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*** 71 交易所 ***



この物語はフィクションです。

登場人物、国家、団体、制度などが実在のものと似ていたとしても、それは偶然です。

また物語内の記述が事実と違っていたとしても、それはフィクションだからです。




 


 その日の昼前、前当主信広は元服したばかりの孫高広(現当主光広の次男)と、供の若侍2名を連れてアイヌ交易所に出向いた。

 どうやら信広は嫡男義広に見切りをつけたようだ。


 高広は大城壁を見上げ、左右にも目をやって感嘆している。


「祖父上、凄まじい城壁ですね。

 こんなものは檜山安東にも南部にも無いのではないでしょうか」


「それどころか日の本のどこにもないかもしれんの……」


「あ、あれは兄上……

 祖父上さま、何故に兄上はあのような場所で奇妙な踊りを踊っているのでしょうか」


「大方酒飲みたさに槍を持ってこの交易所に攻め込もうとしたのであろうの……」


「はぁ……」



 一行が城壁に開いたたった一つの門に近づくと、ムサシと同じような服を着た男が出て来た。

 槍はもちろん脇差も身に着けていない。


(ほう、ムサシ殿よりはやや劣るものの、それでも大した武人であるの)


「これはこれは蠣崎彦五郎(信広)さま、左衛門(高広)さま、ようこそいらっしゃいました。

 交易所のご見学でしょうか」


(はは、このような者まで儂の顔はおろか高広の顔と仮名けみょうまで知っておるか)


「うむ、交易品など見せて頂けるか」


「畏まりました。

 どうぞいくらでもご覧になってくださいませ。

 ただ、誠に申し訳ないのですが……」


「委細承知した……」


 信広は腰から脇差を外し、供の若侍に渡した。


「基次郎はこれを持って門前で待て。

 新九郎も槍を基次郎に渡してついて参れ」


「し、しかしご隠居さま!」


「ここは他家どころか他国の城なのだぞ。

 それを見聞させて頂くのに武装を解くのは当然である」


「は……」


「あの、新九郎殿、恐縮ですが懐の小刀もお預けいただけますか」


「な、なぜわかった!」


「我らには武器を察知する術がございますれば……」


 新九郎は蒼い顔をしつつ小刀を取り出して基次郎に渡した。


「貴殿はムサシ殿のお身内の方かな」


「はい、ムサシの陪臣となるカムイレオと申します」


「そうか……」



 一行が城壁に開いた門を潜ると短い石畳の先に建物の入り口があった。

 カムイレオが手を挙げるとその入り口の扉が左右に音も無く開いてゆく。

 その先には広さ30畳ほどのロビーがあった。

 床は白大理石張りであり、天井からはガラスのシャンデリアが下がっている。


 華美な装飾は無いが、所々に見られる室内装飾はロココ調であり、壁際には曲線脚を持つテーブルと大きな鏡があった。


 高広くんが辺りを見回した。


「こちらの建物内では履物を脱ぐ必要はございません。

 畳敷きの部屋のみ履物をお脱ぎいただいています」


「そ、そうか」


 ロビーのドアの先にはさらに広大なホールがあった。

 天井高は8メートルもある。

 床には無地の絨毯が敷かれ、天井には不思議な照明が無数に灯っており、ホールの周囲にはソファセットとテーブルも多数置かれていた。



「それでは何からご見学なされますか?

 米、麦などの穀物、魚介類、工芸品、菓子などいろいろと取り揃えておりますが」


「米蔵は見せて頂けるものかの。

 いや疑うわけではないのだが、ムサシ殿は神界より20億石の米を持ち込まれたと申されていた。

 だが恥ずかしながらそのようなお宝が集まっている蔵は見たことも聞いたこともないのでの」


「畏まりました。どうぞこちらへ」


 武一郎配下のアバターは、一行を1階ホールの隅にある扉に案内した。

 その扉を潜り、10メートルほどの廊下を歩くともう一つ扉を潜る。

 その先の部屋には大きな棚があり、そこには70センチ角ほどの箱が10段も積み重ねられていた。

 箱の前面は透明なガラスになっており、よく見れば中には無数の白米が見られる。

 そして、その箱を乗せた棚が通路の左右と前方に延々と連なっていたのであった。

 遠くの棚は霞んで見えないほどの距離がある。


 蠣崎一行は驚愕に立ち尽くしていた。


「こちらの倉庫には2億石ほどの米が備蓄してあります。

 北海国にはこうしたムサシさまの米蔵が10か所ほどございまして、こちらはそのうちの1つになります」


「この交易所全体もかなり大きいが、この米蔵は交易所よりもさらに大きく見えるのだが……」


「ええ、この米蔵は先程の通路を通じて別の空間にあるものですので」


「なんと……」


「ところでこの米箱をいくつか開けてみましょうか。

 左衛門(高広)さま、どの箱にいたしましょう」


「うむ、あの箱を開けて見せていただけるか」


「畏まりました」


 カムイレオがそう答えると、その米箱がふよふよと浮いて通路に着地した。


「「「 !!! 」」」


 さらに蓋の上にある小さな板に指を当てると、微かな音を立てて蓋がふわりと開く。


「この箱の蓋の鍵は、ムサシさまの許可を得た者でなければ外せないのです」


「「「 ………… 」」」


 蓋が開くと、辺りには精米したばかりの新米の香りが広がった。


「こちらの米は約2千年前に収穫した米ですね」


「なんと…… まるで新米のように見えるが……」


「実はこの倉庫内では時間が停止しているのですよ」


「「「 !!! 」」」


「ですので、食料でも料理でも新鮮なまま、作り立てのままいつまででも保存しておけるのです。

 食べ物を腐らせることもないので非常に便利ですね」


「「「 ………… 」」」


「さて、次は北の海で獲れる魚介類をご覧いただけますでしょうか」



 その直径300メートルはあろうかという円筒形の部屋の周囲は、高さ30メートル近い水槽で覆われていた。

 その中を2メートルを超えるマグロや、1メートル近い鰹や鮭、鱈などが回遊しており、ときおりイカやアジなどを捕食している。

 さらに海底部分には、いずれも甲羅幅40センチを超えようかという巨大なタラバガニとズワイガニが無数に歩いており、透明な板で区切られた岩場には長径30センチ近いアワビがびっしりとへばりつき、底の砂地にはこれも無数のホタテがいた。


 高広くんの背中がプルプルした。


「お、おじいさまっ!

 ち、近くに行って見てもいいでしょうかっ!」


 信広がカムイレオを見やると笑顔で頷いている。


「一緒に見に行こうか」


「はいっ!」


 高広くんは、みっともないと言われない限界の速度で歩き出した。

 まあ元服したとはいえ、まだ満年齢で14歳なので無理はない。


「うわぁ……」


 高広くんは額を水槽にくっつけて、夢中になって巨大魚介類を見ていた。


「あの、カムイレオ殿、これらの魚や蟹や貝は皆この蝦夷の海にいるものなのですか!」


「そうですよ左衛門(高広)殿。

 すべてこの北の海の中にいるものです。

 それもたくさんたくさんいます」


「もしこれらの魚や蟹や貝を獲る『ぎじゅつ』があれば、蠣崎もその民も飢えずに済みますね!」


 供の新九郎が驚いて若の顔を見ている。

 武辺者の彼には到底出てこない発想のようだった。



「それでは次に北海国の農業の成果を見て頂きたいのですが、ただ米や麦を見るよりもそれらの産物を使った料理をお試し願えませんでしょうか」


 蠣崎の者たちはダイニングルームに通された。


「まずはこちらをお試しいただけますか」


「それではそれがしが毒見をば」


「必要無い」


 信広が焙りトロの寿司を口に入れた。


 焙りトロ:

 マグロの大トロ部分を網に乗せ、炭火で焙ったネタを寿司に握ったもの。

 マトモな寿司屋では1貫2500円から。

(近海もの、つまり冷凍していない本マグロの場合)

 因みにある程度以上の高級寿司店では、ほとんどの寿司ネタに煮切り醤油を刷毛で塗ったものを供してくれるので、自分で醤油をつける必要が無い。 

 よって、シャリに醤油がつくことも無く、醤油ではなく寿司本来の味を楽しめる。



「旨い……」


 ご隠居さまが口にしたのを見た高広も口に入れ、続けて供の新九郎も口にした。


「「 !!! 」」


「次はこちらもご賞味ください。

 これはマグロの赤身部分を一晩醤油に漬けたものでヅケと呼ばれます」


「これも実に旨いの……」


「あ、あの!

 アイヌの方々はいつもこのように美味しいものを食べておられるのですか!」


「残念ながら焙りトロになる大トロはあまり量が取れないので順番になりますが、ヅケは皆大好物ですね。

 また、寿司は海仕事衆が獲ったマグロと陸仕事衆が育てた米を合わせたものですので、皆の協力があってこそ食べられるものなのです。

 ですから皆お互いを称えながら毎日のように食べていますね」


「素晴らしいです。

 皆で力を合わせてこのように美味しいものを作っているとは……」


 信広が孫の顔をチラ見した。


(次代当主はこの高広でよかろうな……

 それにしても、同じ兄弟でもこうも違うものか……)



「次は主に小麦を使った料理をお試し下さい」


 出て来たのは小さな丼に入った醤油ラーメンと同じく小皿に盛られた五目チャーハンだった。


「こ、この『らあめん』とやらも旨い!

 これが麦から作られた料理だと言われるか……」


「スープは醤油や鳥の骨を煮たものなど他のものも使っていますが、その麺は小麦で作られています。

 チャーハンは米を炒めたものに肉や野菜が入っています」


 もちろん豚肉も合成肉であるが、味と栄養は最上級のイベリコ種と区別不能なほどよく出来ている。


「そうか……」


(秋に草の実が取れても塩粥にしかしたことがなかったの……

 料理とはこれほどまでに旨い物を作れる『智慧』と『ぎじゅつ』であったか……)





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