4話 事故の傷跡
――株式会社○○ カメラアシスタント 天宮煌太――
「アシスタントじゃねぇか……」
自室の椅子にもたれ掛かって、もらった名刺を部屋の明かりにかざした。
(あいつ、俺の写真撮りたいとか言ってたけど、まだまだ新人じゃん。大口たたきやがって……)
バカにしたような言葉が沸くけれど、なぜか口元は緩んでいた。
10年前のあの日、俺は父と共にいつものようにスノーボードの練習に来ていた。
まだ予定の時間より早かったから、ウォーミングアップに初心者エリアを滑ってたんだっけ……
最初は俺と同じくらいの子供がいるなくらいに思ってた。だけどあいつ、あんまり何回も転ぶもんだから、だんだん気になって観察してたんだ。
雪に埋もれて、転んでも転んでも、嬉しそうに笑い声をあげて駆け回る姿が面白くって。気がつくと、俺も自然に笑ってた。
あいつと遊んだ時間はわずかな間だったけど、すごく楽しかったのは覚えてる。
特に、俺の滑りに目を輝かせて喜んでいた事が印象的で、いつかもっと、すげぇ技を見せてやりたいって思った。
確か、それからだったかな、あいつが口開けて驚くくらい高く飛んでやろうって、バックサイドエアーの練習を始めたのは。
「……あいつと別れた後、一緒に練習する約束だったライアンに、バックサイドエアーを教えてくれってうるさく言って困らせたっけ」
あの頃はライアンとも仲が良くて、いつも一緒に練習してたな。
「どうして、こんな風になったんだろ……」
気を抜くとつい、暗い気持ちに押し潰されそうになる。椅子の上で丸まっていると、ドアの猫用扉がパカッと開いた。
「ンナァ~~オ……」
特徴のある鳴き声で寄ってきた黒猫のボスが、ザリザリと指を舐める。療養中は日本に馴染みの先生がいるから、その病院に通うことにしている。その間は婆ちゃん家に泊めてもらってて、ボスはその婆ちゃんの飼い猫だ。もうお爺ちゃんだから、鳴き声もちょっと渋くなってる。
ボスは昔から俺が落ち込んでいる時には寄って来てくれて、まるでこっちの感情を察して、慰めてくれるようだった。
「ボス、撫でてほしいの?」
気まぐれに頭や顎を撫でると、気持ちがいいのか目を閉じてゴロゴロと喉を鳴らしだす。
「ふふ、おっさんみたいに鳴くなよ」
しばらく撫で回してから、俺はボスの体を抱きかかえて勢いよくベッドに転がった。
まだ夜は少し寒くて、ボスの温かい体を抱き締めながら、ベッドの上で体を丸める。
(余計なことなんて考えなくていい……ただスノボで一番になれば。ライアンの代わりに……)
その日は久しぶりに夢を見た。ほとんど覚えていなかったけど、楽しいような、後悔で胸が締め付けられるような、色んな感情が混ざり合って、目が覚めるとまるで走った後のように息が弾んでいた。
「あら、おはよう那緒。今日は早起きねぇ」
1階のリビングに降りると、婆ちゃんがボスに朝ごはんをあげていた。起きた時居ないと思ったら、ご飯をもらいに行ってたのか。
「おはよ。今日は中野先生のところ行くから」
「そう。気を付けて行ってらっしゃいね」
婆ちゃんは穏やかな顔で笑って言った。のんびりしてるけど優しくて、いつも少し離れた所から見守ってくれる。それが、今の俺には心地よかった。
「朝ごはん食べるでしょ? お味噌汁と、昨日の晩ごはんの残り物~」
ご機嫌に鼻唄を歌いながら、婆ちゃんは次々と冷蔵庫からおかずを出してくる。
「いや婆ちゃん、さすがに朝からこんなにいらないって」
「そうかい? 遠慮しなくていいのに」
「遠慮はしてないけど、こんな食えない」
「ふーん、残念ねぇ」
断ると婆ちゃんはしょんぼりとしながら、出したおかずをまた冷蔵庫にしまおうとする。
「……はぁ、それ。その、なんかよくわかんないお好み焼きみたいなのだけ食べるよ」
「ほんと!? これ昨日初めて作ったんだよ! とろろとネギを焼いたヤツ」
俺の言葉で婆ちゃんはあっという間に調子を取り戻す。あまりの変わり身の早さに、気を遣って損をした気分だった。
(ふぅ、やっぱり食べすぎた……)
朝食の事を後悔しながら、病院の待合室で順番を待っていると、30分ほどで名前が呼ばれた。
「白瀬さん、どうぞ」
「はい」
診察室に入ると、中野先生が笑顔で迎える。
「いやぁ久しぶりだね那緒くん! 元気だった!? って調子悪いから来たのか。あはははー」
中野先生はカナダでよく俺の怪我を見てくれた先生だ。スノボに怪我は付き物だから、日本人の先生がいたことで、カナダでも安心して通うことが出来た。
先生は勉強のためにカナダに来ていて、何年かすると日本の病院に帰ることになったけど、俺は先生を気に入ってたから、何かある度に日本に帰ってきては診てもらっている。
明るい性格で冗談も多いけど、診断は的確で信頼出来る先生だ。ちなみに、アラフォーの独身で恋人募集中。
「ふふ、大丈夫だよ。ただちょっと、昔の骨折したところが微妙に痛くて」
「そっか、3年前のやつだね。じゃあ、こっちのベッドに座って」
「うん」
「確か右肩と鎖骨だったね。ちょっと動かすよ……これは? 痛い?」
「……ち、ちょっと痛いかも」
ベッドに腰かけると、先生は俺の右腕を伸ばしたり、回したりする。腕を捻るように動かした時、少しだけ鋭い痛みがあった。
「うーん、レントゲン撮ってみないことにはわからないけど、炎症を起こしてるのかもしれないね……」
「それってすぐ治る? 今年の冬には大会、出れるよね?」
「炎症だけだったら、薬で落ち着くと思う。レントゲン写真を見てみないと判断は出来ないけど……那緒くん、焦る気持ちもわかるけど、無理しちゃダメだよ」
「……うん、ごめん」
先生は諭すように話してくれたが、正直、呑気に休んでいる時間なんてない。頭では先生の言葉は理解できたが、気持ちが変わることはなかった。
「もう、そんな顔しないで! とりあえず、今から写真撮って、問題なければ薬だけ出しとくからね」
「ありがとう、先生」
レントゲンを撮ってしばらくして、また診察を受ける。先生は神妙な顔で昔の写真と見比べていて、もしかしてと不安な気持ちが膨らんでくる。
「うーん、ん? うーん……」
「もしかして、ヤバイ?」
俺は我慢できなくなって前のめりで質問した。先生は真面目な顔で俺の方をしばらく見つめて、すぐに満面の笑顔になる。
「ふふーん、大丈夫だよ、骨に異常は無し! でも、やっぱり周りの筋肉が炎症起こしてるね。炎症止めの薬出しておくから、また1週間後に来てくれるかな?」
「はぁ、よかったー。わかりました、ありがとうございます、先生」
じゃあ、と頭を下げて診察室を出ようとしたら、先生が思い出したように声をかける。
「あ、そうだ。那緒くん、世界選手権、銀メダルおめでとう! 言うの忘れちゃうとこだったよー」
「……ありがとう」
ぎこちない笑顔で返すと、先生は俺の顔をまじまじと覗き込む。
「な、なに?」
「……ううん。イケメンだなーっと思って」
「なに冗談言ってんだよ。じゃあね先生」
いつもの冗談に安心して、診察室を後にした。
「いつまでも自分を責めちゃ駄目だよ……那緒くん」
病院を出る頃にはちょうどお昼時になっていた。婆ちゃんの謎のおかずを食べたお陰でそんなにお腹は減ってなかったけど、休憩がてらに近くのカフェに寄ることにした。
こっちに帰って来るのは1年ぶりくらいだけど、確か前もこの辺にいい感じの店があった気がする。
しばらくキョロキョロとしながら歩いていると、見たことのある看板が目についた。
「あ、ここかな」
店内に入ると満席ではなかったが、そこそこ席は埋まっていた。店員に案内されて窓際の席に座る。ちょうど外の日差しが差し込んで、気持ちがいい。
頬杖をついて目を閉じると、すぐにでも眠れそうだった。
「失礼します。こちらメニューになります。ただいま春の苺フェア開催中で、パフェなど特別メニューもございますので!」
「は、はぁ」
「お決まりになりましたら、こちらのコードでご注文ください」
男一人なのにスイーツの説明なんているのか不思議だったけれど、これは結構ありがたい。
(限定の苺パフェに、人気のフルーツパフェ……どっちにしよう)
メニューを見つめて悩んでいると、ふと煌太と会った時の事を思い出した。
(あの時も随分迷ったなー、さすがに今回は両方頼む訳にもいかないけど。でも、あいつもよく飽きもせず観察なんてしてたよな)
「……よし、苺パフェにするか」
煌太の事を思い浮かべると、不思議と笑いが込み上げてくる。やっぱりあいつは変なヤツだ。
スマホでコードを読み取り注文を済ませると、チャットから通知が来ているのに気づいた。文章は英語で書かれていたから、すぐに誰かはわかった。
「ライアン……」
『那緒、元気? 僕はなんだか眠れなくて、久々に那緒の声聞きたくなっちゃった。
体の調子はどう? 異常がなければいいけど、心配だよ。
早くカナダに戻ってきて、また滑ってる姿を見せてね』
ライアンからのチャットを読み終え、ドクドクと動悸がする胸を落ち着かせるため、深く深呼吸をする。
指先は少し震え、時間はかかったが何とか返信を返した。
『久しぶり、ライアン。体は大丈夫、少し炎症起こしてるだけだったから、また大会にも出れるよ』
返信を済ませてホッと息をつくと、すぐにライアンから着信があった。急な着信に心臓が大きく脈打ったが、ゆっくりと息をして呼吸を整えてから電話をとる。
「ハーイ、那緒。元気してる?」
夜中だからか気怠げな、低めの掠れた声が耳元に響く。
「元気だよ、体調は問題ないし。そっちは? 今日は眠れないの?」
「そうなんだ。明日早いんだけどね……ってもう今日か」
「ちょっとでも眠れるといいね。コーチの仕事は順調?」
「まあね、まだ日が浅いけど、それなりに。筋がいい選手が多いから、僕が特にアドバイスすることも少ないけど。僕が見た中で、やっぱり那緒の滑りが一番綺麗だよ」
「買いかぶり過ぎだよ」
「そんなことないよ! 那緒なら絶対トップ選手になれるんだから。僕の代わりに、これからも活躍してよね」
「……あぁ、まかせてよ。じゃ、そろそろ寝なよね」
「寂しいな。ま、仕方ないか……Good Night那緒」
「うん、またねライアン」
電話は切れて、ホッとして思わずテーブルに倒れ込んだ。
ライアンは俺がスノボを始めたきっかけで、少し歳が離れていたから、ちょうど兄のような存在だ。
今でも大事に思っているのは変わらない。けれどライアンの事を思うと、罪悪感で押し潰されそうになる。それが、今の俺には苦しかった。
――今の那緒は撮りたくない
――いつかまた、前みたいに楽しんで滑ってほしい……その為に俺、絶対、お前をまた笑顔にするから!
「煌太……」
なぜか煌太の言葉が頭に浮かんで、無意識にあいつの名前を呼んでいた。




