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23話 躍進

 那緒のアメリカ行きを知った後、チャットにメッセージを入れた。

 それから数日、また例のように音沙汰はなかったけれど、ある日突然那緒からの返信があった。


『ごめん……でも、ありがとう』


 たった一言だけの返事。

 それでも、スマホを見たときはめちゃくちゃ嬉しかった。

 拒絶されたわけじゃなかったって、わかったから。

 「離れていてもずっと応援してる」なんてチャットには送ったけれど、実を言うとカッコつけたただの強がり。

 本当は今すぐアメリカへ追いかけて、那緒に会いたい。

 だけど、たった一人スノボに向き合っている那緒を、信じて、応援したい気持ちは本当だ。

 そして俺も、そんな那緒の姿を必ず写真に残したい。そのためにも、今自分の出来ることを頑張らなきゃ。


 言葉を返すと名残惜しくなるから、返事はスタンプだけにした。


「頑張れ……那緒!」


――――12月某日


 その日の午後は、那緒の出場予定のハーフパイプ世界大会の撮影に向けて打ち合わせが行われた。


「じゃあ、当日僕らは競技エリアでの撮影がメインになります。撮影担当者は、資料で担当場所の確認をしておいて」

 リーダーの鈴原さんに配られた資料に目を通す。

 俺の場所は……ちょうどハーフパイプの真ん中くらいの位置だ。

 それはそうと、資料にはひとつ気になる所があった。


「あ、あの、鈴原さん」

「ん? どこか、わからないところでもあった?」

「い、いえ。今回は横川さんについてないんですけど……俺、誰につけばいいんですかね?」


 いつもは横川さんとセットなのに、今回は担当場所に俺の名前しか書かれていない。

 疑問に思って質問すると、鈴原さんは意味ありげにニッコリと笑った。


「天宮くんは、今回メインカメラの一人だから、誰にもつかなくていいんだよ」

「なーんだ、そうなんですか…………へ? メ、メインカメラですか!?」

「ふふん、そうだよー」

「そ、そうだよーって……本当にいいんですか?」

 

 正直嬉しくないわけじゃないけれど、突然の事に頭が付いていかなかった。

 動揺する俺に、鈴原さんは優しい声色で話す。

  

「天宮くんの最近の頑張りは、みんな評価してる。もちろん、技術面もね。だから自信を持って、今回は是非頑張ってほしいと思ってる。皆さんは、どう思いますか?」

 

「少し早いかもしれませんが、いいんじゃないですか?」

「問題ないでしょう。もちろんフォローしますし」

「何事も経験ですしね」


 鈴原さんの問いかけに、会議に参加していた先輩たちはそれぞれ温かい言葉で迎えてくれた。

 ただ一人を除いて。


「えー? 本当に大丈夫ですかぁー? また何かやらかしてくれたりしないですかねぇー。ひひ」


「よ、横川さん」

 横川さんは資料を見つめながら陰湿な笑みを浮かべていた。そのねっとりとした嫌味な一言で、その場の空気はどんよりとし始める。

 皆が苦笑いで言葉を失っている中、鈴原さんが大きなため息を吐いた。

 

「はぁ、横川くん、何今さら憎まれ口叩いてるの? 天宮くんを押したのは君でしょーが」

「え、そうなんですか?」

「そうそう。頑張ってるし実力もあるって。僕に相談してくれたんだよ」

 信じられなくて横川さんを見つめると、赤い顔をして何故か気まずそうに明後日の方を見ていた。


「横川さん! ありがとうございます!」

「ちょ、声がでかいんだよー。鼓膜が破れちゃう」 

「ふふ、はい! すみません!」

 嬉しくてつい大声を出してしまい、横川さんは大袈裟に耳を塞いで嫌がっていた。

 

「ぷっ……ほんと君たち、いいコンビだよねー」 


 こんなに早く、メインカメラを担当できるなんて思いもよらなかった。

 普段はからかわれるだけだったけれど、自分の写真を認めてくれた先輩には感謝してもしきれない。

 今度横川さんの好きなプロテインバーでも差し入れしてあげようと思う。


 打ち合わせが終わり部屋を出ようとした時、突然鈴原さんに呼び止められた。

「あー、天宮くん、ちょっといい?」

「え? はい」

 ちょいちょいと手招きされてそばに行くと、鈴原さんはスッとスマホの画面を見せた。

「これは……」

「世界大会の出場選手の練習風景だよ。ここ、見てみて?」


 スクロールされた画面を見ると、ある日本人選手の話題が書かれていた。


「日本代表の白瀬那緒選手……7メートルを越えるエアーを記録か……えっ、那緒が!?」


「凄いでしょ? 知り合いのカメラマンが現地に撮影行ってて、昨日送ってくれたんだ。まぁ練習中の記録だから正確ではないけど、それでもとんでもない記録だよね」

「はい! めちゃくちゃ凄いですよ!」

 写真の那緒は、空に届きそうなくらい高く飛んでいて、まるで鳥みたいに自由に、どこへでも羽ばたいて行けそうだった。

 素人の俺が見ても、めちゃくちゃにかっこいい姿に興奮が冷めず、その写真から目が離せなかった。


「彼、だいぶ変わったね。写真だけだけど、以前とは雰囲気が変わったし、まるで重い足枷が無くなったみたいに自由に滑ってる」

 鈴原さんの言う通り、那緒の滑走する姿は、とても大胆で、見せつけるみたいに自信に溢れていた。

 俺は、事故の後の那緒の滑りは知らない。でもきっと、これが本来の那緒の姿なんだって、直感的に思えた。


「……俺、絶対にいい写真撮りたいです」

「うん、そうだね。君の友達も、きっと最高の演技を見せてくれるよ」

「はい!」


 何があっても、那緒の滑りを最後まで見届けよう。

 そして、那緒の全力の姿を、最高の瞬間を切り取るんだ。それが俺に出来る唯一の事だから。


――――1月某日 カナダ 


 カナダ、バンクーバー。今日は一段と気温が低く、この歳になると寒さも堪える。

 白瀬の出場するハーフパイプ世界大会も、あと数日に迫った。

 それなのにライアンときたら、未だにウジウジと煮えきらない態度で、大会の観戦に誘ってやったのに「でも」だの「だって」だのはっきり返事をしない。

 だから今日もこうやって、仕事場(スノーパーク)までわざわざ尻を叩きに来てやったというわけだ。


「おい、新米コーチ。今日はまだ終わらないのか?」

「……はぁ、また来たの? 暇なマネージャー」

 ライアンは事務所でパソコン作業をしたまま、横目でチラリとこちらを見る。

「暇なんじゃない。時間を作ってるんだ」

「どっちでもいいよ。もうすぐ終わるから、15分待って」


 言われるまま、そばにあった椅子に腰を降ろす。

「……事務作業も慣れたもんだな。まさかお前がこんな仕事をするようになるとは」

「うるさい、気が散るんだけど……わざわざそんな事言いに来たわけ?」

「ふん、わかってるんだろ?」

「さぁ……」

 こいつ、いつまでシラを切るつもりだ?


「白瀬の大会の事だ。まだハッキリ返事を聞いていない」

 俺の問いかけに、それまでリズムよく鳴っていたキーボードの音がピタリと止んだ。 

「……僕が行ったって、那緒の迷惑になるだけだよ」

 消え入りそうな声で、ライアンは呟いた。


「お前……あいつの滑りを見届けるんじゃなかったのか?」

「だって……今さらどんな顔をして那緒に会えばいいのか、わからないし」

 まるで不貞腐れたよう頬を膨らませモソモソと話す様子に、呆れて思わずでかいため息が出た。

「はぁ、ガキかお前は……」

「アメリカでの練習の事は知ってる。非公式だけど、7メートル近い高さを記録したって……那緒は、以前の自分を取り戻しつつある。いや、きっとそれ以上に成長してるんだ……けどそれは、僕のもとから離れてくって事だろ!?……そんなの、悲しいよ……」

 ライアンは徐々に声を荒げ、感情を露にする。

 

「悲しい、か……それは、見てみないとわからないと思うがな」

「でも……」

 それでもまだ、ライアンは浮かない顔をしていた。俺はスマホを取り出し、ライアン宛にメールを送った。

「お前の分の飛行機のチケットだ。空港で待ってるから、必ず来い」


 メールを見たライアンは、驚いた表情のまましばらく固まっていた。

「……どうして、そんなにお節介なんだよ。マネージャーには関係ないだろ」

「俺は……お前にも変わってもらいたいんだ。前に進もうとしている、白瀬のように」


 それだけ伝えると、ライアンはそれ以上何も言わなかった。

 なんにせよ用事は済んだんだ、俺はそのままパークを出た。

 この後はこいつが決めることだし、もう俺にはどうしようもない。

 しかし確信はあった。こいつは、必ず来るだろうと。


 白瀬が事故の罪悪感に縛られていたように、ライアンもまた、事故以来白瀬に依存し、縛られている。

 スノーボードが出来なくなってから、あいつは成り行きのまま、コーチやモデルの仕事を始めた。

 しかし、仕事に対する熱意のようなものは感じられず、ただ求められていることを淡々とこなしているようだった。

 白瀬が自身のスタイルで滑りたいと言ってから、ライアンの感情は揺らいでいる。

 でもそれは、悪い事ではないと俺は思っている。

 大会で白瀬の滑りを見ることで、あいつが再び心に熱を宿せればいいんだがな。


「お前も、いい加減前を向けよ、ライアン」


 誰もいない車の中で、励ますように言葉を送った。


 

 


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