*** 74 敵情視察 ***
この物語はフィクションです。
登場人物、国家、団体、制度などが実在のものと似ていたとしても、それは偶然です。
また物語内の記述が事実と違っていたとしても、それはフィクションだからです。
そのとき小早にいた武士の一人が水夫の背に隠れたまま弓に矢を番え、信広に向けて弓を引き絞った。
ここで信広を討ち取れば、三男殿のお覚えが爆上がりするだけでなく、あの蠣崎信広を射殺した者として出羽陸奥の英雄となれると思ったらしい。
「むっ!」
当然信広はその殺気を感知し、自分を狙った矢を躱しても後方の兵に被害が無いよう自分の位置取りを変えた。
だが、その瞬間になぜか矢がやや下を向き、敵武士が弓を引き絞る指から力が抜けたのである。
ぽひゅ……
力なく放たれた矢は、やや不自然な軌道を描きながら檜山安東家当主三男邦季のケツに突き刺さった。
「ぎゃあぁぁぁ―――っ!」
幸いにも分厚い脂肪(筋肉ではない)に阻まれてさほどの深手にはなっていないようだ。
あまりのことに矢を射た武士は弓を放り捨てて呆然としている。
信広が敵兵に注意を向けたまま視界の端で交易所を見やると、ムサシが城壁の上に立ち、笑顔で手を振っていた。
(はは、矢の軌道が不自然だったのはそういうことか……)
「者共この阿呆らを船に放り込め!」
「「「 はっ! 」」」
縛り上げられた安東の武士がそのまま小早に投げ込まれた。
「所属不明の盗賊どもよ!
この阿呆共を連れてどこへなりと去れっ!
皆殺しにされなかっただけありがたいと心得よっ!」
邦季軍はすごすごと逃げ帰って行った。
彼らは這う這うの体で渡島半島南端の旧大館跡地に辿り着き、安東家本隊の先遣部隊に糧食の提供を求めた。
(邦季はケツの痛みにうんうん唸っていただけ)
「いや貴殿らについては檜山のご当主さまのお沙汰により、陣振れを逃れて逃亡した重罪犯とされている」
「「「 !!!!! 」」」
「よって討伐軍大将の重季殿の許可が無い限り、貴重な兵糧を分け与えることなど出来ん」
「「「 ………… 」」」
こうして抜け駆けを試みた一行は、全身打撲とケツ痛に呻くだけの邦季を擁し、空腹を抱える以外に為す術はなかったのである。
邦季の人望は地の底にまで墜ちていた……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後。
花澤湊の待機小屋にいた信広の下へ物見の兵がやって来た。
「ご隠居さま、沖合より小早が1艘こちらに向かって来ております」
「旗印は」
「はっ、檜扇に鷲の羽にてございます」
「檜山安東か……」
「また、使者の印の旗も見えまする」
湊へ出向いた信広の前に小早から降り立ったのは、安東家の有力分家の隠居である工藤矩季であった。(仮名は輔佐)
前々当主の信頼も厚く、元服に際しては安東家の通字『季』を賜ったほどの男である。
だが、安東の現当主とはやや折り合いが悪く、今は隠居して長男に家督を譲っていた。
「これはこれは、輔佐殿ではございませぬか。
10年前の檜山城での評定以来ですな」
「久しゅうございます彦五郎殿(信広のこと)。
ご健勝そうでなによりでございます。
此度安東は、ご当主次男安東右京太夫重季殿を総大将とするアイヌ討伐軍を組織することとなり申してな。
4日後にここ花澤湊沖合を通過するご了解を頂戴したく、使者として罷り越し申した。
こちらがご当主さまよりの書状でございまして、こちらが津料1貫文(≒12万円)で御座る」
輔佐は皮袋に入った銭を渡して来た。
「関船10隻小早120ほどと些か多いのですが、湊には寄らずに四分の一里ほどの沖合を通過するのみならば、何卒これでご容赦いただけませんでしょうか」
「なに、十分でございますよ」
「また、アイヌ討伐軍総大将である右京太夫(重季のこと)殿の思し召しにより、蠣崎の者たちにも参陣を願われるとのこと。
その場合は4日後午前より花澤湊沖合四分の一里ほどの処で本隊をお待ち願いたい」
「了解した。
配下たちに触れを出して希望者を募ろう」
「貴殿は参陣頂けぬのか……」
「某はこの蠣崎の地と民を守らねばならぬのでな」
口上を言い終え、任務を終えた輔佐は旧知の彦五郎(信広)に対してやや砕けた口調に変わった。
「そうさの……
儂は武士とは本来『守る者』ではないかと思うておるのじゃ。
血筋を守り、主君を守り、領地を守り、一族郎党や領地の民を守り……
だが、毎年のように冷害が続くようになった昨今、武士は『攻める者』になってしもうた。
自領の石高が落ちたからと言って、米や財を求めて他領に攻め込むとはの。
それではまるで武士が武装強盗に身を窶したようなものではないか」
「…………」
(ムサシ殿と同じことを申されるか……)
「今回のアイヌ討伐遠征にしても同じよ。
交易とは本来対等な取引であるもの。
それを30年も前の戦で和人が勝ったからと言って、武力を背景にした脅しをもって一方的に和人が利を得ていたとは。
今回のアイヌの独立宣言にしても、アイヌとすれば平等な交易を求めてのことだろう。
それを自らの利が減るからと言って、武力を持って黙らせようとするとは……
浅ましゅうて涙が出るわ」
「その通りだのぉ……」
輔佐の表情がやや真剣なものになった。
「ときに彦五郎殿、あちらに見える巨大な砦と城壁は何事で御座るか」
「あれは北海国が普請した領地境界の壁と交易所に御座る」
「なんと……」
輔佐の目が剣呑な光を帯びる。
「あれだけの大普請が行われていたにも関わらず、檜山城への報告を為されなかったと申されるか……」
「いや、安東の殿へとお送りした書状にもあった通り、数日前に北海国の代表が挨拶に来たのだが、その際僅か1刻ほどの間にあの大城壁は普請されてしまったのだ」
「なに……
そういえば貴殿は北海国とやらの代表と直接会われたのだったな。
如何なる男でどれほどの軍を率いていたのか」
「もちろんすべてを包み隠さずお伝え申そう。
だがこんなところで立ち話もなんだ。
本隊が4日後に沖合を通過されるということは、時間はあるのだろう。
どこぞで落ち着いて話さぬか」
「もちろん時間はあるが……
最悪3日後までに大館跡地の本隊に合流すればよいからの。
その際はこの湊での野営の許しも頂かねばならんが」
「それはもちろん問題ない。
それではいっそのことあの交易所の部屋を借りてじっくりと話をしようではないか。
さすれば貴殿も敵情視察を身をもって為せるであろう」
「だが某は4日後にアイヌの地に攻め込む安東の手の者ぞ」
「はは、アイヌはそのようなことまったく気にせぬだろうよ。
新九郎」
「はっ」
「こちらの安東の水夫たちを湊の待機小屋に案内して昼食を振舞え」
「畏まりました」
「また、安東殿がアイヌ討伐軍への参陣を許されるとのこと。
参陣を希望する者は、4日後の午前に花澤湊沖合四分の一里にて本隊を待つよう全員に伝えよ。
人数相当の小早と蠣崎の旗印の使用も許す」
「ははっ、確と伝えまする」
蠣崎信広と工藤輔佐矩季は、当主次男高広の近習である基次郎とその弟甲三郎を伴ってアイヌの交易所に向かって歩き始めた。
(高広くんは婦女子の護衛という名目で交易所内で暮らしている)
因みに踊る義広くんたちには一時的に『隠蔽』が施されているようだ。
「見れば見るほど巨大な城壁であるの……
これをわずか一刻ほどの間に造るとは信じられん」
「まあ儂も実際に造るところを見たわけではないが、どうやら別の場所で作っていた壁を『てんい』という術でここに持って来て繋ぎ合わせて造ったそうだ」
「なんと……」
「そうそう、この交易所に入る際には武器を全て外に置く供の者に預けねばならぬのだが、構わぬか?」
「む、確かにここは敵国の砦、その中に入って敵情視察をするからには致し方あるまい」
「はは、我らも何度かこの交易所を訪れておるし、内部のアイヌの者たちも寸鉄も帯びておらんので大丈夫だ。
それに蠣崎では女衆や年寄り子供をここに避難させてもらっておる」
「なに……」
「なにしろ先日、先触れも無く旗印も当主の書状も津料も持たぬ賊もどきが、ここ花澤に勝手に上陸しようとしたからの。
万が一に備えての避難をお願いしたのよ」
「むぅ」
(それは間違いなくあの阿呆三男邦季のことであろうの……)
一行が交易所に近づくと、アイヌの若者が出て来た。
「これは彦五郎さま、それに工藤輔佐さまもようこそお越しくださいました」
(儂の名まで知っておるか……)
「カムイレオ殿、出迎え痛み入る。
本日は檜山安東の知人を連れて来たのだが、また交易所を見学させて頂けないだろうか」
「どうぞどうぞ、光栄にございます。
わたくしがご案内申し上げましょう」
(それにしてもこの男、体躯と言い物腰と言い相当なる武人であるな……)
輔佐も内心感服していた。
彦五郎と輔佐が脇差を基次郎に渡すとカムイレオが口を開いた。
「基次郎さまと甲三郎さまはこちらの待機所でお待ちいただけますか。
後ほど昼食もお届けさせていただきます」
「忝い」
若侍二名は既に何度かラーメン&チャーハンセットなどを振舞われており、完全にアイヌの信奉者になっている。
「それではまた米蔵を見せて頂いてもよろしいか」
「もちろんでございますよ」
輔佐は建物内のロビーとその装飾、天井高8メートルの広大なホールを見て硬直しつつ必死で脚を動かしてついて行ったが、通路を通って米蔵に案内されるとやはり大硬直した。
彦五郎(信広)はドヤ顔にならぬよう必死で表情を抑えている。
「ここには2億石の白米があるそうだが、北海国にはこのような蔵があと九つもあるそうな」
「むむむ……」




