ノルドの矜持
次の日、ノルドが冒険者ギルドを訪れると、ドラガンが歩み寄ってきた。
「お待たせしたな。今日の昼には来ると連絡が入った」
「そうですか。実は昨日、港町の花街で、島主様の馬車から降りてくる貴族を見たのですが?」
「ああ、その御仁だな」ドラガンは、渋い顔をした。
ノルドはギルドホールのカウンターで商人と商談をする。
「ポーション三種類は、まだ売ってくれないのか?」
商人は毎度のように切り出してくる。
「悪いが、それはできない。ヴァレンシアにしか売れない」
ノルドは即座に断った。
「ははは、聞いただけだよ」
その名を聞いた瞬間、商人は潔く諦めた。
ノルドの“商売下手”は島では有名だ。だがそれを逆手に取って、余計な虫がつかないよう、大人たちは彼を守る独自のルールを作っている。
彼が作る消火薬や治療薬も、すべて卸値が固定されており、お金の管理はヴァレンシア商会のメグミとリコが担当している。ああ見えて、リコは意外にしっかり者だ。
冒険者の報告書の代筆、帳簿作成、採掘品のリスト作成……荷運び人の仕事ではない部分を終わらせると、ノルドはギルド併設の酒場でひと息ついた。
※
軽微な罰で済んだ荷運び人たちは、釈罪金を払って監獄から出てきた。しかし信頼は戻らず、今もなお冒険者たちに同行を拒まれている者も多い。
そんな彼らは、朝から酒場の隅で安酒をすすりながら、虚ろな一日を過ごしていた。ノルドも書類仕事を終えて、ふと彼らの方を見る。
目が合いそうになると、彼らは視線を逸らし、目を伏せた。島主との関係が明るみに出た今、ノルドに難癖をつけようという勇気のある者はいない。
「裏帳簿もあるんだから、きちんと支払って、謝ればいいのに」
ノルドもまた、彼らのせいで荷運び人の評判が地に落ちたと感じている。だが――冒険者たちにも甘えがあるな、と思い直し、口に出して非難することはしなかった。
本当は、気のいい、心の弱い、ただ疲れた男たちなのだ。
「仕方ない」
小さく息を吐き、給仕係の少女に声をかける。
「これ、彼らの飲み代」
金貨を数枚と、チップを渡す。
「ノルド、あんな奴らに奢る必要ないわよ。一緒にされて監獄に入れられたって……慰謝料はもらえたの?」
そういえば謝罪金の話もあった。だがノルドは断った。母親を侮辱した連中の金など、一銅貨たりとも受け取る気はなかった。
「もう終わったことだし。同職だから。よろしくね」
軽く笑ってそう言うと、ノルドは席を立ち、ドラガンを探してギルド内を歩いた。
外に出ると、道を眺めながら立っているドラガンの姿があった。
「遅いですね……一度家に戻ります。製薬の準備をしておきたいので」
「わかったよ。ミミに呼びに行かせる」
※
ダンジョン町にあるノルドの家は、ギルドからやや離れた、裏通り「シダ通り」の奥にある。高級宿泊施設〈迷宮亭〉の先、静かな区画だ。
〈迷宮亭〉は、ヴァレンシア商会の商会長メグミの妹であるノゾミが、店主兼料理長を務める名店だ。島に数軒しかない、格式と実力を備えた「星喰の書 ⭐︎⭐︎⭐︎」のひとつ。評判は島外にも届いている。
ノルドも過去に一度泊まり、食事をしたことがあった。そのときの味と香りは、今も記憶に残っている。店の前を通ると、仕込みの匂いが、ふとそれを思い出させた。
「あら、ノルド!」
声をかけてきたのは猫人族の給仕長、ネラ。ノゾミのパートナーだ。
ヴァルと並んで通り過ぎようとしたところを、呼び止められた。
「ネラさん。この間お持ちしたモリユ茸はどうでしたか?」
「うん、とっても良かったわ。評判も上々。またサンドイッチ、届けに行くね」
ノルドは、店のコース料理はどうにも苦手だ。製薬に集中していると、食事を摂るのも億劫になる。だからノゾミたちは、頻繁にサンドイッチを差し入れてくれていた。
「ありがとうございます!」
「ワオーン!」
ヴァルはそのままの肉が好きだが、迷宮亭のソースだけは特別に気に入っている。
シシルナ島には、小さな魔物の森がいくつかあるが、規模の大きいものは限られている。ひとつはオルヴァ村、セラ親子が住んでいた家の裏手に広がる森。そしてもうひとつが、この町の外れにあるダンジョンの森だ。
魔物の森には、必ずエルフツリーが生えている。膨大な魔力を秘めたその木は、森を、魔物を、精霊たちを育てている。
だが、この森には――三本も生えている。
その存在こそが、森の“異質さ”の証だった。
エルフツリーの樹液は、ポーションの根幹となる素材であり、森ごとに植物相も異なる。シシルナ島でも、この森にしか存在しない薬草や魔物が数多く棲息している。
ノルドには、この森で瀕死の重傷を負った過去があった。特殊な「バインドカズラ」の群生と、グリムエイプの大群。それは、死線だった。
「あの時は、まだ弱かったからな」
「ワオーン!」
――だが、今は違う。ヴァルは胸を張る。
あれから五年。ノルド自身の秘めた力も、仲間たちも、大きく成長した。
いまや、この森ですら“無敵”に近い状態になりつつある。
そしてノルドは確信している。
――この森の地下には、未発見のダンジョンが広がっているはずだ。
「どこかに、秘密の入り口があるはずだけどね」
そう呟くと、そばにいたビュアンが珍しく、知らんぷりをした。
彼女が“知らないふり”をする時には、理由がある。
家に戻ると、少しだけ横になり、まどろみに身を任せる。
そのとき――。
「ノルド、いる? 貴族たち来たよ〜」
ギルドの受付嬢ミミの声が、外から聞こえてきた。
窓の外は、もう夜の帳が下りていた。
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