魔剣の持ち主
母が入院するサナトリウムに、カンノーロ・シシルアーノを届けると、セラは優しく微笑んでそれを受け取った。
「どうしたの?」
ノルドは、冒険者たちと一緒に食事をしたことを話した。セラは楽しそうにいくつか質問を重ね、ノルドの返事に頷きながらにこにこと聞いていた。
けれど、貴族の荷運びの話になった途端、彼女の表情が曇った。
「大丈夫だよ。上手くやるよ」
思わず口にした言葉だったが、ノルドはすぐに後悔した。余計なことまで話して、また心配をかけてしまった。
「それより、食べてみてよ」
「うん。……美味しいわ。でも、一人では食べきれないから、看護師さんたちにも分けていいかしら?」
「もちろん。これからも、いろいろ持ってくるよ」
本当は、もう少しこのまま話していたかった。けれど、夜の検診巡回の時間が迫っていて、仕方なく立ち上がる。
廊下に出た瞬間、涼やかな声が響いた。
「ノルド君。今晩は」
声の主は、知的な顔立ちの長身の女性。純白の白衣をまとい、首元には淡い緑のスカーフを巻いている。
「あ、サルサ様」
このサナトリウムの院長であり、ノルドにとっては恩人でもある。
「元気そうで何より。ポーションも、いつも助かってるよ」
サルサは目を細めて笑った。
「ところで、母の容態は……どうでしょうか?」
「落ち着いているよ。安心したまえ」
そう言った後、ふと彼女は口元に笑みを浮かべる。
「それにしても、カンノーロ・シシルアーノもいいけど……私は、モディナのチョコの方が好みかな」
モディナのチョコ。シシルナ島の山間にある小さな村で、昔ながらの製法で作られるそのチョコレートは、素朴で香り高く、世界中の甘味家に知られている。
ビュアンが食べていたチョコレートケーキにも、確かに使われていた。
サルサ様ほどの人であれば、そんな贈り物も、きっと数え切れないほど受け取ってきたのだろう。
「今度お持ちします。シンプルなのがお好きなんですね?」
「そうだ」
サルサはニヤリと笑った。その笑みは、どこか子どものように無邪気で――けれど、やはり彼女らしい落ち着きもあった。
ノルドは思わず背筋を伸ばしながら、心の中で誓う。
次に来るときは、もっと美味しいものを。もっと母が笑顔になれる時間を。
それが今の自分にできる、ささやかな恩返しなのだと思った。
※
「これは大変な事になった」
ドラガンは頭を抱えた。港町で行われた島主主催の貴族冒険者歓迎会は、何事もなく終わると思われていた。しかし、主賓のラゼル王子の一言で状況は一変した。
彼はワインを飲み、女を侍らせ、上機嫌で壇上に立つと、まるで周囲を挑発するかのように言い放った。
「ダンジョン制覇を目標とします!」
多くの参加者は、歓迎の御礼の挨拶で締めくくればよいものをと考えていた。シシルナ島のダンジョンは中級ダンジョンに認定されており、階層はたったの十。
ただし、出現する魔物はその枠を超え、完全制覇を果たした冒険者はいまだいない。八階層の中ボスを倒すことを「制覇」と呼ぶのが慣例で、参加者たちはそれを当然の認識としていた。
「ラゼル王子、ダンジョンの制覇とは完全制覇を目指すということですよね?」
一人の島会議員が挑発的に尋ねる。彼は王子の虚勢を暴き、政敵の島主ともども馬鹿にするつもりだ。
「もちろん、完全制覇だ。そして目標は、やり遂げるものだ」
ラゼル王子の声には自信が満ちていたが、まばらな拍手が起こる。中には疑念を抱く者たちの冷ややかな視線も混じっていた。
「東方旅団ですら、制覇どまりだがな」
王国の大使が小さく呟く。この大使は、本国との取引で恥をかいたばかりで、ダンジョンの話題には否定的だった。
その声に、王子はむっとした顔を見せた。
「半年……いや、三ヶ月もいらない。見ていたまえ。剣に誓おう!」
王子は背中の剣を抜こうとする。場の雰囲気が一瞬で凍りついた。
「ラゼル様、抜刀はご勘弁を! さて、本日の会はこれにて終了です。ご参加ありがとうございました!」
島主が即座に手を抑え、閉会を宣言する。
会が終わると、ドラガンは慌てて王子に名乗り出て、ダンジョンの危険性について切り出した。
「そのことか。もちろん知っている。しかし、ギルドが何とかしてくれるんだろう、あの迷路と溶岩とか」
ラゼルは軽く返しながら、どこか遠くを見ている。
「いや、それは冒険者が対応することです」
「今日はもういいだろう。そこの美しいお嬢様、少し話をしないかぃ?」
ドラガンの忠告を無視して、王子は周囲の女性を物色し始めた。
「何を言うのですか、ラゼル王子のお仲間様の方が綺麗です」
王子に声をかけられたいがため、着飾った女性がさりげなく口を挟む。
「ははは、君の前では、うちのパーティの女たちなんてどうだろう。僕は、部屋で飲み直したい気分なんだ。一緒に! そうだ、君も!」
王子は二人の女性の腰に手を回し、彼女たちは満更でもない様子で、嬉しそうに連れられて会場を後にした。
ドラガンは、その一瞬の出来事に呆然としていた。
「子供じゃあるまいし、何を驚いているんだ」
監察官のサガンが冷静に声をかける。
「モテる奴はモテるもんだな……」
ドラガンは感心しながらも、心のどこかで焦りを感じていた。
「馬鹿か! あれはスキルだろうが!」
サガンの声には苛立ちが滲んでいる。
「そうなのか?」
「ああ、蜘蛛の糸に蛾がかかっても、罪には問えない。そういう種類のスキルだ」
その説明に納得したのか、ドラガンは話を変えた。
「まあそれはいい。ところで、ノルドには手を出すなよ」
「そのことか。まだ死にたくないからな」
「何を言ってるんだ?」
「相変わらずのお人好しだな。だが、黙秘だ。俺にはまだ、生きてやらなきゃならないことがある」
ドラガンは、喋らなくても表情に出る。そんな奴には話せない。
「ラゼル王子の野望に、ノルドを巻き込んでしまったな……」
ドラガンは呟いた。
「奴は簡単には死なない。いや、死ねないよ。ついている“もの”が許さない限りはな」
「お前がそう言うなら、安心だな」
サガンはドラガンの見当違いな発言を無視して、再び宴会場を見回した。
睨んでいる女、警戒している女、安堵している女。三者三様のラゼルのパーティの女性陣の態度に、サガンは驚愕し、言葉を失った。
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