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「アレクサンドリーヌ、あなたは確か内親王殿下の肌着係りでしたわね?」

歳の瀬にさしかかっていた12月。

珍しくフランシーヌが支度部屋にいるわたくしに声をかけてきました。

その手には薄紅のシルクで出来たシュミーズドレスを衣服用のカゴに入れ携えていました。


「このシルクは中国シノワでも一番よい地方のもので織らせてあるのですけど・・・

わたくしの実家から送られてきたのでぜひともマリー・テレーズ様に献上したいと思いましてね。」


繊細なレースと真珠のような光沢のシルクがとても美しい一品でした。

わたくしは贈り物なら女官長さまにお通ししてからのほうがよろしいと告げると、フランシーヌはかぶりを振ります。


「つまりね、これはわたくしの地位をお願いするための物ですの。

だってね、ホラ、貴女のようにあれよあれよと言う間にご出世された方とは違って、わたくしなどは未だ伺候することしか許されていませんのよ。せめてお部屋のひとつもいただく身分になって一族に誇れる貴婦人になりたいのよ。わかっていただけるかしら?」


フランシーヌはたしかに、伺候は許される身分として宮廷に出入りしてはいましたが、王妃様とのつながりが薄く、ヴェルサイユに近いお屋敷から日参する毎日です。もとは名のある貴族出身の彼女がわたくしのような平民出身の女性にさえ与えられているヴェルサイユの部屋を欲するのは何ら不思議なことではありません。わたくしは少しばかりの同情もあってか、フランシーヌからの贈り物カゴと共に彼女の立場を考慮していただけるよう内親王付きの女官長さまにお願いしようと請け負いました。


午後のミサの前にお着替えをなさるので、それに間に合うようにカゴを持参して控えの間に入り内親王殿下を待ちながら、女官長付きの侍女のマダム・シャルボニエにカゴをお渡ししながら、


「こちらの素晴らしいシュミーズドレスはマダム・ド・モンテクレールからでございます。

ぜひ、殿下がお納めくださいますよう、にと仰せつかって参りました・・・。」


シャルボニエ夫人はまず、このドレスの色を誉めたたえ、それを傷つけないよう手袋で広げながらマリー・テレーズ様のお着替え用のカゴにいそいそと運んでいたその時、夫人が悲痛な声をあげたのです。


「ああっ・・・! なんということなの!!」


「いかがなされましたか?!」


「マダム・シャルボニエの手から血が・・・」


シュミーズドレスの端に、小さな真紅の斑点が浮いてくると同時に、長針の光が眼に留まりました。


「こんな・・・このような危険なものをマリー・テレーズ様に・・・!!

マダム・ド・ラカーユ!! これは一体どういうつもりなの!?」


「これは・・・これはマダム・フランシーヌからの・・・わたくしではありません!!断じて!!」


怒りにふるえたシャルボニエ夫人の手に、カゴからつまみ出されたカードにはこう書かれていたように記憶しております。


~内親王殿下へ 愛をこめて・・・  アレクサンドリーヌ・ド・ラカーユ ~




騒然とする中、わたくしはただ呆然とことの成り行きを見守りつつ、血の気の引いた頭の中でただひとつ確信した事実のみに打ちのめされてしまい言葉が繋げずにいました。


・・・・罠だったのだ。始めから・・・。

フランシーヌがわたくしの現在の微妙な立場を徹底的に剥奪するために仕組まれた・・・

いえ、フランシーヌだけの企みではないでしょう。

恐らく、この中に共謀している人間が一人・・・いえ、何人もいるかも知れない・・・!!

ああ・・・!!この不穏な空気のなかに一筋流れる確信的なまでに強固な連帯感は何・・・?

内親王殿下以外の皆が、わたくしに冷たい視線で応じているなんて!!

女官の中には明らかに微笑まで浮かべている者すらいるのは・・・何故?!


仕組まれたのだ・・・

わたくしは、とうとう反王党派という夫の罪に馬鹿げた小細工の上乗せまでされて!!

千の謝罪も万の懇願も、この絶対的な心理的暴力からは逃れられないことはもはや出来ないことを、王宮の近衛兵が近づいてきた時点で、わたくしは悟ったのでした。



近衛兵の荒々しい所業でしょうか?

それとも宮廷内には泥棒が巣食っているのでしょうか?

近衛士官に連行されるように部屋に戻ると、室内の荷物はバラバラになっておりました。

鏡台も書き物机も飾り箪笥も、すべての引き出しを開けられドレスは散らばり、宝石箱も開けられ、靴もショールも椅子さえも、すべてがあちこちに転がりまるで嵐にあったようでした。


「何故、このような仕打ちを受けねばならないのです・・・?

わたくしは・・・今まで一度たりと国王陛下や王后陛下に対し背いたことなどありませんでしたのに。

なぜ、わたくしの・・・・。」


涙にのどがつまり、声を殺して泣くのがやっとです。

近衛士官は冷静な顔つきで短い通達を、わたくしに放ったのです。


「王后陛下よりのご命令です。

今すぐにヴェルサイユからお立ち去りなさいますよう・・・。

理由は、マダムがよくご存知であるかと思われます。」


大きな波がきて、身体のすべてを沖に引き込まれそうになるような絶望と敗北。

それなのに身体はのろのろと荷物をまとめ始めています。

わたくしが今まで贈られた水晶の小瓶のかけらをよけながら、ゴブランのクッションにつまずきながら、ドレスと宝石はなんとか無事を確認して馬車に積むようお願いしました。最後にレオナールにお別れのお手紙を、と思いました丁重にお断りされたのでセーブルのティーカップのかけらを踏みしめながら、まさか自分がこのようなみすぼらしい境遇になろうとは思わず、ひとり唇をかんだのでした。

その時、ドアが開き入ってきたのはフランシーヌでした。

満足げな笑みをたたえ、足音も高くフランシーヌはずかずかと入ってきてため息をつきました。


「失礼ですけど、お早い退去をお願いしますわね。

わたくしここのお部屋をいただくことになっておりますのよ。

アントワネット様の御口聞きでね。」


続いて入ってきたのは、オーロールでした。

彼女自身、ドルレアン公の後ろ盾に守られていた宮廷生活でしたので、しばらくはパレ・ロワイヤルにいたはずです。そのオーロールが戻ってくるなんて・・・まさか・・・


「アレクサンドリーヌ。残念だけど、貴女の宮廷生活もここまでだわね。」


「オーロール・・・貴女は・・・」


「わたしはね、今はドルレアン公とはお別れして、ブリサック公やランベスク公のお傍にいるのよ。

反王党派ではこの宮廷で暮らせはしないでしょう?

わたしはやっぱりヴェルサイユの暮らしが好きなの。

という訳でもう貴女を助けることは出来ないのよ。アレクサンドリーヌ、貴女はもうお帰りなさい。

所詮、貴女はここでの生活は無理だったという事なのよ。」






夕暮れの森を、馬車でゆられながらブーローニュに着くまでの間、わたくしの中にこれほどまで汚らしい感情があるなどとは今まで思ってもみなかったので、われながら恐ろしくなったのです。


呪われてしまえ!!

あの宮殿に巣食う卑しい貴族たちすべて!!

悪魔にも劣る下劣で貪欲に地位を欲する地獄の亡者たち!!


そして・・・呪われるがいい!!こんな世界を夢見た愚かなわたくし・・・!!



森の向こうに沈みかけた夕日は涙ににじみ、この上なく美しい彩りに思えました。

さようなら・・・美しい黄金のヴェルサイユ。

虚飾と軽薄さに生きた見せ掛けの王妃様。

欲にまみれた宮廷貴族たち。

なにもかもきらびやか過ぎる美しさにまぎれ、真実などありはしない宮殿。

さようなら・・・

わたくしの美しい恋人。

わたくしの小さな頃の夢・・・


もう二度とは戻れない、おとぎ話しの国・・・



ブーローニュに着くと、なつかしい家人や知人が何事もなく迎えてくれ、わたくしは心のつかえが一気に取れたのでした。懐かしいわたくしのブドワールは女主人の不在にも凛とした姿のままで待っていてくれたので、一人夜も更けると誰ともなく泣けてきてしまいます。

わたくしはわたくしなりに頑張りました・・・

立ち居振る舞いも気の利いた会話も殿方への愛情の示し方も、何一つ他の貴婦人に比べてひけをとらなかったはずです。そのことは決して卑下する事ではありません。ただ、わたくしに足りなかったものは自分自身への配慮、その一つのみです。

これからはもう、自分自身だけを大切に出来る・・・

自分だけの言葉で、自分だけの心で何でも言えるのです。

どうしてそんな当たり前の事が幸せなのだと、今まで気づかなかったのでしょう。


静かな森でゆっくりと子供を育てながら、暮らせる・・・


帰ったばかりのわたくしはそんな生活がいつまでも続くと、本当に信じていたのです。



夫は足しげくドルレアン公のもとに通い、なにやら忙しそうに三部会の話に熱が入っている様子です。

1789年も明け、三部会招集の命が出されると、夫は自分の領地であるブルターニュ地方から貴族議員として立候補するようです。


三部会が開催されるともうなかなかパリに遊びに行けないと思い、わたくしはロレンツォを伴い実家に遊びに行きました。パリは華やぐ表通りとは裏腹な貧民街があちらこちらでうめき声をあげているかのような、重々しい街と化していました。

わたくしの両親は姉の嫁ぎ先であるドイツ国境に近い街に一時移るそうです。

なによりパリの街の雰囲気に異様な空気を含んでいるのは間違いないようです・・・。

実家からの帰り道、馬車の中でそれまでの他愛もないおしゃべりが一区切りするとロレンツォは期を見計らったかのように、わたくしに真剣な眼差しを向けて言ったのでした。


「マダム・サンドリヨン。 聡明な貴女ならそろそろ判っているはずです。

あなたのご両親の選択はまとも過ぎるほど最良の手段でしょう。

あなたも遠からず、ご家族とともに外国に行かれることを、わたくしはお薦めいたします。」


いきなりの進言にわたくしがおろおろと一言も返さないでいると、ロレンツォは口元だけをあげて無理やりに笑顔をつくりました。


「これは、アンリ・サンソンからの受け売りなんですけどね。」


頭のなかで福音のように、あの輝かしい名前が響きました。

わたくしのただひとつの清らかな魂は、まだ彼の中で息づいていたのでしょうか・・・?

まさかアンリが、こんなわたくしの身を案じてくれているなんて・・・


「・・・ロレンツォ。あなたはアンリと会っていらしたの?・・・ずっと?」


「マダムを慮っているつもりこそあれ、裏切り行為だとはこれっぽっちも思っておりません。

アンリ・サンソンは現在、防衛軍に入っておりますよ。

パリの街は以外にせまくて、わたしがアンリと酒を飲む場で鉢合わせるなんて珍しいことではありませぬ故・・・。」


アンリが防衛軍に・・・

あの愛しいアドニスが、軍人に?


わたくしの心情を察するにはロレンツォはあまりに簡単すぎるとでも言うように、御者に行き先をブーローニュからパレ・ロワイヤル近くに変更させました。


「会えるとは限りませんよ。わたしもたまたま都合のつく時間に会っていただけなのですから。

神が御身に万にひとつの奇跡をもたらさん事をお祈りいたしますけど。」

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