*** 101 伏見屋発狂 ***
この物語はフィクションです。
登場人物、国家、団体、制度などが実在のものと似ていたとしても、それは偶然です。
また物語内の記述が事実と違っていたとしても、それはフィクションだからです。
「これから夏に向かう時期に酒を仕込めとは、酒米に腐れと言ってるも同じだということがわからんのか。
それでよくも酒問屋などと言えたもんだ」
「こ、このジジイをすぐに黙らせろぉっ!」
「いや伏見屋殿、わたくしもまったく同感で御座います」
「なななっ!」
「もしどうしても今すぐ酒を仕込み始めろと仰るならば、その酒が全て腐り果てた際の損失を補填するという約定書を書いてください。
その額はおよそ五万貫(≒6億円)となりましょう」
「な、なぜそこまで高額の損失になるのだっ!
たかが米代と麹代だけだろうに!
いくらなんでも吹っ掛けすぎだろう!」
伏見屋の番頭たちは主人の醜態を見て項垂れている。
「あのですね、一度でも腐れ酒を出した蔵や桶は、もう二度と使い物にならないのですよ。
蔵も桶も腐りを覚えますので。
ですので、夏前の今すぐ酒を仕込み始めるのならば、腐らせる覚悟で酒蔵はここより離れた地に建て、酒を仕込む桶も新調しなければなりません。
それでも腐らせたならば蔵も桶も全て焼き払わねばなりませんし」
「だ、だが、天王寺屋はこの清酒を一升一貫文もの高値で売っておるのだぞ!
貴様ら儲けたくないのか!」
「安いですな……」
杜氏も頷いている。
「なに……」
「わたくしならば、この酒には一升五貫文(≒60万円)、いや十貫文(≒120万円)の値をつけるでしょう。
この酒にはそれだけの価値があります」
「なななな……」
「なあ伏見屋とやらの旦那、ひとつ願いがあるんだが聞いてくれねぇか」
「なんだ!」
「あんたの店の名前、変えてくれや」
「なぜだ!」
「あんたみてぇな酒を知らねぇ奴が伏見の名を名乗るのは、伏見杜氏の端くれとして恥ずかしくってよう。
だから『知らず屋』とでも名を変えてくれや」
「な、なんだとぉぉぉ―――っ!」
「なぁ蔵元の旦那、これからは澄み酒をすっぱり諦めて、濁り酒一本に絞らねぇか。
これほどの酒が出て来ちゃあ澄み酒も恥ずかしいやな」
「そうだな、濁り酒を造りつつ余裕が出来たら小さな蔵を建て、小さな桶でこの清酒に一歩でも近づける酒を目指して精進していこうか。
たとえ百年二百年かかろうとも」
「そいつぁ楽しみが出来やしたぜ」
(まあ、30億年はかからないと思うけど1万年ぐらいは必要かもね)
「も、もうお前らには頼まんっ!
この蔵との取引もこれまでだっ!」
「望むところですな。
ありがとうございます……」
「っ―――っ!」
怒り狂った伏見屋は残った酒ごと一升瓶をひったくると、面談の礼も言わずに出て行った。
そうして同じ伏見の地の他の酒造を廻ったものの、清酒製造はことごとく断られてしまったのである。
これ以降、伏見の酒蔵の一部は、盆や正月に堺天王寺屋より清酒を購入し、『いつかはこの酒を』と新たに精進を誓っていたそうだ。
堺に帰ると伏見屋は番頭を5人も引き連れて天王寺屋に乗り込み、たまたま店にいた津田新右衛門を怒鳴りつけた。
(どうやら取り巻きが大勢いないとクレームもつけられないらしい)
「き、貴様は俵物商だろう!
何故酒を扱い始めたのだぁっ!」
「同じことでございますよ」
「なに!
ど、どういうことだ!」
「あなたは桔梗屋や恵比寿屋と共に堺銭の鋳造業を始められました。
それも宋銭や明銭に似せた銅銭にも関わらず、銅が半分以下しか入っていない銭を」
(こ、こ奴はなぜそれを知っておるのだ!)
「桔梗屋は呉服商、あなたは酒問屋、恵比寿屋は米問屋であるにも関わらずです。
そのあなた方が銭の鋳造業を始められた際、その銭に堺銭と名付けるのを反対した商家に対し、これは我々の出資する新規事業なのだから文句を言われる筋合いは無いと仰っていました。
でしたらわたくしが酒の小売事業を始めても、文句を言われる筋合いは無いかと存じます」
「ふ、伏見と灘の酒造に手を廻し、貴様の店に一切酒を卸すなと圧力をかけるぞっ!」
「どうぞご自由に」
「!!!!」
「わたくしの店では既に2万石の清酒を売っておりますので、澄み酒や濁り酒を扱う余裕はございませんので」
(そ、そんなに……
い、いったいいくら儲けているというのだ!)
えーっと、利益率はおおよそ90%かな。
「な、ならばあの清酒とやらはいったいどこから仕入れているというのだっ!」
「これは伏見屋さんともあろうお方が世迷いごとを」
「な、なんだと!」
「我ら商家にとって、仕入れ先こそは秘中の秘でございましょうに」
「がぎぐぐぐぐ……」
「それではこれで失礼しますよ。
大量の清酒購入注文が入っていて忙しいもので」
「うがあぁぁぁ―――っ!」
伏見屋は額に青筋を立てまくったまま店に戻った。
「離れに権蔵を呼べっ!」
「は、はい」
「お呼びですかい旦那」
「仕事をしてもらいたい」
「どういった仕事で」
「天王寺屋に押し入って主一家を皆殺しにし、火を放ってこい!」
「それで報酬は?」
「特別に5貫文(≒60万円)払ってやる!」
「旦那ぁ、金額をお間違いですぜ」
「な、なんだと!」
「そんな大仕事なら前金で銭500貫文(≒6000万円)が最低ですな。
それもあの腐れ堺銭ではなく宋銭か明銭、もしくは金板で」
「!!!」
「見張り役4人、押し込み8人、その後全員がお伊勢参りにでも行って、ほとぼりを冷まさにゃならんのですぜ。
宋銭500貫文でも安いぐれぇだ」
「そ、そんなことを言って、銭だけ受け取って逃げる気だろう」
権蔵の目が鋭くなった。
「ほう、旦那は堺と大阪の半分を仕切る俺っち黒組を舐め腐ると」
「ま、ままま、待て!
前金で200、成功したら300だ!」
「逆ですな、前金で300、成功後に200」
「ぬぐぐぐぐ……」
「それから店の中にあった金目のブツはすべて俺っちのものということで」
「ふざけるな!
お前たちは住人を始末して火を放つだけだ!」
「ほう、ということは旦那が一緒に来て金目のブツを持ち帰るんですかい?」
「!!!!」
「俺っちは住人を始末したらすぐに火を付けますんで、巻き添えを喰って焼け死なねぇように気をつけてくだせえよ」
「ぬがががが……
な、ならば金目のブツはくれてやるっ!
明日300貫文を用意するので夜には実行せよっ!」
「毎度ありがとうごぜぇやす……」
その夜権蔵は手下11人を集め、お伊勢参りの偽造手形と全員の旅装束を用意した。
翌日伏見屋で金版300貫文(≒3600万円)相当を受け取ると、武器と油、火打石を用意して、戦利品運搬用の大八車も用意した上で夜中に天王寺屋に向かったのである。
だがもちろん天王寺屋はムサシ一派の重点防衛先になっており、権蔵一味は天王寺屋に100メートルまで迫ったところで忽然と消え失せた。
同時に伏見屋の頭の中には『火つけ強盗教唆の罪により、あなたをラジオ体操1か月及び終身禁固刑に処します』という言葉が流れて来たのであった。
すぐに伏見屋主はふんどし一丁と『神罰実行中』の前掛け姿になり、店の正面入り口前でラジオ体操を始めたのである。
(特例としてこの日は夜中も継続)
尚、伏見屋には念話で罪と刑罰の説明が行われたが、『儂は天王寺屋を皆殺しにして火をつけろと命じただけで、儂が手を下したのではない!』と言って、どうしても自分が罰を与えられることに納得出来なかったそうだ……
翌日、堺の町は『伏見屋発狂』のニュースで大騒ぎになったのであった……
うーん、この時代の人々の間には、武家やならず者だけでなく商人にも『気に入らない奴がいたら殺して奪え』という思想が蔓延してたんだねえ。
こりゃあいよいよ、まともな民を作るには暴虐犯罪者を隔離して子孫を残させないようにする措置が必要かも……




