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8話 吐き出した想い

 爽やかに吹く春の夜風と、那緒の背中を叩く一定のリズムで、徐々に自分の鼓動も落ち着いてくる。

 那緒は嫌がる様子もなくて、俺の胸元に顔を埋めたままじっとしていた。てっきり怒られるかと思っていたから、意外な反応だったけど、それほど今は不安定な精神状態なんだろうか。

「……どう? ちょっと落ち着いた?」

 那緒の背中をゆっくり擦ってみても返事は無かった。その代わり、俺の服を握る那緒の手には、ぎゅっと力が込もっていた。

「那緒?」

 顔は埋もれて見えないけど、また泣いているのかな。

「……煌太、俺さ」

「ん?」

 不意に胸の中で那緒のこもった声が聞こえた。

「……大事な人の将来、壊したんだ」

 絞り出すような震えた声で聞こえた、大事な人と言う言葉。それが妙に引っ掛かって、胸の奥がツンとなった。

「……それ、もしかして、骨折した時の事?」

 それを口にした瞬間、那緒は俺の胸を押し返して、真っ青な顔で声を荒げる。

「それは、言えない! でも、俺のせいなんだ! 俺のせいでライアンは……い、いや、違う、えっと……」

 (ライアン……やっぱり、その名前が出てくるのか)

 錯乱している那緒の両手を包み込んで、ゆっくりと声をかける。

「大丈夫だよ。ここには誰もいないから……那緒の気持ちが楽になるなら、話して。俺らだけの、秘密にしよ?」

 那緒は困惑した表情で、大きく開いた瞳は不安気に揺れていたけれど、静かに俺の手をほどいて隣に座り直した。

 

「……ライアンは、スノボの天才だったんだ」

 俯いたまま、ゆっくりと話す那緒の言葉を待つ。

「ライアンはカナダで出来た初めての友人で……お互い一人っ子だったけど、本当の兄弟みたいに、いつも一緒に遊んでた。スノボだって、ライアンから誘われて、もう生活の一部みたいに自然なものになってたんだ」

「そう、だったんだ」

 那緒は昔を懐かしむように笑っていたけれど、どこか寂しそうな表情だった。 

「それからは、後を追うようにプロになって、二人で大会に出ることもあった。だけど……大会前の練習中、ライアンは俺の転倒に巻き込まれて、下敷きになるように……膝の損傷が特に酷くて、競技を続けることは絶望的になったんだ……」

「そんな……で、でも、それは、那緒のせいじゃ」

 やっぱり、二人は接触事故だった。思い詰める気持ちは痛いほど理解できたのに、上手い慰めの言葉が出てこない。その言葉を聞いた那緒はピクリと体を揺らし、堰を切ったように話し出した。 

「俺のせいだよ! 俺が一緒にスノボなんてやらなきゃ……俺と出会わなかったら、ライアンはもっと、もっと頂点に行けたんだ! 俺が、あいつの将来を奪ったんだよ!」

 那緒は膝の上で握った手を震わせて声を荒げる。見ているだけで胸が苦しくなるような那緒の姿に、俺は考えるまでもなく、震えるその手を握っていた。

「……違う、違うよ那緒。そんな風に言わないで」

「だって……辛いんだよ。本当はもう、スノボなんて滑りたくない……」

 握った手がポタポタと涙で濡れた。昔あんなに楽しそうに滑っていたスノボが、今は那緒をこんなに苦しめていたなんて。那緒の事を何も知らないくせに、笑顔にするなんて、どうして簡単に言ってしまったんだろう。

 俺は、涙でグシャグシャになった那緒の体を引き寄せて、強く抱き締める。今は何も言葉が出てこなくて、こんな事しか出来ないと思ったから。


「ふ……うぅ……」

 耳元で、小さく漏れる嗚咽が続いて、背中に回された那緒の手に力がこもる。泣き声が少し落ち着くまで待って、那緒にゆっくりと声をかけた。

「ごめんな……俺、何も知らなくて」

「なんで……煌太は悪くないよ」

「悪いよ、知らずに那緒を苦しめてた……でも、一つだけ教えて。今の那緒はどうして、苦しいはずのスノボを、今も続けてるの?」

「……ライアンは、俺の事を考えて、接触事故の事実をメディアに隠した。大好きなスノボを奪われても、あいつは俺を一切責めないんだよ……俺の滑りが一番綺麗だから、自分の代わりにスノボを続けて欲しいって。そんなの、ライアンの代わりなんて、なれるはずないのに……でも、俺はやるしかないんだよ」

 (そっか……だからあんな、何も感じてないような顔してたんだ……ライアンの思いに応えるために、自分の感情を殺して)

 那緒は話し終わると、俺の腕をほどいて少し距離をとって座り直した。

「これが、今の俺の全部。もう、スノボを楽しむ資格なんてない。これからも俺は、ライアンの為にスノボを続けなきゃいけない、それだけだよ……」

 那緒はぼんやりと遠くを見つめて話していた。


 (資格なんて、必要ないよ。それが本当に、ライアンの望んでいることなのか?)

 那緒の想いは理解出来たけど、それでも、やっぱり納得が出来なかった。

 

「はぁ、やっぱりダメだわ」

「え……」

「こんな話聞いても俺、まだ那緒に昔みたいに戻って欲しいって思ってる……」

「はぁ!? だからそれはっ……」

「出来るよきっと、また絶対、スノボを楽しめるようになる。それまで、俺がずっとそばにいる」

 困惑したように見つめ返す那緒の瞳は、泣き腫らしたせいか真っ赤になってしまっていた。

「目、赤くなっちゃったね。おばあさん、心配しちゃうかも」

 目に溜まっていた涙を指で拭き取ると、那緒はフッと顔を背ける。

「お、お前、距離感バグってるよ。そんなの、男相手にやんねーだろ」

「な、なんだよ、さっきまで俺に抱きついてたくせに」

「おお、お前がやってきたからだろうが! て、手とか握っちゃってさ、さては、俺の事狙ってるんじゃねぇの!?」

「はぁ!? お前ねぇ……」

 急にいつものように罵られてムッとして言い返すと、那緒は顔を背けて小刻みに震えていた。

 

「……ぷっ、くく」

「笑ってんの?」

「わ、笑ってねぇよ」

 隠す事なんてないのに。慌てて言い返す那緒に釣られて、いつの間にか俺も笑っていた。

 ほら、こんなにすぐに笑えるじゃん。

「那緒、大丈夫だよ。すぐにまた、絶対スノボを好きになるから」

 一瞬、驚いたような顔をしていたけど、フッと力が抜けたように笑った。

「煌太と話してると、何もかもバカバカしくなってくる」

「え、それって……喜んでいいところ?」

「いいんじゃねぇの……じゃあ、そろそろ帰る」

「うん……気を付けて」

「煌太もな。あ、電車の時間、大丈夫か?」

「……やべぇ、もうこんな時間!? ごめん、俺もう行くわ!」

 時計を見ると終電の時刻が迫っていて、名残惜しい気持ちのまま、慌てて走り出す。公園を出るときに那緒に大きく手を振ると、あいつも小さく手を上げていた。


「ありがとな、煌太」


 ――


 最終電車に何とか間に合って、ガラガラの車内でホッと息をつき二人掛けの椅子に座り込んだ。

 別れ際、那緒は笑ってたけど、あんなに思い詰めていたなんて。ライアンの意思でメディアには単独事故と言う事になっているけれど、やはり当事者である那緒の罪悪感が消えることはないのだろう。

 でも、だからといって、那緒が苦しみ続けるなんておかしい。そばにいると言ったけれど、実際自分に何が出来るんだろう。せめて、もう一人の当事者であるライアンの気持ちでもわかれば、那緒にかける言葉もあるかもしれないけど。

 窓ガラスから見える街並みを見つめながら、糸口の見えない事を、ただ悶々と考えていた。


 (あいつの体、ずっと小さく震えてたな)

 揺れる車内で一人、抱き寄せた那緒の体を思い出して、抱え込んだリュックに顔を埋める。やましい気持ちなんて無いはずなのに、思い出すだけでまた心臓がうるさくなった。

 ただ純粋に、那緒の事が心配で、力になりたいだけなのに。油断するとすぐにひょっこりと、独占欲のような思いが顔を出す。


「……やだなぁ、こんな気持ち」


 気がつくと、誰もいない車内でひとり呟いていた。



 

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