22話 再起
――――11月某日 アメリカ、コロラド州スノーパーク
練習に参加して数週間が過ぎた。
ここを訪れるのは初めてじゃないが、この時期にも積雪は安定していて、パウダースノーで滑り心地もいい。
それに世界中からトップ選手が集い、切磋琢磨して技術を磨くこの場所は、まさに理想の練習環境と言えるだろう。
そんな充実した環境にも関わらず、俺は自分の気持ちさえ切り替えられないまま、成果も上げられずパッとしない日々を送っていた。
「那緒ー! どうよ、調子は?」
ご機嫌な調子で話しかけてきたのは、前回の冬季オリンピック初出場で銀メダルを獲得したハーフパイプのルーキー、ジェームス・ライト。
クールな性格の選手が多い中、ジェームスだけはいつもぐいぐいくる。正直、扱いが面倒くさい。
「別に、いつも通りだよ」
適当に滑りながら、そのまま逃げようとしたけれど、ジェームスはすかさず回り込んできた。
「もー、しばらく一緒に練習するんだしさ、もっと仲良くやろーよ」
「……友達作りに来てるわけじゃないから」
仲良くなんて、している暇はない。本格的にその場を離れようと、額に上げていたゴーグルを着け直す。
「ほんと、クール通り越して無愛想だよねぇ……全く、ライアンもこんなののどこがいいんだか」
ボソッと言い放たれた言葉に、さすがに少し苛立ちを覚えた。
「ライアンの事は、関係ないだろ」
睨み付けると、ジェームスは不敵な笑みを浮かべる。
「あっは、やーっとこっち見た。あの対談さ……俺も見たよ。せっかくあのライアンに目をかけてもらってるのに、わざわざ自分のスタイルで滑りたいなんて偉そうなこと言って。どんなもんかと思って見てみたら……ほんと、期待外れもいいとこ」
「……はぁ? お前、何勝手なこと言って」
「せいぜい、これ以上恥を晒さないようにしなよ」
ジェームスは耳元で囁くと、颯爽と滑ってどこかに消えていった。
悔しい。あんな言いたい放題言われて、めちゃくちゃムカつくはずなのに、身に覚えがあるのが本当に悔しい。
何も言い返せない自分に腹が立って、情けなくて、しばらくその場から動けなかった。
――――
この日も、これといった成果もなく、無難に練習が終わった。
パークの宿泊施設、ベッドに倒れ込むと、そのまま吸い込まれて起き上がれなくなるような感じがした。
「はぁー……最悪」
一人で呟くと、なんとも寂しいような虚しい気持ちが押し寄せてくる。
元々、一人を寂しいなんて思うタイプじゃない。けれど今日は特に、誰かのそばにいたいような、そんな思いが渦巻いていた。
いや、誰かじゃない。そばにいてほしい人なんて、一人しかいない。
こっちに来てから、スマホはなかなか見る時間はない。それもあるけれど、あえて意識的に見ないようにしていた。
見てしまうと、自分の弱い部分が、すぐに煌太に頼ろうとするから。
「……今日もチャット、来てない」
毎日のように届いていたチャットが、ここ最近は途絶えている。
いきなり何も言わずにいなくなって、返事も返さないんだ。そんな友達なんて、切って当然だよな。
「俺、何しにここまで来たんだろ」
上を向いてスマホを眺めていたら、手が滑って顔面を直撃した。
「ぶぇっ!」
鼻に強烈な痛みを感じつつ、スマホを拾い上げると、偶然煌太のチャット画面が開いてしまっていた。
『那緒、お疲れさま! トレーニングは順調?』
『今日も残業だー。横川さんの手伝い終わんねぇー』
『何か、最近寒い! 那緒、風邪引かないようにあったかくして寝ろよ』
『なんか、最近忙しい? 無理、するなよ』
『ごめん、返事が無いから心配で……疲れてるのか?』
返事もせず、既読にすらならないのに、煌太の毎日のチャットは続いていた。
仕事の話とか、どでもいいような事だけど、どれもこれも、俺のことを心配している内容ばかり。
「どうして煌太は……そんなに優しいの」
だんだん涙でスマホの画面が滲んで、チャットの文字がユラユラと揺れる。
ゆっくりと、噛みしめるように読んでいくと、最後に送られてきたチャットに辿りついた。
『那緒、アメリカに行ってるんだね。心配で、那緒の家に行ったら、おばあさんが教えてくれた。
何も言ってくれなかった事、正直ショックだった。
けどね、俺、絶対また会いに行くから!
那緒にウザがられても、嫌われても……いや、嫌われるのはイヤだな、やっぱりなし!
とりあえず俺は、離れていても、ずっと応援してる! 何も言ってくれなくても、那緒が頑張ってるって、信じてるから。
だから……那緒のすっげぇエアー、世界中のヤツに見せつけてやれ!
本当は、今すぐにでも会いたいけど、俺も、今自分に出来ることを頑張るから。
那緒も、自分のスタイル、絶対完成させてね!』
「……ふ、チャットでも、騒がしいのな」
煌太のチャットを見た途端、不安だった心がじんわりと温かくなっていく。
単純だよな。ついさっきまでいじけていたのに、煌太の優しい言葉で、すぐに心が喜んでしまう。
離れる? 友達として距離をとる? そんなの、やっぱり無理だ。
だって、こんな些細なことで心が震えて、たまらなく会いたくなるんだから。
『ごめん、でも……ありがとう』
震える指で一言、煌太に返事を送った。
練習の疲れか、その日はそのまま寝落ちしてしまっていたらしい。
目を覚ますと、煌太から返事が届いていた。一つだけの、可愛い犬のキャラクターのスタンプ。
懐かしい、あいつがよく使うやつだ。
それから数日、またあいつからのチャットは来なくなった。
それでも寂しさはもうない。あいつは俺の事を信じて応援してくれて、それが何より、俺の力になるから。もう、それだけで十分だった。
あの日から、吹っ切れたみたいに心が軽くなった。
煌太に情けない姿を見せられない。そう思うと緊張が解れて、体の奥から力が湧いてくるみたいに、何でも出来そうな気がした。
今日から本格的に、ハーフパイプでの練習が始まる。
その名の通り、でっかい筒みたいなコースを見下ろし、俺の心は高揚していた。
久しぶりに見るハーフパイプに、恐怖心が無いわけじゃない。でもそれ以上に、わくわくするような高揚感、技を見せつけたい顕示欲。
わずかな恐怖心など、その欲求の前には塵みたいに霞んでしまっていた。
「HEY、那緒! ビビって腰でも抜かした?」
「……ジェームス」
「また怪我する前に、やめといた方がいいんじゃない? なんなら、俺が見本、見せてやろうか?」
意地の悪い言葉には不釣り合いなほど明るい笑顔で、ジェームスは馴れ馴れしく肩を組む。
「何を考えてるか知らないけど、余計なお世話。俺より、自分の心配でもしてろ」
「はぁ!?」
「俺の後に、平常心で滑れるかって事さ!」
「!!」
あいつの言葉も待たず、思いきりコースに滑り降りた。
姿勢を低く滑走すると、冷たい風がマスクの隙間に入り込む。けれど寒くはない。熱を持ったみたいに熱くなった体には、むしろ心地がいいほど。
コースの切れ目、ボードの心地い音と共に踏み切ると、真っ青に晴れた空と、目が眩みそうなほど眩しい太陽が目の前にあった。
(本当に、手が届きそうだ)
その後のトリックは、夢中で滑っていたからか、正直記憶が曖昧だ。
滑り終えた後、他の選手からの歓声と激励。今まで話したことのない選手からも、声をかけられた。
練習の後、ジェームスは苦虫を噛み潰したような顔で、ずっと俺の方を見ていた。
あいつが俺に何を思っているかはわからない。
けれど実力のある選手だ。出来るなら余計なことを考えずに、大会では本気でやり合いたい。
「どう? 心配無用だったんじゃない?」
宿舎に戻る途中、通りすがりに声をかけた。
感じ悪いと思ったけれど、先に嫌みを言ったのはコイツだしな。
「……アンタ、やっぱりムカつく」
「ふ、お互い様じゃない?」
意地悪く笑ってやると、ジェームスは鋭い目で睨む。
「なんで突っかかって来るか知らないけど、いい結果残せるように頑張ろうぜ」
ジェームスの前で手を挙げる。
一瞬驚いたような顔のジェームスだったが、ムスっとしながらもパシッと手を合わせた。
「言ってろ、バーカ」
去り際の文句は余計だけど、少しは認めてくれたってことでいいのかな。
「なぁ……俺、頑張ってるよ……煌太」
見上げた夜空は雲一つなく澄んでいて、たくさんの星が輝いていた。
「日本も同じ星、見えるのかな……あ、あっちは朝か」
星の綺麗さに感動して、つい間抜けなことを言ってしまった。
一人でぼやいているのが可笑しくて、プッと笑いが込み上げる。
「ぷふ……こんなんじゃ、あいつにバカにされるな」




