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26話 誰よりも自由に(後編)

 ライアンは真面目な顔で俺の答えを聞いていたが、しばらくすると呆れたように息を吐いた。


「ダサ……何マジになってんの? カッコ悪ぅー」

「なぁ!?」


 ライアンは両手のひらを広げて、肩をすくめるようなポーズで笑う。

 アメリカのドラマとかで良く見る、バカにする時のやつ! 初めて本物を見れてちょっと嬉しいけども! やっぱムカつく!


「あ、あなたが聞いたんでしょう!?」

「ふん……どう感じようが、僕の自由だろ」

 く、くそう……那緒の知り合いじゃなかったら……

 怒りが顔に出ないよう、作り笑顔で誤魔化してみたが、ライアンはまるで挑発するようにベロを出した。

 もしかしてスノーボーダーって、みんな性格が悪いのかも。


「はぁ……いいよ、わかった。明日の決勝が始まる前、那緒と話をするよ」

「えっ、本当ですか!? ありがとうございます!」

 嬉しさのあまりライアンの手をとり無理矢理に握手をした。ライアンはとても嫌そう顔をして引いていたけれど、それもまぁ仕返しと思えば悪くない。


「あの、俺もひとつ、聞いていいですか?」

 別れる前にどうしても、聞いておきたいことがあった。

「はぁ? なーに?」

「……那緒の事、恨んでないんですか?」

 ライアンは驚いたように目を見開いた後、静かに微笑んだ。

「確かに、僕はスノボが大好きだ。だけどそれ以上に、那緒と一緒に練習して過ごす時間が、何より一番大切だった……だから、那緒が僕に罪悪感を抱いてしまった時点で、怪我が無かろうが引退は考えていたさ」

「それじゃ……」

「僕が那緒を恨むなんて、そんなの、絶対にあり得ない。那緒は、僕の全てなんだから」


 優しい声で話すライアンの表情は、なぜかとても悲しそうに見えた。


――――決勝前 公式練習


 練習中、ジェームスの滑りは圧倒的で、他の選手の頭ひとつ抜けている。

 一方の俺は、目的の技を一度も成功させることが叶わずに、練習を終えた。

 最後の調整なのに、結局立て直すことが出来ないなんて。こんな調子じゃ、ジェームスの滑りなんて越えられない。

 

 決勝前にこんな気持ちになるなんて、思いもしなかったな。

 煌太にも、情けない姿、見せたくないのに。

 

 ふらふらと待機エリアに戻ろうとした時、ふと後ろから聞き覚えのある声がした。

 

「はぁ……全然ダメ。基本からやり直しだね」


「ラ、ライアン……どうして」

 まるで幻でも見ているような気分で、口を開けたまま動けなくなった。


「大会を見に来たに決まってるでしょ。でも……今のままじゃ、見るまでもないな」

「……ごめん、俺、偉そうな事言ったのに」

 

「ホント! 体のひねりは足りてないし、軸もぶれぶれ。おまけにグラブも全然掴めてないし、全部がダサすぎ。これじゃ、スタイル云々の話じゃないよ」

「な、なにも、そこまで言わなくたって!」

 流れるようなダメ出し……

 ムッとして顔を上げたら、そこには昔と変わらない、少し困ったような顔で笑うライアンがいた。


「……今の那緒は、事故の後と同じ顔してる」

 ライアンのその言葉に、全身が強張る。

 

「俺さ……やっと前に進めたって思ってたのに……結局また、ライアンに迷惑をかけただけで」

 たどたどしく言葉を絞り出すと、ライアンの呆れるような大きなため息が聞こえてきた。

 

「ねぇ、僕は一度だって、那緒の事をそんな風に思ったことはないよ?」

「でもっ、ライアンが引退したのは俺のせいで!」

「確かに、スノボは出来なくなったけど、日常生活に支障はない。それに、幸いこの美しい顔には傷ひとつないんだし? 何も問題ないじゃん」

 ライアンはおどけるように髪をかき上げる。

 

「そんなの……嘘だ。だって、あんなにスノボを愛していたのに」

「違うんだ」

「え?」

「僕はね。那緒と一緒にいれることが、何より楽しかった……それが、たまたまスノボだっただけ、理由なんて何でもよかったんだ」

「……ライアン」

「だから」


 ドンと、ライアンの拳が胸に当たった。


「余計な事なんて考えるな。誰のためでもなく、自分のために滑れ、那緒」


 そうか、俺……ずっと、ライアンからこの言葉を聞きたかったんだ。

 

 こぼれそうな涙をゴーグルで隠し、ライアンに背を向けた。

「……俺、絶対に負けないから。観客席で見てて」

「あぁ、もちろん」


 ライアンと別れた後、今までの気持ちが嘘みたいに落ち着いた。

 ジェームスの俺を恨む気持ちはよくわかる。だって、俺自身もずっと、同じ思いを持ち続けてきたんだから。

 でもライアンや、煌太がそばにいて、こんなにも俺の事を信じていてくれる。

 それが、俺がこれからもずっと、スノボを続けていく理由なんだ。

 

――――決勝前 煌太Side


「……ねぇ、天宮くん。言おうか迷ったけど、レンズキャップつけたままだよ」

「えっ? あ、通りで真っ暗だと!」

「もう、しっかりしてよ。まぁどうせ、白瀬くんの事でも考えてたんでしょ?」

「うっ……ま、まぁ」

 チラリと鈴原さんの顔を見ると、なぜかにっこりと笑っていた。

「10分だけ息抜きしておいで。しっかり気持ち切り替えて、この競技と選手達に失礼の無い、最高の撮影をしなきゃね?」

「はい!」


 鈴原さんに深く頭を下げ、走り出す。

 特にあては無かったけれど、今はどうしても、那緒の声が聞きたい。


 会場を少し下ると、撮影者はまばらになり、晴天の空と巨大な上り坂みたいなハーフパイプの絶景があった。

 高揚した気持ちのまま、スマホを手に、那緒の番号を押す。すぐには出ないだろうと、深呼吸で息を整えていると、通話の音は意外にも早く鳴った。


「……はい」

「な、那緒!?」

「おう、なんだ?」

 那緒の声色は妙に落ち着いて聞こえ、何だか拍子抜けして何を言おうとしていたのか忘れてしまった。


「な、なんだって言うか……特に、何もないんだけど」

「はは! 変な煌太。どうせ、予選で散々だったから、心配してたんだろ?」

「うっ……当たり、です」

 図星をつかれ、気まずく返事をすると、スマホ越しに明るい笑い声が響いた。


「ぷっ、ははは……なんで敬語なんだよ」

「ふふ、ごめん。でも、声が聞けて、なんだか安心した」

 ひょっとしたら、俺の勘違いだったのかも。そう思えるくらい、電話での那緒の様子はいつも通りだった。


「なぁ、煌太……」

「ん、なに?」

「俺の滑り、最後まで見届けてね」

「うん、必ず。だから……負けるな、那緒!」

「おう、任せろ」


 それを最後に、電話は終わった。

 那緒の言葉はとても頼もしくて、なにか吹っ切れたような感じがした。

 もしかして、ライアンが勇気づけてくれたんだろうか。そう思うと、ライアンへの感謝の気持ちと、2人の関係が少し羨ましく思えた。


 「やばっ、もう10分経ってるじゃん! 鈴原さんに怒られる!」


 スマホをポケットに押し込んで、慌てて坂を駆け上がる。

 これから始まる、決勝の舞台。何があっても、必ず見届けるよ、那緒。


――――


「那緒くん、そろそろウォーミングアップしといてね」

「はい」

 コーチの呼び掛けに、ベンチから立ち上がり軽く体を動かす。

 晴天だった空は、厚い雲に覆われ、パラパラと細かい雪が舞っていた。


「棄権せずに出てきた実力、どんなもんか見といてあげるよ」

 ジェームスの嘲笑うような挑発にも、不思議と苛立ちを感じない。

 もう、やると決めたから、恐れることなんて何もないんだ。


「……ジェームス、お前ももっと、自分自身と向き合った方がいいよ。俺なんかに、突っかかってないでさ」

 別に、皮肉でも嫌味でもない。本心から、思った言葉だった。

 笑いかけると、ジェームスは舌打ちをしてその場を離れていった。

 こいつともいつか、分かりあえる日がくるのかな。


「さ、那緒くん。次だよ、行ける?」

「……もちろん」


――――

 

 外の気温は氷点下。

 普段は動いて体を温めても、寒いのは変わらないはずなのに、今はまるで、身体中が火照ったみたいに熱い。

 それも当然だ……ずっと、この時を待ち望んでいたんだから。

 頂上から空を見上げると、風に煽られ、ふわふわと踊るようにパウダースノーが舞い出した。

 興奮して、熱くなった心を冷まそうとするみたいに、時折冷たい雪が頬に触れる。

 小さな雪のカケラは、冷たくて心地いい。だけど……


「冷静になんてなってられない!」


 高揚する心に、自然と口角が上がる。

 パンっと両手を叩き、ボードを片足で跳ね上げ滑り降りた。


 雪とボードの擦れる音、疾走感が気持ちいい。

 もっと、もっと速く! 高く……翔べ!


 低くしゃがみ込むような体勢で踏み切った先に、雲の隙間から眩い光が差す。


 まるで……空に手が届きそう。


(頑張れ! 那緒!)

 息をするのも忘れるくらい、俺は夢中でシャッターを切った。

 どうか、最後まで無事に走り抜けて!


――――

 

「高く、精度のいいバックサイドエアーだな。ライアン、あいつに何か言ったのか?」

「いや? 別に、挨拶しただけだよ」

 那緒。そんなもんじゃないだろ? もっと、高く翔べるはずさ。


 昔の那緒は、スピード重視の鋭い滑りが特徴的だった。

 正直リスクはあったが、決まった時の破壊力は凄まじい。

 けれど那緒は、僕との接触事故を経て、リスクを恐れ、安定した技重視のスタイルに切り替えた。

 ミスが少なくなった分、得点は安定するようになったけれど、それは、那緒の望むスタイルじゃなかった。


「でも……もう自由に翔べるだろう?」


 迫力と、恐怖を覚えるほどのスピードで繰り出される技は、圧倒的な迫力で見る者を引き付け、魅了する。

 忘れようとしていた、スノーボードへの熱がまた、甦ってくるような感覚。

 もう、自分が滑ることなんて考えていなかったはずなのに…… 


『白瀬選手の1回目の得点が出ました……91,25。現在1位の得点です!』


「荒削りだが、昔と比べグラブや着地の精度も上がってる。二回目も期待できるな?」

「……あぁ、まだまだ、こんなもんじゃない」

「どうした? 難しい顔をして」

「ん? ふふ、ちょっと、滑りたくなっちゃった」

「ライアン……」


――――


「良かったよ、那緒くん!」

 コーチは興奮気味で背中を叩く。

「はぁ……はぁ、最後、スピード落ちちゃいました」

「全然! むしろあれが普通のスピードだから。さ、次まで休んでて」

「はい」


 待機場のモニターを見ると、ちょうどジェームスの滑りが始まる。

 華麗な技と、ボードが吸い寄せられるような、スムーズな着地。

 高難度の技を難なくこなし、尚且つ完成度も高い。


 得点発表前、ジェームスは勝利を確信するようにボードを高く挙げる。

 その数秒後、沸き上がる歓声と共に、95,00の高得点が発表された。


「ふ、やっぱ、大口叩くだけあるわ」

 

 戻ってきたジェームスは、他の選手と握手やハグをし、自信に満ちた表情だった。


「お疲れさま」

 声をかけると、ジェームスは勝ちを確信したように言い放つ。

「短い1位だったな。次は怪我しないように適当に流せば?」

「余計なお世話。ちなみに、まだ本気、出してないから」

「はぁ!? 適当言ってんじゃねーよ、腰抜け」


 そう吐き捨てて、ジェームスは離れた。

 確かに、何の考えもない口から出任せ。

 でもそう自分を追い詰めるほど、心の内から熱が沸き上がるような感覚があった。


――――


 決勝、最後のRun。

 どうあがいても、これで全てが決まる。

 頂上からハーフパイプの先を見据え、静かに目を閉じた。


 自分の未熟さが原因で、ライアンを傷付けたことを、俺は決して忘れない。それで恨まれる事がこれからもあったとしても、俺はもう振り返らず、自分らしく滑り続ける。

 大事な人たちが、俺の、かけがえの無い宝物だから……それだけで、何も恐れるものなんて無い。

 

 誰よりも自由に、翔べるんだ!


 低くしゃがみ込んで滑り出すと、冷たい風が身を切るように吹き付ける。


 見てろよ煌太! 瞬きしてたら見逃すぜ?


 これまで感じたことの無いスピードで、空へ舞い上がる。

 ふふ、あいつ、驚いてるかな?


――――


 (速い! 連写でも追い付いてるかわからない!)

 さっきよりも圧倒的なスピードで飛び上がった那緒は、確実に今大会で一番の高さに見えた。


 見入って撮るのを忘れそうな程のスピードと高さ。

 これが、本来の那緒の滑り……


 強気で、挑戦することを諦めない。

 そんな思いが伝わってくるような滑りだった。


 ――――


 トリプルコーク1440(縦3回転、横4回転)

 昔教えてもらった、ライアンの代名詞とも言える技。

 あの時は、こんなの自分には出来ないし、合わないって思ってた。

 でも、今ならやれる気がする……いや、むしろやらなきゃ、あいつには……ジェームスには勝てない!


(……翔べ!!)


 泣いても笑っても、これが最後のトリック!


 加速をつけたボードが雪を蹴り上げる。感じたことの無い速さで回転する中、ライアンの姿を思い浮かべた。


(これが……ライアンの見ていた世界)


 高い空の中で、目の前がとてつもない速度で回っていく。


(頼む! 降りてくれ!)

 

 なんとか着地は成功するも、衝撃で足がぐらつく。


(あと少し、滑りきるんだ!)


 必死で踏みとどまりエンドラインを越えると、急に全身の力が抜けてその場に倒れ込んだ。


 大の字になり見上げた空は、いつの間にか雲は晴れて、澄み渡るような青が広がっていた。

 無音のような世界で、弾む息を整えていると、遠くで名前を呼ぶ声がする。


「那緒! 那緒ー!」


 顔を向けると、煌太が走って向かっているのが見えた。


「那緒! 那緒、大丈夫か!?」

 煌太は俺の上半身を抱き上げて、心配そうな顔をしている。

 

「ばーか、撮影ほってきちゃダメだろーが。見習いに降格」

「ふふ、ごめん……でも、今回ばかりは無理だ」

 力強く抱き締める煌太の体を、精一杯抱き返した。


「煌太、俺ね……煌太のこと、大好きだよ! 10年前に出会った、あの日からずっと」

「へ……忘れてたんじゃ、ないの?」

「ん? 割りとすぐ思い出したよ?」

「聞いてないし! もー、早く言ってよー」

「へへ、悪かったって……それで? 煌太はの返事は?」


 煌太は顔を真っ赤にして目を見開くと、柔らかな笑顔で微笑んだ。


「ふふ……好きになったの、俺の方が先だから」


 ゆっくりと重ねた唇は、温かく……心地よくて……

 このまま、時が止まればいいと思うほど、心が満たされていた。


――――


 ジェームスは1回目の記録に届かず、那緒は見事に優勝を勝ち取った。

 過去を乗り越え、自分らしい滑りを取り戻した那緒は、きっとこれからも、誰よりも高くあり続けるだろう。

 そして俺も、そんな那緒の姿を、ずっと近くで撮り続けたい。

 それが、俺の一番の幸せだから。


 そして今日も、那緒は俺のそばで膨れっ面で騒いでいる。

 

「なー、煌太ー! まだ終わらないのー?」

「ちょ、あとちょっと待ってよ!」

「腹減った! 早く飯行こうぜー」

「だー、もう! わかったってば!……よし、終わったぞ、那緒」

 振り向くと、那緒は不意に、唇を重ねた。

「ふふん、スキあり」


 素直じゃなくて、強がりで、気まぐれな俺の恋人……

 

  


最後まで読んで頂きありがとうございます(^^)

もしよろしければ、ライアン・アダムスの短編「沈むアスタリスク」も是非読んで見てくださいね( ◜ω◝ )

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