眠り蛇と昼餉
「行きまーす!」
リコが元気よく叫ぶと、まっすぐ岩壁へ駆け出した。魔物の姿はまだ見えない。だが体がうずき、もう走らずにはいられなかった。
「ずるいぞ、待てーっ!」
サラが眉間に皺を寄せて追いかける。
大柄な体と脚力を活かし、リコは垂直に近い岩壁をぐいぐいと登っていく。二人とも、魔物の潜伏場所はとっくに見抜いていた。鋭い目と鼻が、答えを告げていた。
サラは盗賊らしく別ルートを選び、獲物から少し離れた蔦へと軽やかに飛び移る。そして、目にも留まらぬ速さで──魔小蛇の急所へ、短剣を突き立てた。
「どうだっ!」
得意げな声が岩に反響する。
一方、岩壁の上にたどり着いたリコは、蔦を次々に切り落としながら横飛びした。蔦から蔦へと移るたび、絡みついていた魔小蛇たちが、どさっ、どさっと地面に落ちていく。
「何してるの?」サラが目を丸くする。
「この方が早いでしょ! ノルド、よろしくーっ!」
振り返りざまに叫ぶリコは、もう次の蔦へ飛び移っていた。
「ええ……?」
ノルドは肩をすくめると、武器をそっと服の中に戻し、代わりにリュックから数個の眠り玉──睡眠薬入りの小型煙幕弾を取り出した。本来は秘密にしておきたかったが、今は仕方ない。
「鼻、塞いでー」
仲間たちがスカーフを巻き上げるなか、ノルドは火打石で火をつけ、眠り玉を地上の蔦の山へと投げ込んだ。
ボフッ……ブワッ!
乾いた破裂音のあと、白い煙がもくもくと立ち上る。甘くしびれるような香りが広がり、魔小蛇たちの動きがじわじわと鈍っていく。
──次の瞬間。
リコが、片手で蔦をつかんだまま、もう片手に握ったナイフを閃かせ、斜面を滑るように降りてきた。狙いは定まっていた。隣の蔦にいた魔小蛇たちの急所へ、次々と刃を叩き込んでいく。
キラリと光った刃が急所を突くたび、魔小蛇が煙の中に崩れ落ちた。
「ひゃっはぁーっ! サラ先輩、蛇が逃げちゃいますよーっ! 降りてきてぇ!」
「はいはい、今行く!」
サラも笑いながら、リコを真似てひらりと飛び降りる。二人は白煙の中で、眠りこけた魔小蛇たちを、次々に片づけていった。
それはまるで──燻された枯れ草の中から、焼き栗をひとつずつ拾い上げるような手際だった。
「ふうん、手際が良いのね」
カリスは一連の流れを見届け、小さく息を吐いた。感心とも、驚きともつかぬ声だった。
──本当は、ビュアンが風を封じてくれれば完璧だったのだが。彼女が現れることは、もうない。
「レベル上げに効率が良いので」
ノルドは平然と答えた。
※
その作業は、何度か繰り返された。
二回目には、サラもすっかりリコと同じ動きを身につけていた。ノルドが眠り玉を投げると、ステラがそっと小さな杖を掲げる。
風魔法だ。催眠の煙幕が四散しないよう、最小限の力で、精密にその場へと留めている。
「凄い!」
ノルドは思わず声を上げた。
「何よ。魔法くらい見たことあるでしょ? 別に、たいした魔法じゃないわ。基本の魔法よ」
けれど、ノルドの目には、そこに一流の技術が見えた。昨夜見た妖艶な雰囲気とはまるで違う、突き詰める者だけが持つ、静かな気迫があった。
「次は、あなたの番よ」
「わかりました」
ノルドは迷いなくダガーナイフを手に取り、ククリに隠れていた魔蛇たちを、手際よく、連続で仕留めていく。
「えー、何そのスキル!」サラが驚き、リコは当然といった顔で頷く。
「違います。荷運び人には、直接攻撃のスキルはありません」
「そうね。……よっぽど努力したのね。サラ、あなたに必要な投擲技術よ。教えてもらいなさい!」
「はーい」
彼女は素直に頷いた。
カリスは岩壁沿いを走り、地に落ちた蛇の屍とノルドの投げたナイフを拾い上げ、目を見開く。
「これ……アダマンタイトのナイフよね? あんた、本当は一体何者なの?」
「島の荷運び人ですよ」
ノルドは変わらぬ声で答えたが、カリスの疑いの眼差しは、決して消えなかった。
※
その後、サラとリコに投擲の指導をしていると、ヴァルが魔兎を咥えて戻ってきた。
「お昼ですね。昼食にしましょう」
小川で手と顔を洗い、野原に座って迷宮亭の弁当を広げる。ラゼル王子の同行ということで、特別に用意されたものだった。
いつの間にか、サラとリコはすっかり打ち解けていた。
「なにこれ、美味しいね。あんた、こんなんばっか食ってるから大きくなるのよ」
「ノゾミさんの弁当なんて、普通食べられないよ? あ、でもね、ノルドの母さんのご飯もすっごく美味しいんだよ!」
「ふうん」
興味深げに、サラがノルドの顔を見る。
「あんたの母親って、一流の料理人なの?」
「セラ母さんはね、それだけじゃないんだよ! この服もノルドの服も、そして──聖女様の服も作ったんだよ!」
リコが勢いよく答えた。
「リコ!」
ノルドは慌てて声を上げる。
「ごめんなさい、ノル……」
「大丈夫よ、誰にも言わないわよ」
カリスはそう言ったが、その顔には、どこか計算めいた光があった。
──聖女の礼拝服が、どれほどの価値を持つかを、ノルドたちはまだ知らなかった。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。