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第3話

 この日も休んでいるマリーザの仕事を補うため、レーナは調理場を手伝うことになった。

 自然と頭に浮かぶのは眉目秀麗なオスカーの顔。彼が毒を飲まされて倒れる姿だ。

 食料庫の隣にあるワインの貯蔵室に入ってみたが、特に変わった様子はない。

 レーナはあちこち見て回ったあと、ほうっと息を吐く。普段出入りしていない自分が見てもわかるはずがないのに、と。

 自分でなんとかすると彼は言っていたけれど、本当に大丈夫なのか……。レーナは心配で仕方なかった。


 一日が終わり、寝る準備をして床につくと、レーナは再び不思議な夢を見た。

 昨夜とまったく同じシチュエーションで、続きのような夢だ。 

 この国とは全然違う造りの木造の建物が建っていて、みんな黒髪で黒い瞳をしている。


「お嬢様、なにをなさってるのですか?」


 昨日の夢に出てきた使用人の少女がかわいらしく小首をかしげて尋ねた。場所は屋敷の一角にある部屋の中だ。


「お花をいただいたから、押し花を作っていたの」


 レーナがそう答えると、少女は瞳を輝かせた。


「それはなんですか?」

「花は時が経てば枯れてしまうでしょう? 押し花にしておけばいつまでも手元に置いておけるのよ」


 少女が明るい表情のまま「へぇ~」と感嘆の声を上げる。


「その、押し花というものは、どうやって作るのですか?」

「こうして紙のあいだに挟んで、上から重石を置くのよ」

「なるほど。これはそのための書物なのですね」


 どこから調達してきたのかレーナにはわからないが、分厚い本がたくさん積まれてある。

 表紙に文字が書かれてあり、見たことのない文字のはずなのに、夢の中のレーナはなぜかそれをすらすらと読めた。どうやらなにかの思想書らしい。


「上手に出来たら、あなたにもひとつあげるわね」

「え! もらえるならうれしいですけど、いいんですか? そのお花はコウタロウ様からいただいたものですよね?」

「そうなの。お庭にたくさん咲いているらしくてね、わざわざ摘んできてくださったの。薄紫色でかわいらしい花よね」


 にっこりと微笑み返したところで目が覚めた。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいて鳥が鳴いている。

 不思議な夢を見るときはなぜか朝方が多いなと考えつつ、身体を起こしてノートに内容を書きこんでいく。

 だけどふと、今日はいつもと違うことがひとつだけあったとレーナは気がついた。


 使用人の少女が名前を口にしたのだ。たしか……コウタロウ様、と。

 夢の中でレーナはその名を聞き、照れながら胸をときめかせていた。そこから察すると、おそらく恋人か片思いをしている相手なのだろう。

 実際にコウタロウという人が夢に現れたわけではないので、どんな男性なのかはわからない。

 悩んだところで答えが出ないのはいつものこと。ただ言えるのは、怖い夢ではなく、どこか懐かしい気持ちになる。

 どうせならコウタロウと対面してみたかったなと思いつつ、レーナはそっとノートを閉じて朝の身支度に取り掛かった。


◇◇◇


 宴がおこなわれる日がやってきた。

 普段は王宮内で仕事を担っている貴族たち、騎士団の団長や部隊長たちが大広間で一堂に会し、決められた席に着いて談笑している。


 しかし、少し遅れて王族たちが登場した途端、場の雰囲気が緊張感に満ちて静かになる。

 最後に国王がやってくると、全員椅子から立ち上がり、右手を左胸に当てて表敬の意を込め会釈をするのがこの国の礼儀だ。

 大広間の正面、少し高い位置にある席が国王と王妃の座で、向かって左脇に王太子であるオスカー、右脇には側妃やほかの王族が座を占める。


 皆が再び椅子に腰を下ろしたところで、目の前に据え置かれたワイングラスにワインが注がれていく。

 貴族や騎士たちは同じ等級の赤ワインだが、王族たちには特別に香りのよい上等なものが用意されている。

 給仕係がボトルを手にし、オスカーのグラスにもワインを注いだ。


「待て」


 オスカーは静かに言い、そばに佇む給仕係の女性の顔をじっと観察した。

 女性は一瞬ポカンとしたあと、自分になにか不手際があったのかと動揺し始める。


「ルシアン、別のグラスを」


 オスカーが後方に控えていた侍従のルシアンに伝えると、彼は手元で隠すように持っていた銀製の器をテーブルの上にそっと置いた。

 ルシアンはこのタイミングで器を出すよう秘密裡に知らされていたので、なにも驚くことなく無駄のない動作で再び後方へ下がっていく。

 国王であるブノワがそれに気づき、オスカーに視線を向けた。


「オスカー、どうしたのだ?」

「恐れながら王様に申し上げます。飲み物に毒が入っているやもしれません。乾杯はしばしお待ちを」


 その言葉を聞いたブノワ王はキュッと眉をひそめた。

 会話は貴族たちにも聞こえていたため、当然あちこちでザワザワとし始める。


「毒? 誰が盛るというのだ」


 横から口を挟んだのはブノワ王の五歳年下の弟にあたるフョードルだった。


「見よ、オスカー。お前のせいでせっかくの宴が興ざめだ」


 フョードルは不機嫌さを全面に顔に出し、やれやれと言わんばかりに大げさに息を吐く。


「王様、このままでは宴が始められませぬ」


 普通の貴族や騎士ならこんなふうに国王に物申すことはできない。王弟であるフョードルだからこそだ。


「グラスの中身を銀製の器に移し替えればすぐにわかります」


 オスカーは立ち上がって右手でワイングラスを持ち、左手に持った銀の器にワインを移した。

 手の上でぐるぐると器の中身を回してしばし待つと、器に異変が現れる。


「私は危うく死ぬところでした」


 やっぱりかとうなずいたオスカーは、近づいてきたブノワ王の侍従にそれを預ける。


「器が黒く変色しております。ヒ素のような毒でなければこんな色にはなりません」


 ヒ素は無色で無味無臭。飲み物や食事に入れられても見分けはつかない。

 しかしヒ素には不純物として硫黄が含まれており、銀と反応すると黒く変色させる特色がある。


「……まさか。余と王妃のワインも調べよ」


 顔が真っ青になったのはその場にいた給仕係の女性たちだ。

 侍従の指示であわてて銀の器を用意し、毒が入っていないか確認したが、ほかの王族たちのワインにはなにもおかしな点は見つからなかった。


「どうやら狙われたのは私だけのようですね。ワインボトルにではなく、グラスのほうに細工されたかと」


 焦りの素振りなど微塵も見せず、オスカーは平然とそう言い切った。

 ブノワ王は顔をしかめ、その隣にいる王妃は恐ろしさから身体をブルブルと震わせている。


「料理は毒見係もおりますし、安全でしょう。王様、それではどうぞ宴をお始めください」

「オスカー……」

「私は調べることがありますゆえ、ここで退席いたします。どうかお許しを」


 オスカーは毒入りのグラスを持って静かに立ち上がり、数名の侍従たちを従えて颯爽と大広間を出ていった。

 残された者たちは一様に口を閉ざして神妙な面持ちになっている。


「――宴は中止だ」


 しばらくしてブノワ王がそう宣言した。

 笑みをたたえて和やかに酒を酌み交わす雰囲気ではなくなったのだから、当然の成り行きだ。

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