2話 再会
朝のニュースで那緒の事を知ってから、落ち着きのない心を無理矢理押し込めて、煌太は職場に急ぐ。
全力疾走で最寄駅に向かい、何とかギリギリ予定の電車に間に合いそうだ。
「駆け込み乗車はお止めください」
車掌のアナウンスを無視して、電車に飛び乗る。混雑した車内で、他の乗客に白い目で見られながら、弾む息を整えた。
ドアにもたれ掛かるように立ち、外を眺めていると、やはり那緒の事が頭によぎる。
初めて那緒に出会ったことを改めて思い返すと、確かに少女だと言う確証も無く、完全に早とちりした自分の落ち度と言えるだろう。
(確かに、何か喋り方も乱暴だったし、声は高かったけど、声変わりしてなかったと思えばふに落ちる。男、か……男相手に10年も恋してたなんて……ふ、すげぇ笑い話だな)
会えるはずの無い相手を好きになった事だけでも絶望的なのに、それが自分と同じ男だったとは。情けなくなって笑えてくる。
それなのに、どこか諦めきれないような気持ちが、心の奥底に燻っているみたいだった。
複雑な心境のまま電車に揺られていると、あっという間に時間は過ぎて、職場の最寄駅に着いた。
周りをキョロキョロと見渡し、職場までの町並みを歩く。
那緒の事で混乱してしまったが、今日からついに憧れだった仕事が始まる。そう思うと期待と緊張で次第に胸が高鳴った。
10年前、去っていく那緒の後ろ姿を手で作ったカメラ越しに見つめてから、写真や映像に興味を持った。感動した風景や、二度と会えないかもしれない人物の姿を形に残したい、気付けばそんな思いが芽生えていた。
父さんにデジカメを必死にねだり、誕生日プレゼントにと買ってもらってからは、出掛ける際には必ずカメラを持つようにしていた。高校卒業後は専門の大学に通い、運良く写真代理店に就職する事が出来たのだが、未だに10年前に見た那緒の美しい姿以上のものには出会っていない。
その時の光景を追い求めて、カメラマンと言う仕事に就いた。仕事はアシスタントからだが、将来はスポーツ選手の活躍を主に撮影していきたい。
少し物思いに耽ってしまったけれど、那緒の事は一旦頭の片隅にしまい、仕事モードに気持ちを切り替えた。
「着いた……よっし!」
ぐっと握りこぶしに力を入れ、気合い十分に入り口をくぐる。
まだ春先で肌寒いせいもあるが、緊張で冷えた手を擦り合わせ、深呼吸で息を整えた。受け付けには女性社員が座っていて、思いきって大きい声で挨拶をする。
「おはようございます! 今日から働かせていただきます、天宮煌太ですが」
「あ、新人さんの……ちょっと待ってくださいね、今担当に連絡しますので」
受付の女性社員に言われるまま、しばらく待っていると、目の前に現れた背の高い男性に声をかけられた。
「あ、天宮くんだね。僕、プロジェクトリーダーの鈴原太一です、よろしくね」
簡単な挨拶を済ませると、鈴原さんはペコリと頭を下げて名刺を手渡す。
「こちらこそ、今日からよろしくお願いします!」
腰が低い鈴原さんにつられて深々と頭を下げた。
「早速だけど、午前中は、社内案内と挨拶、あとは簡単な仕事の説明をするね。あと、午後からはスポーツ雑誌の取材が入ってるから、それに同行してもらうけど、大丈夫かな?」
「は、はい! もちろんです!」
「はは、元気あっていいね。さすが若者だ! あ、そうだ、僕らのプロジェクトは、主にスポーツ関連のイベントとか取材を担当してるんだ。天宮くんは、スポーツカメラマンを希望してたから、ちょうど勉強になると思うよ」
「本当ですか!? それはめちゃくちゃ有り難いです! 頑張って勉強させてもらいます!」
願ってもない機会を与えてもらい、俺は鈴原さんの後ろを付いて行きながら目を輝かせていた。
「ほんと、若いっていいねぇー」
「鈴原さんはお幾つなんですか? すごくお若く見えますけど……」
背が高く、スラリとした体型、その割には童顔に見えたので、不思議に思って尋ねてみる。
「えー、僕まだ若く見える? それは嬉しいけど、もう40前だよ?」
「うそぉ!?」
完全に見た目は20代後半くらいだと思っていたので、あまりの誤差に思わず大声を出してしまった。
「あはは、見えない? まぁそのせいで初対面では舐められる事が多いんだよねぇ。特に海外なんか行くと完全に子供扱いだよ」
「そうなんですか。でも、俺もてっきり20代後半くらいだと思いました」
「流石にそれはお世辞じゃない? 見た目は若いかも知れないけど、体は確実に老いてきてるからねぇ。頼りにしてるよ? 若者の天宮くん!」
鈴原さんは豪快に笑いながら、気合いを入れるように俺の背中をバシンと叩いた。
「いてっ! が、頑張ります……」
午前中は挨拶や仕事の説明などのオリエンテーションで終わり、午後からは予定通りスポーツ雑誌の取材に同行することになった。
「天宮くん、ここのカメラと機材も運んでくれる?」
「は、はい!」
会社から車で30分ほどの撮影スタジオに着くと、鈴原さんに指示されるまま荷物を運び入れ、息つく暇もなく慌ただしく動き回った。
カメラの準備が整い、取材の予定時刻になると、スタッフが選手の呼び込み準備を始める。
(そういえば、忙しくて聞きそびれてたけど、誰の取材なんだろう……)
「白瀬選手入りまーす!」
「えっ……」
聞き覚えのある名前に驚き呆然としていると、入り口から見覚えのある顔の人物が入ってくる。
(い、いやいやいや……ちょっと待て! 何で那緒が!? 有名選手だから、取材もあるだろうけどっ……偶然にも程がある!)
予想外の出来事に、心臓はバクバクと激しく動き出した。
「よろしくお願いします……」
那緒は聞き取れるかギリギリの小さい声で挨拶をする。
当然だが、十年前に比べて背も高く、声も低くなっていて……もうどう見ても少女には見えない。
しかし、色の白い肌と薄茶色の大きな瞳、それに、髪は短くなっていたが、空のような薄い青色の髪はあの時と変わらず綺麗だった。
「はじめまして、インタビュアーの田中です。今日はどうぞよろしくお願いします。えー、早速ですが、この度は怪我の療養のために日本に帰国されたと言うことで……」
(え、怪我? 確か今朝のニュースでは銀メダルって言って……)
「前の大会で、3年前に骨折した所に違和感が出てきたので、念のため……」
「違和感と言うことは、長期の休養の可能性は低いと言うことでしょうか? 白瀬選手は中性的な顔立ちで、特に若い女性に人気と言うことで、様々な方面でご活躍も期待されていますが、今後のご予定なんか……」
女性記者は興奮しているようで、矢継ぎ早に質問している。それとは対照的に、那緒は終始俯いて、小さな声で答えていた。
「まだわかりませんが、今季の大会には出場予定です……」
その後も同じような質問が続いて、取材は30分程で終了した。
取材を終えた那緒は、挨拶もそこそこに出入口へ向かう。
(ま、待ってっ……)
頭で考えるより先に体は動き、気づけば那緒の腕を掴んでいた。
「な、何?」
当然那緒は怪訝そうな顔で振り返る。
「あ……お、俺、天宮煌太。ほ、ほら! 昔カナダでスノボ教えてくれたじゃん!? 覚えてるかな?」
慌てふためきながらも笑顔で話しかけたが、那緒の表情は変わることはなかった。
「はぁ? そんなん知らねぇよ。アンタ、たちの悪いファンか何かか? 生憎、男なんか趣味じゃねぇ」
口悪く言い返され、那緒は俺の手を振り払い去っていく。
その場に取り残され、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、徐々に怒りが込み上げてくる。
「な、何なんあの態度! 性格悪すぎじゃね!?」
「わ、ビックリしたー。どうしたの天宮くん、急にキレ散らかして……撤収作業始めるよー」
思わず大声を出してしまい、鈴原さんに驚いた顔で声をかけられた。
「す、すみません! すぐにやります!」
むしゃくしゃする気持ちを切り替え、急いで作業に取りかかる。
「でも、急にどうしたの? もしかして白瀬選手、知り合いかなんか?」
「い、いえ、知り合いって程じゃ、無いんですが……彼は忘れてるみたいだし」
「ふーん。何か事情がある感じ? でも、彼って結構インタビュアー泣かせで、良い話題の時でも盛り上がらないんだよねぇ。何か、いつもつまらなさそうでさ、滅多に笑わないんだよ」
「そうなんですか?」
「そ、でも顔は良いから、人気はあるんだよねぇー」
「あはは……なるほど」
鈴原さんの話を聞いて、あまりにも昔の那緒と違う印象を受けた俺は、相づちを打ちながら無性に那緒の事が気になり出していた。
その日、初のカメラアシスタントとしての仕事は無事に終わった。職場の雰囲気も良く、鈴原さんを始め気の良さそうな人達だったので、何とか上手くやっていけそうな気がする。
しかし、気がかりは別にある。俺はベッドに横になったまま、那緒の事を考えていた。
「10年前は、楽しそうに笑ってたのに……アイツ、なんであんな顔してるんだよ……」
自分の知らない10年にどんな事があったのか、気になるがどうしようもない現状に、今はただ天井を見つめて深いため息を吐くしかなかった。