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1.「序」

ある女の、他愛もない一生を紹介しよう。


彼女はアレクサンドリーヌ。

18世紀のフランスにブルジョアの娘として生まれ、

貴族の奥様になり、娼婦として死んだ。



この話はアレクサンドリーヌの回顧録メモワールをイギリスで偶然入手した私の、ほんの手慰み程度の

脚色を織り交ぜてご披露しようというだけの物。

時代は移ろいやすく、人々の記憶なぞ春の陽炎のごとく何の頼りにもならないことだし、

陳腐ながらも華やかな宮廷生活とその崩壊を、少しばかり垣間見ることも一興かと思われる。





~わたくし、アレクサンドリーヌ・ソフィー・フロランス・オージェは1760年、パリにて生まれました。


生まれた時のことを詳しくお伝え出来るなぞ、およそ無理なお話でしょうね。


ただ、この日記(私は回想録メモワールという言い方のほうが、余計に好ましく思われます)は


そろそろ人生という何重にも想いのひだがかさなる階段を、ようやく登りつめようとしている今のわた


くしが解けかけた記憶の糸を紡ぎたいだけの、むかし昔の「お話」だとお思いくださいませ。





わたくしの父はパリで絹織物の問屋を営む商人でした。


顧客の中にはドルレアン公爵様やヴェルサイユの司教様、あのルイ15世国王陛下の公式愛妾メトレス・アンティートルとして国政をも動かされていたポンパドゥール伯爵夫人などもいらしたことは、

父のお店の台帳などに残されておりました。それはわたくし達家族がなんら生活に心配などしていなかったという、大きな証拠でございましょう? ええ、つまりは「ブルジョア」という身分である以外、

何の官職も持たない貴族に比べてもよほど貴族らしい生活をしていたと言ってもよろしいかと存じますわ。 お金ならいくらでも支払う「貴族」のお客様に潤される「平民」のわたくし達・・・


考えてみれば、なんの気まぐれも起こさずにあのまま同じブルジョア出身の殿方と、ありていの結婚で

満足していれば・・・、今こうして薄暗くて隙間風の入る異国の安アパルトマンでぼやく事もなかったのでしょうね。 あの頃はそんな事考えもしないほど、ただ宮廷に憧れていた小娘でしたから。



わたくしは3人目の末娘として生まれたので、特になんら期待はされていなかったと思います。

父は店を広げる事に精を出し、母はそこそこ広がってきた上流階級の奥様方との社交で忙しく、わたくしは9歳まで乳母のもとで暮らしました。 



10歳の時です。

わたくしはアレスの修道院に移っていました。そこでは裁縫や家事、読み書きを教わりつつも退屈な日々を送っていたので、折からの「王太子様ご成婚」のニュースは大変、浮き足立つものでした。

「王太子妃にはハプスブルク家のアントワネット様がお決まりになられたそうですよ。」


ハプスブルク家のお姫様・・・。

あの女帝、マリア・テレジア皇后の血を分けた、正真正銘のお姫様。

田舎の小さな街の沿道にも、若いお妃さまの絵が広まり、まるで「天使のような美しいお姫様」と謳う・・・。こんな素敵なご結婚はこの世にふたつとないでしょう。そう思ったものでした。

一足先にパリに帰っていたお姉さまに伺ったところ、パリは連日お祭り騒ぎで寝る暇もないそうです。


それから3年後に、わたくしは13歳になっていたのでパリの自宅に戻ることになります。

丁度時を同じくして、王太子殿下と王太子妃殿下のパリ訪問が行われ、パリでは振る舞いのワインがあふれ、沢山の芸人、鳴り止まぬ音楽、降るような花飾りの波、色とりどりのお菓子、夜空を彩る花火と田舎暮らしをしていたわたくしにはかなり刺激的な帰宅となりました。

自宅のバルコニーから、そっとお二方のお顔を拝見したわたくしは、そのあまりに豪華なお妃さまのドレスに目がくらみ、立ち上がれない程でしたわ。

あふれるリヨンの妖精の羽根のようなレース飾り、花飾りと金糸で縁取ったオパール色の絹のドレスに夜空の星を編み上げてしまったようなダイアとパールのネックレス・・・。

あのお方・・・王太子妃マリー・アントワネット様にふさわしいお召し物であることは言うまでもありませんが、誰だってあのような絵から抜け出てこられたようなお妃様を見てしまったら、わたくしのような小娘が憧れを抱くのは当然でしょう?

あの日のあの瞬間から、わたくしには何か小さくとも燃えるような決意が心の中で生まれてしまったことは、止めようもない事実なのでした。


「お妃さまのようなドレスを着てみたい。

 いつか、あの方の宮廷に参じてみたい・・・。」



田舎育ちの町人の娘にとって、そう言った憧れはエデンの園と同じ意味をもつものです。

ただ、そこにある禁断の木の実にはまだ気づいてはいなかったのですけれど。

あるいは気づいていたけれども、気づかぬ振りをしていた、とでも言うべきでしょうかしらね・・・。


 

パリに戻り、まずは「当世ブルジョアのご令嬢」にふさわしい教養と作法を母や教育係のマーニュ夫人とアンリ・ブランシャール(この男性は恐らく大学生で、当時歴史や文学などをブルジョアの子弟に仕込む、家庭教師のようなことで生計を立てていたと思われる)から教わっていました。 


マーニュ夫人の口癖はこうです。


「マドモアゼル・オージェ、エレガントであること!!ただそれのみです!」



お食事をマーニュ夫人とご一緒する時など、それはもう戦々恐々としておりました。

あの方にはまるで身体中に眼がついているかのように、離れた席のわたくしに向かって、


「スプーンを口元に運ぶ時に、背中を曲げてはいけませんよ!それでは、まるでロバのようです。」


デザートアントルメは全てのお食事皿が引いてからです!!」


「にこやかな笑顔でお食事中も絶え間なく全ての者に眼を向けること!お食事がメインではありませんのよ!会話がメインなのです!!」


ねぇ、いかがなものですか?これではまるで軍隊のようでしょう?

そこに給仕が美味しそうで繊細なお菓子プティ・フールを持ってきても、なにをいただいているのか、その甘美な味わいも消し飛ぶのですから。 それが作法と言われてしまえば、ええ、本当にあのマダムのおっしゃる通りなのでしょうけど。あの方の教育のお陰で、わたくしのような平民出の者でも、

数年間はヴェルサイユで生活出来たのですものね。もちろん感謝はしております。



それに引き換え、あの麗しのアンリ先生はそれは素敵な青年でしたわ。

わたくしのはじめて抱いた淡い恋心・・・などという物があるとしたら、それはきっとあの方に対しての幼い想いでしょうね。

いつだってアンリ先生のお話してくださる神話や歴史、文学の世界はまるで玉手箱のように、キラキラと輝いておりました。

先生が朗読なぞされる日は、母までも髪を結いなおして勉強部屋に押しかけてきたものですから、わたくしは少々不機嫌になったものでした。先生との二人きりの時間を邪魔されることが何より不愉快でしたの。子供の憧れだったとは言え、女性というのはたとえ何歳でも恋の炎に水をさされる事に対しては、ひどく敏感になるものですね。懐かしいけれど、あの頃の幼く瑞々しい気持ちが思い出されます。


アンリ先生がいらっしゃる時間までに、わたくしは覚えたてのお化粧をして、髪は毎回小間使いに違う結い方をさせました。流行ア・ラ・モードをさりなげなく取り入れなければ、先生に野暮ったい田舎娘と思われてしまいますもの。

髪飾りはわたくし、いつもピンクのバラや沈丁花がお気に入りでした。ですからドレスにも必ずバラの花飾りで縁取っていただくよう、服飾人クチュリエールにお願いしたものですわ。彼女はいつだって少女の夢を代弁してくださる繊細なドレスを仕立ててくださいました。けれども、のちのちにあの

ローズ・ベルタン(マリー・アントワネットの専属デザイナーとなった服飾人)にかなりの顧客を奪われてしまい、とうとうドイツに渡ったと聞いております・・・。

香水をふりまき、しなをつくり、胸元の大きく開いたデコルテで着飾ってみても先生はわたくしの魅力を詩に詠んで下さる事など、一度たりともございませんでした。

そしてある時、先生がわたくしに手紙の書き方を課題として出された時に、なかなかお戻りにならない先生を探して屋敷中を歩くうちに決定的なものを見てしまったのです。

母の薄紅色と金の装飾で飾り立てた主婦部屋ブドワールの寝台に横たわるのは、間違いなく母と、

アンリ先生でした。

母のあられもない姿が、こんなにも美しいと感じるのはきっとアンリ先生のギリシャ彫刻のような姿態に抱かれているからでしょう。哀しみとも怒りともつかない涙でお化粧が流れないうちに、わたくしは

そっと書斎にもどると先程の課題に取り掛かりました。

「遠くに恋人を想い慕う恋文」というお題目の手紙は、その日アンリ先生からほぼ満点をいただきました。こうして、わたくしの幼い恋はまことにあっけなく終わってしまったのです・・・




わたくしがルソーの「新エロイーズヌーベル・エロイーズ」のような、そんな恋愛を求めながらも毎日の課題に忙しくしていた頃、ルイ15世国王陛下が崩御されたのでした。




















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