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第5話

「……事故?」

「はい。用事で王宮の外に出たときに馬車と衝突してしまって」

「馬車……」


 突然オスカーが目を丸くして驚いた。

 レーナはそれがなぜなのかわからなくて、不安になりながら小さくうなずく。


「ほかにはどんな夢を?」

「いつも一瞬の場面だけで繋がっていないんですけど、どこか異国の風景が出てくるときもあって……」


 ふざけた話だとそっぽを向かれそうな気がして、最後は尻すぼみになった。

 しかしオスカーは、バカバカしいとあきれることなく真剣に耳を傾けている。


「もしかして、そこでは髪も瞳の色も黒じゃなかったか? 服装は前合わせの“着物”と呼ばれる衣を着ていた?」

「そのとおりです。夢に出てきた使用人の女の子が“まがれいと”という髪型の名前を言っていました」

「やはりそうか。レーナ、一緒に来てくれ」


 なにかまずいことを口にしただろうかと、レーナは不安になって眉尻を下げた。

 オスカーの表情を見る限り、ウソをついているとは思われていないみたいだが。


「こっちだ」


 レーナはどこに向かうのかわからないまま、オスカーの後ろをついて行った。

 シルヴァリオン宮殿の正面広場を通り過ぎたオスカーは、どんどん王宮内の東側のエリアへと進んでいく。


「あの、ここは……私が立ち入っていい場所ではありません」


 足を踏み入れたことはなくとも、レーナはこの先になにがあるのかわかっていた。

 王太子が結婚後住む予定にしているフィンブル宮殿だ。


「大丈夫だから。おいで。見せたいものがある」


 足を止めたレーナに、オスカーが手招きをして呼び寄せる。

 入口の門の前で警備をしていた衛兵ふたりがオスカーの姿に気づいた途端、きびきびとした動作で頭を下げた。


 フィンブル宮殿の中は秋のさわやかな風が吹き抜けていて、清掃も行き届き、とても綺麗な宮殿だとレーナは思った。

 小さな池のそばを通って奥へと進んでいく。すると今度は花畑のような光景がレーナの目に飛び込んできた。


「綺麗だろう?」

「はい。とても」


 ふたりの目の前には、薄紫色の花が一面に広がっている。

 レーナはふと、フィンブル宮殿には花が咲いているという噂を思い出した。


『王太子様が中庭に植えさせたんだそうだ。どこか東方の国で種を手に入れたとかで。珍しい紫色のアスターだってさ』

 たしかクリスもそんなふうに言っていたな、と。


「君は予知夢を見ることができる。でも、異国の夢に関しては違う。それは……前世の記憶だ」

「……前世?」

「これは誰も知らないことだが、俺には前世の記憶があるんだ」


 わざわざフィンブル宮殿にまで連れてきて、オスカーが意味不明な冗談を言ってからかったのだとは、レーナには思えなかった。

 とても真剣に、切ない瞳でレーナを射貫きながら伝えてきたからだ。


「俺たちはこの国、異世界で転生したんだよ」

「な、なにを仰せなのかわからないです」

「転生前は日本という国の、明治の世にいた。俺は君と恋人同士で婚約していたんだ。この花にも見覚えがあるだろう?」


 矢継ぎ早に言われても、レーナは混乱するばかりだった。

 前世の自分がオスカーの婚約者だったなんて、信じられるわけがない。

 けれどオスカーの言うとおり、目の前に咲き誇っている薄紫色の花には見覚えがあった。

 夢の中で作っていた押し花は、たしかにこの花だったのだ。


「おそらく思い出せる。頼む、どうか思い出してくれ」

「夢で、押し花を作っていました。コウタロウ様からいただいたから大事にしたい、って……」

「俺がコウタロウだ。野宮(のみや)煌太郎(こうたろう)。この世界でも必ず会えると信じていたよ、桜和(さわ)


 オスカーから“桜和”と名前を呼ばれた瞬間、頭の中でなにかの回路が繋がったように、怒涛の如くさまざまな情報が押し寄せてきた。

 それはおそらく、――――前世の記憶。

 混乱とともに眩暈がして、レーナはその場で意識を失ってしまう。


◇◇◇


「お嬢様……お嬢様、起きてください。そろそろお支度の時間です」


 声をかけ、寝ていた身体を揺り動かしたのは使用人の千代(ちよ)だ。

 彼女は今年で十五歳。伯爵の地位を賜っているこの菊地(きくち)家で、当主・江蔵(えぞう)の娘である桜和の小間使いをしている。


「頭のてっぺんからつま先まで、すべて手入れするように奥様から言われていますので」

「そんな大げさな。野宮家の宴に招かれているだけでしょう」


 呑気な声を出した桜和は身体を起こし、口を隠しながらあくびをした。

 今日は公爵家である野宮家で社交界が催されることになっており、菊地家も桜和とその両親の三人が招待されている。


「なにか隙があれば野宮家の奥様から嫌味を言われるかもしれない、とうちの奥様が仰っていましたよ?」


 野宮家の嫡男である煌太郎と桜和は、つい先日結納を済ませて婚約をした仲だ。

 半年後の春にふたりの結婚式がおこなわれる予定になっており、野宮家と菊地家は姻戚関係を結ぶことになる。


「煌太郎さんのお母様は厳しいものね。それに、私は嫌われていそうだし」


 自虐的に苦笑いを浮かべる桜和を見て、千代は眉を八の字にして悲しそうな顔をした。


「昨晩も夢を見たのですか?」


 千代の問いかけに、桜和はふるふると首を横に振った。

 桜和は時折、未来を予見するような夢を見る。子どものころからそんなことがあったため、自分だけが特別だと気づいていなかったのだ。


「あちらの奥様、ひどいですよ。お嬢様は野宮家に嫁がれるお方なのに」

「仕方ないわ。急にわけのわからないことを言って、あとでそれが当たるんだもの。気味悪く思うよね」

「私も最初は驚きましたけど、危険を事前に知らせてくださるんですから、逆にありがたいです!」


 納得がいかないと言わんばかりに口を尖らせる千代に、桜和は再び笑みをたたえてポンポンとやさしく肩をたたいた。

 

 まだ煌太郎と婚約をする前に野宮家を訪れたとき、桜和は煌太郎の母にその日見た夢の話をした。

 玄関先で転んで足をくじくので注意してくださいと正直に話したのだが、当然の如く信じてはもらえなかった。

 しかし翌日、煌太郎の母は本当に足をくじいてしまい、なぜか桜和がおかしなことを言ったからだと責められてしまったのだ。

 それ以来桜和は気味の悪い娘だと、煌太郎の母から敬遠されている。


「お嬢様、本当に大丈夫ですか? そんな奥様と同居だなんて……」

「大丈夫よ。私には煌太郎様がついていてくださるもの」

「そうですよね。愛の力は偉大です。きっとお嬢様を守ってくださいますね」


 千代がウキウキと声を弾ませると、桜和は頬を染めながら恥ずかしそうに微笑んだ。

 今の桜和にとっては煌太郎がすべて。身も心も捧げたい相手だ。

 彼のもとへ嫁げることはこの上ない幸せで、どんな苦難もふたりなら乗り越えていけると信じていた。


「では、全身を綺麗に整えましょう。昨夜のうちに髪は洗いましたから、ていねいに椿油を施して結いましょうね」

「うん、お願いね」

「今日はみなさん洋装らしいので、お嬢様もドレスですよ」


 千代の言葉に、桜和はにこりと満面の笑みを浮かべてうなずいた。


 母の言いつけを守り、全身の身なりを整えた桜和は両親と共に馬車で野宮邸へ向かった。

 伯爵家である菊地の家もほかと比べると大きいけれど、野宮邸はさらに敷地が広い。

 何人もの使用人が出迎えのために玄関先で一列に並び、頭を下げている。

 さすがは公爵家だなと、桜和は訪れるたびに毎回圧倒されていた。


 社交界がおこなわれる広間へ案内されて足を踏み入れると、上流階級の貴族たちがすでに集まっていた。

 桜和と両親もその輪に混じり、お決まりのあいさつを交わしていく。

 今日は洋装でと事前に言われていたので、和服姿の者はひとりもおらず、まるで異国に来たみたいだと桜和は緊張が増した。


「あら、桜和さん」


 後ろから声をかけられて振り向いた先に、煌太郎の母が憮然とした顔をして立っていたので、桜和はあわてて頭を下げた。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「あなたのドレス、ずいぶん地味ね。まぁいいんだけど……」


 桜和は母や千代と相談しながら、どのドレスを着ていくかに関しては相当悩んだ。

 あまり派手に着飾って誰よりも目立ってしまったら、煌太郎の母は気に入らないだろう。

 かといって、あまりにも地味なドレスを選んだら、貧乏くさいと言われるのは目に見えている。

 結局迷った末、薄い紫色のドレスにしたのだけれど、やはり嫌味からは逃れられなかった。

 だが桜和にとってはこれも想定内。愛想笑いをしながら「すみません」と謝っておけばいいだけのことだ。


「桜和は気を使ったんだよ。奥ゆかしいんだ。本気で着飾ったら桜和が世界で一番美しいに決まってる」

「煌太郎様……」


 桜和の後ろに煌太郎が現れ、包み込むようにそっと肩を抱き寄せると、彼女の頬はあっという間に桜色に染まった。

 額を隠すサラサラの黒髪、凛々しい眉、やさしさを含んだ黒い瞳。

 タキシードを身に纏った煌太郎は背が高く、手足が長い。

 こんなに完璧な男性は、どこを探してもほかにはいないと、桜和はあらためて惚れ直した。


「ほら、髪も肌もつやつや。美人だから和装も洋装も似合う」


 煌太郎は両手で桜和の手をとって愛おしそうになでた。

 それを見た母親は、ぎょっとして眉をひそめる。


「いい加減になさい。はしたない」

「桜和とは結納を済ませたから、もう妻も同然だ。これくらいかまわないと思うけど」

「私はね、まだあなたたちの婚約を認めていないの。予言まがいな夢の話をする嫁なんて気味が悪くて仕方ないわ」

「なんてこと言うんだよ!」


 今度は煌太郎が嫌そうに顔をしかめた。

 それを見た桜和はすぐさま煌太郎の服の袖を引っ張って合図を送る。

 あまり桜和をかばいすぎると、母親はさらにヘソを曲げてしまうだろう。


「ほかにも素敵な令嬢はたくさんいるし、煌太郎なら引く手あまたなのに。まったく……我が息子ながらあきれる」


 母親はフンッと鼻をならし、やっていられないと言わんばかりにふたりから離れていった。


「お義母さま……ずいぶん怒っていらっしゃったわ」

「大丈夫だよ。気にしないで?」

「このドレス、地味だったでしょうか?」


 小さな声で問いかける桜和に、煌太郎は首を横に振った。


「そんなことない。言っただろう? 桜和は世界一綺麗だよ」

「ありがとうございます。どの色のドレスにしようか迷ったんですが、煌太郎様にいただいた紫苑しおんの花の色を思い出して、これに決めました」


 照れて恥ずかしそうに笑みを浮かべる桜和の姿がかわいくて、煌太郎はこの場で抱きしめたくなったが、なんとかその衝動を抑えた。


 ふたりの出会いは半年前。

 とある侯爵家の社交界を訪れた際、互いに一目惚れに近い形ですぐに恋に落ちた。

 母親の言うとおり、眉目秀麗な煌太郎は引く手あまたで、方々から見合いの話が来ていたのだけれど、桜和と出会った煌太郎は彼女しか目に入らなくなる。

 娶るなら桜和を、と当主である父親に強く要望したことから、とんとん拍子で見合いを経て婚約へと進み、現在に至っている。


「桜和、ちょっとおいで」


 煌太郎がそっと耳打ちをして、社交界の場から桜和を連れ出した。

 人目がなくなったところで桜和のやわらかい手を握って歩く。

 着いた先は野宮邸の中庭で、花壇には薄紫色の紫苑が咲き乱れていた。


「うわぁ! 綺麗ですね!」

「桜和はこの花、好き?」

「はい。先日いただいたお花も、いつまでも持っていられるようにいくつか押し花にしたくらいです」


 キラキラと瞳を輝かせながらうれしそうに話す桜和に、煌太郎は心から愛しい感情が湧いてきた。

 中庭に咲いていた花を摘んで渡しただけで、そんなによろこんでもらえるとは思ってもみなかったのだ。


「今の時期しか咲かないけど、こんなのいくらでも届けられるのに……」

「煌太郎様からもらったものだから大切なんですよ。ひとつひとつ全部大事にしたいんです。この先もずっと」


 今の言葉で胸を打ち抜かれた煌太郎は、桜和を抱きしめずにはいられなかった。


「桜和、心から愛してる」


 煌太郎の胸に顔をうずめながら、桜和がそっと上を向いた。


「私も。心から煌太郎様をお慕いしています」

「仲のいい夫婦になろうな。幸せに暮らそう」

「はい」


 煌太郎は満足そうに微笑み、小さくてぷっくりとした桜和の唇に口づけをした。

 ふたりには輝かしくて幸せな未来が待っている。

 そう信じて疑わなかった。――――このときまでは。


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