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*** 75 極楽 ***



この物語はフィクションです。

登場人物、国家、団体、制度などが実在のものと似ていたとしても、それは偶然です。

また物語内の記述が事実と違っていたとしても、それはフィクションだからです。




 


 大水槽室を見た輔佐はまた腰を抜かしそうになっていた。

 やはりこの時代の武士にとって、超巨大な米蔵と水槽のインパクトは強烈なようだ。


「この北の海には、このような大きな魚や蟹や鮑がそれこそ数え切れぬほどおるそうだ。

 北海国の代表であるムサシ殿に言わせると、我ら日の本の武士は漁など下賤な者が行うものと決めつけ、これほどまでの食料を放置したまま米だけを求めて争っている愚か者だとのことだな」


「だが蟹などとんでもなく深い海の底におるものだろう。

 それを如何にして獲るというのだ」


「はは、実は儂もそれを問うたのだがの、何故日の本の武士や民は道具と智慧を追求せずに飢えているのだと言われてしもうたわ」


「ぐぅ……」


「さてカムイレオ殿、空いている部屋をひとつ貸して頂けぬだろうか。

 その部屋にて、この銭で贖えるだけの北海国の食を試させて欲しい」


 彦五郎は先程輔佐から受け取った津料を全て渡そうとした。


「いえ、先ほど代表のムサシから連絡がございまして、お代は一切頂かぬようにとの命がございました。

 どうぞお好きなだけ我が国の食をお試しくださいませ」


「ははは、さすがの御仁よのう」


「ところで昼食ちゅうじきの前に湯あみなどは如何でしょうか」


「おお、それはいい!

 輔佐殿、それでよろしいかの」


「もちろん構わんが……

 湯あみとな」


 温泉地などを除き、大名の邸などで湯あみを提供されることは、この時代ではかなりのもてなしとなる。



 彦五郎と輔佐は上階に案内されたが、輔佐氏は外付けエレベーターに乗ってまたしても硬直していた。


「そうそう、北海国には湯あみの掟があるそうでな。

 まず『しゃわー』なるもので湯を浴び、その後『ぼでぃたおる』なるものに『せっけん』を塗って体を擦って洗うそうな。

 湯に浸かるのはその後だということだ」



「これは……

 驚くほど泡が出るものだの」


「垢もぼろぼろと落ちているぞ。

 最初に体を洗った際には儂も驚いたものだ」


 体を洗い終わった両人はドアを開けて外の野天風呂に向かった。


「ご、ご隠居さまっ!」


 彦五郎が湯に入ったのに気づいた年寄り二人が慌てて湯船から出て行こうとする。


「よいよい、このような場でまで堅苦しいことを申すな。

 それよりどうだこの交易所の暮らしは」


「へい、もう極楽で暮らしているようで……」

「これでもういつお迎えが来ても、思い残すことはございません。

 うううううっ……」


「はは、泣くな泣くな」


 老人二人は彦五郎に頭を下げつつ風呂を出て行った。



 輔佐も湯に入った。

 ゆっくりと移動して端に寄り、眼下を眺めれば庭園の先に蝦夷地の山々が見える。

 左手に目を転じれば岸に打ちつけて波しぶきを上げている海も見えた。

 体は十分に温まり、まだ春先で冷たい風が顔に当たって実に心地よい。


「同意する……」


「?」


「ここは極楽じゃ……」


「はは、そのご感想は美酒佳肴を味わうまで取っておかれた方がよいの」


「…………」


 風呂から上がった両名はグラスビールを振舞われた。


「苦い…… だが美味い!

 この泡で口の中が洗われるようだの……」



 両名はまたエレベーターに乗り、6階の特別応接室に通された。


 総畳敷き20畳ほどの特別応接室には床の間もあり、50センチほどの白磁の壺に季節の草花が生けられている。

 部屋中央には精緻な彫刻を施した巨大な卓と分厚い座布団が置いてあった。

 開け放たれた障子の先にはギヤマンの嵌った大きな窓もあり、眼下の景色も見渡せる。


「こ、これは……

 総畳敷きの部屋にあのような巨大なギヤマンを嵌めた明り取りだと……」


「ほう、この壺は儂も初めて見るの。

 これはまさか白磁の壺かの?」


「はい」


「明からの渡来物か?」


「いえいえ、北海国の窯で焼いた物でございます」

(実際に作ったのはアバターの仲間たちですけど)


「そうか、北海国ではこのように美しいものまで作れるのか……」



「清酒をお召し上がりになられますか?」


「いや、よろしければ、最初はまたあの白米の握り飯をいただけるかの」


「畏まりました。

 それでは海産物の刺身もお持ちいたしましょう」


「客人にはなるべく多くの食を試して頂きたいのでな。

 済まぬが料理は少量ずつにしていただけるか」


「畏まりました」



 最初に宙に出現したのは注文通りやや小ぶりの握り飯だった。

 カムイレオは入り口付近に座っているだけにも関わらず、握り飯の乗った皿は勝手に動いて卓の上に配膳されている。

 輔佐は一瞬仰け反ったが、彦五郎が動じていないのに気づき、すぐに立ち直った。


「むぅ、白い米とは……」


「食されてみればわかるが赤米や黒米よりは遥かに旨いぞ」


「た、確かに旨い!

 しかも中に入っているものは……

 これは塩鮭か!」


「ヒトの体には9厘ほどの割合で塩が含まれているそうなのだがな。

 それよりほんの少しだけ少ない割合の塩を握り飯にまぶし、やや塩気が物足りないと思わせたところに塩を多めに振った塩鮭が現れると、さらに美味に感じられるそうだ。

 それが料理という『ぎじゅつ』の為せる技らしい。

 もちろん握り飯の握り具合も絶妙だがな」


「むう……」



 続いて5枚ずつほどの小ぶりの白磁皿に乗って出て来たのは海鮮だった。

 それぞれに煮切り醤油や出汁で割ったポン酢、蟹酢などもついて来ている。

 さらにガラスで出来た片口に入った清酒と、同じくガラス製の1合ぐい吞みが2つ出て来た。

 片口が宙に浮いてとくとくと音を立ててぐい吞みに酒が注がれてゆく。


「こちらの皿にはマグロの中トロが乗っております。

 同じ皿に乗っております山葵を少量乗せ、こちらの煮切り醤油につけてお召し上がりください。

 そちらは鰹の刺身になります。

 上に茗荷と大蒜の薄切りを乗せたままポン酢につけてお楽しみください。


 そちらの茹で蟹の剥き身は蟹酢を少量つけると美味しゅうございます。

 雲丹はそのままでも結構ですが、煮切り醤油を少量つけるとさらに美味しいかもしれません。

 こちらは蒸し鮑です。

 そのままでも煮切り醤油をつけてもどうぞ」


 もちろん蒸し鮑には綺麗な波型に包丁が入っており、雲丹は殻付きだった。



「うーむ、濁り酒でなく水のように透き通った酒とは……

 う、旨い!

 見た目は水だが酒精も実に強い!」


 酒呑みの本能なのか、輔佐さんはマグロに山葵と醤油をつけ、口に入れて2回ほど咀嚼し、すぐに清酒も含んで唸っている。

 その後も鰹、茹で蟹、雲丹で同じことをしていたが、箸を入れると雲丹が動いたので驚いていた。



「貴殿の言われる通りであった……

 ここにも極楽がある」


「儂も同意する」


「そして、これらの美味が皆この北の海で獲れたものだと申されるか……」


「どうやら海の幸とは北の冷たい海ほど大きくまた旨いそうだ」


「むぅ……

 これほどまでの美味がすぐ傍にありながら、我らは米の不作をただ嘆いているだけだったのだな。

 しかもその乏しい米が実る土地を求めて戦ばかりしていたとは……」


「まだいくらか腹には入るかな。

 今度は北海国の陸の幸を頂いてみぬか」


「是非にも」


「カムイレオ殿、半らあめんと半ちゃあはんを所望してもよろしいかの」


「もちろんでございますよ。

 ラーメンは味噌ラーメンでよろしかったですか」


「おお味噌らあめんか、あれは旨いからのう」



 間もなく卓上には半ラーメンと半チャーハンが出て来た。


「ラーメンの汁とチャーハンはそちらの蓮華でお召し上がりください」


 輔佐が味噌ラーメンのスープを蓮華で掬って口に入れ、そのまま硬直した。


「なんという、なんという旨さじゃ……

 味は確かに味噌だが、味噌汁とは完全に別物だ!」


 輔佐さんは麺を食べてもチャーハンを食べてもプルプル震えている。


「味噌はもちろん大豆から出来ておるが、その麺は小麦から作られておるそうだ。

 ちゃあはんの米は言わずもがな、一緒に炒められている野菜も北海国の大地で育てられたものだそうだの」


「ま、まさか蝦夷地で米を作れるとは……」


「詳しい説明は省くが、大豆も米も小麦も野菜も『ひんしゅかいりょう』というものを何十年も重ねて、寒さに強いものを作り上げたそうな」


「むうううう……」


 卓上には湯呑に入った緑茶が出て来た。

 これもこの時代ではたいへんなもてなしになる。



「そうそう、輔佐殿は甘いものはお嫌いか?」


「はは、甘味なぞこの歳になるまで一度しか口にしたことがござらん。

 幼少のころ、酷い熱を出したときに先々代のお館さまより賜った砂糖を口にしたことがあるだけじゃ。

 よって好きか嫌いかもわからん」


(註:昔砂糖は薬として扱われていた。

 江戸時代でも砂糖が売られていたのは薬種問屋である)


「ならばカムイレオ殿、最後に『ぷりん』を振舞って頂けぬか」


「畏まりました」



「むう、こ、これは……」


「その黄色いものは時告げ鳥(鶏のこと)の卵と牛の乳、砂糖から作られているそうな。

 白いものは『くりーむ』と言ってこれも牛の乳と砂糖から出来ておる」


「む、牛の乳は仏教の戒律には触れぬのか?」


「はは、牛の乳を飲んでも牛を殺したことにはならんからな。

 それに牛の乳を加工した極上のものは醍醐とも呼ばれていて、仏教の大乗経典『大般涅槃経』の中では五味のうち最上のものとの記述もあるそうな。

 そのおかげか500年ほど前には醍醐という名の天皇もおわしただろう。

 公家衆も昔はさんざん牛の乳を飲んでいたそうだぞ」


「そうか……」


「それにの、これは一向宗などの破戒坊主ではなく極めて真っ当な寺の住持から聞いた話なのだが、仏陀さまは肉食を禁じるとは一切仰られておらんそうなのだ。

 ただ『殺生』を禁じられただけだと。

 まあ殺生が出来ぬなら肉も喰えんだろうが。

 だが我らは牛や馬や猪は喰ってはおらんが、鳥は喰っても構わんと勝手な解釈をして鳥を殺生して喰うておるだろう。

 それにだ、他領に攻め込んで武士や農民兵を殺して殺生を重ね、土地や米を奪っておる我ら武士が今更仏教の戒律を気にしたところでのう」


「ははは、確かに仰る通りだ」


「中には仏門に入ったと称して頭を丸めながら戦の命を出す狂った武将もおるがの。

 ところでその『ぷりん』を是非試してみてくれ」


「こ、こここ、これは!

 冷たくて甘くて旨い!

 未だかつて食したことのない不思議な食感と味だ!」


「そうよな、我が蠣崎の老いた下男や下女など、皆泣きながら拝みながら食しておるわ」


「この天上の美味を下男や下女にまで振舞っているというのか……」


「北海国の民には身分の差が無いそうだからの」


「なんと……」





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