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3、



1776年の秋の頃でした。

わたくしがベズンヴァル男爵家の舞踏会にお母様と共に赴きましたのは、本当に奇跡のような幸運だったのでしょう。 きらめく宝石やシャンデリアの洪水の中であの方と踊ったメヌエットは後にも先にもこれ以上には踊れない優美なものでした。

ファルケンシュタイン伯爵は、音楽が終わらぬうちにわたくしを広間からお庭の噴水まで手を引いていかれました。

つぶらな青灰の瞳は自信と気品にあふれ、粋で華麗な紳士服ジュストコールに金色のベストジレがよくお似合いの紳士・・・。わたくしが恋しても不思議ではありません、何故ならその頃の上流社会の貴婦人方のほとんどが、あの方に恋焦がれていましたから。



あの方はささやくように、

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか?マドモアゼル。」


と手に軽くあいさつのキスをくださいました。

わたくしは手と胸の震えを抑えながら、精一杯の笑顔を向けようと努力しましたが、果たして鏡無しでは自慢のえくぼがキレイに出揃うように笑えたかどうか、確認のしようもございません。


「アレクサンドリーヌ・オージェと申します。

はしたなくも貴方のお名前はすでに御婦人方のお話から伺っております。パリはいかがでしょうか?」


「まったく飽きませんね、この街は。刺激的過ぎて帰国を延ばしのばしにしている次第ですよ。

あなたのように妖精(ニンフのようなステップを踏む御婦人にお会いできるなんて光栄です。」


「伯爵さまこそ、まるでオルフェウスの惠みをお受けになっていらっしゃるようですわ。

あのように軽やかに踊ることが出来たのは貴方の流れるようなリードがあったからでしょう。」



秋の夕べは少しばかり肌寒く、わたくし達はお互いにどちらからともなく寄り添うと再会のお約束としてキスを交わしました。

ああ、もちろんわたくしだってそのような一夜の口約束など本当のところ、信じるなんて幼げな事などありえません。 ただ、もうひと目だけでもお会いして一度限りの抱擁でも構わない・・・あの時はただそれだけがダイヤのネックレスや金とパールの髪飾りティアラなどよりも、一番欲しかったものなのです・・・。


それははかない、望むべくもない夢だったのだと悟ったのは、お母様の友人であったフーシェ様から聞き及んだお話からでした。

あのファルケンシュタイン伯爵というお方の本当のご身分、真のお姿は神聖ローマ帝国皇帝・ヨーゼフ二世陛下・・・。つまり、我がフランスの王妃アントワネット様のお兄様だったのです。


「フーシェ様、そのようなお方が何故、このパリの社交界にまでいらしたのです?

ヴェルサイユに国王陛下ご夫妻への伺候のみが目的ならば、なぜ、こんな・・・・。」


その後は言葉にならず・・・いえ、言葉にしてしまったらあの方との淡い思い出までが一瞬のうちに吹き飛ばされてしまうのではないか。そんな愚かな気持ちにまでなりながらわたくしはあのお方のことを想い慕っていたのでしょう。

フーシェ様はやれやれ、ここにもまた可憐な恋の犠牲者が・・・とでも言わんばかりにかぶりを振ると、こう言われたのです。


「皇帝陛下は妹君であられるアントワネット様をご訪問されるという名目も確かにお持ち合わせのようですが、それよりも何と言うか・・・羽根を伸ばしに来たのも事実ですよ。

そら、先にヴェルサイユから追われたデュ・バリー夫人にお会いするために、わざわざリューヴシエンヌのお館をご訪問されたそうですね。それはもう楽しくお茶やワインなどでご歓談なさった時に、デギヨン公やモールパ伯がご一緒されたそうですから・・・。

デュ・バリー夫人をあまり好ましく思われていない王妃さまはかなりのご立腹だった、と皆の口の端に上っております。」




デュ・バリー伯夫人が、あのお方のご訪問を受けたなんて・・・。


前国王の愛妾だったデュ・バリー夫人は、いったんは尼僧院に送られたにも関わらず、宮廷で築き上げた人脈とその助けに負い、現国王陛下のお取り成しで今はまた以前のように貴族のような暮らしをしているかつての、いいえ、現役の高級娼婦クルチザンヌ・・・・。

まさかあのような高貴な身分のあのお方が、そんな島流しにあってもおかしくない女性の元に参ずるなんて・・・!!


そんな事が許されるのなら、まだわたくしのようなブルジョアの方があのお方に相応しいはずなのに!


なぜ、あの方は・・・・・。



いいえ、本当はわたくしには既に判っていたのです。

殿方にとって、女性は素晴らしい花のような飾りでなくてはならないことを。

粋な会話と恋愛を、自由に楽しめるためのゆたかな感性を持つ大輪の花でなければ決して貴婦人として扱われないことを。

そして、それはまだ当時のわたくしにはまるで持ち合わせてはおらず、

デュ・バリー夫人には確かにそれが、備わっているという事実を・・・。

あの女性にはなにか他人を惹きつけてやまない「何か」があるのです。

それを「魅力」という一言で片付け、納得させられることなぞ幼かった小娘のわたくしには到底出来ないこと・・・それだけだったのです。涙はもはや外には流れずに、暗く深い心の深淵に澱み、枯れることのない悲しみの泉を満たそうとしていました・・・。


フーシェ様は暗澹としたその場を取り繕うように、明るい話題でも、という風に言われました。


「そうそう、アレクサンドリーヌ様は近々ご婚約でしょうな。

わたしの店の一番美しいレースを花嫁のケープに仕立てていただきましょう。

恋も愛も、すべては家庭を築き、立派な奥様になられてからで充分なのですよ。」


「・・・わたくしが婚約ですって?」


「ええ。おや、これは失礼、花嫁になられる方より早く、わたしが先んずるなんて申し訳ありません。

ただ、お父上はどうやらあなたとド・ラカーユ伯爵とのご縁談を進めておられるそうですよ。」


「ド・ラカーユ伯爵・・・さま?」


「ヴェルサイユにてお父様が出納長官補佐をなさっておられる、立派な若貴族さまですよ。

もしわたくしに年頃の娘がいたら必ず縁組をお受けいたしますけどね。」



思い切り失恋の雨に打たれたかと思うと、縁談話という晴天の霹靂。

もはやわたくしには考えるほどの気力はありませんでした。

17歳になろうとするわたくしに失恋の痛手を癒す(と言うよりもむしろ失意の紛らわし方を模索する)暇もないほど、ド・ラカーユ伯爵家からのお使いがひんぱんに来るようになったのは、そろそろ冬になろうとする頃でした。



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