0062 - 第 1 巻 - 第 4 章 - 4
「はあ――ッ!」
悠樹の状況が極めて危険だと悟ったランラは、噛まれた左腕など構っていられない。数十キロはあろうフェロジヒェーネを引きずるようにして、5頭の飢えたフェロジヒェーネに襲われる悠樹のもとへと駆け寄った。
左腕を噛まれているため、両手での大剣の扱いがままならない。彼女は大剣を後ろに構え、剣先を地面につけ、左脚を踏み出して重心を後ろに預けると、渾身の力で大剣を振り抜いた。
「うぉぉおおお――ラアアぁ――ッ!!」
大剣が空中で大きな弧を描き、悠樹の左腹を食いちぎろうとするフェロジヒェーネの背中へと深々と斬り込まれた。自身の体重を乗せ、慣性を利用したこの一撃は、両手で振るうのと遜色ない破壊力を持つ。
フェロジヒェーネの背中には大きな裂傷が走り、脊髄も断たれて、苦悶の呻き声を上げた。このまま放っておいてもすぐに死ぬだろう。それなのに、なおも悠樹への噛みつきを緩めようとしない。
「早くくたばりやがれぇッッ!!」
ランラは罵声を浴びせながら大剣の切先でとどめを刺す。フェロジヒェーネはようやく絶命し、口を緩めた。
次の瞬間、ランラの背後から<黒い稲妻>が駆け抜ける。
アンジェリナだ。
仲間たちもすぐ後ろに迫っており、もうすぐ到着する。アンジェリナは誰よりも速く、真っ先に駆けつけた。
アンジェリナは電光石火の勢いで悠樹の右側へ突進すると、急停止するやいなや、悠樹の右腹を噛み裂こうとしていたフェロジヒェーネの頸部へ鋭く噛みついた。そして低くも威嚇的な唸り声を上げながら、頸骨をへし折らんばかりの圧力をかけて締め上げる。
同じく右側で、悠樹の右腕にもう一頭が噛みついていたが、アンジェリナは迷うことなくより致命傷を与えうる腹部の個体を選択した。
まさしくアリスの言う通り、アンジェリナはとても賢い。アリスの言う通り、アンジェリナは非常に賢く、状況判断に長けている。経験豊富なランラと同じく、まずは致命傷を与えかねない敵を優先して無力化したのだ。
間もなく、アンジェリナの顎の力によってフェロジヒェーネの頸椎は粉砕された。先ほどと同様、このフェロジヒェーネも死ぬまで噛みついたままだった。
悠樹の腹部を襲っていたフェロジヒェーネは2頭とも殺した。だが悠樹はすでに多量の血液を失っており、体力も急速に低下しつつある。
喉元に短剣を突き立てられたフェロジヒェーネは、なおも盾に押さえつけられていたが、激しくもがき始めていた。このままでは振り離されてしまうだろう。
その時、仲間たちが悠樹たちから20~30メートルほどの距離まで近づいていた。
「姐御ぉ――っ!」
「っ! 早く来いッ!!」
「おう!」
ランラに応えると、ダニエルは走りながら背後にいる仲間たちへ指示を飛ばした。
「君たらはここで待っててくれ。アリス、二人を!」
「はい!」
そしてダニエルは加速して向かった。
三人は足を止め、アリスが一歩前に出て萌花と詩織の前に立ちはだかる。彼女は手袋をはめると、腰のどこかの袋から毒入りの干し肉を取り出し、フェロジヒェーネがこちらへ向かってくるのに備えた。
足を止めた三人は、ようやく前方の状況をはっきりと確認できた。悠樹が地面に倒れ、4頭のフェロジヒェーネに襲い掛かられ、ランラの左腕にも1頭がぶら下がっている。戦場とその周辺は血しぶきで染まっていた。
「キャアーッ!! 悠樹ィ――!!」
「ダメですっ!」
「百合園さん!」
アリスは素早く手を伸ばし、詩織も萌花の腕を掴んで、二人して彼女がそちらに行こうとするのを止めた。
「んぐっ……!」
悠樹の正確な状態も、地面に流れている血がどれほど彼のものかもわからず、萌花は焦燥と不安で胸が張り裂けそうだった。ただ、彼が無事であることだけを祈る。
ダニエルが悠樹とランラのもとに駆けつけると、ランラは左腕を掲げて「まずコイツをヤってくれッ!」と叫んだ。
「おうっ!」
ランラが自分の腕のフェロジヒェーネを優先させたのは、自分を助けてほしいからではなく、両手で大剣を振るう状態に早く戻るためだ。
「フッ!」
ランラがフェロジヒェーネを持ち上げて宙吊りにする。ダニエルはすかさず剣を振り下ろした。
「ふん! ふっ! はっ! ハぁっ! せいっ!」
宙吊りにされたフェロジヒェーネは5太刀浴びせられ、脊椎は粉砕され、腹部にも深い傷が開いた。今にも息絶えそうだが、相変わらず頑なに噛みついたまま離さない。
だが、悠樹とは違い、ランラの体力はまだ十分残っている。彼女は大剣を地面に置き、右腕を回してその柄を肘に引っ掛けると、自由になった右手でフェロジヒェーネの顎を掴み、無理やりにこじ開けた。
フェロジヒェーネは地面に落ち、もはや動かない。ランラの左腕には2列の深い牙痕が残り、そこから血がにじみ出ている。けれど彼女はその傷を気にせず、すぐに次の行動に移った。
「小僧は右の2匹をやれッ! オレは足元のを片付ける!」
「任せとけ!」
そう言うと、ランラは2歩前に踏み出し、悠樹の左脚に食らいつくフェロジヒェーネへ斬りかかった。
しかし、フェロジヒェーネはそれをかわし、大剣は地面を斬った。
続けて彼女は下から斜め上へ大剣を払い上げたが、これも完全には命中せず、フェロジヒェーネに浅い傷を負わせるに留まった。だが、その攻撃を避けるために、そのフェロジヒェーネは悠樹を噛むのをやめた。
それを見たランラは、すぐに悠樹の右脚を噛んでいたもう一頭に狙いを変えた。今、ランラとダニエルの最優先は、フェロジヒェーネたちがこれ以上悠樹を傷つけないようにすることだから。
大剣が再び振り下ろされるが、今回も斬撃は空を切った。だが、それでもう一頭のフェロジヒェーネも悠樹から口を離した。
フェロジヒェーネたちは目前の獲物を諦めるつもりはなく、2対1の数的優位を活かしてランラへ攻撃を仕掛けようとしている。
そこへ、アンジェリナが突如として突進し、右側のフェロジヒェーネに飛びかかった。2頭の猛獣が激しく噛み合い、本能に訴えかけるような凄まじい唸り声と咆哮が周囲に響き渡る。
左側のフェロジヒェーネはアンジェリナの乱入に驚いて一瞬ひるんだ。ランラはその隙を逃さず攻撃を開始する。
上段から繰り出される斬撃、下からの払い上げ、斜めからの袈裟斬り、そして横薙ぎ。フェロジヒェーネが悠樹を噛むのをやめたおかげで、ランラは悠樹の肉が引き裂かれることや、彼を誤って斬ってしまう心配をせずに済むようになった。
<精鋭>級のランラにとって、飢えて痩せ細った一頭のフェロジヒェーネなど、猫がネズミを弄ぶように容易い。
一方のダニエルは、ランラが脚元のフェロジヒェーネを攻撃し始めたのとほぼ同時に、悠樹の右側へ回り込んだ。
彼は右側の2頭のうち、一頭が喉に短剣を突き立てられて盾に押さえつけられているものの、今にも振りほどかれそうなのを目にした。だが、悠樹にこれ以上のダメージを与えさせないため、彼はまず右腕に噛みつく個体を攻撃対象に選ぶ。
「もう少しだけ持ちこたえてくれ! すぐ助かる!」
悠樹は痛みに顔を歪め、多量の出血で力が抜けかけている。けれど、仲間たちが自分を助けようと必死に戦っているのを感じ取り、彼は残る力を振り絞って、今にも逃げ出そうとするフェロジヒェーネを再び強く押さえ込んだ。
だが悠樹が持ちこたえられる時間は限られている。ダニエルは迅速に決着をつけねばならない。
ダニエルは悠樹の右腕に食らいつくフェロジヒェーネめがけて剣を振り下ろした。
しかし、そのフェロジヒェーネは警戒していたのか、即座に口を離して攻撃を回避すると、間髪入れずダニエルへと襲いかかってきた。
ダニエルは左腕に装着した金属の円盾でそれを防ぎ、一歩下がって間合いを詰め直す。そしてフェロジヒェーネは再びダニエルに襲いかかる。
「お前みたいなガッツのある奴、嫌いじゃねえぜぇっ!」
そう叫ぶと、彼は上半身を捻って右から左へ盾を流し、フェロジヒェーネの突進を受け流すと同時にその体勢を崩させた。次の瞬間、右手の剣をフェロジヒェーネの脇腹へと力強く突き立てる。
この一連の動作は流れるように滑らかだった。猛獣ならずとも、人間でも初見では対応に窮するだろう。
急所を衝かれたフェロジヒェーネは激痛にうめき地面に転がり、四肢をばたつかせて哀れな声をあげ、必死で起き上がろうともがいた。
だがダニエルはそれを許さない。すかさず間合いを詰め、斬撃を加えてとどめを刺し、フェロジヒェーネの命を奪った。
目前のフェロジヒェーネが絶命したのを確認すると、ダニエルはすぐに悠樹の右側へと戻った。盾に押さえつけられたフェロジヒェーネは、なおも悠樹によって抑え込まれている。
ダニエルは左手で剣の柄を握り、右手で柄頭を押さえ、剣先をフェロジヒェーネの心臓めがけて定位させると、全身の体重を乗せて剣を押し込んだ。
強い圧力で剣はフェロジヒェーネの皮肉を貫き、そのまま心臓を穿った。フェロジヒェーネは激しい痙攣の後、息絶えた。
「よく持ちこたえたな。もう君の周りにはフェロヒェはいない。残りの2頭ももうじき片付く」
「………………すぅ………………ふぅ……………………」
悠樹は返事をしなかった。
正確には、返事ができなかったのだ。
ランラの方、彼女が対峙していたフェロジヒェーネは、劣勢になりつつあることを悟ったのか、数度逃げようとしたが、ランラの立ち回りと大剣の捌きによってことごとく阻まれていた。今や両者の位置関係は最初とほぼ逆転している。
ダニエルが盾のフェロジヒェーネを仕留めたほぼ同時刻、ランラも攻防の末、相手の前脚を1本切り落とした。
「姐御ぉ! こっちは片付いたぞ!」
「おう! こっちもすぐ終わるッ!」
そう言いながら、ランラは大剣を振りかぶり、哀れな声を上げよろめくフェロジヒェーネの頭頂部へと振り下ろした。
頭蓋骨が砕ける鈍い音と共に、フェロジヒェーネは地面に倒れ、微かに痙攣した後、動かなくなった。
残るフェロジヒェーネは最後の1頭。アンジェリナと死闘を繰り広げていた。
種族的な戦闘力では、黒豹はフェロジヒェーネにやや劣る。しかし、この個体はまだ成獣に達しておらず、かつ痩せ細っていたため、アンジェリナが体格と戦闘経験で優位に立ち、勝利を収めた。
アンジェリナはそのフェロジヒェーネの喉元と頸動脈を噛み千切り、地面に押さえつけた。
そのフェロジヒェーネはすでに瀕死だったが、万全を期してランラが大剣でその腹を数度突き刺し、確実に止めを刺した。
ランラとダニエルは周囲を見回し、地面に転がるフェロジヒェーネが全て絶命したことを確認すると同時に、両脇の茂みから新たな猛獣が現れないか警戒した。
安全を確認すると、ダニエルは後方で待機する三人に向かって叫んだ。
「もういいぞ! 魔法使いのお嬢さん、早く来てくれッ!」
「は…はいっ……!」
呼ばれると、三人はすぐに悠樹たちのもとへ駆け寄った。
読んでくれてありがとうございます。
もしよかったら、文章のおかしなところを教えてください。すぐに直して、次に生かしたいと思います。(´・ω・`)
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