13 束の間のデート
今回は不運だったとしか言いようがなかった。
クレマンを追い立てながら夜会の夜になんとか帰城する事は出来たが、コレットをエスコートするという機会は奇しくもシモン・グレンツェに奪われてしまっていた。
遠目にコレットの後ろ姿とシモンの腕にその手を乗せた姿を見た時には、頭が真っ白になっていた。
シモンはやはり美しい男だった。ジャンに似ていなくもないが訓練所出のジャンよりも身体の線は細く、眼鏡もかけているせいかどちらかというとなよっとした印象の方が強い。でもそこが女性からしたら影のある男性に見え、惹かれるのかもしれない。ジャンはここ数年で少女に間違えられていた昔の面影はもはやどこにもなく、夜会に出れば仕事中だというのに令嬢達からのお誘いを受ける現場を何度も見てきた。だから今日は令嬢達が足を踏み入れられない壇上側の護衛を任せた。
会場の前を掻き分けて進む訳にもいかず、ゆっくりとした歩みでようやく会場内に入った時には、コレットがシモンの腕にしがみついているように見えた。今まではジャンがコレットの側にいたおかげで、皆の視線は男も女も意識は派手な顔のジャンに向いていた。でも本当はコレットも美しい顔立ちなのだ。皆がジャンばかりを気にしているからそれなら好都合と思っていたが、ジャンの容姿が変わるにつれ、今までジャンで霞んでいたコレットの美しさに気がつく者がいるのではないかと気が気ではなかった。
真っ暗な中、深い深い溜息だけが室内に浮き立つ。
「これではあの頃と何も変わっていないな」
コレットはもしかしたら自分の卒業を機に戻ってくるのではという淡い期待を抱いていた。しかしその代わりに送られてきたのは、一通の手紙と卒業祝いと称してグレンツェ領で見つけたという、レア王国独自の加工を施された赤い宝石の耳飾りだった。
宝飾品には疎いトリスタンでさえ最上級の物だと分かるそれは、結局付ける機会を失い、今もまだ大事にしまったままになっている。目ざとい貴族連中はその珍しい加工の耳飾りをどこで手に入れたのかとしつこく聞いてくるだろう。どういう経緯でコレットが耳飾りを手に入れたのかは分からなかったが、コレットの迷惑になるような事だけはしたくなかった。それと同時にふと不安が過ぎった。コレットはレア王国へ行ったのだろうか。それとも、グレンツェ領で一般的にこのレベルの宝飾品の売買がされているのだろうか。どちらにしてもコレットの身が心配になり、翌日にはグレンツェ領に旅立ったのだった。そして結果は思い出したくもないものだった。
コレットは王都にいる時とは別人のようだった。ジャンに少しでも近づけようと無理をしていた派手な化粧を止め、動きやすいワンピースに身を包み、それでいて気品は損なわれていないのだからたちが悪い。何度も声を掛けようとしたが、そこは侯爵家の令嬢。護衛が片時も離れず護衛をしていて近づく隙がなかった。婚約者なのだから普通に話しかけても良かったが、今度はデュボワ公爵家の自分がわざわざ会いに来る女性として目立って欲しくはない。それなりに家柄も容姿も注目を集めているのは自分でも自覚している。よからぬ悪意が近づく事だけは避けたかった。
「あぁくそッ」
夜会でのコレットとシモンの姿が蘇ってきてしまう。もちろん親戚なのだから仲が良いのは理解出来る。別に二人の中を疑っている訳ではないが、それでもコレットが他の男と親密になっているのを見ると、心が重たくなった。勢いよく立ち上がると強めの酒をグラスに注ぎ、一気に煽った。
その時、ドアが控えめに叩かれる。まさかと思い急ぎドアを開くと、そこに立っていたのはジャンだった。
「どうした?」
がっかりした顔を無表情で隠して言った声は幾分低くなってしまったように思う。ジャンは部屋の中に視線を向けると、安堵したように小さく息を吐いた。
「今日ココが、姉が城に泊まると聞いていたので、もしやと思いまして……」
「もしや?」
最初は何も思いつかなかったが、ジャンの登場から考えられる事は一つだけ。
「まさかコレットがここにいるとでも思ったのか?」
「トリスタン様に限ってそれはないと思いましたが、念の為確認に参りました。それと、姉はあの場で取り返しのつかない粗相をする所でした。助けてくださりありがとうございました。それではごゆっくりお休みください」
「待て!」
とっさに呼び止めたはいいが続く言葉が見つからず詰まってしまう。しばらくしてからトリスタンは意を決して言った。
「あの時、コレットがなぜグレンツェ領に行ったのかお前は理由を知っているか?」
ずっと聞きたかった問いにジャンの方がびくりと跳ねる。答えはそれで十分だった。ジャンはコレットがグレンツェ領に向かった理由を知っているのだ。
「僕からは何も話せません。トリスタン様自ら聞いてみてはいかがですか?」
なぜか不機嫌になったジャンを止める事も出来ずに、トリスタンは薄暗い廊下に消えていく後ろ姿を見送っていた。
翌朝、共に王城の客間に泊まったルネと屋敷の玄関を開けると、両親とジャンが並んで立っていた。しらばくの沈黙のあと、応接間から気の抜けた声が掛けられた。
「ココ! 具合はどう? 優しくトリスタン様に介抱してもらったかな?」
ぴくりと父親の口元が引き攣る。空気を読まないシモンを怒りたいが、今この場から動く事は出来なかった。
「トリスタン様とご一緒だったというのは本当かい?」
「まさか! 違います! 介抱はしてくれたけど、後はすぐにルネと交代したわ。そうよね?」
同意を求めるように後ろを振り返るも、ルネは当主の怒りを前に完全に固まってしまっているようだった。
「まあ幸い婚約しているのだから最悪の状況ではないわよね」
「お母様止めて! 私はずっとルネと一緒だったわ!」
「父上これは本当です。僕もトリスタン様の所へ行き、別々の所にいた事を確認済みです」
それでも父親は納得がいかないようで不機嫌を最大限にか持ち出していた。
その時、玄関から使用人が焦ったように飛び込んできた。
「トリスタン・デュボワ様がいらしておりますッ!」
家族全員が顔を見合わせると、コレットはその場にしゃがみ込んでしまった。取り敢えず玄関の扉を締めさせると、コレットはジャンと共にシモンのいる応接室に飛び込んだ。
「なぜトリスタン様がいらっしゃるのよ!」
昨日の今日でトリスタンに合わせる顔がない。酒を飲み意識を失うという醜態を見せてしまったのだ。どうしていいのか分からずに椅子の背もたれに手をつくと、ジャンが申し訳なさそうに近付いてきた。
「もしかしたら僕のせいかもしれない。僕が昨晩、コレットがグレンツェ領に行った理由を聞かれて、本人に聞くように言ったから」
「もしかしてあの時の事を私の口から言えっていうの? 無理よ、絶対に無理!」
すると覗き込んできたジャンと目が合う。元はと言えばジャンのように美しい弟がいる事がいけないのだと思ってしまう。それでも大きな身体で子犬のように見つめてくるジャンを見ていると、怒りも妬ましさも鳴りを潜めた。
「分かった、聞かれたら本当の事を言うわ」
「あの会話を? 本当に言えるのか?」
「言うわよ、もう昔の事だもの。それに今もあのお考えにお変わりはないと思うの。きっと私はトリスタン様の周囲に群がる令嬢と大差ないのよ。それこそシルヴィー様だったら……」
言いかけた言葉を遮るようにシモンがソファの背もたれに寄りかかった。
「もしかしてシルヴィーって子爵家のご令嬢の事?」
「シモンお兄様はシルヴィー様をご存知なの!?」
すると日中から無駄に色気を振り撒いた笑顔でにこりと笑った。
「知っているも何も、あの子は有名だよ。顔のいい男に沢山声を掛けているみたいだからね。もちろん私も誘われたけれど丁重にお断りしたよ? ほら、私ってばどちらかというとお姉様の方が好みだろ?」
コレットとジャンは顔を合せると深い溜息を付いた。
「シモンお兄様の好みはどうでもいいわ。でも爵位を継いだのなら、遊び歩くのはもう終わりよ」
「大丈夫だよ。ちゃんとその辺りは考えているから」
本当なのか真意は変わらないが、シモンは女性関係はだらしないが仕事はきちんとする。それはグレンツェ領で共に過ごした時間で分かっていた。ドアが叩かれ、返事をするとそこに立っていたのは予想通りトリスタンだった。
「昨晩ぶりだな。気分はどうだ?」
「もう大丈夫です。ご迷惑をお掛けしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
トリスタン越しに父親と目が合う。不機嫌ではあるが、このように会わせてくれているところを見ると、誤解はしていないのだろう。
「別に大した事はしていないから気にしなくていい。それよりも今日は君を誘いに来たんだ。少し俺と出掛けないか?」
とっさに父親の方を見る。すると渋々頷いていた。その瞬間、嬉しさのあまり小さく飛び跳ねていた。
「もちろんです! どこへなりともお供致します!」
「そこまで楽しみされると心苦しいんだが、少し街へ行くだけだ」
「トリスタン様とならどこでも嬉しいです」
「いやぁ、愛されていますね。トリスタン様」
意地悪な笑みを浮かべたシモンがひょこんと後ろから出てくると、トリスタンは僅かに眉を潜めた。
「昨日振りですね、グレンツェ辺境伯。コレット、俺は馬車で待っているから気にせずに準備してくれ」
「私は敵認定なのかな?」
「……女の敵、もしくは恋人を持つ男全員の敵ではあるでしょうね」
「モテる男は辛いね? それならジャンもこの気持ち分かるんじゃない?」
「僕をシモンお兄様と一緒にしないで下さい」
「そんなの容姿の無駄使いだよ。いや、使っていないから宝の持ち腐れ?」
「僕は誰かに恨まれるような関係は持ちたくないという事です!」
ぎゃあぎゃあと応戦している二人をそっと置き去りにすると、コレットは急いで自室へと向かった。トリスタンは馬車で待っているから急がなくていいと言ってくれたが、待たせる訳にはいかない。急いでワンピースに着替えると、ルネに髪と化粧を整えてもらった。
トリスタンが連れてきてくれたのは、王都の中心街にある新しく出来たスウィーツのお店だった。店内は若い女性客でひしめいている。眺めの良い通りに面した席に案内されたはいいが、いつの間にか見世物のように人々の注目を集める羽目になってしまった。
「人気店だと聞いてはいたんだが、その、すまない」
「いいんです! それよりも私などと一緒でトリスタン様に申し訳ないくらいです」
「婚約者なのだから当然だろう?」
「はい、申し訳ございません」
「別に怒っている訳じゃない。それよりもこの後に行きたい所を考えていてくれ」
気まずい中運ばれてきたのは、クリームがたっぷり乗ったケーキだった。上にはナッツやチョコレートソースが掛かっていて、フワフワの生地が隠れる程、果物が皿の周りに敷き詰められている。到底一人では食べきれない量にちらりとトリスタンを見ると、トリスタンも同じく運ばれてきた自分の皿を見て固まっていた。
「……これは気合を入れて食べないといけないようですね」
「気合でこの量が食べ切れるものなのか?」
トリスタンは真面目な顔でフォークを持つと、品よく口に運び出した。
ケーキは驚く程に美味しかった。少し苦味のあるチョコレートソースとクリームの甘みが絶妙で、ナッツがいい食感を出している。飽きてきた所でフルーツを食べればまた口がリセットされて次のケーキを口へと運んでしまう。しかしトリスタンはその甘さに苦戦しているようで、四分の一まで食べ進めた所でとうとう手が止まってしまったようだった。
「宜しければ私が食べましょうか?」
「でも君も苦しいだろう?」
「知っていました? 女性は甘い物は別のお腹に入るのだそうですよ」
するとトリスタンは堪えるように笑いながら目の前の皿と交換してくれた。
「残すのも悪いし、食べてくれると助かる。ただ無理はしないでくれ」
コレットは若干の胃もたれを感じながら、トリスタンの残したケーキに手をつけた。
「今度は互いに違う物を頼もう。分け合えばその分美味しく食べられるだろ?」
満足そうにお茶を飲みながらこちらを見るトリスタンと目が合う。言われた言葉に思わず咽そうになりながら、コレットは最後の一口をなんとか飲み込んだ。




