*** 41 弥生民族の征服王朝 ***
この物語はフィクションです。
登場人物、国家、団体、制度などが実在のものと似ていたとしても、それは偶然です。
また物語内の記述が事実と違っていたとしても、それはフィクションだからです。
このように異民族同士の融合が穏やかに進んでいた日本だが、武四郎の観測によれば、4世紀にこれを破壊する存在が現れた。
それは当時朝鮮半島にあった百済国からの集団亡命者たちである。
彼らは王位継承戦争に敗北した王弟とその支持豪族たちから成る弥生民族であり、勝者である王太子一派による粛清から逃れるために1000人近い集団で日本に渡って来たとみられる。
彼らは西日本にあった縄文民族や縄文・弥生混成民族のムラやクニを豊富な青銅製武器で次々に降伏もしくは滅亡させ、東進を始めた。
そうして遂に5世紀には関東、東北、南九州までその勢力を広げ、各地に王権の象徴である巨大な前方後円墳も築いていく。
(1970年代ごろまでは、この時代を大和時代と呼んでいたが、1980年以降は古墳時代と呼ぶのが一般的になっている)
この大和王権成立期に於いては、こうした亡命集団は百済王からの討伐軍を恐れてまだ堂々と百済の王統であるとは言えなかったらしい。
だが、このような亡命政権が次第に力をつけ、飛鳥時代(592年―710年)に至って朝廷としての存在が確立するころになると、古代王朝の定石としてその成立根拠や出自が粉飾されるようになっていく。
どうやら日本の天皇家の始祖が、王位継承戦争に負けて日本に逃げて来た百済の王弟とは言い辛かったようだ。
このために当時日本最高のヨイショ野郎である太安万侶が編纂したのが、日本最初のファンタジー小説である古事記であった。
なにしろ天地開闢から始まって、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みの神話へと続くのである。
そういう点で、世界最初のファンタジー小説である旧約聖書とも似ている点があるかもしれない。
(どうやら政治家も宗教家も支配層は天地開闢から始めるのが好きらしい)
この古事記の中で特筆すべきは所謂『国譲り』の神話であろう。
これは国津神(縄文民族の豪族)が、天津神(弥生民族である朝鮮半島からの亡命者の子孫)の神威に畏れをなしてその国を譲ったというものである。
いくらなんでもそれは無かろうに。
もちろん『クニを譲らなければ、我ら朝鮮半島系弥生民族の強力な軍隊が、キサマの一族を皆殺しにするぞ。もしクニを譲ればキサマは重臣として重用してやる』と降伏を迫ったのだろう。
実際に出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ、国津神の主宰神)は、国譲りの後幽冥界(死後の世界)の主、幽事の主宰者となったそうだが、現実には降伏した途端に暗殺されてしまったと思われる。
気の毒に。
西暦720年に成立した『日本書紀』もまあ似たようなものである。
こちらは古代の天皇が軒並み100歳以上まで生きていたとの記述があることから些か作りが雑だが(たぶん多くの天皇の名前を捏造するのが面倒だったのだろう)、特に百済についての記述が多い点が興味深い。
また、初代天皇である神武天皇は、日本の最高神である天照大神の五世孫だそうだが、何故か千年近くも過去の紀元前660年2月11日に即位していたそうだ。
因みに、日本では21世紀になっても2月11日を『建国記念日』として祝日にしているが、ファンタジー小説に基づいて建国記念日を定めるのは如何なものかと思う。
(まあ戦前の皇国史観が生き残っているのだろうが)
こうした日本最初の王権が、外国からの亡命者たちによって暴力的に成立したのは、その後の日本の暴虐の歴史を決定づけていたのかもしれない。
特に弥生民族の遺伝子的東進が中部地方でほぼ停滞していたために、狩猟採集を基盤とする比較的穏健な東部縄文民族と、農業を基盤とする好戦的な西部弥生民族&縄文民族の混血民族との軋轢も大きかったとみられる。
因みに、東国で最も好戦的だった甲斐武田氏は元々河内源氏を祖としており、人種的には弥生・縄文混血民族に属する。
武田氏の周辺侵略政策も、弥生人の血が濃い混血戦闘民族としては当然の事だったのかもしれない。
穏健な縄文民族の地に、そもそも暴力によって支配地を広げて来た弥生系民族を放り込むとこうなるという典型例である。
もちろん戦国時代に九州が『修羅の地』と呼ばれたのも、こうした弥生系(Y染色体ハプログループO系統)の遺伝子が濃かったからであろう。
というよりも、九州に於ける穏健なD系統縄文人は、大陸から渡って来たO系統弥生人による強盗殺人の犠牲者となってほとんど絶滅していたものと考えられるのだ。
特に天皇家に服わず、奴隷を含む貢物を差し出さなかったというだけの理由で『熊襲討伐』の名のもとに虐殺された熊人族系縄文人の無念は如何ばかりか。
彼らはO系統人は、大陸や朝鮮半島で既に数千年に及ぶ戦乱を経験して来ており、『豊かになりたかったら他人を殺して奪え』ということが民族的常識になっていたのだろう。
旧中国地域や朝鮮半島の民族が21世紀に入ってもヤタラに好戦的なのも当然と言えよう。
また、大政奉還後の明治政府の主要役職はほとんど薩長土肥という西国勢で占められていた。
つまりは天皇家も含めて全員がハプログループO系統である弥生民族の血をより濃く引いていたのである。
20世紀後半の教科書などではこの4藩を雄藩と呼び、藩政改革に成功して経済的にも軍事的にも他の藩に対して優越していたからこそ明治維新を成し遂げられたとの記述が多いが、これはもちろん皇国史観を擁護する詭弁である。
(当時教科書を書いたようなジジイたちは、皇国礼賛の戦前教育を受けて育っていたのだ)
この薩長土肥という地を地図で眺めると非常に興味深い。
それは朝鮮半島や中国南部から対馬海流や日本海流に乗って日本に漂着する際に、真っ先に上陸したと思われる場所であろう点である。
つまり、明治維新とは万世一系、要は純粋なハプログループO系統の遺伝子を持つ天皇家を中心に、同じ遺伝子を多く持つO系統弥生民族による、三河出身の徳川家(縄文・弥生混成民族)や東国武士(縄文民族、ハプログループD系統)からの政権奪還であったと考えられるのである。
明治維新政府が大日本帝国憲法の第1条に『万世一系の天皇』という文言を取り入れたのも当然であろう。
もし彼らが分子人類学の知識を持っていたならば、『万世一系の純潔ハプログループO系統である天皇家は、同じO系統の遺伝子を濃く引く薩摩人と長州人の助力により、D系統やO系統D系統混成の日本人民を支配する』と書かれていたかもしれない。
特に明治14年の政変以降は政府・軍部の要職者はそのほとんどが薩摩・長州出身者であり、過去の漂着者が最も多かった地=O系統弥生人の血が最も濃い民族が日本の政権を握ったことになる。
このことが明治期から昭和期にかけての朝鮮や中国への逆侵略の動機となった可能性は極めて高い。
21世紀に入っても、関東以北の出身者たちが『関西弁や九州弁は喧嘩腰みたいで暴力的である』と感じるのも当然かもしれないのだ。
(明治期に初めて警察制度が導入された際には、警察官のほとんどが薩摩出身だった。
そして、彼らが一般人に呼びかける際には『ちょっとそちらの方』という意味で『おいコラ』という薩摩弁を使ったために、当時の東京人には『おいコラ警察』と呼ばれて大顰蹙を買っていたのである。
薩摩弁はそれほどまでに攻撃的だったのだ)
だが、この大和王権は、他の国々と同じ決定的なミスを犯していた。
それは、王の権威を守ろうとして同族婚を重ねていたことである。
例えば17世紀当時、ヨーロッパの大半を支配していたハプスブルク家は、他家の血筋に領地を渡さないために同族婚を繰り返していた。
当時は遺伝学の知識もない上に、自らの血筋への拘りが強すぎたからと思われる。
このため、17世紀頃には誕生した子供の多くが障碍を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった。
(時折天才が誕生するという事例もある)
神聖ローマ帝国皇帝カール5世以降、下顎前突症(歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にあるという所謂「ハプスブルクの顎」)の人物が一族に多くなっており、カール5世は不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。
特にスペイン・ハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障碍を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位をブルボン家に渡すこととなった。
そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家とハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障碍を持った人物が続出した。
こうした弊害は21世紀でも欧州の王室に残っている。
例えばある王室の皇太子は、サインを求められた際に時折自分の名が書けなくなることがあるそうだ。
百済の王家でも同様な弊害が見られている。
それは、『王統はエルフ族であるべし』という思い込みによるものであった。
その百済で王位継承戦争に敗れた王弟は、敗北後に辛くも日本に逃れたが、不幸なことに日本の縄文民族にはエルフ族が非常に少なかったのである。
もちろん大陸由来の弥生民族の中にはエルフ族もいたが、大和王権の皇后となるような縄文豪族の姫にはエルフ族がほとんどいなかったとみられるのである。
このために、亡命に随伴した百済貴族の娘を皇后としていったのだが、やはり千人程度の遺伝子プールでは不十分だったようだ。
実際には日本の天皇家は9世紀まで兄弟姉妹婚を行わざるを得ないことまであったために、遺伝子はさらに脆弱になったものと考えられる。
(因みに最後の兄弟姉妹婚を行った天皇は文徳天皇であり、あの暴虐血筋で有名な清和源氏の祖となった清和天皇の実父である)
また、平成時代の天皇は、その談話の中で桓武天皇(781-806)の生母が百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠であることに触れ、天皇家の血筋に朝鮮半島人である弥生民族の血が入っていることを認めている。
というか20世紀まで天皇家はほぼ純粋な朝鮮半島人一族だった。
韓国人諸君、喜びたまえ。
韓国人は遥かな昔に日本を征服していたのだよ。
それも武力によって。
だから君たちが屈辱とする日韓併合もおあいこなんじゃないか?
こうして(ときおり天才的な王位継承者が生まれるものの)、『万世一系の血筋』に拘り続けたために、ハプスブルクやその他の欧州王族と同様に、日本の皇室の遺伝子もまた極めて脆弱になっていった。
同じことは徳川幕府の将軍についても言えるかもしれない。
読者諸兄は不思議に思われたことは無いだろうか。
太平洋戦争終結後の東京裁判に於いて、あれだけのA級戦犯が死刑になっていった中で、なぜ最高の戦犯と言える天皇が処刑されなかったのか。
公式には、もし天皇まで処刑したならば、怒り狂った日本人が本当に絶滅するまで戦争を続けてさらに多くのアメリカ人が犠牲になるだろうから、という理由が唱えられているが、どうやら実際には精神鑑定の結果、『法的責任を求めることは出来ない』という結論が出たこともまた理由の一部になっているらしい。
例えば明治帝も昭和天皇も、日本の最高意思決定機関であった御前会議には出席していたが、宮内省から『威儀を正して座っているだけで、帝は発言を慎まれるように』と指導されていたそうだ。
大正天皇に至っては御前会議に出席することすら困難だったのである。
(一度御前会議に出た際に、勅書を丸めて筒状にして望遠鏡のように覗いて議場を見渡したことがあったために、宮内省がそれ以降の出席を見合わせたとの説有り)
これこそが昭和天皇の皇太子の配偶者として、宮内庁が皇族ではなく一般人である美智子さんを選んだ理由なのだろう。
19世紀から20世紀にかけて多くの国々で絶対王政が崩壊し、議会制民主主義が勃興していった変化には様々な理由があったことだろう。
ひょっとしたら、この各国の王家が一族婚を繰り返して遺伝子的に脆弱になっていったこともまた王制崩壊の原因だったかもしれない……
それにしても、古代日本では何故あれほどまでに武力主義が蔓延して治安などの統治が遥かに疎かにされていたのか。
その理由はまず第1に、内政による国力上昇や国富増大よりも、侵略による領土拡大の方がよりはっきりと自らの成果を誇れるからであり、つまり自己顕示欲の充足には侵略の方が適していたということがある。
(要は俺TUEEE意識である)
第2に、侵略の先鋒として戦う将たちもまた同様の自己顕示欲、要は『俺は強かったのでこれだけの土地を褒賞で得た』という成功体験に囚われていたのであろう。
戦で勝利した経験の無い者は既に戦死しているので、生き残った者たちの全員にこうした成功体験はあったのだ。
加えて、通信の無い古代国家では統治のための連絡手段に限りがあり、どうしても将軍や貴族などの地方領主による分割統治が必要になって、例え内政に手腕があったとしても広すぎる領土を統治しきれなかったということもある。
こうした統治能力の欠如は、始祖王や初代領主の寿命と共に更なる不幸を呼んだ。
それはアレクサンドロスの死後起きたディアドコイ(後継者)戦争の焼き直しである。
有力将軍(豪族)たちは必ずしも次期王座を狙っていたわけではないが、それでも王の直系男子たちに娘を正室として宛がい、次代の王の祖父となることを目論んで、それぞれの支持する王の子の後ろ盾となって他の豪族との内戦に挑んだのである。
こうして大帝国建国後も戦乱の連鎖は続いて行ったと考えられるのだ。
これに2つの誤解が拍車をかけた。
それはまず『親から子へはその形質だけでなく能力も遺伝する』という誤解である。
確かに親の身長や体格は子に遺伝することは多い。
だが頭脳や統治などの能力はほとんど遺伝しないそうだ。
このことは、あれだけの権勢を誇った平氏を打倒出来た源頼朝の直系ですら、たった三代で滅んでしまったことでも想像出来る。
(江戸期には『売り家と、唐様で書く三代目』という川柳もあった)
もう一つの誤解は、『子への遺伝は男親からのみ為される』というものであり、また『父親の能力はまず長男に多く遺伝し、次男以下になるにしたがって薄れていく』という誤解であった。
この長男至上主義が、能無し跡継ぎの長男により多くの国が滅んでいった理由であろう。
因みにだがこの『長男至上主義』は21世紀日本にも色濃く残っている。
中部地方では相手を莫迦者と罵る言葉として21世紀になっても『タワケ』という言葉が使われているが、これを漢字で書けば『田分け』であるのだ。
つまり、相続の際に長男のみに田を残すのではなく、2男以下の息子や娘たちにも田を分けるような奴は莫迦者であるという、現代民法に真っ向から反逆する言葉なのである。
筆者は子供のころ中部地方在住の3歳年上の従姉(つまり女性)に会うと、よく『クソダーケ!』と罵られた。
註:タワケ → クソタワケ(上級表現)→ クソターケ(口語体)→ クソダーケ!(強調)
である。
ただまあ、長子相続が為されている世界はまだ継承戦争が無いだけマシだったかもしれない(それが阿呆王の統治によりその国の衰退を招いたとしても)。
それでも日本の戦国時代のように父と子が、兄弟同士が戦を始めるようになり、武田領のように弥生民族系の戦闘狂たちが支配域拡大という名の侵略ばかりしていた国に比べれば、よほどにマシなのだろう。
閑話休題とする。




