7、
「カフェ・ドゥ・プロコープで少しお休みしませんか?
あそこは文人や役者、音楽家の巣窟みたいなところなので、花のようなマダムには少々、
むさ苦しい店かも知れませんが。」
そんな風に言いながら、ロレンツォは鈴のようにコロコロと軽やかに笑います。
お天気の午後には侍女のシャンタルやレティシアも伴い、ロレンツォを連れてお散歩をしました。
お散歩に出られない日はわたくしのハープやクラヴィコードのレッスンを眺めたり、体裁のよいお手紙の書き方を指南してくださったり、役者仲間のおふざけやお酒の上の失敗話と言った市井の冗談話などで愉しませてくれたのでした。
そこには男女の狂おしい愛情ではなく、まるで兄妹のような微笑ましくも暖かい安らぎがありました。
ロレンツォ自身は、
「その気になれば、そう例えば明日のパンやワインに少々困るようであれば・・・
貴婦人の寝台に上ること、そしてその方を満足してさしあげる事は不可能ではありませんよ。
でもわたしがマダム・サンドリヨン(シンデレラの意味。平民出身のわたくしをあてこすった彼独特の言い方です。ですが、厭味ではなく親愛の表れでした。)の寝台にのぼることは恐らくありません。
そんな事をしなくとも、我々の友情は常に存在し続けると確信できるからです。」
などと嘯きました。
そんな風に、春の日差しのように快い関係でロレンツォに甘えることが出来た事が、この時期のわたくしにとって大変大きな幸せでした。
この頃から、数人の殿方がわたくしのブドワールに出入りをするようになりましたが、それは別段心を燃やす相手だった訳ではなく、ほんの気まぐれにお呼びしただけだとか、たまたまロレンツォが公演中で時間が余っていて退屈しのぎだったから、などという他愛も無い理由だったように思います。ほとんどが顔はおろか、名前すら覚えていない方達なのですもの。
夫は特にそういった貴族のたしなみを並外れて好む、という方ではありませんでしたが、やはり数名の街娘や貴婦人をお相手なさっていらしたそうです。
とは言え、お互いの恋愛に口をはさむことなど、はしたない事です。わたくし達はそういう意味では立派な貴族の夫婦を形作っていたように感じます。
オーロールからは時々お手紙が着ます。
アントワネット様にはとうとう待望の王子様、ルイ・シャルル王太子殿下がお生まれになったので、宮廷はそれこそ毎日がパーティーだそうです。
毎晩毎晩、王妃様のお取り巻きの貴族たちがワイン樽を空け、お食事もお皿も山のように積みながら踊り明かすのだそうです。
国王陛下の妹君は遊びにいらしたパリで見た蝋人形館の精巧さに感動されたので、製作者のマリー・グロシュルツ(後のマダム・タッソーと言えばお分かりになるかしら。)をご自身の人形制作指導者としてヴェルサイユに住まわせていらっしゃるだとか。
そして最近、やたらとあのフランシーヌ・ド・モンテクレール伯夫人(オーロールと若い役者を取り合った高慢な貴婦人です)が伺候してきては王妃様にお取次ぎのお願いをするため、ポリニャック伯夫人にいろいろな贈り物をしている・・・云々。
オーロールには不愉快かも知れませんが、フランシーヌも嫁ぎ先の名誉回復のために必死なのはわたくしも存じておりました。
フランシーヌの義父と叔父は、先代のルイ15世に対する(と言うよりもその愛妾であったポンパドゥール伯夫人に対する)失態により、ヴェルサイユから追放された身分の方々でした。フランシーヌ自身が裕福な貴族の出であったとはいえ、ヴェルサイユの宮廷に上がれないなどとは当時の貴族には耐え難い屈辱だったでしょう。ましてや貴族の体面を保とうとするならば、それは莫大なお金が不可欠になります。
きらびやかなドレスや高価な宝石、サロンを開き音楽会を催し、夜毎の舞踏会、オペラやお芝居鑑賞にカジノでの享楽、若い恋人の生活の面倒を見る・・・旅行に美食、食器や家具の収集、見栄は張りすぎて恥ずかしいことはないのです。
お金の苦労から抜け出す唯一の手段が、宮廷人になることなのです。
外側は絹のドレスや満面の微笑で飾る貴族も、心の中では真っ黒な野心の固まりで、宮廷は毎日のように新しい寵臣が生まれ、またそれと同時に去らなければいけない者も同じ数だけいたのです。
油断と怠慢は身を滅ぼし、欺瞞と虚飾、怨恨とが激しく混ざり合う世界なのだとわたくしはこの時はまだ知るよしもありません。
オーロールの手紙に喜びながらも、わたくしも内心は焦っていたのかも知れません。
いつか、わたくしにもヴェルサイユへあがる機会が訪れるのかしら・・・?
義父はヴェルサイユで官職を持つ身分でした。そのまま行けば、義父の退職後に夫がその後任に就けるかも知れません。
とはいえ、義父はまだまだお若い愛人と夜毎の秘め事に熱中できる健在ぶりで、なかなか夫の出番は来そうにありませんでした。
幼い日に夢見た宮廷は、何故か「貴族」という身分になったのにも関わらず、遠くなっていくような気さえしてきました。
モヤモヤとふさぎこむのは、それだけで身体に障ります。
わたくしはロレンツォの楽屋に遊びに行く途中で、ファルジョンの香水店に立ち寄り彼好みの香りを調香していただくことにしました。
ファルジョンはすでに宮廷御用達商人として成功していた調香師でした。
わたくし達よりも10は歳上だと思いますが、気の置けない誠実な方で、ロレンツォの紹介で以後親しくさせていただいたのです。青年盛りのころは恐らくとても沢山のご婦人をときめかせたことでしょう、穏やかで謙虚な物腰はどなたからも好かれておりました。
今日もまた微笑を口元に絶やさず、迎えてくださいました。
「マダム。今日もいいお顔の色をなさっておりますね。
わたくしの調合したバラとカモミールの美容液が効いておりましょう?」
「ありがとう、いつものお世辞と思って聞いておきますわ。
先日は王妃様のための香水を分けていただいて、嬉しゅうございました。
勿論、どなたにもお話しはしていませんので・・・ご安心くださいませ。」
「マダムには王妃様にも劣らない美しさがあるので、香りも引き立つでしょう。
さぁ、今ロレンツォの香水をお出しいたしますので・・・
おや。マダムは今日、水仙の香りがいたしますね?お部屋に飾られたのですか?」
確かに、今日は目覚める前にシャンタルが裏庭から黄水仙の花束を切ってきて、ブドワールに活けてくれたのです。
こんな風にファルジョンは、通常気がつかない微量な香りも嗅ぎ分けるほど、優れた鼻の持ち主なのでした。例えばある時は、わたくしの食べた桃のゼリーや、うっかりと路上で踏んでしまったゴミの種類を言い当てたりしました。この能力に驚かされるのはもう慣れっこになっておりましたが、香水を小瓶に入れ替えながらファルジョンはなにか考えこむように、こう言うのでした。
「マダム。お気を悪くなさらないで聞いてくださいませ。
近いうちに、貴女さまのお側にいらっしゃる方が、お亡くなりになるでしょう。
いえ、貴女ご自身ではありません。
ただ、貴女のおそばから・・・ほんの少々ですが、死の花の香りがするのです。」
この言葉にことさら不安になった訳ではありません。
ただ、なにか不穏な雲の動く空のような、漠然とした不安を感じたのは確かです。
つとめて気にしないふりをして、
「嫌な方ね。そんなイジワルをおっしゃるなら、もう香水を買いには来れませんわよ。
死の花なぞ、あるわけがないでしょうに。」
しかしファルジョンは悪びれた様子もなく、
「死の花は身近に死を経験した者でなければ、その香りはわかりません。
大丈夫です、あなたが失って損をされるような方ではありませんから・・・。」
ますますもって、不可解ですがその場は冗談だととらえて店をあとにしました。
それからすぐに、その言葉が現実となってわたくしの前に現れた時、ファルジョンが「魔法使い」だと確信してしまったほどでした。
店内の入り口で待っていたシャンタルは、わたくしが奥から出てくると隣にいた男性に対し、なにか不機嫌そうに向こうに追いやる仕草をしていました。物乞いでしょうか?
いいえ・・・。
それが物乞いなどではないことは、きちんと上着を着ていた事でも判りました。
ただ、明らかに貴族ではありません。かつらも仰々しいレース飾りも付いていませんから。
だけどわたくしには、それがひと目でパリの汚濁の中においても尚、美しく成長したあの懐かしいアドニスであると確認できたのです!
「まぁ、アンリ!!あなたはあのアンリなの?!なんて素敵になったのでしょう。
先生はお元気でいらっしゃるのかしら?」
わたくしはこうして、15歳になったアンリ・サンソンに再会したのでした。
シャンタルは彼を追いやろうとしましたが、わたくしはそのままアンリをカフェへと伴いました。
ねぇ、こういう出会いを「ロマンス」と言ってよいのかしら?
だってわたくしは22とは言え既に「既婚女性」で、彼はまだ15の少年なのに・・・
わたくし達はそれでもお互いに、愛の泉がそれぞれの心の奥に湧き上がっていたことを言葉にせずとも確信しあえたのでした。わたくしお気に入りの水はなだ色のブドワールに、アンリを招んだのはそれから間もなくの事でした。
シャンタルやレティシアにどんなに咎められようとも、彼の出自を毒づかれても、わたくしにはもう他には何も考えられませんでした。
アンリは、それはたくましく成長しながらもまだ少年のあどけなさが残る赤みを帯びた健康的な頬に明るい瞳、端正でいてどこかまだ幼い面立ちがとてもあの汚濁の中で生きている人間には思えません。
とは言え、アンリの父親の在り難くない称号は、その重さゆえに彼らに対し貴族なみの報酬は与えていたのだそうで、暮らし向きは悪くなくアンリも常に身なりはきちんとしていました。
アンリとの再会に今までの雲が無くなり、晴れ渡ってしまった心に歯止めがきこうなどとは思いません、いえ、歯止めをかけようなどとは思わなかったと言うべきでしょうね。
わたくしはやっと、心の通いあう愛というものを感じることが出来たのです。