第2話
レーナは使用済みの皿を片付けたあと、調理場の外にある食料庫へ赴いた。
在庫を確認して出てくると、見かけない若い男性がポツンと立っていて、互いに存在に気づいたふたりは自然と視線が交錯する。
男性がブレストプレイトと呼ばれる胴当てを付けていたので、レーナはすぐさま騎士団のひとりだろうと思った。
しかしよく見ると、騎士たちがいつも身に付けている服とはデザインが違う。
騎士団はいくつか連隊があるため、自分の知らない隊の制服なのかもしれないとレーナは頭を切り替えた。
「もしかしてお食事がまだでしたか?」
クリスのように食べ損ねたのかと勘を働かせたレーナは迷わず声をかけた。
なんでもいいから食べさせろと言われたら、調理場にいる料理人に頼みに行かなければならない。
プラチナブロンドの髪をサラサラと揺らしながら、背の高い男性がレーナのほうへ歩み寄ると、辺りに爽やかな風が吹き抜けた。
ライムのようなグリーンの透き通った瞳、高い鼻梁、凛々しい眉、形のいい唇……こんなに整った顔をした騎士がいたなんて、と間近で目にしたレーナは一瞬で見惚れてしまう。
「君は……ここで働いてるの?」
「レーナです。普段は洗濯係なんですけど、体調不良で休んでる子がいるのでこっちを手伝っています。えっと……騎士団の方ですか?」
「……ああ。ルシアンだ」
男はこの国の王太子であるオスカーだったが、咄嗟に自身の侍従の名前を名乗った。彼女をびっくりさせないためだ。
「ルシアン様。お名前、覚えました!」
愛想よくにこりと笑うレーナとは対照的に、オスカーは無表情のまま彼女の顔を凝視している。
「レーナ……レーナか……」
小さな声でオスカーがつぶやく。
見つめ続けられて恥ずかしくなってきたレーナだったが、だんだんとこの綺麗な顔に見覚えがあるような気がして記憶をたどった。
しかし以前に会っているのなら、特徴のある彼を忘れたりしないだろう。なにかおかしい。
懸命に考え込んでいたら、ふと今朝の夢を思い出した。
どこかで会ったのではない。この人は間違いなく今朝の夢に出てきていた男性だ。
レーナの頭の中でこま切れだったシーンが、まるでパズルが埋まるみたいに徐々にひとつにまとまっていく。
「あの……」
笑みを消し、真っ青な顔になって唇を震わせる。
その様子に気づいたオスカーは心配して「大丈夫?」と声をかけた。
レーナは両手を胸に当てながら、深呼吸をしてコクリとうなずく。
「もしかして近いうちに宴がおこなわれますか?」
「宴? ああ。王様が家臣たちと絆を深めたいと仰られていて、五日後にシルヴァリオン宮殿の大広間で予定されている」
国王は労いの気持ちを込め、重要行事として宴を時折催している。
日持ちのする野菜が食材庫にたくさんあったのはそのせいだ。
「それがどうかした?」
尋ねられたレーナは一瞬黙り込んだあと、意を決して口を開いた。
「今から大変無礼なことを申し上げるのですが……」
「かまわない。言ってくれ」
「お飲み物にご注意ください。毒が入っていて、ルシアン様はお倒れになります」
なにを言うのかと、激高されるのは覚悟の上でレーナは伝えた。
顔を真っ赤にして怒鳴られるかもしれないと想像したけれど、彼はむずかしい表情をしたまま固まっている。
「俺が毒を盛られると?」
レーナが見た宴の夢は、王様や高貴な人々が集まっていて、その中に彼もいた。
なので普通の騎士ではなく、彼はもっと身分の高い男性なのだろうとレーナはこのとき確信した。
そんな高貴な人物を相手に無礼な発言をしたら、こっぴどく叱られるのは至極当然だというのもわかっている。
だが、彼が乾杯をしたあと飲み物を口にし、血を吐いて苦しそうにしながら椅子から床へ崩れ落ちる夢が鮮明によみがえってきたのだ。それを黙っているわけにはいかない。
「今朝そういう夢を見たんです。戯言だと思われるかもしれませんが……」
「いや、よく教えてくれた。ありがとう。君は命の恩人だ」
「……今の話を信じてくださるんですか?」
きっと、わけのわからない夢の話などいくらでも作れると鼻で笑われるだろう。
そういう反応を予想していたレーナは、あっさりと信用してもらえたので逆に驚いてしまった。
「私の夢、本当によく当たるんですよ」
「うん。だけど今の話は宴が終わるまで誰にも言っちゃダメだ。俺が自分でなんとかするから」
「……わかりました」
肩に手を添えられ、真剣な瞳でそう言われたレーナは絶対に沈黙を守ると心に誓った。
しかし、どうして夢の話を怒らずに聞いてくれたのか、どうやって盛られた毒から免れるというのか、レーナの頭の中には疑問が残ったままだ。
(それに、いったい誰が毒を盛るというの? そんな恐ろしいことを……)
万が一、王族が毒入りの飲み物を飲んで命を落としてしまったら、犯人はこの王宮から追い出されるだけでは済まない。
王族殺人の罪を問われ、自分の命で償わなくてはいけなくなる。
「大丈夫だ。レーナ、また会おう」
むずかしい顔をしたままのレーナの腕をやさしくさすり、爽やかな笑みをたたえたオスカーは彼女に背を向けて立ち去った。
レーナはその夜、また新たな夢を見た。それは、これまでかつてないほどの不思議な夢だった。
しかもこま切れのぼんやりしたものではなく、夢とは思えないほどはっきりとしていた。
場所はどこかわからないが、ここエテルノ王国でないことはたしかだ。
ブロンドの髪色をした人や、ドレスを着た人はひとりもいなかった。遠い外国だろうか。顔だちもこの国の人たちとは丸きり違う。
「お嬢様、そんなのは俺がやりますよ。お着物が濡れます」
屋敷の前で手桶と柄杓を持って水を撒いているところへ、小柄な少年があわてた様子で近寄ってくる。
年齢は十二~十三歳くらいの男の子で、顔にはまだあどけなさが残っていた。
彼の名前を知っているはずなのになぜだか思い出せない。なんという名だっただろう?
「打ち水もダメ? 昨日だって裏庭の草むしりをしていたら止められちゃって……」
「当たり前ですよ。草むしりなんかしたら、その真っ白で綺麗な手が傷だらけになるじゃないですか。俺が旦那様や奥様に叱られます」
あきれたような笑みをたたえた少年が柄杓をそっと取り上げる。
「打ち水をすると涼しくなるのはどうしてかしらね」
明るい口調で少年に問いかけたところで、真後ろからまた別の人物に「お嬢様」と声をかけられた。
少年よりも何歳か年上の、かわいらしい顔立ちをした少女だった。
彼女は自分に付いてくれている使用人だと、なぜかわからないがレーナは夢の中で自然と理解していた。
「髪型が崩れていますので結い直しましょう」
「ありがとう」
「上げ髪もいいですけど、お嬢様は“まがれいと”もきっとお似合いですよ」
にこりと微笑んでうなずいたところで、レーナは目を覚ました。
次にぼんやりと視界に入ってきたのは寝起きしている部屋の見慣れた天井だ。
まだ頭がすっきりしないままベッドから出て、覚えている範囲をノートに書きこんでいく。
ここ最近、おかしな夢を見る現象が何度か続いているので、忘れないよう記録に残すことにしたのだ。
今朝の夢では、レーナは“お嬢様”と呼ばれていた。貴族の娘のように大事に扱われていたのは間違いない。
登場する人物はみんな見たことのない服装をしていて、自分を含め女性は長い髪を上部で結わえていた。
しかし、“まがれいと”とはなんなのか。
目にする風景や交わす会話ははっきりと覚えているのに、相手の名前や自分がどこにいたのかはわからない。
レーナはモヤモヤしながらノートを閉じて、朝の身支度を始めた。




