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12、



黒い肌のお小姓がオーロールに朝のショコラをうやうやしく差し出すのを見て、お友達のル・ビアン夫人は眉をひそめてあからさまに嫌な顔をなさいます。


このお小姓はアボドゥと言う、アフリカ人の奴隷市で売られていた少年です。まだ15,6歳と言ったところでしょうか。大きな黒い眼はどこか小さな頃のアンリ・サンソンを思い出してしまいます。

一体いつフランスに来たのかも、自分では一切語りませんし余計な事はなにひとつ話しません。

実際フランス語を話せるかどうかも怪しいのですが、オーロールはいたって呑気にこのお小姓にあらゆる場面で奉仕をさせています。

彼女が庭園の中のどこかに扇子を置き忘れてしまっても、きちんと翌朝には飾り箪笥コモードの上に置かれていますし、誰某にいただいたルビーのネックレスを探すように命じれば(実際、その手のネックレスは本人にだって見当が付かないはずです)数分後には化粧台の上に・・・

新調したミュールを汚したくなければアボドゥがその女主人の足元にハンカチーフを敷く、と言った具合でした。


「この子はわたしの黒い宝石なの。ドルレアン公にいただいた一番大きな贈り物かもね。

わたしもこの子無しでは宮廷にあがる支度は出来ないけど、アボドゥもわたしがいなきゃ、生活は出来ないのよ。わたし達はとてもいい主従関係なの。」


そう笑って、オーロールはそのしなやかな指で少年の首筋をなぞると、アボドゥは恥ずかしげに眼を伏せて俯きました。



「オーロール、まさか貴女はあのお小姓にそういう関係を強いているのではないでしょうね?」


わたくしがヴェルサイユの大運河まで連れ出して、オーロールに問い詰めたのは自分なりに「アンリへの自責の念」があったからかも知れません。

オーロールは最初はとぼけてみせましたが、すぐに悪びれもせずに認めました。


「そうよ、アレクサンドリーヌのおっしゃる通り、わたしはあの子と時々はそういう遊びもするの。

子供ではないのだし、あの子はわたしのモノなのよ。何が悪いのかしら?

この貴族社会にはパリの家で教えられたような道徳心なんて、邪魔なだけでしょ?

大体、あなたにだって年下の恋人がいたんじゃなくて?わたしが知らないとでも思っていたの?」


「・・・わたしは自分の過ちがどれだけ深いものか判ってしまったから、貴女にも判って欲しいの。

自分の欲望だけでまだ少年のアボドゥを辱めてしまうのは、あなたの汚点にも成りかねないし、あの子の将来も潰してしまうのよ。

オーロール、人は決して誰一人として、あなたの道具ではないはずよ。」


オーロールにこんな正攻法ないい方が通じるとは思えませんが、その時に出来得るわたくしの説得は、その程度でしかありません。

オーロールはもはや呆れ顔です。


「奴隷を奴隷として使って何が悪いの?

あなたはわたしの生活が間違っていると言うの?

ご忠告はありがたくお受け取りしますけど、いちいちわたしの夜のお相手をあなたに報告する義務もなければ、あなたにはわたしの奴隷の将来を案ずる義務など無くってよ!」






王妃様に二人目の王子ある、ルイ・シャルル王太子殿下がお生まれになると、宮廷では公然の恋人として是非を問わずに知られたフェルセン伯こそが、新たな王子の本当の父親なのではないかと噂されるようになっていたのです。

並み居る名門貴族の謁見をフイにしてフェルセン伯とお散歩なさったかと思えば、お取り巻きの中から勝手きままに大臣職を選んでしまう、と言った放蕩ぶりに一人、二人、そしてまた一人と、今までこのヴェルサイユを彩られてきた王侯貴族の方々が落葉のごとく宮廷を自ら退かれていき、今ではヴェルサイユに空き部屋が増え始めたお陰で、わたくしのような者にさえ、マリー・テレーズ内親王妃殿下御付きの女官長付き侍女としてお部屋をいただけたのでした。


時折、ブローニュの館やパリで眼にするビラや中傷新聞には、そのころはもうだいぶ慣れてはきましたが、相変わらずの王室(特に王妃様)の不人気ぶりはわたくしの気持ちを萎えさせました。

この頃から数年前に噴火した北国の火山灰や噴煙の影響で冷害になり、凶作つづきの荒地には実りが無く、食いつぶした農民は子供を里子に出し、娘を売り、それでもパンにはありつけないという状態だったはずです。国民が不毛の生活に喘ぐ中で、ヴェルサイユだけは燦然と輝き、王族や貴族は楽園のような生活をしている・・・・

中でも憎むべきは王妃の放蕩ぶり。莫大な散財をしてヴェルサイユの森に自分だけの遊び場をつくっている!!そこでは王妃が農家のおかみの格好で、農家遊びを愉しむ予定・・・


急落する王妃様の人気に最後の一撃を加えたきっかけになったのは、わたくしの父の知り合いの宝石商であるべーマー氏がつくったダイヤモンドの首飾りでした。

一度だけ、べーマー氏は先代ルイ15世から依頼されていた首飾りを持て余してお困りのようでした。

この首飾りは本来、デュ・バリー夫人に贈られるはずの物でしたが、陛下が急逝されたために、行き場がなくなりさりとて高価すぎるのではそんじょそこらの貴族には手が出ないので、望みをたくしたのがアントワネット様だったのです。

しかし、王妃様にはあまり面白くない代物だったらしく、べーマーはすげなく追い返されてしまいます。

「ええ、もちろんとても見事な細工であることはわかります。ですけれど、あの卑しい女性のために作られたネックレスなど、わたくし欲しくはありませんわ。」


困り果てたべーマーはやすやすと女詐欺師とその仲間にひっかかり・・・


その後はみなさまの方がお詳しいのでしょうね。

いろいろな形で大々的な記事になったのですもの。

結局、ダイアモンドの首飾りはジャンヌ某の手中に入ってからバラバラにされ、売り払われ・・・

王妃様には何一つ、知らぬうちにご自分までが被害者、いえ、加害者にもなっていたのです。



騙されたロアン卿は無罪、ジャンヌ某という女詐欺師は有罪になりました。



ご自分の名前を利用され、名誉を汚し王室の信頼を失墜させられたとして王妃様は裁判に訴えられたのですが、結果は無惨なものでした。

それどころか世論は王妃はジャンヌと共謀していて、ダイヤの首飾りをすでに手中に収めてしまったら今度はあの女を捨てて知らん顔してるのだ、という通説が行き渡ってしまったのです。

真相はどうであれ、今や王妃様の人気は地に堕ち、いかがわしい中傷ビラはパリの街にあふれ、王室のあり方に疑問を投げかけるアジ演説は至る所で繰り広げられているようです。



パリのカフェにロレンツォを久しぶりに訪ねた時の事です。

わたくしが二頭立ての馬車でセーヌ岸に着くと、そこに群がってきたのはまだ幼い少年や少女達でした。皆一様に両手を差し出し、馬丁やレティシアが追い払っても、またすぐに群がりだし、


「奥様、お願いです。銀貨1枚でいいから、恵んでください!」

「貴族の奥様、もう一週間もパンを食べていないんです!!」

「お願い、お腹が空いて死にそうです・・・パンを下さい!!」


わたくしは恐ろしくて馬車の中で一人、震えていました。

ロレンツォが機転をきかせて迎えに来てくれなければ、わたくしは恐怖で気が違ってしまったかも知れません。


「マダム・サンドリヨン、大丈夫ですか?!

申し訳ありませんが、もはやこのパリは貴女にとっては故郷ではございません。

貴族の馬車でこちらに来るのは非常に危険かも知れないので、以降はわたしの方から伺うように致します。」


馬車の中で、ロレンツォは震えるわたくしとレティシアにかつてない程、真剣なまなざしを向けました。


「パリでは・・・、今、パリではそんなに食料がないのですか・・・?

あの子供たちは、本当に食事をしていないのですか?」


「・・・残念ながらパリ市民の口に入るパンは、パン屋には置いてありません。

凶作で小麦も野菜も採れず、国民の口には何も入らないのです。」


この瞬間にも、宮廷では何千もの料理やお菓子、ワインが食べきれない程給仕されているのに。

パリでは今、この瞬間にも飢えて死に行く者があふれかえっているなんて・・・!


この国のすさまじき現状と国民の怒りと絶望が今、ようやく音を立ててわたくしの背後まで迫ってきていることに、気づかぬ訳にはいかないのでした。

そうとは言え、あまりにわたくし達の世界は、ヴェルサイユはパリから遠すぎました。

ヴェルサイユに戻れば、そのような市民の苦しみを見る機会などありませんし、まったく別の世界が広がり、この世界はヴェルサイユだけしかないのではないか、と思って暮らしていてもなんら差し障りのない空間なのです。閉ざされた世界と言うものは、その中に生きる人間に無上の喜びと平和を与えているかのように見え、その実、その中でしか生きてはいけないように骨をも蕩かす媚薬に漬け込まれてしまう恐ろしい冥府なのです・・・。



宮殿に戻ると、夕暮れの木立に戯れる紳士と貴婦人に声をかけられました。


「マダム。その先の樹木庭園にはお入りになる事は出来ませんよ。

王妃様が上演されるお芝居用の飾りや資材でいっぱいですからね。」


すると貴婦人のほうがすかさず、こう付け加えたのです。


「あら、それはお名目でございましょう?

そちらには離れがたい外国の恋人同士がいらっしゃるから、お邪魔をなさってはいけないのでは?」


誰を揶揄しての表現なのかはいまや誰にでも判っていることです。

王妃様はオーストリア人、フェルセン伯はスウェーデン人ですので、外国人同士が宮廷において一番権力を持っていることに対しての憎悪がフランス貴族の方に蔓延しつつあるのです。

夕映えのヴァニラ色に染まる雲の覆う空に美しく映えるヴェルサイユに、もはや王妃様の権威など、そらぞらしい物になっているようです・・・。

お部屋に戻る途中、フランシーヌがどこかの殿方とわざとらしい歓喜の声をあげながら夕闇の中に消えてゆき、オーロールはアボドゥにワインを持ってこさせたようです。

お部屋の扉を閉めて、窓を開けると夕闇にひそむ何かにほんの少し身震いしました。

この生活は、本当に自分とって価値のあるものだったのでしょうか?

望んだ事とは言え、貴族の世界に飛び込んできた自分の判断は、本当に正しかったのでしょうか?

沈みかける太陽に、明日を託してしまってもよいのでしょうか・・・?


何かを考えなくてはならないのに、何も考え付かない自分にもどかしく、この宮殿の冷たいお部屋で一人、レオナールの来訪を待つしか今宵の慰めはないのでした。


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