17話 予防線
――――対談終了後の楽屋
「ライアン! 待ちなさい、今日はまだ一件取材が残ってる……おい! どこへ行くんだっ」
楽屋に戻ってくるなり、ライアンは一言も発さずに荷物を持って出て行こうとする。
「おい、待たないか」
スタスタと歩くライアンを追いかけ、やっと腕を掴むとヤツはようやく足を止めた。
しかしホッとしたのも束の間、ライアンはとんでもないことを口走る。
「……残りの取材はキャンセルして。今日はもうホテルへ戻る」
「は? なにバカな事を! 今からキャンセルになんて出来るわけが……」
そう問い詰めた時のライアンの横顔には、暗い、怒りのような感情が滲んでいた。
「よろしくね。マネージャー」
鋭い目でじっと睨み付けられ、あまりの迫力に思わず腕を離してしまった。
どうせ、ああなったライアンはもう、俺の言うことなど聞くことはない。もう諦めて先方に謝罪するしかないな。
遠くなるライアンの背中を見送り、頭を抱えた。
「あんな顔、あの時以来か……」
ふと数年前を思い出した。
事故の後、病室で白瀬と話をした時の、俺に向けられた怒り。
あの時お前は、白瀬を責めるような事を言った俺を許さなかった。
いつも、お前の中心には、白瀬の存在がある……それがモチベーションになると同時に、弱点にもなり得るんだぞ、ライアン。
――――
那緒とライアンの対談が終わった後、仕事終わりに那緒と飲みに行く事になった。
「改めて、取材お疲れさま」
「うん、お疲れ」
運ばれてきた飲み物で、軽く乾杯を交わす。
「あ、那緒、今日はお酒、弱いの一杯だけね」
「わ、わかってるよ……もうあんな酔いつぶれるのはゴメンだ」
ばつの悪そうな顔で、もごもごと答える那緒。今はとりあえずノンアルカクテルを頼んでもらった。
「ふふ、まさかあんなに酒が弱いなんてな。全然顔に出なかったからさ、いきなり机に倒れ込んだ時はビックリしたよ。すげぇ音して、絶対血出たと思った」
「だからおでこが赤くなってたのか! うぅ……焼き肉を葉っぱに巻いて食ってからの記憶がねぇ」
那緒は難しい顔で思い出そうと頑張っていたけれど、まさかの最序盤の焼き肉の記憶しかなかったらしい。
「一番最初のメニューじゃん! あの後大変だったんだよ? 那緒を引きずってタクシー呼んだはいいけど、半分寝てるからなかなか住所聞き出せないし」
「すみませんでした……で、わざわざ部屋まで連れてってくれたんだろ? ほんと、ご迷惑おかけしました」
シュンとした姿はいつもより一回り小さくて、思わず子犬の垂れ耳が見えそうで可笑しかった。
「そうそう、やっとベッドに寝かせて帰ろうと思ったら……あ」
思い出話が楽しくて、つい那緒の寝込みにキスをしたことまで思い出してしまって言葉に詰まる。
「ん? どうかしたか?」
「な、なんでもない! とにかく、大変だったんだよ。だから今日は酒禁止ね!」
「なんかお前、顔赤いな……ってか、一杯はいいって言ったじゃん、ケチ! ハゲ!」
「くっ、まだハゲてねぇ!」
またいつもの口喧嘩が始まる。
那緒は口では怒りながらも、晴れやかな顔で笑っていた。
今日の対談、那緒の気持ちを聞いたライアンは、口では納得していたけれど、その表情は暗かった。どうしてだろう……那緒が自分らしいスタイルで滑れることは、友人であるライアンにとっても、良いことじゃないのか?
その事に違和感はあったけれど、とりあえず今は、那緒が前に進むきっかけになって本当によかったと思う。
心のわだかまりが無くなったみたいな、明るい表情。口喧嘩になっても、やっぱり那緒は笑ってる方がいい。
まぁ、ハゲだけは許せないけど。
「……なんだよ、一人でニヤついて」
ムスとした顔で那緒が聞く。
「別に? 取材が無事に終わって、良かったって思ってさ」
笑顔で返すと、那緒は一瞬驚いた顔をして、すぐにホッとしたように笑い返した。
「途中さ、頭が真っ白になったんだけど……カメラの向こうに煌太の顔が見えて、そしたら不思議と、大丈夫だって思えたんだ」
「へへ、なんか照れるな」
那緒のまっすぐな言葉に、思わずこっちが恥ずかしくなった。
「煌太のおかげだ。本当に、ありがとな」
「うん。どういたしまして」
少し恥ずかしかったけれど、ありがとうの言葉が本当に嬉しかった。
でも、しばらく優しく微笑んでいた那緒は、不意に不安気な表情で俯く。
「どうしたの?」
「いや……ライアンの態度が、ちょっと気になって。なんだか、怒ってるみたいだったから」
確かに、あの後すぐに撮影は終わって、ライアンは挨拶もしないまま、あっという間に部屋を出てしまった。
やっぱり那緒も、ライアンの様子を気にしてたんだ。
「たぶん、那緒が自分の思いを伝えたことに驚いて、言葉が出なかっただけじゃないかな?」
「そう、かな」
那緒が気に病まないように誤魔化してはみたけれど、あの時ライアンが何を思っていたのかは、俺も気になっていた。
その後も那緒はじっと考え込んでいて、しばらく店のBGMだけが響く静かな時間が流れた。
「……仮に、怒ってたとしても、那緒が自分のスタイルで滑れるようになったら、きっとライアンも納得してくれるよ」
「うん、そうだな。次の大会、俺、全力で頑張るよ」
励ましじゃなくて、素直にそう思った。
そして那緒もやる気が出たみたいに、明るい表情に戻っていた。
「あ、飲み物頼も。ノンアルのカシオレと……煌太は何する?」
「えっと、じゃあハイボール」
「おっけ、なんか適当にツマミも頼んどくよ」
那緒はポチポチとタブレットで注文をする。
注文した品も一通り届いて、俺たちはしばらくまた子供みたいなバカ話を言い合いながら、だらだらと飯を食べていた。
「そんでさ、先生に没収されたタケシのエロ本、放課後にみんなで職員室に取りに行ったら、先生が食い入るように見てて」
「うわぁー、楽しんじゃってるじゃん」
「そうなんだよ! タケシの宝物だったのに、職権乱用だよな」
「いや、タケシもエロ本なんか宝物にすんなよ。それ高校の時だろ?」
「はは、今思うと確かにヤバイな。でもそこがタケシのいいとこなんだよ。いつでも少年の心を忘れないって感じで」
くだらない昔話だったけれど、那緒は楽しそうに笑っていた。
「でも、ちょっと憧れるよ、そういう友達。俺、昔は人見知りで、日本にいた時も友達出来なくて……向こうに行ってからはスノボばっかで、結局友達と遊んだりはなかったしな」
「そうなんだ……でもさ、今は俺が友達だろ? これからも学生時代の分まで、いっぱい遊ぼうよ」
「煌太が、友達……」
俺の言葉に、なぜか那緒はキョトンとしたような顔で呟いて、しばらく時が止まったように呆然としていた。
「おーい、那緒? 大丈夫か?」
目の前で手をヒラヒラ振ると、那緒はようやくハッと気がついた。
「あ、うん。ごめん、ちょっとボーッとしてた。お、俺、ちょっとトイレ行ってくる」
「お、おう」
那緒は急に思い出したように席を立つ。
なにか、気に障ること言ったんだろうか。
友達か……もしかして、友達とすら思われてない、とか!?
いや、さすがにそれはないよな……
那緒の態度が気になって、ドツボにハマったみたいにぐるぐる考え込んでしまう。
「ただいま、って、なんでお前も頭抱えてんだよ」
「ん? お前もって?」
「……べ、別に、なんでもない」
気になることを口走った後、那緒は俺の隣にぴったりとくっつくように腰を下ろした。
「な、那緒?」
「ちょっと、冷房が効きすぎて冷えた」
驚いたけれど、長居して体が冷えたのかと思って、那緒の肩を軽く抱き寄せた。
「大丈夫? そろそろ帰ろうか?」
「うん、あったかくなった。まだ、デザート食べてないから帰らない」
「あぁ、やっぱ甘いもんでしめるんだ」
そういえば、今日はまだデザートをむさぼる那緒を見ていなかった。
最初は甘党ぶりに驚いたけれど、今はそれを見るのを少し楽しみになっていた。
「なぁ、煌太はさ……他の友達にも、こういうことすんの?」
「えっ……」
質問の意図がつかめず、どう答えれば良いのかわからない。
もしかして嫌だったのかと思って、腕を離そうとすると、続けて那緒が聞いた。
「タケシにも、こんな風に肩抱いたりすんのか?」
「ふぇ!? ないない! 絶対ない!」
タケシとなんて、想像しただけで気分が悪くなりそうだ。
「……じゃあ、どうして俺には、こういうことするんだ?」
上目遣いで見つめる那緒は、嫌がるというより、切なげな表情に見えた。
「そ、それは、その……」
俺はもう、那緒が友達だなんて思っていない。今まで同じ男に対して、こんな気持ちになったことはない。
きっと、那緒だったから好きになった。
でも、もしそれで那緒が離れてしまうなんて嫌だ。
ほとんど諦めていた再会も出来て、せっかく仲良くなれたのに、もう那緒がいない毎日なんて、考えたくない。
那緒は俺の事、どう思ってるんだろう。
きっと、嫌われてはいないけれど、確信の無いことが怖い。こんなに臆病な考え方、今までしたことなかった。
「……那緒は、俺にとってとても、大切な人だから……あ、ほら、めっちゃ大切な友達って感じっていうか」
しどろもどろになって、結局、友達の予防線を張ってしまった。
静かに聞いていた那緒は、途中で「ぷっ」と吹き出して笑い出す。
「ふふ、ごめん、変なこと言って。俺も、煌太は大切な友達だよ……さ、体も温まったことだし、アイス食べよーぜ」
「う、うん」
サッと俺のそばを離れて、那緒は明るく笑ってメニューを選び出す。
大切な友達……そう言ってくれて本当に嬉しかったけれど、どこか心に小さい穴が空いたみたいな、寂しさがあった。
モヤモヤとした思いを感じたまま、また友達同士のような時間が流れ始めた。
――――9月某日 アスリート専用ジム
ライアンに自分の思いを伝えてから、今までが嘘みたいに、トレーニングに打ち込めるようになった。
なにか、自分の中で気持ちの持ちようが変わったのかもしれない。
正直どうしてそこまで変われたのか、よくわからないけれど。それはきっと、煌太がいてくれたからだ。それだけは、確信を持って言えた。
煌太の事を考えると、いろんな表情が頭に浮かんで、思わず笑みがこぼれてくる。
きっとそれが、俺の気持ちの答えなんだ。
でも今は……友達でもいい。ずっとそばにいたい。
そんな思いを巡らせながらジムを出ると、出入り口に見知った顔が見えて、両足が凍りついたみたいに動かなくなった。
「那緒、トレーニングお疲れさま」
「ライアン……どうして」
ライアンはにっこりと微笑んで手を振る。
なのにどうしてか、俺にはその笑顔がとても怖く思えた。




