0068 - 第 1 巻 - 第 4 章 - 10
休憩所へ向かう途中、それぞれが思いに耽っていたため、皆はほとんど口を閉ざしてしていた。
夕食時になって初めて、萌花はランラにフェロジヒェーネに襲われた時の詳細を尋ねた。
ランラの話から、二人は最善を尽くしており、落ち度は特になかったと、皆は感じ取った。
「いきなり飛び出してくる猛獣の群れなんてそうそういない。オレも年に1回あるかどうかのもんだ。普通ならあそこまでやられることもないんだが、今回は連中の動きが速すぎた」
「そうだな。近くに縄張りがあるなら、掃討隊が片付けてるはずだ。それに奴らは成体じゃなかったし、痩せてた。多分どっかで親とかリーダーを失って、たまたまあの場所までさまよったんだろうな。飢えた連中は特に凶暴になる」
「……あの距離、本来ならアンジェリナが先に気づいてもおかしくなかったけど、たぶんあのとき、わたしたちはたまたま風上にいたんでしょう……」
ランラ、ダニエル、アリスがそれぞれ口を開く。
実際、三人のスカーベンジャーの言う通り、このような事はほぼ不可抗力である。
牛車の車体と積載された道具は、あの程度の猛獣の群れには耐え得るため、車内に籠っていれば安全だった。しかし、野外には制御不能な要素が多すぎて、全てを事前に防ぐことは不可能。
この世界では、毎年多くの人々がそういった不可抗力によって命を落としている。
「……不運な事故だったな。でも猫森さんがまだ生きてるのは不幸中の幸いだ」
ダニエルがそう言うと、萌花は悠樹が運に見放されてると愚痴っていた姿を思い出す。
悠樹はどうにも運がよくないようだった。しかし、もしそれが単なる運の悪さだけで、ここまでの大事に至ったのだとしたら、萌花にはそれを受け入れがたいものがある。
「……うん」
とはいえ、ダニエルの言う通り、悠樹はまだ生きている。
あの薬が悠樹をその場での死から救ってくれたのは、悠樹にとって、そしてこの世界においても、かつてない奇跡だった。複雑な気持ちを抱えてはいるが、萌花は悲観的になっていない。
夕食後、スカーベンジャーの三人は見張りの順番を決め、最初がランラ、次がダニエル、最後がアリスとなった。体力を回復させるよう、ダニエルとアリスは先にそれぞれの小屋へと戻って休んだ。
数日間水浴びできていなかったため、萌花と詩織は井戸から水を汲んで体を拭くことにした。
萌花は牛車から必要なものを取り出し、井戸の滑車装置で水を汲み上げ、自分の桶に移して小屋へ運んだ。その後、板を動かして不用な窓を閉め、戸締りをする。
一通り準備を終えたあと、萌花は少し赤くなった自分の手と、手際よく同様の作業をこなす詩織の姿を見て、ふと思考に沈んだ。
広い平屋の中で、萌花と詩織は同じ場所にいる。立方体は壁際に置かれ、萌花はその正面に、詩織は萌花の隣に座っていた。
二人は背中を合わせるようにして身体を拭く。
家族以外の者の前でこれほど肌を曝すのは初めてだったため、相手が同性であるにもかかわらず、詩織は非常に恥ずかしがっていた。
それを見た萌花は微笑み、「詩織ちゃん、ほんとかわいいなぁ」と思いながら、詩織が身体を拭き終え服を着るまで、自分の上着を立方体に掛けておいた。
就寝前、萌花は再び耳を立方体に押し当てた。
すると、内部から新たな音が聞こえてきたことに彼女は目を見張った。その音はまるで心臓の鼓動のように、ドクンドクンと速く響いている。
彼女は詩織にもその音を聞かせた。詩織は不思議そうにしながらも、少し恐る恐るといった様子。
しばらくして、二人はそのまま立方体のそばで眠りについた。
翌朝、立方体の外壁が明らかに薄くなっていることが感じられ、皆は喜びに沸いた。
結果を待つ必要があるため、この日も休憩所で過ごすことになり、各自が思い思いに時間を過ごした。
萌花は必要な時以外はほとんど立方体のそばを離れなかった。
午後になる頃には、鼓動の音が落ち着いてきた。その音の特徴とリズムから、萌花はこれが悠樹の心音だと確信した。
夜、萌花はあの2枚の説明書を手に取り、何度も何度も読み返した。何か重要な情報を見落としていはしないかと。
「あれからもう30時間以上経ったね。今のところ、説明書に書いてある通りの経過みたい。それなら、うまくいけば最短であと数時間後には、悠樹は何事もなく中から出てくるよね」
「……そうですね」
「そういえば、これってただの説明書じゃなくて、手紙みたいだよね。ここに出てくる“私”って<例の魔法使い>のことでしょう? じゃあ、この“あなた”って詩織ちゃんのおばあさんのことなの?」
「多分、そうだと思います。小さい頃から、お祖母さんにそれはとても貴重なものだと言い聞かされていました。お祖母さんが亡くなる前に、ケースの在り処を教えてくださって、“いざという時に使いなさい”と……」
あの薬剤は人間を溶解し再構築する。若返りの手段としても十分あり得たが、詩織の祖母はそれを詩織に託すことを選んだ。
そして詩織は、それを悠樹の命を救うために使うことを選んだ。
「……そうだったんだ……ありがとう、詩織ちゃん。そんなに貴重なものを……私たちのために使ってくれて」
「そんなこと言わないでください……説明書には薬の活性は10年以上保たれるとありましたが、もう20年も経った今、効果が完全かどうかが分かりません。もしも……」
“保存期間が長引くほど、再構築に失敗したり、何らかの問題が起きるリスクは高まる”。
説明書の文言からは、決して低くないリスクが伝わってくる。そして今、悠樹は<あのクスリの保存期間が長すぎたかもしれない>という不確実性によるリスクに直面しているのだ。
たとえ悠樹が生き延びたとしても、彼が<正常>である保証はどこにもない。
「……大丈夫! 悠樹は絶対無事だから」
何の根拠もない。だが、萌花はそう信じている。
「……私も猫森さんが無事であるよう、お祈りしています」
「ありがとう。詩織ちゃんは先に休んでて、私はもうちょっと待ってる」
「分かりました。おやすみなさい」
「おやすみ~」
詩織は先に横になった。
詩織が眠りについて数分後、その呼吸が穏やかで規則的になった頃、萌花はそっと両腕で立方体を包み込んだ。
「大丈夫だよ、悠樹。たとえどんな結果になっても、私はそばにいるからね」
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