0065 - 第 1 巻 - 第 4 章 - 7
【全体】
ダニエルは苦い表情でゆっくりと首を横に振った。
萌花は失望し、俯いて思考を続けた。
周りの皆も口を閉ざし、頭を垂れた。まるで悠樹への黙祷を捧げているかのように。
その間、悠樹も考えていた。しかし脳への酸素供給が減ったため、彼の思考は本来の冴えを失い、制御不能なほどに散漫になっている。
今どのようにすれば自分を救えるのか、もし自分が死んだら萌花はどうなるのか、どうして自分がこうなってしまったのか、奇跡やヒーローはなぜ現れないのか……
頭の中はそうした想念で埋め尽くされ、収拾がつかない。
萌花は悠樹を抱きしめた。
「悠樹……ごめんね……わからないよ……どうしたら助けられるのか……思いつかないの……ゆうき……死なないで…………おねがい……死なないでぇ………………」
二人の涙が再び溢れ出す。
「……おれが……弱すぎたせいだ……もっと強かったら……もっと慎重に、皆んなに一緒に行動するよう求めていたら……あの時、甲冑を買ったら……こんな…………」
嗚咽が零れる。涙には悔しさと後悔に満ちていた。
「そんなこと言わないで……そういうなら、全部、ゲーム機を壊した私のせいだよ…………悠樹は十分慎重だったし、十分頑張ってたよ」
「……そんなんじゃ足りない……足りないんだ…………うぅ……」
「悠樹……」
「…………萌花……絶対無事に次の町に行って、<例の魔法使い>を見つけて、送り返してもらうんだよ……」
「…………ううん。悠樹を置いていかないよ。一緒にイこ」
「おれはもう……どこにも行けない……」
「うん。だから、二人で一緒に逝こう」
「……っ!! ダメだっ! 萌花……」
「悠樹のいない未来なんて想像できない。たとえ本当にお父さんとお母さんの元に帰れたとしても、太一おじさんと莓おばさんの悲しむ姿を見たら、一人で一緒にいた場所にいたら、一緒に育った記憶を思い出したら、私はきっと耐えられない……」
他の者たちも今の言葉の真意を理解し、驚きを隠せなかった。
悠樹の理性は、萌花にそんな危険な考えを捨てさせたいと叫んでいたが、どうすることもできなかった。
苦痛。
それが今の悠樹の心情である。
そんな未来、そしてそんな未来にいる萌花の姿を想像するだけで、5頭のフェロジヒェーネに咬み裂かれた時よりも、はるかに強い苦痛が彼の心を締めつけた。
更にはもし二人の立場が逆だったらと思うと……
「……ぐっ……ううぅ…………」
途方に暮れ、思考が絡み合い、喉が無力に呻き声を漏らす。
「ダメですよ……一緒に逝くだなんて……」
「そうだ、バカなことをするな。君の人生はまだ長い。猫森さんのことは残念だが、生きていればいつかは立ち直れる」
「……生まれた時から、ずっと悠樹がそばにいた。悠樹と過ごした時間があってこそ、今の私がいる……たとえ本当に悠樹の死を受け入れて、悠樹のいない人生を歩み始められたとしても……その人はもう……<私>じゃないと思うから。悠樹と一緒のまま消えた方が、私は幸せになれる」
「……」
萌花の言葉に、周囲は重い沈黙に包まれた。
スカーベンジャーとして、ダニエル、アリス、ランラの三人も、死別する夫婦や恋人を幾組も見てきたが、ここまで極端なのは初めてだ。
「……はあ……はあぁ…………」
悠樹の呼吸が次第に速く浅くなっていく。『ハイヒール』の効果が切れかけているようだ。
ダニエルとランラが悠樹の遺体を牛車に載せ、萌花を無理やりにでも連れて行くことを考えかけたその時、詩織が震える声で大声を上げた。
「まっ…まだ一つ方法があるかもしれません!!」
「………………ほんと?」
まるで悲しんでいる子供が親からプレゼントがあると聞いた時のように、萌花の涙に濡れた瞳に、かすかな期待と疑問の色が浮かんだ。
「すぐに持ってきますっ!」
そう言うと、詩織は牛車の荷台へと走り出した。
荷台に乗り込むと、自分の荷物から銀色の金属ケースを取り出し、悠樹と萌花の元へ駆け戻った。
悠樹と萌花はそのケースを知っている。
詩織はケースを開け、中に入っていた封筒から2枚の紙を取り出した。
「これを見てください。説明書です」
萌花は紙を受け取ると、悠樹にも見えるように押さえ、二人でその内容を読んだ。
「これって!!」「……ッ!」
二人の反応はとても激しく、目を大きく見開き、信じられない内容に息をのんだ。
「その……効果が保証できませんので、今まで出さなかったことをお詫びします……」
「……いや、これが本当なら……確かに……最後の手段だよ……」
息を切らしながら、悠樹が口を開いた。
萌花以外の誰も、さっきまで消えそうな声しか出せなかった悠樹が、詩織の言葉に自ら返事をするとは思わなかった。しかも、彼の顔には僅かな笑みすら浮かんでいる。
「お二人さえよろしければ、使ってください!」
「……萌花……!」
「っ…………うん!!」
萌花は一瞬「本当にいいの?」と聞きたかったが、その言葉を飲み込んだ。
これが、悠樹を救う唯一の方法なのだから。
「なんだ? あれは」
「分からんが、薬剤のように見える」
「でも、薬って……」
ダニエル、ランラ、アリスは、紙に何が書かれてあるのか分からず、傍らで小声で話し合っていた。
「ダニエルさん!」
萌花の目から悲しみが消え、代わりにかすかな、しかし確かな期待の色が浮かんだ。
「あ…ああ。なんだ?」
「悠樹を車両の中に運んで!」
ダニエルは今の状況に追いついていないが、言われた通りにすればいいと理解した。
「わかった!」
ダニエルは腰をかがめ、萌花と詩織が悠樹をその背中に乗せた。
悠樹を背負ったダニエルは、その異常な軽さに驚く。16歳の青年にあるはずの重さでは全くなかった。
その後、皆で車両の中に広いスペースを作り、悠樹を壁にもたせかけるように座らせた。詩織はサポートのため車内に残り、他の者たちは車外から緊張した面持ちで見守っている。
少し時間が経ったため、悠樹の意識が再び遠のき始めていた。今すぐに投薬しなければならない。
萌花はケースから真鍮色の外装をした薬剤を取り出し、針先の不明な素材で作られた柔らかい栓を抜いた。
注射器は指2本分ほどの太さで、内部には最初から空気は入っていないようだ。
萌花は深く息を吸い、注射器の針先を悠樹の首に当てた。
「いくよ」
「……うん…………」
そして、針が悠樹の頸動脈に刺さり、薬液が押し込まれた。
「詩織ちゃん!」
「『ヒール』!」
萌花が針を抜くと、詩織は直ちに『ヒール』を使って悠樹の頸動脈の傷を癒した。
薬物は極めて危険な状況でのみ動脈注射を行い、安全対策を講じる必要がある。なぜなら、少しの不注意でも大量出血を引き起こす可能性があるからだ。そしてそれに最も適しているのが、即時の止血を可能にする魔法である。
動脈注射された薬剤は数分で効果を現し始める。悠樹は刻一刻と迫る死と戦っていた。
周囲は静寂に包まれ、皆は固唾を飲んで悠樹の様子を見守った。周囲には風が木々を揺らす音と、悠樹の荒い呼吸音だけが響いている。
萌花は悠樹の手を両手で握り、その変化を見つめながら、薬剤が効果を発揮することを祈っていた。
2分以上が経った頃、萌花は悠樹の冷たかった手に温もりが戻ってきたのを感じ、思わず声を上げた。
「悠樹! どう?」
「……あつい……」
「熱いの?」
「……はあ…………あつい……っ! ぁ、うッ……! はあっ……ハアッ……ぐっ…………ッ!」
「悠樹っ!?」
悠樹の手の温度は冷たさから温かみへ、そして次第に熱さへと変わっていった。彼は“熱い” と呻き続け、額や全身から滝のような汗が流れ落ち、足を苦しげにばたつかせている。
「悠樹!!」
萌花は悠樹の名前を呼び続けたが、彼からの返事はなかった。
「百合園さん! 手を離してくださいっ!」
「え……あ……うん……!」
詩織に促され、萌花は手を離し、悠樹から少し距離を取った。
「……うっっっぐああああ゛あ゛あ゛ア゛ア゛――――――ッッッ!!!」
悠樹の体から熱気が立ち上り、皮膚の質感がねっとりと変質していく。
そして。
彼は溶け始めた。
皮膚や毛髪が剥がれ落ち、全身の各部が変形し、崩れ落ちていく。肉と内臓は半固体半液体の泥状と化し、骨が露出し、内臓特有の生臭い匂いを放った。服や革の防具は支えを失い、泥状の流体に従って流れ、血と体液が混ざり合って萌花と詩織の足元へと広がった。
悠樹は熱気を発する一つの“モノ”へと変貌してしまった。
「……っ!!!」
萌花と詩織の顔色は真っ青になった。
萌花は全身が無意識に震え、口がぱくぱくと動いた。もう一度悠樹の名を呼びたいのだろうが、声にならない。
――“泣いても壊れたものは元に戻らないよ”。
この世界に召喚される前夜、悠樹が言ったその言葉が彼女の脳裏をかすめた。
彼女は胸の衣服を強く握りしめ、心臓の鼓動を押さえつけるようにして、押し寄せる絶望的な思考を必死に抑え込もうとした。
その一方で、アリスは驚愕のあまり悲鳴を上げ、ダニエルとランラもまた仰天していた。
「キャー――――――!!!」
「お…おいっ!!」
「……はァッ? !」
ダニエルが慌てて問いかける。
「どうなってるんだ?!」
<ソレ>の溶解はまだ続いていた。
詩織は<ソレ>を一瞥すると、三人を落ち着かせようと、例の2枚の説明書をダニエルに手渡した。
「こ…これを見てください……」
眼前の状況を理解すべく、ランラとアリスもダニエルに寄り添い、説明書に目を通す。
「こ…これは!?」
「マジか……」
「……!!」
三人の反応は驚愕そのものだった。
なぜなら、その紙に書かれていたのは――
読んでくれてありがとうございます。
もしよかったら、文章のおかしなところを教えてください。すぐに直して、次に生かしたいと思います。(´・ω・`)
もしよければご評価を!




