20話 嘘
――――10月某日 日曜日
那緒との約束の日、10月も終わり頃、辺りにもやっと秋らしいような空気が漂い始めていた。
待ち合わせのカフェの近くを通ると、金木犀の匂いがふんわりと鼻をくすぐる。
独特な香りだけれど、この時期だけの特別感があって結構好きだ。
でも、いつもどこに咲いているの見つけられない、謎の花でもある。まぁ、俺の学がないだけかもしれないけど。
那緒の話というのが妙に気になって、そんなどうでもいいようなことを考えながら街を歩いていた。
意識して違うことでも考えていないと、ずっとそればかり気にしてしまうから。
「はぁ、着いてしまった……那緒は、まだ来てないのか」
いったいどんな話があるのか、少し緊張しながら、トボトボと店に入る。
「いらっしゃいませ、一名様ですか?」
「あ、いえ、後でもう一人来ます」
「二名様ですね。こちらにどうぞ」
案内された席に座り、ぼんやりと外の様子を眺める。
休みの日だから、なんとなく男女のカップルが多い気がした。
「恋人か……」
そんな言葉が思わず口を突いて出て、我に返った。
「そうだ、那緒に連絡しとこ……」
チャットを打っていると、不意に肩をチョンと触られる。
「那緒?」
振り返ると、目の前には一人の女性が立っていた。
「あれ、もう忘れられた?」
にっと歯を見せて笑う、その顔を見た瞬間に思い出した。
「え、ミカ!? なんか、雰囲気違ったから、一瞬誰かと思った」
「ふふ、煌太は全然変わってないねぇ。すぐにわかったよ」
ミカは俺の元カノで、大学2年の時に、少しの間だったけれど付き合っていた。
大人しい見た目の割に意外と話しやすい子で、同じサークルで出会って一緒に過ごすうちに仲良くなった。
ミカからの告白で付き合うことになったけれど、数ヵ月経ったある日、突然別れを告げられた。
『私の事、本当は好きじゃないんでしょ』
そう言われた時、何も反論できなかった。
ミカの事は好きだった。だけどそれ以前に、俺の心の中には、あの時からずっと那緒の存在があったから。
自分では気にしないようにしていたけれど、ミカには普通にバレバレだったらしい。
別れることになっても、嫌いになったわけじゃなかったから、お互いに友達に戻ろうってことになった。
当時のミカはあっけらかんとして、明るく振る舞っていたけれど、今考えると、割りと酷いことをしたなと反省する。
「今日はなに? もしかしてデートの待ち合わせ?」
ミカ大学の時よりも明るい髪色のショートカットで、少し垢抜けたように見えた。
「べ、別に、そんなんじゃないけど」
「怪しい……あ、もしかして、例の本命の子なんじゃ」
コイツの勘は本当に、昔から妙に鋭すぎるんだよなー。
「もういいって。それより、ミカの方はどうなんだ? 一人寂しくカフェで何してるわけ?」
「あー出た、お一人様に対する偏見。でも残念でした、今日は彼氏と待ち合わせ。少し遅れるって連絡あったから、ここで時間潰してたの」
ミカはそう言いながら、俺の横に遠慮なくドシッと腰を下ろす。
「おい、何勝手に座って……彼氏に怒られるぞ」
「いいじゃん、友達と喋るくらい。ねぇ、仕事は順調? たしか、大手の写真代理店に就職出来たんだよね?」
「はぁ、変わらないねぇ」
こっちのことなんてお構いなしで、自分の興味のあることはぐいぐい来る。
ミカのそんな相変わらずの性格が懐かしくて、なんとなく心を許して少し話すことにした。
――――数時間前
そろそろ出なきゃいけないのに、ため息ばかりが続いて重い腰が上がらない。
「はぁ……行かなきゃな」
来週にはアメリカに行かなければならないのに、結局こんなギリギリまで、俺は煌太にアメリカ行きを伝えられていなかった。
あれから何度か二人で会う機会はあった。なのにいざ言おうとすると、喉につっかえたみたに言葉が出てこなくなる。
それでももう、いい加減に腹を決めて言わないと。
「やば! 時間過ぎてる!」
何気なしに時計を見たら、出ようと思っていた時間をとっくに過ぎている。
いつのまにか膝の上に居座っていた黒猫のボスを下ろして、慌てて部屋を出た。
最寄りの駅を出て、小走りで約束の店に向かう。
走りながらも頭の中では、何て切り出そうか悶々と考えていた。
(実は、来週からアメリカへ行くんだ……は簡単すぎるか。今まで言えなくてゴメン……離れ離れになるのが寂しくて……ってそんなん恥ずかしくて言えねぇー!)
「うおっ、ここだ。通り過ぎるとこだった」
店の前で軽く深呼吸をしてから、意を決して扉を押す。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「あ、いや、待ち合わせで……」
そう言いながら、店内を見渡す。
「……あ、いた。すみません」
店員さんにペコッと頭を下げて、煌太のテーブルに向かう。
(あれ、誰かと話してる?)
近くにいくと、煌太の隣には一人の女性が座っていた。
隣同士で、笑い合いながら話す二人。それを見た瞬間、まるで心臓が潰れるかと思うくらい苦しくなった。
「ん? あ、煌太、友達来たんじゃない?」
呆然と立つ俺に気づいた女性は、煌太の肩をちょんちょんと触る。
何気ない接触、それなのに無性に心が苦しかった。
腹が立つような、悲しいようなで、自分でもわけがわからなくなった。
「あ、那緒! ごめんミカ、またな」
「はいはーい。じゃあ、元気でねー、煌太」
軽く挨拶をして席を立った女性は、去り際に俺にも笑顔で会釈をしていく。
立ち尽くしたままでいると、煌太は心配そうに声をかけてきた。
「な、那緒? 大丈夫?」
「え、ああ。ごめん、ぼーっとしてた」
適当に笑って誤魔化して、向かいの席に座った。
だめだ、変な気を遣わせないようにしないと。
「あ、さっきのさ、元カノのミカ。偶然ここで会って、待ってる間、少し話してたんだ」
「そう、なんだ」
「あぁ、あいつも彼氏と待ち合わせだったみたいでさ」
「元カノって……まだ連絡したりすんの?」
「いや、全然だけど……気になるの?」
煌太は不思議そうな顔で首を傾げる。
「べ、別に! そういうの、普通はどうなんかなーって……単なる興味。あ、可愛い子だったね。煌太のくせにやるじゃん」
一度誤魔化すと、次から次に口から出てくる、思ってもいない言葉。
それを言う度に、虚しい気持ちになっていった。
「む、なんかムカつくし……あ、そうだ、話って何?」
「あー、あれ? 別に、大した話じゃなかったし、もういいや」
「え……会って話したいって言ってたのに?」
「本当に、どうでもいいことなんだ。ここのカフェ、また行きたかったから誘っただけ」
「……ホントか?」
「本当だって! もう、そんな気にすんなよ。あ、なんか喉乾いた。メロンソーダ頼もっかなー」
気をそらすために、少しわざとらしくメニューを見てやり過ごす。
煌太に勘づかれてないか気になったけれど、あいつの顔を見るのが怖くて、上を向くことが出来なかった。
「もう、俺めっちゃ気になってたのに……まいっか、俺もなんか食いもん頼む」
「ふふ、ごめん。お詫びにパフェ奢るから」
「いらねー。俺、しょっぱいのがいい」
「ぷっ、はは……」
どうしてだろう。煌太といれるのは楽しいはずなのに……どうして、こんなに泣きそうな気持ちになるんだろう。
――――
カフェを出てから、煌太と二人で目的なくふらふらと街を歩く。
「那緒、この後どうする?」
「んー、ちょっと家でトレーニングしたいから、そろそろ帰るよ」
「……そっか。大会も近いもんね」
「うん」
また、嘘をついた。
本当は、今はこれ以上煌太といることが辛かったから。
ミカって子といるのを見て、正直、お似合いだと思った。俺は煌太の友達で、煌太にはこれから彼女が出来て……きっとそれが普通で。
それなのに、こんな感情のせいで、煌太を困らせたくない。普通の将来を、奪ってしまいたくない。
だからもう、こんな気持ちは捨てなきゃ。
そう思ってるのに……
「ねぇ、煌太」
「ん?」
「前にさ、心臓の音、聴いたら落ち着くって言ってただろ?」
「あ、うん……言った、けど」
恐る恐る、煌太の顔を見上げたら、なんだか顔が赤くなってるみたいだった。
「あれ、またやってもいい? なんだか、大会前で緊張しちゃって」
「え? ここで!?」
人通りがある道で、煌太はキョロキョロと回りを見渡す。
「嫌だったら、別にいい、けど」
言い終わるのと同時に、突然グッと腕を引かれ、横の狭い路地に引っ張られた。
「こ、煌太!?」
驚いて声を上げると、そのまま包み込むみたいに、煌太は俺の体を優しく抱き締めた。
「ここなら、見られないから」
「い、いや……これはちょっと違うんじゃ」
「いいから……ほら、ゆっくり呼吸して」
優しく、少し艶っぽいような声が頭に響いて、とても落ち着くなんて出来ない。
煌太はどうして、男の俺に、そんなに優しくできるの?
いけないと思うのに、心と体、明らかに喜んでいて、俺は煌太の優しさに甘えて、その体を強く抱き返した。
「ごめん……今だけ、もう少し、このままでいたい……」
「謝らなくていいよ。那緒が落ち着くまで、こうしてるから」
「ごめん……本当に、ごめん」
ごめんな……煌太のこと、好きになって。
俺、ちゃんと友達でいるから、これで最後だから、今だけは、近くにいさせて。




