第4話
オスカーは普段執務室として使っている部屋の扉を開け、最奥にある豪奢な椅子に座った。
「毒を仕込んだのは給仕係のうちの誰かでしょうか」
感情を抑えきれない様子のルシアンが続けて部屋の中へ入ってきて、オスカーに詰め寄るようにして尋ねた。
「落ち着け」
「あれをそのまま口にされていたら命を奪われていたかもしれないのに、落ち着いてなどいられません!」
ルシアンは王太子であるオスカーからたしなめられても、感情のまま憤りの言葉を口にする。
こんなに怒るのは本気で心配している証拠だと、オスカーは顔に出さないものの内心ではその気持ちがうれしかった。
「殿下がワインに毒が入っていると仰ったとき、単に疑っておられるだけかと思っていましたが、まさか本当に盛られていたとは。しかし……」
「ん? どうした?」
「なぜわかったのですか? もしや犯人に心当たりがおありで?」
声をひそめるルシアンに、オスカーはふるふると小さく首を横に振った。
「俺が毒を口にし、血を吐いて倒れると教えてくれた者がいたんだ」
「ではその者を問い詰めれば犯人がわかりますね」
重要な手がかりだと言わんばかりにルシアンは低い声で言い、それはいったい誰なのかと問うような目でじっとオスカーを見つめた。
しかしオスカーは静かに「待て」と告げて、落ち着くように促す。
「その者は犯人についてはなにも知らない。捜すなら別の方向からにしないと」
ではなぜ、宴でワインに毒を盛られると知ったのか。
もし、ほかの誰かに聞いたというなら元をたどっていけばいいだけだが、オスカーからの許可が出ない。
ルシアンは腑に落ちなくて首をかしげた。
「俺はそんなに下の者たちから嫌われているか?」
「いいえ、滅相もありません。若い侍女などは身の程もわきまえず、王太子殿下のお姿に目を奪われているくらいですから」
「はは。そうか」
「笑っている場合ではございませんよ」
小さく笑みをこぼすオスカーを見て、ルシアンは真顔で場の雰囲気を引き締めた。
先ほどのことは決して見過ごせない王宮内での一大事件だ。
オスカーの身に危害を加えようと企む者がいるなら、即刻捕まえなければならない。
それに、ルシアンはオスカーの最側近としての責任がある。
「犯人は……単純に俺に恨みがある者か、誰かに指示をされて犯行に及んだか」
「……指示、ですか」
王太子のグラスに毒を入れて殺めるなどという大それたことを、果たして誰かがひとりで計画して実行したのだろうか。
複数の人間が絡んでいてもおかしくないなと、オスカーは頭の中で思考を巡らせた。
「王様の息子は俺だけだからな。王室を根絶やしにと考えたのかも……」
なにか糸口をつかんで、そこから芋づる式に捕まえていったとき……最後にたどり着く人物は誰なのか。
「とにかく、まず使用人たちに聞き取り調査だ。どうせ宴は中止になっているはずだし、料理人や給仕係はみな戦々恐々としているだろう」
「承知いたしました。早急に動きます」
ルシアンはていねいに一礼し、颯爽と部屋から出て行った。
ひとりになったオスカーは、あらためてレーナの夢の正確さに感心し、命を救われたことに人知れず感謝していた。
◇◇◇
レーナは本来の洗濯係としての仕事があるため、途中で調理場の片付けから解放されて戻ってきた。
「あ、レーナ。いいところに来てくれたわ。早く取り込まないと雨が降りそう」
同僚の洗濯係が干している洗濯物を急いで取り込んでいた。
空を見上げると、たしかにどんよりと曇っている。雨が降ったらせっかく綺麗になったものが台無しだ。
「これで最後。間に合ったね」
乾いた衣類を籐の籠に入れて建物の中へ運び、同僚たちと微笑み合う。
「今日の宴、大変なことが起こったんでしょう? 毒がどうのって、みんな騒いでいたわ」
同僚が洗濯物を畳みながらレーナに尋ねた。
調理補助として洗い物や片付けを手伝っていたレーナにも、それはすぐに耳に入った。
ワインに毒が盛られていたらしい、と。
幸い、銀製の器で事前に調べたので事なきを得たということも。
あの夢のとおりになるのではないかと心配していたレーナだったが、回避できたと知ったときにはホッと胸を撫でおろした。
「オディル様を始め、みんな聴取を受けてるの。誰がやったのか、って」
「そりゃそうよね」
ワインを飲み、血を吐いて倒れるところが夢に出てきただけで、それ以外のことはレーナにもわからない。
夢の中で少しでも手がかりになることはなかったかと思い返すけれど皆無だ。
「とにかく早く落ち着くといいね」
そう声をかけられたレーナは苦笑いの笑みを返した。
作業をしている建物の外から、ザッザッザッと土を踏む足音が近づいてきた。
力強いので女性ではなく男性だ。しかもひとりではなく何人もいる。
「レーナ・アラルースアはいるか?」
やってきたのはウエストコート姿の高貴な男性で、彼の後ろには従者の役人たちが控えていた。
「私……です」
名前を呼ばれたレーナは驚きながら即座に立ち上がった。
なぜ自分を捜しにきたのかと、不安な気持ちが押し寄せる。
「調理補助の仕事を手伝っていたな?」
「はい」
「取り調べるから一緒に来い」
彼が後ろにいる役人たちに手で合図を送ると、大柄な男性がふたりレーナのもとに来て両側から腕をつかんだ。
「乱暴はお辞めください」
レーナの同僚がひとり、か細い声で懇願するように言う。
レーナ自身はなにが起こっているかわからず、ただされるがままだ。
「お前たちも今日の宴でなにがあったのか聞いているだろう。この者には毒殺未遂容疑がかかっているんだ」
レーナはそこでやっと自分が犯人だと疑われているとわかり、大きくかぶりを振った。
「ち、違います! 私は給仕には関わっていませんし、なにもしていません」
「お前が調理場へ出入りするようになってから事件が起こったんだ。怪しまれても仕方ないだろう」
男性がそのまま背を向けて建物の外へ出て行き、レーナも男たちに腕をつかまれたまま連れ出された。
「待ってください。五日前、毒でお倒れになる夢を見たとルシアン様ご本人にお伝えしました。私が犯人ならそんなことはしません」
前を歩く男性の背中に向かってレーナは必死で訴えかけた。
あのとき、誰にも話すなと言われていたが、宴が終わった今なら問題ないと思ったのだ。
「なに?」
早足で歩いていた男性がピタリと止まり、怖い顔をして振り返った。
「誰に伝えたと?」
「ルシアン様です。えっと……とても位の高い方で……いらっしゃいますよね?」
男性は眉根を寄せてレーナを見据え、距離を詰めて真正面に立った。
「ルシアンは、私だが?」
レーナは自分の耳を疑った。
しかし目の前の男性がこんな状況で冗談を言うとは思えない。
「私がお会いしたのは……背が高くてサラサラのブロンドの髪の……」
訝しい顔をしていたルシアンだったが、レーナが口にした特徴を聞いて動きが固まった。
堂々と王太子の最側近であるルシアンの名をかたる、ルックスのいい人物はこの王宮にひとりしかいない。
「彼女を放せ」
考え込むルシアンの背後から男性が駆け寄ってきて、ふたりのあいだに割って入った。
レーナの両脇に立っていた男性たちは、波が引くようにさっと後ろに下がっていく。
「あ、ルシアン様!」
「だから私がルシアンで、このお方は王太子殿下であるオスカー様だ」
イライラとしながら訂正をした男性が本物のルシアンで、五日前に出会った美しい容姿の男性は王太子のオスカーだったと、レーナはこのときあらためて理解した。
知らなかったとはいえ、王太子を相手に無礼な発言をしていたのではないかと不安になり、あわてて両手を前に組んで頭を下げる。
「彼女は犯人じゃない。逆だ。毒のことを教えてくれた」
「お言葉を返すようですが、それならなおさら調査せねばなりません。なにか知っていた証拠です」
「彼女は“予知夢”を見ただけだ」
オスカーの言葉を聞き、ルシアンは不思議そうな顔をして首をひねった。
実際に口には出さないものの、まさか夢の話を信じたのかと言わんばかりの表情だ。
「俺が彼女と話す。ルシアンたちは違う人物の調査を」
「承知いたしました」
納得がいかないものの、背筋を伸ばしたルシアンが素早く頭を下げて立ち去っていき、役人たちもそれに続いた。
ずっと身体をこわばらせていたレーナだったが、緊張の糸が解けて思わずハーッと息を吐いた。
「怖がらせてすまない」
しかし気を抜いてはいけない。目の前にいるのはこの国の王太子なのだ。
オスカーから声をかけられたレーナは緩んでいた気を張り直して前を向いた。
「王太子殿下とは知らず、先日はご無礼を……。どうかお許しください」
深々と頭を下げるレーナの肩に、オスカーがやさしく手を添える。
「俺が今こうして元気でいられるのは君のおかげだ。あのとき言っただろう? 君は命の恩人だと」
そんなふうに言われると照れ臭くなり、恐縮しながら視線を上げた。
オスカーのやさしい眼差しに心を奪われたレーナは、眉目秀麗な彼から目が離せなくなってしまう。
「ご無事でなによりです」
「君が見たのは、近い未来の出来事を予見する予知夢だ。そういう夢は昔からよく見るのか?」
「そ、そんなたいそうなものではありませんが……変な夢を見るようになったのは、二ヶ月ほど前に事故に遭って頭を打ったあとからです」
もちろん事故のあと、レーナは身体に異常がないか医者の診察を受けたけれど、外傷以外は異常がないと言われたのだ。
そのあとでおかしな夢を見始めるとは思ってもみなかった。まさかそれが――――予知夢だとは。




