*** 107 三好水軍全軍出動 ***
この物語はフィクションです。
登場人物、国家、団体、制度などが実在のものと似ていたとしても、それは偶然です。
また物語内の記述が事実と違っていたとしても、それはフィクションだからです。
「あの…… 若殿……」
「どうした!
会合衆共はまだか!」
「そ、それが街役人たちが堺の街に入った途端、ふんどしと前掛け姿になって踊り始めてしまったのです……」
「!!!!
な、ならば小者に命じて今から用意する書状を会合衆共に届けさせろっ!」
「はっ!」
その書状には、
『堺衆の鋳造した堺銭が全て屑石になってしまったため、公家衆、細川京兆家、三好家が大変な損害を被った。
堺衆は直ちに明銭500万枚(≒6億円相当)を弁済せよ!
さもなくば堺の街を焼き討ちする!』
と記されていた。
(↑被害金額よりだいぶ多くふっかけている)
まあ、たかが6億円でここまで大騒ぎするとは、当時の経済規模の小ささがわかろうというものだ。
同時に三好長秀は配下に命じ、油壷を満載した大八車30両を堺の街の手前に集結させた。
もちろん実際に堺を燃やせば賠償金など取れるはずも無いので単なる示威行動である。
その書状は無事に天王寺屋に届けられ、カムイレオの手に渡った。
急遽北海国協力商会10家が招集されたが、蒼褪めている商会主たちを前にして、カムイレオが微笑んだ。
「こうまで細川や三好が予想通り動いてくれるとは。
みなさまご憂慮の必要はございません。
堺には一切手を出させませんので、ここから先は全て我が北海国にお任せくださいませ。
そんなことよりも、連合商会堺屋を通じて京都御所での施粥のご準備をお願いいたします」
その後、堺の街周辺に置かれた油壷の中身は、すべて京の三好邸上空と内部に転移させられた。
壺そのものは三好邸の庭に堆く積み上げられており、『神罰準備中』と書かれた大きな布も垂れ下がっている。
こうして三好邸は火矢の1本、松明の1つで即座に火達磨になる状態となったのであった。
三好家では火気厳禁の触れが出されて飯炊きどころか茶の一杯も飲めなくなり、まるで戦場のように全員が干飯を齧って味噌を舐めている。
また、近隣の住民も続々と逃げ出していた。
(実際には万が一三好邸が燃え上がっても、周囲に類焼しないように遮蔽フィールド展開の準備は終わっている)
さらに北海国総司令部から武五郎に連絡が為され、敢えて残されていた堺湊周辺の突貫浚渫工事も始まった。
三好長秀は最後の手段として、大阪港に駐留する三好水軍分遣隊、淡路島と阿波湊を本拠地とする三好水軍全軍に出動を命じた。
作戦目的は堺湊の封鎖である。
あわよくば水軍を堺に上陸させて堺衆に圧力をかけたかったが、貴重な水軍兵を神罰に晒す可能性が高かったために、そちらにはあまり重きを置いていなかった。
それよりも堺衆の仕入れと出荷の8割近くを占める堺湊を封鎖することで、堺の商取引を凍結する兵糧攻めを狙ったものと思われる。
また、三好家の力を堺だけでなく日の本全体に知らしめるために、敢えて全軍出撃を命じたのだろう。
(これも武士の見栄である)
「いやーお頭、久々の全軍出撃ですなぁ。
それで海戦の相手はどこなんですかい」
「いや、若殿のご下知は封鎖戦だ。
堺湊を封鎖して小舟一匹外に出すなということだな」
「そいつぁ少々残念ですが、という事は堺のお宝の略奪もし放題ということですか。
そいつぁ豪儀なこって」
「まあそういうことだ。
封鎖の準備は怠るなよ」
「それじゃあ上陸部隊5千と封鎖部隊11万ぐれぇでいいですかい」
「おう、上陸戦には重きを置かねぇそうだから、そんなもんでいいだろう。
封鎖戦は長期戦になるから水や食料の積み込みもたっぷりとな。
鍋釜や炊事の火鉢も、雨除けの油紙もだ」
「へい」
「ところで堺湊の水深はどれぐれぇだったか」
「一番深いところで5尋(≒9メートル)ぐれぇでさ」
「ならば一番大きな錨石に8尋の麻縄をつけて積んでいけ。
その後に小早同士を縄で繋いで防塁にするから、麻縄もたっぷりと用意しろ」
「へい」
「それから今回は小早と関船だけじゃあなく、安宅船も出陣だ。
総大将は若殿の弟君の長光さまだそうだ」
軍需物資を満載しているために、安宅船は最大定員500のところ兵300、関船は同じく最大定員120のところ兵90、小早も定員40のところ兵30と、些か兵員は少なかったが、それでも安宅2隻、関船400隻、小早2500艘の堂々たる大艦隊である。
日の本有数の水軍と言っていいだろう。
安宅船の天守楼には、鎧兜に身を固めた三好長光がドヤ顔で座っていた。
(註:通常水軍の将兵は海の上では鎧兜を身に着けない。
もちろん万が一にも船が揺れたり転覆したりして海に落ちれば、泳ぐ間もなく石のように沈んでしまうからであり、鎧兜は敵地に上陸してから身に着けるのが常識である。
だが、安宅船や関船に座乗する司令官や武将は、見栄のために鎧兜を身に着けることもあったようだ)
そして……
全ての準備を終えて意気揚々と出陣した三好水軍は、堺湊に近づいたところでフリーズした。
「な、なんだよありゃあ……」
「なんてでけぇ船なんだよ……」
そう、堺湊のすぐ沖合には『北海Ⅰ』と書かれた超巨船が停泊したのであった。
(あのカムチャツカⅠや樺太Ⅰの同型艦)
「あの船、長さが安宅船の5倍ぐれえあんぞ……」
「喫水からの高さは6倍以上か……」
「船幅なんぞ安宅の8倍近いわ……」
「手前らビビってんじゃねぇっ!
どんなにでけぇ船でもただの1隻で護衛の小早もいねぇ!
お前らが鉤縄投げて全員で乗り込めばすぐに制圧してあの船も俺っちのもんだ!
そうすりゃあ三好水軍は日の本一の水軍だぁっ!」
「「「 おおおおっ! 」」」
やはり、この時代の武士を名乗る者たちは、他者を殺してその財を奪えばその分自分たちが裕福に為れると信じ切っているようだね……
だいたいあの超巨船が敵対者だと確認出来たわけでもないのにさ……
総大将の三好長光は封鎖戦や海戦の経験など全く無かったために、指揮は長光の横にいるお頭と呼ばれた参謀が執っている。
その激や命令は関船や小早の指揮舟を経由して次々と復唱されていた。
尚、堺湊にはまだ千人近い傲慢商人や破落戸が内陸を向いて浮かんでラジオ体操を続けていたが、このとき海方向に向き直らされた。
おかげで全員が北海Ⅰと三好水軍の威容を目にすることとなり、半数以上が尿モレを起こしている。
また、カムイレオは協力商会衆を湊の北海屋最上階にある応接室に転移させ、特等席で海戦を見せてやっていた。
海上にお頭の大音声が響いた。
「まずは小早500艘であの船に漕ぎ寄せ、鉤縄を投げて乗り込めっ!
矢避けの盾を構えるのを忘れるな!」
「「「 おうっ! 」」」
「それにしてもお頭、なんであのデカ船にゃあ魯も帆も無ぇんですかね。
矢狭間も兵も見えねぇし……」
「さぁなぁ……」
まもなく小早500艘が北海Ⅰに取りついた。
既に膂力自慢の男たちが鉤縄を回転させ始めている。
こうした場合には個別に鉤縄を投げると敵に斧などで縄を切られる恐れがあるために、太鼓の合図で一斉に鉤が投げられた。
尚、鉤が架からなかったときにももう一度投げ直せるように、縄の端は舷側の杭に結び付けられている。
どぉ―――ん!
太鼓の合図で500の鉤縄が一斉に宙を舞った。
だが……
カキンカキンカキン……
そう、船全体が上空までクラス30の遮蔽フィールドで防衛されていれば、鉤縄などが引っかかるはずもないのである。
ヒュ―――っ……
ドギャ!
「「「 うわぁぁぁ―――っ! 」」」
北海Ⅰの船体に跳ね返され、そのまま落ちていった鍵縄のいくつかは小早の薄い船底を突き破った。
物資を満載していた小早はみるみる沈んでいく。
もうひとつ三好水軍が忘れていたことがあった。
それは、封鎖戦に備えて物資を満載している船では、鉤縄による切込み戦など普通は行われないということである。
巨船に引っかからなかった鉤縄が運よく海に落ちても、その鉤が勢いよく沈んでいく勢いで、多くの小早が大きく傾いた。
そして不運な船は転覆してしまったのである。
こうして小早500のうち100隻近くが戦闘不能になった。
「鉤縄投げ中止ぃ―――っ!
関船は直ちに海に投げ出された兵の救助に向えぇ―――っ!
残りの小早は転覆した船をどけて巨船に接触しろぉ―――っ!
待機中の小早500も前進して巨船に接触し、密集隊形のまま錨石を降ろせぇ―――っ!
そのまま小早同士を繋いで敵船を逃亡不能にせよっ!」
「「「 おおおおう! 」」」
「その間に上陸部隊は堺湊に漕ぎ寄せ、兵は上陸して橋頭保を築けっ!」
「「「 おおおう! 」」」
「関船全船も巨船に接近し、敵船に逃亡の兆しが見えたら矢を射かけろ!」
「「「 おおおおう! 」」」
「安宅船も敵船の前後に移動して逃亡を阻止しろっ!」
「「「 ははぁっ! 」」」
さすがは戦慣れした三好水軍だけあって、見事な指揮伝達と一糸乱れぬ行動である。
ただ如何せん相手が悪かったのだ。
小早900艘が北海Ⅰの周囲に集結した。
「よし!
錨石を降ろした後は隣の小早と縄で繋いで防壁を造れっ!」
小早900艘から一斉に錨石が海に放り込まれた。
だが……
とぷん……
ずざざざざざ―――っ!
「「「 うわぁぁぁ―――っ! 」」」
「なっ……」
そう、三好水軍は堺湊の水深を最大でも5尋(≒9メートル)と見積もっていた。
そのため、余裕を見ても最大の大きさの錨石と舟を繋ぐ麻縄を8尋分しか用意していなかったのである。
だが、堺湊の水深は武五郎麾下のアバターたちによって50メートルにまで浚渫されていたのであった。
そのために、錨石を落とした勢いでまず船尾が沈んで小早が棹立ち状態になり、そのまま全舟が沈んでいったのだ……
そもそもそんな水深の浅い湊に北海Ⅰのような巨船が近づけるわけはなかろうに。
それとも、この時代は安宅船と雖も喫水の浅い平底船ばかりであったために気づかなかったのだろうかねぇ……




