第三話 舞い降りる森の風
「これがその絵?」
「そうなの」
「綺麗な絵」
アンは素直に感心した。
リビィの言うとおりに不思議な扉がある。
それなのにおかしくないのだ。
風景画としてこんなものが当たり前のように存在するという言い方で正しいのかは分からないが、この絵ではこれが正解なのだと理解した。
「うーん、あんたのお父さんって天才?」
アンがそう言うとリビィは嬉しそうに微笑う。
「パパを褒めてくれて有り難う」
「ふむふむ、そうかあ、これがリビィの言う扉かあ。確かに今直ぐにでも開きそうな扉してるよね」
アンの言うとおりで、本当に扉は今にも開きそうなのに今も閉じたままだ。
「うん、そうなの。だけどあの日以来、開いてくれないけどね」
「それは残念」
「でもね、ヴァーンとは約束したからきっと来てくれると思うの」
「ね、ヴァーンって?」
「……私の王子様。約束したの、四年後に逢おうって。向こうで初めて逢ったのもヴァーンなんだよ」
躊躇いがちに頬を染めながらリビィはそう言い、アンはその様子がとても愛らしいと感じた。
「へえ、ロマンチック!」
だから思ったまま素直に言葉を口にする。
「んで、その世界にはペガサスがいて、妖精がいるんだよね? そしてなんと王子様もいると!」
リビィの話す王子様と自分の国の王室などを考えると大分差異がある気がするとアンは思うが、恐らくそれは当たっているのだろう。
「うん、森の国って言ってね、名前の通りに森に囲まれた国なの。すごく空気も綺麗なんだよ、それでね、住んでる人たちなんて誰もが親切でとっても素敵で最高なの! 後ね、ヴァーンのお父さんが王様なんだけど、とっても威厳があるけど威張ってない立派な人。王妃様も美人で優しい人なのよ」
「王政なんだ?」
「うん、そう。イギリスとはちょっと違ってて、あちらでは統治もしているけど、人々が生き生きしているから絶対にいい王様だよ」
「それはいい王様だね。威張ってないってのがまたいい」
「ヴァーンもね、王子様なのにとても気さくなの。優しくて、格好よくて」
「リビィってば本当にヴァーンのことが好きなんだ?」
「……うん、大好き」
「俗に言う運命の相手ってヤツ?」
「そうだと思う。私ね、あっちで『金色の乙女』って呼ばれてたの。世界を繋ぐ役目があるってリア=リーンが言ってたけど」
「リア=リーン?」
「占い師。すごく不思議な子だけど、しっかりしてるんだよね。お金には特に」
「ほほお、こっちで言う占い師と違うの?」
「んー、何処でも変わらないって本人は言ってたけど、私には特別に見えたよ」
「その子が予言したの?」
「うん、四年後にまた会えるって」
「なるほど、それで今年がその四年目なのかあ」
「そうなんだ。待ってるけど、少し不安にもなっちゃうこともあるよ」
「本当に来てくれるかどうかってこと?」
「だってアン、数日しか会ってない相手のこと、覚えてる?」
「いやあ、そんだけドラマチックなら忘れたりしないよ」
ほんの少ししか聞いていないアンから見てもリビィにとってヴァーンという少年や森の国がいかに特別かは理解できる。
どんな世界なのだろうと想像するだけでも楽しいとも思うのだから、それを実際に体験したリビィはもっとに違いない。
「そう、かな?」
リビィも今か今かと一日千秋の思いで待っているのだが、いざその時が近付いてくれば不安にもなる。
本当にヴァーンは約束を覚えてくれているだろうかと、自分だけの独り相撲ではないかと。
何しろ、手紙の一つも交わせなかった。
会えたのはあのときだけで、約束を信じているからこそ気持ちは揺らいでしまうことがある。
「だいたい、可愛くて美人なリビィを忘れるなんてないって」
「だといいなあ」
可愛くて美人と言われて思わず照れるが、そこは素直に受け入れることにした。
「んー、でもそうなるとさ、リビィはあっち行っちゃうのか。カレッジへ一緒に行けないのはちょっと残念かな」
「そうね、そこはとっても残念だわ。私もアンといるのは楽しいし」
そんな会話をしていると、アンが一つのことに気が付いた。
「あれ、扉……」
「え?」
「ほら、少し開いてるように見えない?」
「……」
言われてみれば少し扉が開いているように見え、光も見える気がした。
リビィには覚えのある光だ。
そう思った瞬間、急に絵が輝き出し、あっと言う間に屋根裏全体を包み込んでいく。
「きゃ?!」
リビィもアンも突然の事態に驚き、何ごとかと思うが、それに対して何ができるわけではない。
ただ、それが不快でないことは理解していた。
リビィが絵を見れば、扉が開いていたのが分かる。
「扉が……開いた?」
思わずそう呟いた時、ふいに風が吹いた。
それはリビィにとってとても懐かしい匂いを運んでくる。
日数にすればたった数日。
けれど、その日々は宝物。
忘れたことなど一日たりとてない。
「リビィ」
そう呼ぶ声は以前よりも大分低くはなっていたものの、紛れもなくリビィの知る彼のものだと分かった。
慌ててリビィが振り返るとそこには彼がいた。
リビィが覚えている彼の姿より背は大分高くなり、髪も伸びて長くなっており、それを簡素にまとめているが、それが彼にとても似合っている。
「……ヴァーン?」
確認するようにリビィが名を呼べば、直ぐさま返事が来た。
「ああ、そうだよ、リビィ」
「本当にヴァーンなの?」
「こんな時に嘘なんて言わないさ。約束通りに迎えに来たよ」
やんちゃだった様子は潜めているが、彼の優しい笑顔は相変わらず変わらない。
リビィがずっと待っていたヴァーンがそこにはいた。
リビィは瞳に涙をいっぱいためて彼を見つめる。
ねえ、本当に、本当に?
ヴァーンが私の前にいるの?
「嘘、じゃないよね?」
「夢でもないよ」
くすりと悪戯っぽく微笑うヴァーンの仕草は確かに間違いなく彼だった。
「ヴァーン!」
再度、彼の名前を呼ぶと今度は走り出し、少女は待ち人のところへと急ぎ向かう。
「――逢いたかった! 逢いたかったの、ずっとずっとっ!!」
そのままの勢いでヴァーンに抱き付いて感情のままに気持ちを吐露した。
今まで我慢していたものを吐き出すかのように後から後から溢れてくる言葉たち。
「うん、俺もだよ。ずっとこの時を待っていたんだ」
優しくリビィの頭を撫でながらそう言い、ヴァーンは宝物のようにそっと抱き締め返した。
「わ、私も待ってた……待ってたんだけど」
勢いのまま彼の胸に飛び込んだが、この後どうしたらいいか分からない。
ヴァーンってばすごく逞しくなってるし、手だって私を包み込んじゃうくらい大きくて。
どんどん胸が高鳴っていくのが自分でも分かる。
でも、こんな気持ちが――とても心地よかった。
ヴァーンもそうかな?
そうだといいな。
そんなリビィの気を知ってか知らずか、ヴァーンは彼女の髪を一房、手に取ると軽く絡ませ、そっとそれにキスをした。
「――っ」
途端、リビィの鼓動が跳ね上がる。
そ、それって……
その所作はヴァーンの妹であるエラに聞いたことがある。
森の国では愛おしい人の髪に口づけるのは求愛の行為の一つだと。
ヴァ、ヴァーンも私のこと好き?
好きでいてくれる?
ああ、それにしてもヴァーンに会えるのと分かっていたら、もっとお洒落にしていたのに!
まったくもっての普段着、おまけに学校があった日だから当たり前にノーメイクである。
乙女心としては複雑にもなるというものだ。
「ああ、それにしてもリビィ、綺麗になったね」
リビィの思いなど知る由も無いヴァーンにしてみれば幼く愛らしい少女から、大人の女性への階段を上っている途中だろう彼女との再会は思った以上にドラマチックだった。
彼が覚えているリビィは元気いっぱいの少女だったが、時折、彼女が見せる表情には胸がときめいたことを思い返す。
そして、今、その感情が自分の中に押し寄せてくるのが分かった。
ずっと彼の中に住み続けていた想い、それが何かなど問うまでもない。
熱っぽい瞳に見つめられ、リビィは頬を染めつつもヴァーンを見つめ返した。
「有り難う……ヴァーンは格好良くなったね!」
本当にそう思ったからリビィはそう伝える。
見違えるとはこのことかもしれない。
ヴァーンにとってもそうであればいいな。
「そう? それなら嬉しいな」
照れくさそうに笑う仕草がまた彼らしく、それでいてまた大人びても見える。
そこにまたドキドキしてしまった。
「どうしたの?」
「なんかね、胸がいっぱいで、上手く話せなくて」
そうして二人が再会を喜ぶ中、ある意味で取り残されたアンはそれをつぶさに見つめていた。
目の前の光景に驚いてはいる、いろんな意味で。
まず、不思議な絵の扉が彼女らの前で確かに開いた。
そしてそれが光り出したら男の人が現れるという前代未聞な事態になり、友人の様子からして今さっき聞いたばかりのリビィの王子様らしい。
「うわあ、本当に人が出てきた……!」
アンは我知らずそう呟いていた。
彼女は決してリビィの言うことを信じてなかったわけではない。
けれど不測の事態というものを実際に体験すれば、驚愕してしまうものだ。
それきり二の句が継げないでいるアンに気が付いて、リビィはとびきりの笑顔を向けてヴァーンを紹介する。
「アン、ヴァーンよ、森の国の王子様」
その時にアンには私の王子様と聞こえたような気がした。
「なんとまあ、夢を見てるみたいだけど、これは現実に起きてるわけよね! 初めまして、ヴァーン様?って呼べばいいのかしらね」
王族相手ならばそれ相応の対応がいるだろうとアンは判断したが、ヴァーンはそれを優しく止めた。
「リビィの友だちでしょう? でしたら遠慮は不要です。はじめまして、俺は森の国が王ヴォート=サイラス・バウ=ム=ヴァルツェンの息子、ヴァーン・サイス=バウ=ム=ヴァルツェンと申します。どうぞ気軽にヴァーンと呼んでください」
恭しく一礼をし、挨拶をしてくる彼にアンは好印象を持った。
「ご丁寧に有り難う。私はアナベル=メイザーよ。私のこともアンと呼んでね、ヴァーン。敬語はいらないわ」
実際、堅苦しいのは苦手だし、何となく相手もそうではないかと思ったのだ。
「分かった、アン。遠慮なくそう呼ばせてもらうよ」
それは間違いではないようだ。
目前の青年はよかったというように彼女に微笑んできた。
「ヴァーンもアンも堅苦しいの苦手だもんね」
「それはリビィもだろう?」
「当たり!」
悪戯っぽい表情でリビィはそう言い、アンの知っている優等生はそこにはいない。
年相応の彼女がいた。
なるほど素のリビィってこうなんだ。
そうアンは感心する。
「なに? アン」
「いや、リビィって本当に見事な猫かぶりしてたのねえって」
「面倒臭かったのよ、いろいろね」
「確かに今見ててもそれは正しいって分かるわ。トムみたいなのが多いもんね」
「そうなのよ。本当に」
「トム?」
「私の幼馴染みって言ってもいいのかな? 私のこと、嫌いなのよ、多分」
「ふうん、男?」
「そうね、一応は」
ふーっとため息を吐くリビィを眺めつつ、少し眉をヴァーンはひそめた。
「……リビィに構って欲しいからとかではなくて?」
「違うと思うわよ。勢いとはいえ、あいつにファンタジーワールドのことを話したことだけは未だに後悔してるわ」
リビィにしてみればとても嬉しくて不思議な出来事だったから、その頃は仲のよかったトムに話してみただけのこと。
けれど、反応は芳しくないどころか、真っ向から否定してきたのだ。
そんな作り話を信じて馬鹿みたいだと言われたのを決して忘れたりはしない。
元から信心深いところはあったが、一緒に絵本を読んだりしていたのでリビィなりに心を許していた相手だった。
結局、それは裏切られたわけだが。
が、アンが神妙な顔になり、なるほどと言った。
「それもあるかもねえ」
そう、絡んでこなければいいだけのことなのに、彼は執拗にリビィに構う。
恐らくヴァーンが気にしているのもそこだろうとアンは思う。
「あいつ、何だかんだでリビィと関わろうと必死なのかもよ」
「嫌よ、迷惑」
「はっきり言うわね」
「事実よ。ほら、|As the twig is bent, so grows the tree.《若枝の曲がりは、そのまま木の成長になる》って言うじゃない? トムみたいなヤツが小さいころからの考えなんてそうそう変わらないわよ」
確かそれを何処かでは三つ子の魂百までとか言うらしいことをリビィは思い出す。
父がいろいろな国のことを話してくれたものだから、それが何処の国かは忘れてしまったが。
「それと好きは別じゃないの?」
「たとえそれが本当でも私にとっては関係ないわね」
リビィとしてはせっかくヴァーンと会えたのだから不快な話はしたくはないのだが、ヴァーンはどうやら違うらしい。
「確認するけど、リビィはそいつを何とも?」
「? ええ、そうよ、どっちかと言えば嫌いかな。本当は人を好き嫌いで言うのよくないんだろうけど」
けれど彼女にとってとても大事で、大切な出来事を彼はあっさりとひどく否定した。
それはリビィにとっては許せないことなのだ。
信じないこと自体は構わない。
体験した当人でさえ、驚く体験だったのだから。
幼いころ、友人と信じていたからこそ興奮して話すリビィに彼はこう言ったのだ、『馬鹿な夢見てないでよ。
神様に怒られるよ?
』と。
現在に至るまでトムがしていることはリビィの心を踏みにじっている行為だけで、だからこそ許せない。
表向きは流しているが、本当は怒鳴りつけてやりたいといつでも思っているくらいだ。
「そう、それならいいんだけどね」
「変なヴァーン……」
何故だか少し不機嫌な様子に見えたが、リビィとしては分からない。
「リビィ、たまに鈍感ね」
アンがそう突っ込んできたので、更に困惑した。
「え? 何?」
「リビィがそいつに関して何とも思ってないのならいいよ」
「ヴァーンもお疲れ様。あ、それよりさ、リビィはヴァーンの世界に行くわけよね?」
「うん、そのつもりよ。勿論、私の家族に会ってもらってからだけど。ヴァーンをちゃんとみんなに紹介したいし」
あの日々をことあるごとに家族には話していたけれど、実際に彼を会わせるのは当たり前だが、初めてだ。
「……ねえ、私も一緒に行けないかしら? ちょうど夏休みだし」
アンは二人に向かってそうお願いをしてみた。
リビィがあれほどに夢中になっている世界だ。
是非覗いてみたいと思ったのである。
「ヴァーンはどう思う? アンは変なことしたりしないし、吹聴したりもしないよ」
「多分、平気かな。リア=リーンが言ったのはこれかも。思わぬ変化があるってさ」
「あ、リビィの言ってた占い師の人ね? 会ってみたい!」
リビィの話だけなんて勿体ないとアンは続けた。
「好奇心旺盛だね、アンは」
「私の友だちだからね、当然かな」
ヴァーンが感心したようにそう言うとリビィも同意する。
「ところで、ヴァーンがさっきから話してるのは英語に聞こえるけど?」
「え?」
「そう、リビィは理解るわ。だって聞いてるだけで特別だもの。だけど、どうして私にも分かるの?」
アンにとっては一番の疑問だ。
彼女の耳に届くのは綺麗な英語に聞こえる。
けれど、彼は異界の人間なのだから言葉も違うはずだ。
「……考えたこともなかったな」
「私もないや。話せるからそれでいいって思ってた」
リビィもヴァーンもあまり考えていなかったらしい。
「まあ、魔法のある世界だから自動通訳機とかあるのかしらね」
アンがそう言うと、二人はそれに頷いた。
「そうかも知れないね。もともと一つの世界だったから共通点もあるみたいだし」
「きっとそうよ。にしてもアンって頭良いわ。私、今初めて気が付いたもの」
「俺も」
言葉が通じるから気にしない、それはあまりにも彼ららしいとアンは思う。
そしてその中に入れる自分も何処か誇らしかった。
「二人はなんか似てるのね」
「そう?」
「それは光栄と言っていいのかな」
「言っていいわね」
そんな会話をしながら三人はそのまま、しばし時間を忘れて談笑を楽しんでいた。
まるで古くからの友人であったかのように自然に。
そして――この出会いが三人に新たな運命をもたらすことを、まだ誰も知らなかった。




