*** 65 対和人会談 ***
この物語はフィクションです。
登場人物、国家、団体、制度などが実在のものと似ていたとしても、それは偶然です。
また物語内の記述が事実と違っていたとしても、それはフィクションだからです。
「それで、国の名は『カムイ国』や『蝦夷国』では如何かと申し上げたのじゃが、カムイさまはそのどちらもお気に召さなかったそうなのじゃよ。
その代わり、『北海国』というご提案を頂戴したのだ」
「うーん、確かに和人から見ればここは北海の地だが、カムチャツカや樺太、沿海州の民から見れば南の海の国なんだが……」
「それがの、和人たちが自らの地を『日の本』と称すのは、そもそも大昔に日の本の帝が遥か西の大国の帝に親書を送った際に、『日出るところの天子、書を日の没するところの天子に致す。恙なきやいなや』と記したことが所以になったそうな。
それで、日の本から見ればここは北の海の向こうの地であろう。
だから『北海国』でいいと希望為されたそうじゃ」
「なるほどなぁ……」
いやそれって単に21世紀の地名『北海道』を捩っただけだと思うぞ……
「それでの、お前が苫小牧地区や石狩川地区、石狩海地区の大族長殿方に会った際に、この話をしておいてくれんか。
儂も各地区の大巫女殿方に手紙を書いておくので言づけもしておくれ」
「よしわかった!
みんなに相談してみるわ!」
こうして、各地区の大族長や大巫女たち全員一致の大賛成により、蝦夷の地はカムイさまを代表に戴く『北海国』として正式に日の本からの独立を宣言することになったのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
北海国に冬が訪れた。
村と村の間にある畑では、麦畑で時折踏圧(麦踏みの事)が行われている以外は、農作業はお休みになっている。
雪も降り地吹雪も吹いていたが、巨大な壁に囲まれているおかげで村の中にはほとんど地吹雪は吹き込んでこなかった。
むしろ風に流された雪が壁際に大きな吹き溜まりを作り、斜面になったために地吹雪は上空に吹き上げられてますます村の中に入り込まなくなっている。
「外はこんなに寒いのに、家の中は相変わらず暖かいなぁ」
「なにしろ火を焚かなくても暮らせるんだもんな」
「冬の海での仕事は寒くて辛いが、それでも海から上がってすぐあの風呂に入れるからいいよな」
「でもなぁ、俺は冬にはピッチが雪で覆われてサッカーが出来ないのが残念だよ」
「それな」
そんな冬の晴れた日の休日、使徒さまたちが各村に300台ずつほどのソリ(プラスティック製)を持ち込んだのである。
「さあみなさん、ソリ遊びというものをしてみましょう」
使徒さまは村人たちを引き連れて、外壁の内側にある階段を昇っていった。
そうして橇に座ると、吹き溜まりの斜面を滑り降りて行ったのである。
「「「 おおっ! 」」」
すぐに村人たちは夢中になった。
なにしろ村で最も早く走れる狼人や犬人よりも速く滑れるのである。
海岸手前には海に至る道の両側に上り斜面も作られて、そこで止まるまでは素晴らしいスピードが楽しめるのだ。
年少の子供たちのためには最初使徒さまが、そのうちに年長の子や大人たちが一緒にソリに乗ってあげていた。
もちろん滑り終わった者は橇を引いてまた壁の上に戻り、次の人にソリを渡さなければならないが、これが実にいい運動になるのである。
そんなソリ遊びが休みの度に続くうち、年長の子供たちがソリの上に立ち上がって、まるでスノボのように左右に曲がれるようになった。
さすがは大自然の中で育つ野生児たちである。
曲る動きを推進力に変え、さらに加速して制動用斜面を使ってジャンプする者まで現れたのであった。
(もちろん着地点は海である)
こうして皆、冬の間に運動不足になることも無くなったのであった……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アイヌと蠣崎の交易が決裂した翌年の春。
渡島半島の日本海側にある蠣崎氏の本拠地、花澤館を望む関所には、見事な仕立てのアイヌ服を纏った20歳ほどのアイヌの若者の姿があった。
(もちろん武一郎配下のアバターである)
「この度メナシクル日高アイヌ、シュムクルアイヌ、石狩アイヌ、内浦アイヌ、渡島アイヌが統合され、北海国が建国されました。
その代表たるムサシが蠣崎家ご当主、蠣崎新之助(光広)殿にご挨拶に伺いたく、拙者が先触れとして遣わされました。
こちらの書簡にも記載してございますが、明日正午に花澤館にてのご会談をお願い申し上げます」
「あいわかった。
明日正午にとのことだな。
この書簡は必ずや我が主、蠣崎の殿にお渡ししよう」
「忝い」
その1時間後、蠣崎家現当主蠣崎光広は自室に於いてムサシからの書簡を見て唸り声を上げていた。
「誰かある!」
「はっ、これに!」
「ご隠居様にご相談事がある。
ご都合を伺って参れ」
「ははっ!」
光広はすぐに蠣崎家前当主、蠣崎信広の居室に通された。
蠣崎信広:仮名は彦五郎。
1431年、若狭の国守護大名・武田信賢の子として若狭小浜青井山城にて誕生。
1451年、若狭武田氏の家督争いから逃れるため、出羽の安東政季を奉じて南部大畑より蝦夷地に渡り、安東家の被官である上ノ国花澤館の蠣崎季繁に身を寄せた。
季繁に気に入られて娘婿となり、蠣崎氏を名乗るようになる。
1457年、アイヌ人青年が和人の鍛冶師と口論の末殺害されたことをきっかけに、それまで和人に抑圧されてきたアイヌの不満が高まり、渡島半島に勢力を持つアイヌの大族長コシャマインが多くのアイヌ部族を集めて和人に反旗を翻した。(コシャマインの戦い)
当初アイヌ側は、渡島半島に12か所あった和人土豪の館のうち11か所を制圧したものの、首謀者コシャマイン父子が蠣崎信広に弓で射殺されたことからアイヌ側勢力が瓦解。
その後蝦夷地に於ける蠣崎氏の勢力が拡大した。
蠣崎氏は豊臣秀吉や徳川家康に臣従した際に松前氏と改姓、明治維新後には子爵に列せられているが、その松前氏の家祖とされる人物が信広である。
その蠣崎信広も、実の息子で現当主光広の持ち込んだムサシよりの書簡を読み、やはり唸り声を上げた。
『拝啓
貴領に於かれましては時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、このたびアイヌ民族は、メナシクル日高アイヌ、シュムクルアイヌ、石狩アイヌ、内浦アイヌ、渡島アイヌが統合され、北海国を建国致しました。
国家代表にはカムイ・ムサシが就任しております。
この場合の国とは、陸奥の国や若狭の国と言った地方豪族の支配領のことではなく、日の本国全体や大陸の宋、南蛮のスペインやポルトガルなどと同格の国という意味でありまして、つまりは日の本の朝廷や幕府からも完全に独立した国を意味します。
ただ、貴蠣崎領の和人方も既に渡島半島南部にて代を重ねられておられることを尊重し、我が北海国の領土は貴殿らの言う蝦夷地全域ではなく、日の本上ノ国花澤館から北に四分の一里離れた地点から東南東の箱舘(後の函館)南方木古内までの線より海上を含む北部すべてを国土とさせて頂きます。
我々は確かに日の本国から独立させて頂きましたが、貴領を始めとした日の本国と敵対する意思はございません。
ただし、武装勢力が国境線を超えて侵入して来た場合には、相応の処置を取ることもお含みおき頂きたいと思います。
この建国に伴いまして、今まで日の本とアイヌの間で行われてきた交易も、アイヌより日の本への朝貢的なものではなく、国同士の対等なものと致します。
尚、唯一地続きの国境を持つ貴蠣崎領に対しましては、当北海国代表のカムイ・ムサシが明日正午に建国のご挨拶に参上させていただきたく、よろしくご対応くださいませ。
その際には、北海国より提供可能な商品の試供品も持参致しますので、ご購入を検討いただければ幸いです。
ただ、北海国には、今まで和人の方々より入手しておりました鉄器、綿織物、漆器、米などにつきましては必要十分な量がカムイ・ムサシにより齎されましたので、今後の交易は銅銭、銅塊や金板での決済とさせて頂きたくお願い申し上げます。
尚、交易の場所につきましては、北海国により花澤館北方四分の一里地点の海岸崖上に交易所を設置させて頂きますのでそちらをご利用くださいませ。
最後になりましたが、今後とも貴領の益々の発展をご祈念申し上げます。
敬具
北海国代表 カムイ・ムサシ
因みに、以前から渡島半島北部にも和人商人の交易集落はあった。
これは和人商人が蠣崎家に冥加金を払ってアイヌとの交易を行っていたものである。
ただ、2年ほど前より渡島アイヌが続々と日高や石狩の地に移住してしまったために、その交易はほとんど無くなってしまっていた。
また、渡島アイヌ相手に脅迫的な交易をしようとしたり、若い女性を連れ去ろうとした者たちが突然消えてしまうことが相次いでいたため、和人商人たちも気味悪がって撤退が早かったようだ。
アイヌは年に一度の蠣崎との直接交易を続けているだけだったのである。




