なのだからそういう事もあるだろう。むしろ誠心誠意こうしてご対応して下さっているのだからむしろ感謝しないといけないな」

　コレットは父親を睨みつけると部屋を飛び出した。あんな言い方ではこちらの方が良識がないみたいではないか。婚約者が別の女性と先に関係を持ち子まで作ったというのに。

――そういう事もあるですって！？　

　体中の血液が沸騰して破裂してしまいそうだった。

「お父様も所詮男という事よね！」

　怒りと悲しみで身体は無意識に震えている。走るように廊下を進んでいると、ルネが追い掛けてきた。

「どちらに行かれるんですか？」

「ここではない何処かよ！」

「それでしたら馬車を用意致しますのでお待ち下さい」

「歩きたい気分なの！」

「分かりましたからお待ち下さい！」

「私もお供します」

　勇み足で玄関を出ると、ルネと騎士が急いで後を付いてくる。

　どこに行くかは決まっていなかったが、とにかく家から離れたかった。

　街に向かい人並みをずんずん進んでいくと、ふと良い匂いに釣られて立ち寄ったのは、鶏肉を串に刺して焼いており、食べる時にトロリとしたチーズをたっぷりと掛けてくれる串焼きのお店だった。グレンツェ領ですっかり買い食いに慣れてしまっていたコレットは、さっきまでの陰鬱な気分は消え失せ、ルネ達を振り見た。

「ねぇ！　折角だから食べましょう！」

「お嬢様は買い食いが本当にお好きですね。私が買って参ります」

「いいからルネはあそこのベンチを取っておいてちょうだい」

　騎士はぴったりと横に付いている。串焼きを三本注文し、待っている間に隣りで周囲を警戒している騎士にちらりと視線を送った。

（そういえばこんな人、家にいたかしら？）

　とはいえ長く家を離れていたのだから、騎士や使用人が入れ替わっている事もあるだろうと屋台のおじさんが寄越してくれた串焼きを笑顔で受け取った時だった。少し離れた所で何かあったのか騒ぎの声が聞こえる。すぐにルネの安否が気になり振り見たが、ルネも騒ぎの方向を見ていた。

「何があったのかしら。ねえちょっと見てきて……」

　その時、騎士はその騒ぎの方ではなくこちらをじっと見ていた。大きな手に口を塞がれ、手から串焼きが落ちる。熱々のチーズは事件のように地面に広がっていった。

（チーズは別料金だったのに）

　そして大きく息を吸った瞬間、意識が薄れてしまった。

「……いったぁい」

　頭がズキズキと痛み思考には靄が掛かっている。額を押さえながら起き上がると、そこは使われていない民家のようだった。薄暗い部屋の中、家具には布が掛けてあり生活している気配がない。倒れていたのは薄い絨毯が敷かれた硬い床の上だった。

「随分眠っていましたね」

　声のした方向を見ると玄関の前に男が立っている。外出に付いてきたあの騎士だった。

「……寝不足だったから丁度良かったわ」

「随分肝の据わったお嬢様だ。誘拐はされ慣れているって訳ですか」

「商売柄そんな事もあったわね。それで？　あなたの望みは何なの？」

（誘拐され慣れている訳ないじゃない！　ていうかやっぱりこれって誘拐なのね！？　皆が心配していた命を狙われるってやつなのね！）

　焦りを出す訳にはいかないが、全身から汗が吹き出していく。それでもこの目の前の男を刺激しないように慎重に言葉を選んだ。

「お生憎だけど今は金目の物は何も持っていないわよ」

「あんたじゃない。用はあるのはシモンとかいうあの貴族だ！」

「……？」

「黙るな！　お前がシモンというあの貴族と親しい事は分かっているんだ！」

「あなた、もしかしてシモンお兄様に弄ばれたの？」

「……は？」

　今度は相手の男が黙る番だった。

「確かにシモンお兄様は男女共に人気がおありだけど、まさか男性にも手を出していたなんて！　分かった、大丈夫よ。私も協力してあげる！」

「いや違くて、あの男は……」

「恥ずかしがらなくても大丈夫よ！　シモンお兄様はいつか誰かに刺されるとは思っていたの。でもまさか男性にだったなんて」

「いや待て……」

　コレットは立ち上がると男の肩にポンと手を乗せた。

「ここにいてもシモンお兄様にはちゃんと伝わらないわ。すぐに家に行きま……」

　その瞬間、玄関の扉が一気に押し開けられ、実際には蝶番ごと破壊され、そのまま男の背中に勢いよくぶつかった。

「ガッ」

　そしてそのまま倒れてくる。コレットはとっさに横にずれると、男はばたりと前に倒れていった。

「コレット！」

　体が跳ねる程に勢いよく抱き締められる。何故ここにトリスタンがいるのか分からないまま、抱き着いてくるジャンの背中越しにトリスタンを見つめていた。トリスタンは床に倒れている男を拘束すると、後ろに続いた部下に連行するよう指示を飛ばしていた。

（トリスタン様格好良いわ）

「コレット、無事で良かった。いなくなった聞いた時は目の前が真っ暗になったぞ」

「心配して下さったの、ですか？」

「当たり前だ！　怪我はないか？　何もされなかったか？」

「大丈夫です。それよりもどうしてここが分かったんです？」

「ルネとチーズのお陰だ」

「ルネとチーズですか？」

　トリスタンはゆっくりと近付いてくる。そしてジャンを挟んですぐ目の前に来た。

「君は別料金でチーズがかけられるなら必ず注文するだろうとルネが言っていた。そして踏みつけられたチーズが僅かにこの家の前に落ちていた」

「ルネと地面に落ちたチーズが私を救ってくれたのですね。ルネは無事ですよね？」

「心配しながら待っているよ。さあ屋敷に送ろう」

「そうだ、シモンお兄様を探さないと」

「何故だ？」

「この誘拐はシモンお兄様が元凶だからです」

　コレットは抱き着いたまま離れないジャンを付けたまま、閉じ込められていた民家を出た。