*** 111 地図 ***
この物語はフィクションです。
登場人物、国家、団体、制度などが実在のものと似ていたとしても、それは偶然です。
また物語内の記述が事実と違っていたとしても、それはフィクションだからです。
京都御所前の施粥所では、学校教育も始まったようだ。
まずは読み書き計算を教える初等学校、次に簡単な理科教育や社会教育を行う中等学校である。
後土御門天皇は、側近と共にこの学校に通うようになった。
初等学校はすぐに卒業資格を得て中等学校でも既に科学の基礎を学び終えている。
そうして今は高等学校で天文学と農学に多大なる興味を持って熱心に学んでいるらしい。
この『学校』では、特別に施粥所とは異なった『給食』が出た。
それも刺身や寿司に続いてラーメンやチャーハン、ハンバーグにスパゲティやら甘味のデザートまでも。
もちろんその給食の噂を聞いて、給食だけを目的に学校に通う者も増え始めた。
だが……
どぼぉぉぉ―――ん!
「うわあぁぁぁ―――っ!
な、なんだよこれ!
なんで俺はこんな池に落とされているんだよ!」
「あなたは授業中に寝ていたために、この池の上空に転移させられました」
「な、なんだとぉっ!」
「もう一度同じことをすれば十日間の停学処分となり、二回めの停学は三十日間の処分になります」
「へっ、だったらもう授業とやらには出ねぇからよ、あの給食とやらだけ喰わせろや!」
「もちろん真面目に授業を受けていなかったあなたに給食はありません。
一階の施粥所で粥を食べてください」
「!!!」
こうした居眠り生徒を池の上に転移させる能力は、21世紀日本の教師たちにとっても垂涎の力であることだろう……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
北海国総司令部に御所施粥所のアバターたち経由で連絡が入った。
船の大半と戦力の半数を失って防衛に専念していた檜山安東家は、周辺諸領が全く攻め込んでこなかったことで相当に安堵していたらしい。
(もちろん20家近い諸家が安東家に向けて兵を挙げていたが、ムサシ一派によってことごとく壊滅させられていたことには気づいていない)
そこで当主交代に伴って宮中に新当主安東尋季の官位官職を求めて来ていたのだが、その授与の条件としての施粥所用地貸与に同意したそうだ。
なにしろ領地の一部貸与を認めるだけで、賂も礼金も必要無かったのである。
困窮した貧乏領にとってはこれが一番大きかったようだ。
元々嫡男尋季は従8位下、官職は下野権少掾を賜っていたが、当主交代を機に、前当主忠季と同様に従7位下、兵部少輔の地位を希望していた。
だが、こうした官位官職は、たとえ当人が摂家新当主であっても授与当初は前当主より一段も二段も低いものになる。
その後朝廷への貢献度(この時代では上納金)に応じてその官位官職が上がっていくのが慣例であった。
このため、尋季も、当主就任に当たっては従8位上、官職は玄蕃助しか与えられない予定となっていたのである。
施粥所設置交渉については最初のケースということもあり、まずはムサシ本人が向かうことになった。
ムサシ自身は天皇のときと同様に新当主安東尋季の前に突然転移するつもりだったのだが、武一郎以下アバターたちからの懇請により、この時代の正規の手順を踏んで交渉に赴くことになったのである。
どうやら最初の交渉以降はまたもムサシに丸投げされると思った配下たちが、この時代の通常の手順を踏むようムサシを説得したらしい。
すなわち、まずは先触れの使者を立てて先方に赴き、次に予定された日時に幾ばくかの供を連れた勅使もしくは勅使代理が訪問するという形式であった。
尚、この訪問の様子は後で丸投げされるであろうアバターたち数千名が真剣に観察している。
たぶん、以降も録画を見ながら勅使代理役の者たちによる勉強会が何度も開催されることだろう。
衣冠束帯を身に着けたムサシが檜山安東城に赴くと、新当主安東尋季以下重臣たちが門前で平伏していた。
安東尋季が声を上げる。
「勅使閣下に於かれましては、遠路遥々の御成り誠に恐縮でございまする。
まずは湯あみ場をご用意させて頂きましたので、旅の垢を落とされた後に昼餐をお召し上がり頂きますようにご案内申し上げまする」
勅使代理が返答した。
「先触れの使者が伝えたことと思うが、勅使さまに於かれては一切の饗応は不要である。
すぐに評定の間に場所を移し、当主と重臣たちとの交渉に入ることとの仰せである」
「は、ははぁっ!」
確かに先触れの使者は一切の饗応不要と伝えていたが、もちろん安東家側はこれを建前と見ていた。
何故ならば、この時代の貧乏公家たちにすれば、こうした地方下向の際の饗応こそは役得というか褒美のようなものだったからである。
よって、勅使やその供であれば、1か月近くも訪問先に滞在することがフツーだったのだ。
もちろん勅使ともなれば、供の者も最低で20名、場合によっては50名を超える場合もある。
供の者の人数こそは主客の格式を表す上に、その分の人数が役得の饗応に与れるからである。
ところがこの時のムサシの供回りはたったの3名であった。
安東家の者たちは、この少人数を相当に訝しんでいる。
評定の間に通されたムサシ一行は広い板敷の間の上座にある一段高くなった場所に座った。
正使であるムサシは分厚い綿の座布団に座り、供の者3人はムサシの後方にあるやや薄手の綿座布団に座っている。
供の一人は80センチ四方ほどの平たい大きな箱を持っていた。
安東尋季は、ムサシの正面ながら優に10メートルは離れた場所に伏し、20名ほどの親族衆、重臣衆は壁際や廊下に近いところに平伏している。
中には廊下に伏している者もいた。
まずは安東家側の面子の紹介が行われ、その後は後土御門天皇の署名と花押が入った勅使の奉書が供の者経由で安東尋季に渡された。
尚、尋季はムサシの官位『従一位』を見て硬直している。
もちろん安東家主従はムサシの巨大な体躯にも慄いていた。
「さて、まずは確認させてもらおう。
安東尋季は朝廷に対し新たな官位官職を求め、それに伴って朝廷が普請する民への施粥所設置場所の提供を認めたことに相違ないか」
「はっ、相違ございませぬ」
安東家たちの間に微かなどよめきが広がっている。
代理ではなく勅使本人ともなれば、実際には天皇の名代として扱われなければならない。
その勅使が供の者に代弁させるのではなく、直接口を開いたことに驚いたらしい。
「『困窮民への施粥所の設置場所は各家の本拠地の城や館から10里以内の地に30町(≒3270メートル)四方の土地を貸与せよ。
尚、貸与の期限は設けない。
ただし、城下町から離れている場合には、城下町から施粥施設への街道建設のための敷地も併せて貸与せよ。
もちろんすべて貸与なので領地の割譲には当たらない』
という約定を結んだことについても相違無いか」
「ははっ、仰せの通りに御座います」
先ほど一族衆筆頭と紹介された老人が口を開いた。
「お、畏れながら、『貸与用地の地勢は山地でも荒野でも河川敷でも構わぬし、面積が同じならば正方形でなくともよい』というのは本当でございましょうか……」
「事実である」
老人はかなり安堵しているようだった。
最近では大店が続々と本拠地を移しつつあるものの、未だに檜山安東領の商業中心である能代の町を差し出せと言われなかったことにほっとしたようだ。
「おい」
「はっ」
ムサシの供の者が箱の中から70センチ四方ほどの紙を取り出した。
ムサシ一派が地球の周りを36基も廻る監視衛星からの写真とレーザー測距儀で作成した地図である。
「この場の者は交代で近こう寄ってこの地図を見よ」
皆がおずおずと僅かに近づいて来た。
「俺は地図が見える距離に近づけと言った。
勅使の命に従えぬのか?」
その場の全員が弾かれたように地図目掛けて集まって来た。
「こ、これはぁっ!」
その10万分の1地形図の中心には檜山の頂上付近にある檜山城の詳細な構造が見られている。
この城は後世の城のような天守閣などは無いものの、多くの防塁や空堀が築かれた郭が幾重にも重なったかなり守りに特化されたものだった。
北海国侵略遠征の大敗により、周囲の領地からの侵攻を余程に恐れた結果追加普請されたものであろう。
「この地形図は実際の地形を10万分の1に縮めたものだ。
施粥所用地を一辺30町の正方形であるとすれば、この地図上では3寸四方となる。
施粥所用地はどこにする」
「お、畏れながら、本当に山林地でよろしいのならば、この檜山の北側にあります太郎山と次郎山の周辺一帯の30町四方の土地で如何でございましょうか……」
「1万分の1地形図を」
「はっ!」
ムサシの前に70センチ四方ほどの地図が9枚並べられた。
檜山城はそのうちの南側、標高150メートルの檜山頂上付近に位置し、北側には標高120メートルの太郎山、標高100メートルの次郎山がある。
「こ、これでは城の防御のありようが一目瞭然に!
ち、朝廷におかれましてはこのような各地の地図までお持ちなのでしょうか!」
「無論である」(←大ウソ。朝廷にそんなものがあるはずがない)
(こ、これでは万が一にも朝敵などとされ、将軍家の号令で集められた諸家連合に攻め込まれでもしたらひとたまりもないではないか!)
ぜんぜん関係ないのだが、筆者は学生時代に
東海自然歩道(東京高尾山 → 愛知県) 17日間
自宅(東京都大田区)→ 日本海 12日間
青森 → 新潟 9日間
と徒歩旅行したことがある。
その後、自分で歩いた跡を大きな地図で見たくなったが、もちろん青森から愛知までの大地図などは売られていない。
そこで国土地理院発行の二十万分の一地形図を十六枚ほど買って丁寧に糊付けし、大きな一枚地図にして壁に貼ってみたのである。
だが、極めて丁寧に1枚地図にしたにも関わらず、その大地図は中央部が膨らんで平らな物にはならなかったのだ。
そう……
国土地理院の地形図は、正確な長方形でなく上辺と下辺の長さが違う台形をしていたのである。
つまり、この合わせ地図の中央部の膨らみこそは、地球の曲面を表していたものだったのだ!
その大地図を壁に貼り、地球の丸みを感じながら自分の歩いたところを振り返るのは格別だった……
(もし全世界の地形図を貼り合わせたら、きっと巨大な球形になるのだろう。
南極や北極は三角形なのか?
海しか書かれていない青い地図を買うのは虚しいだろうな……)




