第96話 北原の族長代理
その日…オークの村には少しばかりの緊張が走っていた。
近隣のオークの部族、北原族の族長代理、ゲヴィクルが訪れていたのである。
「やあ! やあやあ! しばらく見なイうちにこノ村モ随分ト様変わりしましタね!」
やや芝居がかった調子で大仰に両手を広げ、快活に感想を述べる。
「イやこノ変貌ぶりを考えルト、ドちらかト言えば少し見ナイうちに、ノ方が正確デしょうカ! ハハハハ!」
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいですわ」
ゲヴィクルを我が家へと案内しながら、ミエはその風貌や言動を注意深く観察する。
なにせ今後の事を考えたら他のオーク部族との関係性は非常に重要である。
この人物は以前の頂上決闘の折、夫であり現族長…そして当時は挑戦者に過ぎなかったクラスクに肩入れし、どちらかと言えば贔屓していたように見えた。
できれば友好的な関係を築きたいものだ。
が、なにせ急な来訪である。
いずれこちらから会いに行かなければ…と思いつつ色々と多事多忙で手が回っていなかったところを向こうから表敬訪問という名の不意打ちを喰らったのだ。
言うなれば先手を取られた形である。
意図は計りかねるが侮れない相手と考えるべきだろう。
ミエは内心気を引き締めつつ、笑顔でゲヴィクルを案内した。
× × ×
村を横断しながらクラスクとミエの家へと到着した二人。
だが以前とはその様子が少々変わっている。
まず部屋が増築された。
元は玄関から入ってすぐがキッチン兼応接間兼食堂で、右手奥が寝室の計二部屋しかなかったが、今はキッチンの奥にもう一つ部屋がある。
やや広めの間取りに襲撃などで手に入れた調度品などを並べ、さらに中央にはやや立派な机とソファーが並べられており、見る限り応接間の機能を台所から独立させたもののようだ。
族長に就任したことで必要となったのだろう。
また以前は玄関にしか扉がなかったが、今は各部屋の出入り口にしっかり扉が備え付けられている。
プライバシーの保護も配慮した形だ。
ゲヴィクルは他部族の族長代理という賓客である。
当然ながら奥の応接間へと通された。
「おや…」
ゲヴィクルが目をぱちくりとさせる。
そこで待っていた相手に少々意表を突かれたようだ。
「これハこれハクラスク族長。それに美しい女性の方々」
うやうやしく一礼した先には、テーブル正面に族長クラスク、脇の椅子にゲルダ、シャミル、サフィナが控えていた。
「よく来てくれタナ、同胞」
「こちらこそ急ナ来訪申シ訳ありマせン」
クラスクとゲヴィクルが互いを歓迎し、握手を交わす。
「こイつらハ俺のあどばいざーみたいなものと思っテくレ。族長に就任シタばかりデまダまダ右モ左モわからん新米ダからナ」
「イえイえ。そンナ御謙遜ナさらなくテモ。村ノ様子を見れバ十二分に族長トしテノ務めを果タしテらっしゃルのはわかりマすよ」
「ゲヴィクル殿にそう言っテいタダけルと心強イデすな。ハハハ」
「ハハハ」
互いに朗らかに笑いながら席に着く。
…が、その明るい態度に逆に不信感を抱く他三人。
なおミエは客のために軽くつまむものを用意しに台所に行ったようだ。
「おー…なんか、おともだち…じゃない…?」
「笑ってる割には緊張感あんな…」
サフィナとゲルダが小声で囁き合う。
まあ身長差からゲルダが大きく身をかがめざるを得ないため傍から見てもやたら目立っており、到底内緒話の風情には見えないけれど。
「そもそもオーク族は普段から仏頂面じゃ。笑顔を見せるのは『威嚇』の時じゃよ」
「マジか」
「おおー…」
シャミルの小声での皮肉にサフィナとゲルダが感嘆の声を上げ、三人は改めてその族長代理を名乗るオークを観察した。
まず相当若い。
前族長との決闘の際にやってきた他部族の長たちの中でも格段に若く、おそらく年齢的にクラスクと同世代であろう。
クラスクがこの若さで族長に就任しているのは相当稀なケースであり、それと同年代で族長代理をしているのもかなりの出生頭と言えるだろう。
身長がクラスク並みにある割に肩幅はやや狭く、痩身である。
そのせいで一層のっぽというイメージが強い。
さらにフードの付いたパーカーのような服を纏っており、オークとしては格段にお洒落な印象を受ける。
「顔もなんつーかオークの割にだいぶこう…いい男って感じだよなあ」
「おー…ラオよりも?」
「あ、あいつのことは今関係ねーだろ!?」
「…のろけなら後にせい」
「のののののろけじゃねーし!」
サフィナの純朴な問いかけとシャミルのやる気のなさそうなツッコミにムキになって反駁するゲルダ。
そんな彼女たちの姦しい様を見ながら楽し気に笑うゲヴィクル。
「イやイや。トンデもナイデす。私ノ見タ目ハイイ男デもナンデもなイデすよ。オーク族にハがっしりしタ体格ノ方がより好まれマす。そうイう意味デハクラスク殿ノ方がよほドイイ男かト」
「ふーん…」
「おー…いいおとこ…?」
「ふむふむ。成程」
じー、と三人の視線を浴びて憮然とした表情のクラスク。
「お前ら自分ノ旦那ノがイイ男トか思ってルダろ」
「そ、そ、そそそんなことねーし!」
「おー…思ってる」
「いやーどうかのー。いい男かどうかなら間違いなく族長殿の方だと思うがのー」
三者三様の反応が返る。
「…なんかシャミルはあれだなオイ。リーパグに風当たりきつくね?」
「…ガキじゃからなアレは」
そんなやり取りを眺めながらゲヴィクルは愉快気に肩を揺らす。
「ハハハ。イや素晴らしイ。オーク族ノ村デ女性達がこンナ風に自由闊達に意見を交わしテイルナド見タこトがありません」
「それガうちノやり方ダ。お前モそれわかっテテ来タンダロ?」
「ええ、マア」
クラスクが僅かに目を細め、ゲヴィクルが肩を竦め怜悧な笑みで返す。
クラスクの新族長としての方針はこの前の頂上決闘で近隣の部族に示してある。
端的に言えばこれまでのオーク族の風習に真っ向から喧嘩を売るかのような政策だ。
それを他部族が賛同するか、許容するか、拒絶するか、あるいは潰そうとしてくるか。
それをクラスクは注意しながら待ち受けていた。
前回比較的理解を示していた風のゲヴィクルの来訪はそれを確かめる貴重なテストケースでもあるのだ。
「前置きハ抜きにしマしょう。私がこノ村に訪れタ理由は…簡単に言えばここの前族長ト結ンデイタ友好関係を改めテ結び直しタイ、トイう事デす」
ゲヴィクルの言葉にクラスクの表情が少し引き締まった。
なお前族長たるウッケ・ハヴシはあの夜、宴会の途中で目を覚ましそのまま無言で村を去ったという。
「そうカ。ダガ俺は前族長ノようナ…」
「わかっテイマす。方針ノ転換デすよね? 女性ノ権利をより認め、束縛や拘束をしナイ。ええ、私トしテも是非そノ流れに賛同させテイタダきたイ。そノタめノ『同盟』デす」
「おおー…なかま?」
「なんか調子よすぎて逆に不安だな」
「ふむ…ま、確かに互いに友好的な挨拶とは言えんかったしのう」
「マジか」
「おー…そうなの?」
シャミルの言葉にクラスクとゲヴィクルが反応し、目を向ける。
と、その時茶菓子とお茶を用意したミエが台所から戻って来た。
なお茶と言っても森で採れた香草を煎じたハーブティーである。
「この部屋に入った時お互い最初に握手してましたものね。親しい他部族のオーク同士ならあそこは抱擁では?」
「「おおー…」」
ミエの言葉にシャミルが頷き、ゲルダとサフィナが感嘆の声を上げる。
そう、通常他部族で親しい関係の者が出会えば通常は武器を置き抱擁を交わす。
敵意がないことがわかっているからだ。
だが敵か味方かわからぬ相手で、それでも交渉が必要な時、オーク族は互いに武器を持つ方の手を差し出し握り合う。
『武器を持っているし振るう事もできるが、お前には向けない』という意思表示をするのだ。
これがオーク流の握手の流儀である。
さて笑顔のまま各人にお茶を配ったミエは、中央に蜂蜜で作った菓子を置いた。
さっそくサフィナが手を伸ばしてコリコリコリと齧り始める。
サフィナは蜂蜜が大好物なのだ。
「別に歓迎しテネえっテわけじゃネエ。今ノ方針変えタ上デ相手ノ方から来テもらえルナンテノハ有難テえ話ダ」
クラスクは茶を啜り少し眉をしかめ、口直しに菓子に手を伸ばす。
「あトはゲルダノ言う通り上手すぎル話ダト警戒しテルのも本当ダ。ダガ少ナくトもうちノ村ノやり方に賛同しテルっテのは信用しテもイイト思ウ」
「なんでですか、旦那様」
ミエの問いかけに…クラスクは茶の入った杯をを机の上に置いて、どっかと腰深くソファーに腰かけこう答えてのけた。
「抱擁しナかっタのト同じ理由ダ。こいつが女ダからダ」
「おや、御炯眼」
クラスクの言葉とゲヴィクルの相槌に…
ミエを含んだ女性陣一同が目を丸くした。
「え?」
「ふえ?」
「えええ?」
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええ?!」