21話 特別な
「那緒、もう行くの?」
「うん、ちょっと早いけどね」
「そう……気をつけていってらっしゃいね」
「うん、ばあちゃんも、風邪とか引かないようにね。じゃあ、いってきます」
「あ、那緒……あの子、お友達にはちゃんと言ったの?」
出ようとした瞬間、ばあちゃんが心配そうな声で聞いた。
「別に、大丈夫だよ。向こうでも、連絡はできるし」
「でも、仲良くしてたんじゃないの?」
「……ただの、友達だよ。じゃ、ほんとにそろそろ行くよ」
「那緒……」
そう自分に言い聞かせるように言って、俺は逃げるように家を出た。
これでいい。
きっと、近くに居すぎたんだ。煌太の優しさに甘えて、依存して。いつの間にか友達への感情じゃなく、あいつの事を好きになってた。
幸い、まだ何も伝えてはいないし、煌太も俺の気持ちになんて、気づいていないはずだ。
時々遊ぶ、仲のいい友達……それが普通だから、このまま一人の友人として、少し距離を取ろう。
煌太がそばにいてくれて、またスノボに向き合えるようになって、もう十分すぎるくらいの勇気をもらえた。
だからもう、俺一人の力で頑張らないと。
――――
那緒から連絡が来なくなって、数日が経った。
あの時、那緒は不安だからと俺に縋りついて、なぜか何度も「ごめん」と謝っていた。
思えばカフェで会った時……いや、あの電話の時から様子がおかしかった。
「……はぁ」
「ねー、ちょっとうるさいんだけど」
「へ?」
「そのため息! 今日何回隣で聞かされてると思ってるの?」
「はぁ……すみません」
「また言ってるし、もー」
横川さんはプリプリと怒りながらキーボードを叩いている。心なしか、いつもより圧が大きい気がするけど、そんな事も気にならないくらい、那緒の事で頭がいっぱいだった。
その日は珍しく定時で仕事が終わった。帰り道にスマホを見ても、やっぱり那緒からの連絡は無かった。
昼間に送ったチャットも、既読にすらなっていない。
「……なんで、何も言ってくれないんだろう」
那緒とはもう、何でも言い合えるような仲だと思っていたのに。
何があったのかわからないけれど、まるで避けられてるみたいで、仕事が手につかないくらいにはショックだった。
このまま連絡も取れず、だんだん疎遠になっていって、もう……会えなくなるんだろうか。
「……そんなの、絶対に嫌だ」
もうほとんど諦めかけていたのに、奇跡的に10年ぶりに再会出来た。
そんな那緒と、もう二度と離ればなれになりたくはない。ただの友達だと思われていようが関係ない、俺の正直な思いを伝えなきゃ。
そう思うと、足は自然に駅とは別の方向へ向かっていた。
――――
「確か、ここの通りを……あった!」
ここに来るのは、酔っぱらった那緒を送ったとき以来だな。
那緒、家にいるのかな。
一応、来る前にチャットを送ったけれど、やっぱり既読も付かず返信もなかった。
こんな時間に訪問なんて、おばあさんに迷惑だろうけど。それでもやっぱり、直接那緒に訳を聞きたい。
落ち着くために一度深呼吸をして、震える手でインターホンを押した。
しばらく待ったけれど返事はなく、誰も出てくる気配がない。
「うーん……間違えてない、よな?」
不安になってもう一度表札を確認してみたけれど、やっぱりここで合っている。
悩んでいると、急にガチャリと玄関のドアが開いた。
「あなた……那緒のお友達?」
「あ、は、はい! えっと……那緒は、留守ですかね」
驚いて思わず声が裏返ってしまう。それでも那緒の事を聞くと、おばあさんは困ったような顔をしてため息を吐いた。
「……やっぱり。あの子、あなたに言ってなかったのね」
「え、何を」
「ごめんね、あの子、数日前からアメリカに行ってるのよ」
「アメリカ……え、大会はまだなんじゃ」
「向こうの方が早く雪が積もるから、大会の数ヵ月前には海外に行くことが多いのよ」
「そう、なんですか……」
おばあさんの言葉は頭には入ってくるのに、うまく理解が出来なかった。
那緒がアメリカにいる? どうして、俺に何も言ってくれなかったの?
機会なら、いくらでもあったはずなのに。
「すみません、夜分にお邪魔してしまって……教えてくださってありがとうございました」
取り繕ったみたいに笑って、その場を立ち去ろうとすると、おばあさんが「あ!」と声をかけた。
「よかったら、お茶でもどう? せっかく来ていただいたんだもの、少しお話したいわ」
おばあさんはそう言って優しく微笑んだ。
特に断る理由もなく、招かれるままリビングに座ると、おばあさんはお菓子の入った器をポンと置き、いそいそとお茶を沸かす。
「お客さんが来るなんて何年ぶりかしら。それも那緒のお友達なんて、初めてじゃないかしらねぇ」
「はは……すみません、急にこんな」
「いいのよ! 私が無理を言ったんだから……はい、紅茶だけど、飲めるかしら」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
少し緊張しながら紅茶に口をつける。目の前に座るおばあさんをチラリと見ると、こちらを見てニコニコと微笑んでいた。
「あ、美味しいです、とても」
「ふふふ、あなた、やっぱりいい子ね」
「へ?」
「那緒もね、とってもいい子なんだけど、ちょーっと素直じゃないと言うか、ひねくれてる所があってね」
「ふふ、ちょっとわかります」
「でしょ!? でもね、うちに帰ってきて、しばらくしてからかな。なんだか、よく笑ったり、前に比べて少し素直になった気がするのよ」
「確かに、そうかもしれません」
ぼんやりと紅茶の水面を見つめると、ふと那緒の笑顔が思い浮んだ。
「……あなたのお陰ね」
「え、俺の?」
「たまに遊びに行く時、あの子ったらいつもお洒落して、嬉しそうにしてるの。あれ、きっとあなたと会ってたのね」
「……そうなんですか?」
那緒がそんなに楽しみにしていたなんて思うと、すごく嬉しいけれど、なんだか妙に恥ずかしい。
「那緒に仲良しさんが出来て、私も本当に嬉しいわ」
おばあさんは嬉しそうに話していたけれど、その言葉を聞くとなぜか切ないような気持ちになった。
「……でも、那緒は何も言ってくれませんでした」
那緒が、何を思っているのかわからない。
突然拒絶されたみたいで、もうどうしていいかわからなくなった。
「……那緒はね、昔から、何でも我慢しちゃう癖があるの」
「我慢、ですか?」
「自分の気持ちを押し込んじゃうの。辛いことや、嫌なこと、何でも隠して、平気そうな顔をする。まぁ、親しい人はだいたい気づいてるんだけどね」
おばあさんは、困ったように笑って話してくれた。
「今回も、何か隠してるんじゃないかしら……例えば、離れるのが寂しいから、言い出せなかった、とかね」
そう言って、おばあさんは優しく微笑む。
離れるのが寂しい……本当にそんな風に思ってくれているなら、なんて嬉しいんだろう。
「……俺、どうしたら」
連絡も取れず、アメリカに行ってしまっているのに、もう俺の出来ることなんて無いと思った。
それでも、おばあさんはなぜか明るい笑顔を向ける。
「閉じ籠ってるあの子の腕、思いっきり引っ張ってあげて」
「でも、そんなの」
「大丈夫よ! 那緒にとって、あなたは特別だもの」
特別。その意味はまだわからないけれど、おばあさんの話を聞いて、不思議とどうにかなるような気がした。
そうだ、大会では絶対に会える。
そこで那緒に、自分の思いを正直に伝えよう。
那緒にどう思われていても、それでも、こんな風に何も言われず離ればなれになるよりはマシだ。
「お、俺、頑張ってみます!」
「その意気よ! ってもうこんな時間……ごめんね、私ばかり話しちゃって」
「いえ、俺の方こそ、長居してしまって」
「そうだ! よかったら、連絡先交換しないかしら? 年寄りと猫一匹で寂しいから、また一緒にお茶でもしましょうよ」
「ふふ、俺でよければ、喜んで」
おばあさんはお茶目で可愛らしい人だった。
なぜか連絡先まで交換することになったけれど、ずいぶん若々しいおばあさんだったな。俺のばあちゃんなら、スマホなんてほとんど持ってるだけなのに。
でも、話が出来てよかった。
那緒のことも知れたし、自分のすべきこともわかった気がするから。
「今度は、お茶菓子でも持っていかないとな」
帰り道、ぼんやり空を見上げたら、黄色い満月が輝いていた。
そういえば、初めて那緒と公園で話した時も、綺麗な黄色の満月だった。
「……アメリカの月も、満月なのかな」
いや、アメリカって今は朝か。
那緒がいたら、「そんな事も知らねーの?」なんて、バカにされそうだな。
そんな事を考えるていると、無性に寂しさに押し潰されて、涙が出そうになった。
「何でなんも言わねぇんだよ、バカ」
人通りの少ない夜道を、一人ぶつぶつと呟きながら、その日は家に帰った。




