18話 帰国
ジムを出てすぐの所に、ちょうど小さなカフェがある。
少し話がしたいというライアンの希望で、そこでお茶をすることになった。
「……急に、どうしたの? 連絡もなかったから、ビックリした」
ライアンは注文したラテアートを見て、お気楽そうにはしゃいでいる。
それがまた何を考えているのかわからず、俺は内心とても緊張していた。
「ん? ただ那緒の様子を見にきただけだよ」
カシャカシャとラテの写真を撮りながら、ライアンは軽い口調で話す。
「顔を見にって、この前取材で会ったばっかなのに」
俺の言葉に、ライアンは急に手を止めて無言になる。その妙な緊張感に、体が固まって鼓動は早くなった。
「那緒はさ……僕のこと、もうどうでもいいの?」
落ち着いて話すライアンの声が怖くて、思うように言葉が出てこない。
「え……そんなことは」
「嘘、取材で言ってたじゃない。僕のスタイルは受け継いでくれないんだろ? きっともう、僕のことなんて忘れたいんだ」
返事を遮るように、ライアンは話を続ける。
ライアンを忘れるなんて、出来るはずない。けれど俺は、自由に自分のスタイルで滑りたい。
今はもう、自分らしく前に進むって決めたから。
「そんなこと、絶対に無いよ。ただ俺は、ライアンの技を受け継ぐよりも、自分のスタイルを……」
――カシャン
話の途中、ライアンはカップの中にスプーンを落とす。
その音は静かな店内に大きく響いて、綺麗な花の形だったラテアートは、混ざり合ってぐちゃぐちゃになっていった。
今まで見たことないような、ライアンの暗い表情。
その静かな怒りのような感情に、体が震えそうになった。
「あの日本人の男、あいつのせい? 前はそんなこと言わなかったのに……きっとあいつに唆されたんでしょ」
「違う! 煌太はそんなヤツじゃない!」
思わず大きな声が出て、自分でも驚いてハッとする。
「ふ、ずいぶん仲がいいんだ……なんだか妬けちゃうな」
からかうように言われて、カッと顔が熱くなる。
「赤くなって、可愛いね」
頬を触られて、怖くなって思わず身を引く。
とっさに「ごめん」と謝ったけれど、ライアンは傷ついたような表情をしていた。
「ねぇ那緒、もう一度考え直して……僕のこと、置いてかないでよ」
寂しそうな声で話すライアン。
置いていくなんて言葉が、ライアンから出たことに驚いた。
ライアンはいつでも俺の先にいる、他のスノーボーダーにとっても目標みたいな存在だ。
なのにどうして、そんな卑屈なことを言うの?
「……ライアン、俺ね、ライアンからスノボを奪ってしまったこと、ずっと後悔してる。事故のことを隠してくれたから、俺はスノボを続けられてるけど、本当はずっと辞めたいと思ってた。自分が代わりに滑れなくなれば良かったって」
ライアンは何も言わなかったけれど、寂しそうな目で俺の顔を見ていた。
「俺にとって、ライアンは大事な友人で、尊敬するスノーボーダーだ。それは今でも、これからも変わらない。だから、そんなライアンと一緒にいて、恥ずかしくない自分でいたい。煌太と出会って、やっと、そう思えるようになった」
「那緒……」
「ライアンが教えてくれて、大好きになったスノボを、もう、事故の罪悪感だけで滑りたくないんだ。だから……」
「お願いします……次の大会、今出来る自分のスタイルで、滑らせてください」
テーブル越しに、深く頭を下げた。
ライアンが許してくれるか……そんな事よりも、自分の思いを伝えたかった。
「那緒、顔を上げてよ……もう、わかったから」
頭を上げると、ライアンは困ったように笑っていた。
「ゴメンね、今はなんて言えばいいのか、わかんないや」
「ライアン……」
「明日、カナダに帰る。最後に、那緒の思いが聞けて、良かった……じゃあね」
そう言うと、ライアンはヒラヒラと手を振り店を出た。
俺は何も言えず、ただその背中を見送るしか出来なかった。
ライアンは、俺のことをどう思っているんだろう。
仲の良い友人、それとも弟? そして、自分が滑れなくなった、事故の加害者。
明るく振る舞っていたけれど、本当は俺のことを恨んでいるのかもしれない。
だとしたらどうして、俺に期待するような事を言うのか、自分のそばに置きたがるのか。
考えれば考えるほど、ライアンの気持ちがわからなくなっていった。
――――
ライアンがカナダへ帰ってから数日が経った。
俺は変わらずに、トレーニングを続けている。ライアンの事が気にならない訳じゃなかったけれど、どう思われていても、今は自分のやるべき事をやろうと思っていたから。
「うん、最近調子良いね。これなら、1月の大会までには十分調整できそうだ」
「はぁ、良かったです」
「ハーフパイプの練習も、予定通り11月から始められると思う。しばらくアメリカでの練習になるから、準備はしておいてね」
「……はい、わかってます」
これまでも、大会前は海外での練習が普通だった。
日本よりも雪の状態が安定していて、早くに始められるし、調整しながら大会にも出場しやすい。
普通の事だったのに、今は不安と、寂しさがあった。
煌太とも、しばらく会えなくなる。
それがたぶん、この不安の原因だ。
「……あいつに言わないとな」
ロッカールームでスマホ画面をぼーっと見つめ、一人呟く。
ここ最近、毎晩電話であいつの声を聞いて、いつのにか寝落ちする、そんな毎日を繰り返している。
何気ない会話だけれど、煌太と話していると気分が落ち着く。でも時々、無性に会いたくなって、たまらない時がある。
そんな時は、煌太に悟られないように、適当な用事で誤魔化して電話を切った。
この気持ちは、きっと友達のそれじゃない。それに気づかれるのが怖かった。
結局そのまま連絡も出来ず、その日は家に帰った。
――――
『お疲れさま。トレーニングどうだった?って昨日も同じこと聞いたなw』
夜の11時を回った頃、煌太からチャットが届く。
煌太は相変わらず、カメラマンの仕事を頑張っているようで、最近はアシスタントだけじゃなく、撮影に参加する方が増えてきたらしい。
その代わり残業も増えて、このところ遅くまで会社にいる。
今日もこんな時間に連絡があるってことは、残業していたんだろな。
それでも、何かしら連絡をくれるのは嬉しい。
ベッドにゴロンと倒れ込み、ニヤニヤとスマホを眺めた。
『お疲れさま。順調だよ。トレーナーにも、大会には十分間に合うって言われた』
打ち終わって、パタリと手が止まる。海外練習の事を言わないといけないのに、なぜだか踏み出せずにそのまま送ってしまった。
返事をしてから数分、今度は電話の着信音が鳴る。
「もしもし」
「あ、那緒? ゴメン、結局電話しちゃった」
「いいよ、別に。それより、早く寝なくて大丈夫なのか? 今日も残業だったんだろ?」
「そうだよー、今度の撮影の打ち合わせとか色々押して、結局遅くなっちゃって。もうヘトヘト」
「大変だな……じゃあ、なおさら早く休まないと」
「もう、なんでそんなに寝かしたがるんだよ。お母さんみたいじゃん」
「なっ、誰がお母さんだよ! 変なこと言うならもう切るぞ」
「わー、ゴメンて! でもさ、毎日こんな風に喋ってたら、なんかクセになっちゃって……那緒の声聞かないと、なんだか眠れないんだよね」
「煌太もか?」
「え、那緒もそうなの!?」
「べべ別に、変な意味じゃなくて、普通に、友達の声が聞きたいっていうか」
「……わかってるよ。十分嬉しい」
優しい声に、耳元がゾワゾワとくすぐったい。
いくら友達だと言い張っていても、こんな顔を見られたら、俺の気持ちなんてすぐにバレてしまうだろうな。
「そういえば、ハーフパイプの大会って、どこであるの? やっぱり海外だよね?」
「うん、アメリカ。世界大会が来年の1月にあるんだ」
「アメリカかー。こうやって一緒にいると忘れちゃうけど、那緒ってやっぱり、凄い選手なんだね」
「そうだよ、もっと尊敬しろ、バカ煌太」
「はぁ、ほんとそういうとこだよなー。でも、俺も絶対応援しに行くから、頑張ってね」
「うん、やるよ。煌太なんか、感動しすぎて漏らしちゃうかもしんないぜ?」
「大丈夫だよ、ちゃんと事前にトイレ済ませとくし」
「そこかよ。まぁ、いいけど」
「けど、冗談抜きで、本当に楽しみだよ、那緒の滑り。俺も最高の写真、撮って見せるから」
「……なぁ、煌太。今の俺は、お前が撮りたくるくらいの、スノーボーダーになれてるかな?」
以前煌太は、スノボに向き合えていなかった俺に、撮りたくないと言っていた。
それを気にしているわけじゃなかったけれど、今の俺は、煌太の目にどう写っているのか、知りたかった。
「再会してから、俺はずっとそばで那緒のこと見てた。だからわかるよ、那緒が変わって、前に進めてること。今はもう、俺の写真にはもったいないくらい、輝いて見えるよ」
「ありがとう、煌太」
電話が終わって、ベッドの上でぼんやりと天井を見つめる。
煌太の言葉は、いつも俺の背中を押してくれて、不安な気持ちもスッと軽くしてくれる。
あいつの言葉が、俺の自信になるみたいな、そんな感覚だった。
「ふふ……あいつの顎が外れるくらい、高く飛んでやる」
目を閉じてあいつの驚いた顔を思い浮かべながら、一人吹き出していた。




