11、
ヴェルサイユに伺候するようになってからしばらくして、女の子が生まれました。
かわいい金色の巻き毛、淡いへーゼルと青の瞳、穏やかな顔つきの天使はエレーヌと名づけました。
アンリの子です。
夫は喜んでくれましたが、恐らく真実は判っていたのでしょう。
ただ、貴族としての体面上、実の娘として養育していく事に抵抗はなくむしろ上流社会の家同士のつながりを深める為に将来役立つ「人材」として、大変在り難いプレゼントだと考えているであろうことは言うまでもございません。
彼の忘れ形見でもあるエレーヌがただ愛おしく、娘の将来のためにもヴェルサイユでの真の宮廷人にならなければ・・・
わたくしの日々はいよいよ忙しいものになるのでした。
ヴェルサイユに伺候する日々で目にするものは相も変わらずのものです。
謁見の間につづく広間にはパリや地方から訪れた貴族の群れが、何時来るかも知れぬ機会にしびれをきらしながら一日中陛下や王妃様をお待ちしております。
優美な宮廷内には王室御用達の出入り商人の列が回廊を行き交い、その列につづく侍女の団体がせわしなく荷物を運んでいく様は、まるで働きアリの行列でした。
手入れの行き届いた庭園は平民にも解放されておりましたが、一様に身なりのよいブルジョアがほとんどでした。園内の茂みや運河のほとり、離宮につづき森の小陰で着飾った紳士や貴婦人が愛を交し合うのは日常出あう当たり前の光景ですので、わたくしは目のやり場に一苦労しながら庭園内を横切っていかなければなりませんでした。
フランシーヌ・ド・モンテクレールに偶然会ったのは、庭園のオランジェリーをまっすぐに王妃様の樹木庭園に向かってお散歩しながら友人の女性を待っていましたところ、木陰に戯れる男女を見かけたのでお邪魔をしないように足早に通り過ぎようとした時でした。 見覚えのある口元のつけぼくろに赤毛の縦ロール、高飛車な目つき・・・
フランシーヌが殿方に愛を確かめている最中を図らずも目撃してしまい、わたくしは一気に憂鬱になってしまいました。
きっと近いうちに山のような厭味を言われてしまうに違わないわ・・・
翌日、オーロールの支度部屋でお話をしていると、そこにフランシーヌが入ってきてうんざりする程にこやかに言いました。
「アレクサンドリーヌ、日参されていらっしゃるのね。感心いたしますわ。
あなたのような真面目さだけがご自分の長所だと信じている方が、この宮廷の良心となって下さることを大いに期待しておりますわ!」
・・・・本当に相変わらずの余計な一言に、腹が立つどころか不覚にも懐かしさすら覚えてしまい思わずクスリ、と微笑ってしまったのですが、それがどうやら彼女の癇にさわったようです。
「先日、庭園でわたくしの恋人に余計な色目を使ったことは大目に見てもよろしいけど、今後一切お互いの利害の一致がない限りは、どうぞお近づきにならないで下さいましね!!」
身に覚えの無い中傷です。彼女の恋人なぞ、実は顔どころか風体すら覚えていないのですから。
「フランシーヌ、わたくし誓って申し上げますが貴女のお友達に対して何ら特別な感情は抱いておりません。それどころかお顔やお名前すら存じ上げておりませんものを、一体どうやってその方の気を引こうなどと考えられるでしょうかしら?
お望みどおり、わたくしは自ら貴女のお傍につこうなどとは一切考えておりませんので、どうか余計な気苦労などなさらぬようお願い申し上げますわ。」
オーロールは扇子で顔を隠すことなく笑い、フランシーヌは怒りに顔を火照らせながら勢いよく部屋を出て行きました。まるで通り雨のような方です。
「貴女にしては上出来だわ、アレクサンドリーヌ。
フランシーヌはね、今お若い恋人に夢中なのよ。そのル・ポルティエ伯なる若干20歳の若貴族様に入れあげ過ぎて、あの方は偉大なパトロンだったロアン卿を失ってしまったのよ。
浅はかにも程があるわ。
そういう訳でフランシーヌはとにかく王妃様にすがり付こうと必死なの。
ポリニャック夫人に渡した賄賂は一体どれだけの額になっているのかしら。」
そんな話しはわたくしにとって本当に他人事ではなかったので、なにやら身につまされたのです。
考えてみれば、フランシーヌの方が自分の気持ちを貫いた部分では、人間らしいと言えましょう。
わたくしは宮廷人として生きる道と引き換えに、アンリを捨てたのですから・・・・。
王妃様が離宮に続く森を買い取り、そこにご自分の村里をお作りになるというお話しが、宮廷内で聞かれるようになりました。
ノルマンディの田舎家をモデルにした王妃様のための別荘は広大な森を残しつつ、人口の釣堀池をはり、そこに数百の鯉が放され牛や羊を飼うための酪農場や農家、粉引き小屋までもあり、池から森に流れる小さな小川には白鳥やカモ、あひるが浮かび粉引き農夫や糸紡ぎの女性までが雇い入れられたのです。少なくとも後年、わたくしが一度だけ訪れた「王妃の村里」は、おとぎ話しを現実に作ってしまったような場所でした。
そうして天井知らずの予算で贅沢を愉しむ王室の生活の裏で、国民が凶作に嘆き、重税に苦しみながら中傷ビラに名指しされたお方をより一層、憎悪するようになっていったのです。
その頃わたくしは日毎夜毎の音楽会や舞踏会に参上しては顔を売り込み、大小は問わずに宮廷の様子を伺いました。懸命に宮廷人の相互関係を把握し、いつどこで巡ってくるか判らないながらも待っていた機会を最大限に活かす努力をしなければ・・・・
国王陛下は舞踏会にはお付き合い程度しかお出でになりません。
王妃様はもちろん、いつだって主役でした。
大勢のお取り巻きを従え、軽やかに笑い、踊り最新のモードをお示しになるのです。
いつお声がかりがあってもいいように、王妃様のお気に召す態度、身なり、作法を心がけたものですが、「側近団」の強固な壁を崩せるなどあろうはずもなく、毎晩身も心も疲れ果てて館に戻るのでした。
ある晩の宮廷舞踏会で、若い紳士がワルツのお相手にわたくしを所望して下さいました。
彼は一言で言うと「ギャラントリー」です。
きちんとした身なりは言うまでもなく、美しくカールされたブロンドに趣味のよいフローラルの香り、品のある物腰に明朗な笑顔、甘い戯言、澱みないステップ・・・洗練されている完璧な紳士。
近衛士官であったレオナール・ド・シュヴェルネの名は、ブドワ-ルの寝台の上で伺いました。
とても情熱的なお方で、すっかりその気にさせていただいたわたくしはお名前すら存じ上げない殿方をお部屋に招き入れるなどと言う少々やんちゃな事をしてしまいましたが、それを女性に後悔させない程の魅力が彼にはあります。
「貴女は何故か、とても寂しげな眼をしていますがそれが余計に愛しさを駆り立てます。
どうかわたしにだけは、その寂しさを打ち明けてくださいませんか・・・?
わたしは貴女が思うよりもずっと、そしてもっと以前から貴女に夢中なのですよ。」
レオナールの話しではわたくし達はすでに謁見の間に控える部屋でお会いしていたそうです。
わたくしがあの女官に何故王妃様にお会いできないのか、喰ってかかってしまった失態を演じた時に、
扉の陰にいらしてその一部始終を見守っていたそうです。かえって遠慮の無い物言いが、彼のような真から貴族の人間には新鮮に映ったのでしょうか。
「わたくしを町娘のように愛して、その後はどうなさるのかしら?
寂しさと言うものは秘めているしかないから、寂しさと言うのですよ。
わたくしの気持ちも同じように愛してくださるのなら、わたくしの心を無理やりに開けてほしいなどとは、もうおっしゃらないで下さいませね。」
彼は再びしとねに戻ると、わたくしに永遠の愛を誓いながら蝋燭の灯りが消えるまでお互いの身体の熱を分かち合ったのでした。
宮廷の噂の広がり方はとてもすばやく、わたくしはしばらくそのお話しの主人公でした。
レオナールと一緒に庭園をお散歩していただけで、すでに周囲は称美と嫉妬にうずまく視線でわたくし達に投げかけていました。
事実、オーロールに彼の事を話すと、とても驚いた顔をして
「まさか貴女がレオナール様を落とすなんて!!
ああ、本当に貴女ってお勉強熱心なのね!そうやって自分の魅力をこの宮廷で存分に活かそうとする貴女はとても素敵よ。 パリにいた可愛いだけの小娘とは違っていてよ。」
などと身に余る賛辞をわたくしにくれました。
レオナールとの恋愛は、すべてが受身でいられた分、アンリの時とは違う開放感があったように思います。わたくしと同い年の彼には奥様がいらっしゃいましたが子供はおりませんでした。奥様はベルギーからいらした方で、やはり当然の事ながら貴族らしい力関係を考慮されてのご結婚だそうです。
レオナールの奥様は先代の国王陛下の子女であるヴィクトワール様の女官についてお世話をされていらっしゃるそうです。それぞれが貴族らしく生活している様は、わたくしなどには羨ましく感じられたものでした。
レオナール自身は夜毎に花を贈ってくださるのは当たり前で、お芝居に、遠乗りに、舞踏会にとわたくしを伴ってくださるのでした。その頃はわたくしも女性の盛りで、レオナールに磨かれていく自分自身に大いに満足しました。
ひとつの恋愛が今が盛りと咲き誇ると、不思議なものでその花の蜜を求めてやってくるその他の殿方も増えてきてわたくしのブドワールは今や華やかな笑い声と美しい花束、素晴らしい贈り物の山の中で愛を営む、といった様相です。
わたくしの「社交家」っぷりには、夫も惜しみない賛辞をくれましたし、宮廷の貴婦人方にも(その大胆な貴族的放蕩生活が認められたのか?)徐々にお友達が増えていきました。最も、その大半はレオナールを欲しての友情でありましたが。
そうして宮廷の中で、舞踏会に参加しても隅に置かれなくなってきた矢先の事でした。
わたくしはいつもの様に、レオナールと共に宮廷の舞踏会に参りました。
楽しい会話と流れる音楽に包まれながら踊っていると、そこに王妃様が側近団を従えておなりになったのです。一同はすばやく列を成し、お辞儀をしながらお声がかかるのを待ちます。
レオナールとわたくしも王妃様がいらした時にお辞儀をしていますと、レオナールにお声をかけられたのです。
「レオナール、貴方が最近お仕事に精を出せないのは可愛いお方に夢中だからと伺いましたわ。
それがこちらの方ね?」
レオナールは微笑みながら、
「左様でございます、王后陛下。こちらの御夫人はマダム・ド・ラカーユでございます。しかしながらわたくしは職務を軽んじているわけではございません事を、どうかお知りおき下さいますよう。」
王妃様はわたくしに目を向け、悠然と微笑まれるとゆっくりとわたくしに近づいてから
「ラカーユ夫人、ヴェルサイユを愉しまれる事をお祈りいたしますわ。
来週の国王陛下主催のオペラにもぜひ、ご参加くださいましね。」
突然、お声がかかった事に一瞬とまどいながらも、わたくしは声を絞り出すように王妃様にお礼をいたしました。
「身に余るお言葉を頂戴いたしまして、有難うございます。・・・王后陛下。」
ごきげんよう、と軽やかに大きなタフタと共に通り過ぎてゆく王妃様にはなんら緊張感はなく、まるで子供が花壇を荒らすように手当たり次第にお声をかけていかれる様を見て、わたくしはなんとも言いがたい不可解さを覚えたのでした。
王室の頂点にあるお方が、なんの威圧感すらなく少女のようにおしゃべりをしてダンスに興じる・・・
その気の抜き方は言いようの無い不安すら、感じられずにはおれません。
「王妃様にはもうなにも見えていらっしゃらないのですわね。
恐らく、フェルセン伯とあの馬鹿げた村里の完成しか・・・
わたくしそろそろこの宮廷をお暇しようと思いまして、ご挨拶をさせてもらいに伺ったのですよ。
レオナール、そしてお若いマダムも、どうかお幸せに。」
レオナールにそう言ってきた方は名門モンモランシー家の奥様でした。
王妃様は古い名家より新たなお取り巻きにだけ甘い権力を与え、すでに王室の品位は失われたというのが、この奥様をヴェルサイユに居づらくさせた理由でした。
レオナールは丁重に奥様を控えの間にお連れして、馬車が来るまで付き添っていて差し上げたのでした。
遠ざかるモンモランシー家の紋章つき馬車を見つめながら、レオナールはつぶやいたのです。
「貴族にこれだけ見放された王室は、これからどうすればいいのか・・・
もうそろそろ気づかれてもよろしいはずなのに。」
宮殿の舞踏会は、それでもいよいよ熱を帯びて香水と宝石の波にむせかえるのでした。