5話 変わらない気持ち
「はぁー、終わったぁ」
午前中の編集作業が終わり、首や腰をポキポキと鳴らして凝り固まった筋肉をほぐす。
「お疲れ天宮くん。そろそろ休憩行ってきたら?」
隣の先輩はそう言いながらもまだ作業を続けていた。
「でも、先輩はまだですよね? 俺も手伝います」
「いいのいいの。やりながら適当に済ませちゃうから。ほら、遠慮せずに行ってきなぁ」
いつもの事と言うように、先輩はデスクからプロテインバーを取り出して笑う。先輩は少し陰気な雰囲気はあるが、いつも何かと気にかけてくれて優しい。
「すみません。じゃあ、お先に休憩いただきます」
「はいはーい、いってらしゃーい」
社員食堂はあるけどあまり利用することはなく、昼休憩は気晴らしに外に出ることが多い。
(今日はコンビニで何か買おうかな……)
フラフラと歩きながらスマホを見ると、知らないアドレスからチャットが届いていた。
『おい、下っぱアシスタント。仕事中か?』
「ふむ、このスマホ越しにもムカつく文面……はっ! 那緒か!?」
連絡をくれたことが嬉しくて、思わず口角が上がる。返事を送るのも待ちきれなかったので、チャットの通話機能で電話をかけた。
「……もしもし」
数回のコールの後、那緒の声が聞こえる。電話口から聞こえる声は普段と少し違うように思えて、なんだか緊張して言葉に詰まってしまう。
「あ……もしもし那緒? 俺、天宮煌太」
「知ってるよ。お前、仕事じゃねぇの?」
「はは、そっか。俺は今休憩中。那緒は?」
「病院終わって、カフェにいる」
「マジ? どこどこ? 俺も行く」
「はぁ? ま、別にいいけど……説明できねぇから場所送る。近くなら来れば?」
「ふふ、わかった」
電話を終えて、ワクワクしながら待っていると、那緒からカフェの住所が送られてくる。
「あ、ここって確か」
見たことのある店の名前と場所で、学生時代に付き合っていた彼女と行った事のある店だった。会社からは近くて、歩いて10分もかからないだろう。
別れた時の事を思い出して気まずい感じはしたけれど、那緒にはすぐに行くと連絡を返した。
散歩気分で街中を歩くと、街路樹の桜の花は散り始め、新緑の葉がちらほらと混じっている。
「綺麗だな……」
その美しさに思わず足を止めて、持っていたスマホで撮影した。
(カメラがあればもっと良く撮れるんだけど、スマホの画質も割と綺麗だな)
写真の出来映えに満足して歩いていると、見覚えのある通りと看板が見えた。
カフェの前に着くと、窓際の席に那緒の姿がある。退屈そうな顔で外を眺めているようだが、俺の姿には気づいてないみたいだ。
気付かれてないとわかると、ウズウズと心がおど、ゆっくり那緒のそばに近づいた。
――コンコン
気づかれないようにそっと近付き、しゃがみ込んで窓ガラスを叩くと、那緒が視線を向ける。その直後、渾身の変顔を披露してやった。
(これは昔、数々の同級生を爆笑の渦に巻き込んだ自慢の変顔だ! これを見せられて笑わないやつはいな……はっ!)
自信満々で那緒の顔を見ると、まるで汚物でも見るような軽蔑の表情が向けられている。
白い目で見つめられ、居たたまれなくなった俺は、がっくりと肩を落としたまま店内に入った。
「おい、変態。結構な変顔だったなぁ」
しょんぼりして席に着くと、那緒は俺を見下すように笑いながら言い放つ。
「なっ、誰が変態だよ! せっかく笑わせてやろうと思ったのに……」
あんまりな言われように、さすがに腹が立って言い返した。すると那緒はプッと吹き出し堪えるように笑い出す。
「あー、やっぱり面白かったんだろ? あれさ、高校時代の鉄板変顔。あのタケシにも大ウケだったんだぜ?」
「いやどのタケシだよ……はぁ、久しぶりにくだらねぇもん見た。逆におもろいわ」
文句を言いながらも笑ってくれたのは嬉しかったけれど、その後一瞬だけ暗い表情に変わったような気がした。その僅かな変化が気になって、思わず身を乗り出して那緒の顔を覗き込む。
「な、なんだよ」
「……なんか、寂しそうな顔してたから」
那緒は大きく目を見開くと、慌てたように腕で顔を隠した。
「別に、何もねぇよ」
「そっか……」
(何もない感じじゃないけど、これ以上聞けそうな気がしないな)
暗い空気になりそうだったので、俺はわざとらしく話題を変えた。
「あー、またそんなもん食ってんの?」
那緒の前にはキレイに空になったパフェの器が置いてあった。コンビニで会った時もアイス食ってたし、もしかして甘党なのか。
「期間限定の苺パフェだ。想像通り旨かったぞ、お前も食えば?」
「いや、昼飯にバフェはねぇよ」
「そうか?」
心底不思議そうに言う姿が面白くて、自然と笑みがこぼれた。
「そうだよ。あ、俺カレーにしよ。確か、前食った時も旨かった気がするし」
「ここ、来たことあんの?」
「うん、前に元カノと……あっ」
「ふーん」
うっかり余計な事を言ってしまい慌てて口を塞ぐが、那緒は気にする素振りもなく相槌を打つ。そりゃまぁそうか、男同士だし。
「あ、でも今は彼女いないよ!? 元カノも、付き合ってすぐに振られちゃったし!」
「なに焦ってんだよ。別に羨ましくなんかねぇし」
「もしかして那緒、恋人いないの?」
その瞬間、那緒は口に含んだ水を勢いよく吹き出した。
「わ、悪いかよ! い、今はスノボが一番大事だから、彼女なんて作ってる暇ねぇの!」
ムキになって捲し立てるのを見て、また怒られそうな言葉が口をついて出る。
「あー、お前、もしかして童て……」
「はぁ!? ちげぇしバカ……!」
「お待たせしましたー、スパイスカレーのお客様は……」
那緒が焦って大声を出すと、タイミングよく店員さんがカレーを運んできた。
「ありがとーございまーす!」
わざと大袈裟に喜び、ニヤニヤと那緒の方を見ると、真っ赤な顔で恨めしそうに俺を見ている。
(あっはは……やっぱり怒られた)
「い、いただきまーす!」
那緒に睨まれて気まずくなり、俺はかきこむようにカレーを頬張った。
でも、童貞か……この見た目でってのは驚きだけど、正直嬉しいな。時々那緒の方をチラチラと見て、思わず笑みがこぼれた。
「くそ、ニヤニヤしながら食うなよ」
「むぐっ、ご、ごめん! でも、嬉しくって……」
「お前……ほんとに嫌なヤツだな」
なんか妙なすれ違いが起きている気がするが、この話題はもうそっとしておこう。
「そう言えばさ、病院どうだったの? 怪我は大丈夫だった?」
「あー、前の骨折した箇所に炎症が起きてるだけだった。薬飲んだら治るって」
那緒の表情は戻ったようで、頬杖をつきながら話す。
「酷くなさそうで良かったな。……ねぇ、骨折ってやっぱり練習中にあった事故の?」
「……あぁ、右肩と鎖骨をやった」
答えてくれないかもと思ったが、那緒は少しの沈黙の後、小さな声でボソッと答えた。
「そっか……スノボの事故ってよく聞くけど、やっぱり危ないんだな。リハビリとか大変だったのか?」
「俺の方はそこまで重傷じゃなかったから、復帰に時間はかからなかったよ」
「俺の方って……他にも怪我人がいたのか?」
引っ掛かりを覚えて尋ねると、那緒は血の気が引いたような顔をして言葉に詰まる。那緒のそんな姿を見て、俺はハッとした。
気になるからといって、辛い事故の思い出を根掘り葉掘り聞いて、なんて無神経な事を言ってしまったんだろう。
「ご、ごめん! 事故の事なんて、思い出したくないよな……ごめん、俺、ほんと無神経で」
「……いいよ、別に。お前は悪くない」
そう言う那緒は、やっぱりまだ辛そうな顔をしている。ほんの少し残ったカレーが何となく喉を通らなくて、悪い気がしたけどそれ以上食べる気になれなかった。
最後は暗い雰囲気なって、それ以降会話が続かなかったけれど、帰り際、店の前で思いきって那緒に声をかけた。
「な、なぁ、またこうやってさ……ご飯とか、会ってくれる?」
少し驚いた顔をした那緒だったが、フッと柔らかい表情で微笑んだ。
「……あぁ、いいよ。また行こうぜ」
「ほんと!? じゃあ、また誘うから、既読無視すんなよな!」
その言葉が嬉しくて、笑顔で那緒に手を振った。
「ふ、ガキかよ……おい、煌太ー! 仕事頑張れよー」
後ろから、名前を呼ぶ那緒の声が届いて、心臓の鼓動が大きく跳ねて、体が熱くなっていく。真っ赤になった顔がバレるのが恥ずかしくて、背中を向けたまま手をヒラヒラと振り返した。
(名前、覚えててくれたんだ……あいつ今、どんな顔してるんだろう)
浮かれた気持ちのまま始まった午後からの仕事は、正直身が入らなくて先輩に少し注意を受けた。
でも、その日はずっと笑顔でいれて、先輩も少し不気味がってた。
あいつと一緒に過ごせて、ちょっと名前を呼ばれただけで、こんなに浮かれてしまうなんて。
男だとわかった今も、そんなこと関係ないくらいに那緒の事で頭がいっぱいだった。
そして、あいつのこぼした言葉が、やっぱり頭の片隅に引っ掛かっていた。
――俺の方はそこまで重傷じゃなかったから……
「あれって、どういう事だろ……もしかして、単独事故じゃないのか? だとしたら、もう一人の負傷者って……」
気になって、夜中にもう一度事故の情報を調べてみたけれど、前と同様に変わった記事は見つからなかった。
気がつけば0時を回っていて、少し頭を冷やそうと、窓を開けてベランダに出る。夜風がそよそよと吹いて気持ちが良く、適度に頭の熱が冷めていく。その時ふと桜の花びらが舞い散る景色を思い出して、昼間に撮ったスマホの写真をもう一度見てみた。
「ふふ、やっぱ、いい感じに撮れてる……あ、そうだ!」
ある事を思い付いて、那緒のチャット画面を開く。
『今日、カフェ行く途中に撮った桜。将来有名カメラマンになる煌太様の作品だ! 待ち受けにしてもいいよ』
メッセージと共に、桜の写真を添付して送る。ちょっと調子に乗ったかもだけど、いつもの暴言のお返しだ。
「はは、見てくれるかな」
だんだん風が冷たくなってきて、体が冷えないうちにベッドに潜り込むと、疲れてたのかすぐに眠気が襲ってきた。
眠りに落ちる直前に、スマホの通知が鳴った気がしたけれど、俺はもう夢の中に入ろうとしていた。
『調子乗んなよ。でも……綺麗な写真だと思う』