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13、



「ママ王妃ママン・レーヌはどちらにいらしたのかしら?

わたくしと最近ちっとも遊んでくださりません。 少し前にママン・レーヌにドレスの見本人形をいただいてからはお会いしていませんわ。」


シュミーズドレスにお着替えしながら、マリー・テレーズ王女がそう言うと、お召し物係りの女官や侍女は、少し困ったようなお顔でお互いの顔を見合わせました。

王妃様が本日も謁見を中止にされ、プチ・トリアノン近くに完成した「村里アモー」へお取り巻きの方々と早速お出かけあそばした事は皆すでに存じていたからです。

そうでなくても連日フェルセン伯とプチ・トリアノン宮でお過ごしになる事が多かったので、王女様にしてもお寂しい気持ちになった事でしょう。

王女様に限らず、折からの「感傷主義」も手伝って、宮廷内ではあちらこちらで他人や自然に対する抒情的な心持を尊ぶことが流行っておりました。

サロンの常連が数日姿をあらわさなければすぐに手紙をしたため、

乳母に預けっ放しだった我が子に会えば、今までとは打って変わってキスの嵐を降らせ、

恋人が新しいパトロンに乗り換えると大声で泣き(信じられない醜態!!)、


「わたくしはこんなにもあなたを想っております事を、お忘れなく・・・」


と、なかば押し付けがましくも己が心情を熱く表現する風潮が出てきたのです。


そんな直情的な表現ははしたないと信じてきたわたくしには、少々気恥ずかしさもあったのですが、「流行」に遅れることはもっと恥ずかしいとも思っていたので、一度か二度で終わった殿方にもお手紙を綴り、レオナールやロレンツォのお花や贈り物にも感嘆し、子供の手紙に涙しながら、王女様のお寂しい気持ちに共感する・・・と言った具合でした。



ヴェルサイユでのそうした日々の中とは別に、わたくしの身近ではいろいろと人間の入れ替わりがありました。

母親が急逝し、乳母のところから8歳の長男、アンリ・ジョゼフが戻りました。結婚以来、ずっと実家から付き添ってきたくれた侍女のレティシアはパリのブルジョアと結婚、シャンタルも馬ていのドミニクと結婚し、田舎に戻っていきました。自分を補い続けてくれた人々が、そうして晩秋の葉が末枯れるようにわたくしのそばからいなくなってゆくのはやはり淋しいものです・・・・。



宮廷にいらしていた調香師・ファルジョンにお会いするのはパリの様子を聞く好い機会でした。

花の炊き方を記した覚書や香水の見本をお土産にいただき、イギリスから取り寄せた紅茶を片手にわたくしはふと、以前ファルジョンに指摘された「死の花の香り」についての出来事を思い出しました。


「ファルジョン、貴方は死の花の香りが判るのは身近な人間の死を体験した者だけと、わたくしにそう言ったのだけど・・・

それはわたくしにも判るものなのかしら?

最近、お母様を亡くしたもので、何かふと以前貴方に言われた事を思い出したのですわ。」


ファルジョンは薄い微笑みともつかない表情でやさしくわたくしを見て、考えるでもなく言いました。


「人間にも花のように、様々な香りがあります。

わたしが感じるのは、人々の生活や感情からにじみ出るもので的確な表現ではあらわせません。

香水を作り始めてもう20年以上になりますが、わたし以外にそれを感じる事が出来たのは、父だけです。

何故、そういう風にとらえる事が出来るのかは、正直わたしにも判らないのです。」


見えないものを感じ、形ないものを捉えては香りを併せ、女神の吐息のような香水をつくるファルジョンにとって死の花とはどのような香りだったのでしょうか。ついには聞きそびれてしまったことが、少しだけ悔やまれます・・・。




宮殿の端につくられた村里アモーで農婦まがいのことをしながらも、トリアノンでは側近団と言われる一部の外国貴族や振興貴族としかお付き合いしようとなさらない王妃様に愛想を尽かした貴族達はすでに伺候も謁見もせず、いまやヴェルサイユはガラガラです。

数年前に起きた火山噴火のために、この欧州において冷害がつづき凶作にあえぐ農民たちは瀕死の状態でした。ロレンツォとのおしゃべりの中にはかならず、


「今日はなんと6人のパリ娘たちが、春をひさぐためにと馬車の前におどり出てきましたよ。

ですがそれらの娘はほとんどが11か12そこらの子供でしたので、銀貨を持たせて丁重にお断りしました。  驚いたのは、何とその中に男の子が混ざっていたことです。

彼は父親に言われて女の格好をさせられ、身体を売っているのだそうです・・・。

マダム、わたしにはこの窮状が最近とみに恐ろしく思えてたまりません。」


といった話が出るのです。


恐ろしくも悲しい話です。

パンやスープのために、身体をひさがなければならない子供たちがいるなんて・・・。

明日の生活を心配しなければならない人生があるなんて!!

これを「感傷」ではなく、「博愛」の名のもとに把握しうる平民社会の中で真摯に受け止めることが出来たのであれば、その後のわたくしの流浪の生活ももっと違った姿勢で望めたのかもしれません。


この世の贅沢の全てはヴェルサイユに集中し、宮廷貴族は何一つ不自由など知らずに毎日の退屈を遊びに変える手立てにのみ暮らし・・・

一方の平民は毎日生き続ける、ただそれだけで心使い果たしつつたった一枚の服に身をやつし・・・

人は全てが本当に平等ではないと言う事はわたくしの数少ない経験の中からでもわかるものです。

美しく生まれる者とそうでない者、

富める者と貧しい者、

高貴な者と・・・


いいえ。

いいえ!生まれついた立場に矛盾など唱えたら、では神は何ゆえわたくし達をこのような美しい国の美しき世界に誕生させ、そうでない者たちを傍に置きたもうたのでしょうか?

あるがままの生活を享受出来ないなぞと・・・

それは神に反する行為でしょう?

わたくしのこの立場は、当然あるべきもので誰に恥じることなどないはずです・・・!



それなのに・・・

なぜ、こんなにも不安なのでしょう?


夫からは王室の財政は行き詰っていると聞きました。

太陽王ルイ14世からの対外戦争や先代の愛妾たちが我が物にしてきた莫大なお金、そして今、アントワネット様が散財し、贅沢にかける歯止めない遊びの数々に対し宮中からも「赤字夫人」と呼ばれているとは王妃様自身はご存知ありません。

ご自分の延臣を大臣に据え、国庫にお金がないといえば新たに税をとるよう勝手に命令を出しながら、自らは村里でお取り巻きと遊び暮らす毎日・・・

わたくしの夫はここ最近、このような王妃様の中傷を口にするようになってきました。

あまつさえ、そろそろヴェルサイユから退く所存だと聞かされたときには卒倒しそうになる程驚きました。いまの官職を捨て、田舎の領地に行くと言うのです。

わたくしはふと、幼い頃に育った修道院のカビ臭い台所を思い出し、寒気がしました。


「ムッシュウ、あなたがそこまで田舎暮らしにご興味がおありだとはわたくし今の今まで存じ上げませんでしたわ。確かにこの宮廷内には今とても不穏な雰囲気があるとは思います。

ですが、わたくしはパリで生まれ、このヴェルサイユに暮らすことを誇りに思って今日まで暮らしてきたのですよ。いきなりの田舎暮らしはわたくし、納得できません。」


そう、今までどのような努力をして貴婦人として生活をしてきたか、

ここまでたどり着くのにどれほどの犠牲があったのか、この夫に判ろうはずもございません。

彼は生まれつきの貴族階級なのですから。

このコルセットとパニエの下に隠してきた炎ようなの欲望も身を裂かれたかのような別れも、この夫に判れと言う方が無理でしょう。


「マダム、おそらくどの解決策も国庫の赤字を埋めるのはもはや無理でしょう。

現在、高等法院が王室からの新税と借金の要求をめぐって争っているのです。

わたしたちはこの間に田舎で暮らしながら、次なる場所を探すべく準備を始めておくのが妥当かと思うのです。貴女や子供たちのためにも・・・

アンリ・ジョゼフやエレーヌにもそろそろ外国を見せてあげるいい機会だと思いますが・・・。」



夫はヴェルサイユを離れ、はては外国に移ろうと計画をしていたのでした。

そこまでして離れなければいけない理由を、夫は夫なりの宮廷生活のなかでつかんでいたのかも知れません。

もうそこまで、フランス王室の危機が・・・貴族社会の終わりが近づいていた事に、わたくしはまだ理解しようとは思っていなかったのです。

理解するには、あまりに平民社会と隔絶された世界に生きていた・・・生きていたかったのです。


夏がくる一番美しい季節に、夫は官職を退きまたブーローニュの森にある館に戻りました。

内親王殿下の侍女としてのわたくしの立場は、王妃様のお情けで維持されわたくしはヴェルサイユに留まることが出来ましたが、わたくしの夫同様に、官職を退く紳士や貴婦人がこの時期重なっていらしたのも事実です。それでも宮殿の生活はゆったりと流れ、美しい恋人、音楽、舞踏会・・・



1788年の秋、財政危機と新税、新たな国の借金をめぐり高等法院と王室は再び争い・・・

そうして法院はついに「三部会」の要求を国王陛下に出したのです。

国王陛下のお従兄弟であるドルレアン公のように王室に反目し、高等法院についた貴族たちのなんと多いことか・・・!!

恐れ多くもわが夫も、この時すでに法院側についていた事がわかり、わたくしを驚愕させました。

この頃になるとドルレアン公はもはや隠すことなく自らの利権と地位の入れ替わりに意思表示を始めていたので、彼の側につくことはヴェルサイユにおいての立場も微妙なものになるのです。

夫はそれに左右されたくないが為に、官職を退いたのでした。


それ以後、内親王陛下についていただかせていたわたくしの立場にかなりの変化がみられたのです。








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