第934話 赤竜祭
街は喧噪に溢れていた。
元々四方の街道の交差路であり、往来の激しい街ではあったけれど、今はいつもよりさらに喧しい。
以前から西街道の先である多島丘陵との交易は盛んで往来も盛んだったけれど、今は行き交う人が以前よりますます増えている。
…元々人が溢れる要因はあった。
あったけれど、それでも以前より遥かに増えたのは、ひとえにこの街が獲得した信頼によるところが大きい。
半年前のドルム防衛戦の折、魔族の手によって遠隔通信が全て封じられていた事を後から知ったこの地方の者達は皆一様に戦慄した。
自分達が全く気付かぬうちに魔族どもがこの地の支配を完遂せしめんとしていたのを知れば当然だろう。
ゆえにドルムの危機をいち早く察知し多島丘陵の小国群に最速で助けを求め、その深謀を以て最速でかの防衛都市に援軍を送り届けたクラスク市太守への評価は格段に高まった。
さらにはエルフ族の神樹である世界樹が生えたというのも大きい。
神が直接植えたとされる神樹が生えたのだからその街やその地を治める支配者が邪悪のはずはない、というのがその論拠である。
北街道の先にあるドルムからの往来も以前とは比べ物にならないくらい多くなった。
以前も少し述べたが、魔族どもの脅威が下がったことによりドルムに開拓機運が高まり移民が増加、それにより開墾と建築ラッシュがはじまり食料を筆頭に様々な物資が不足気味となったのである。
なにせ食料に関してなら売るほどあるクラスク市である(そして実際に大量に売ってもいる)。
さらに今は主食を単位当たりの生産量が麦より格段に高い米作に移行しつつあることもあって広大な農地…特に北部一帯…が商品作物に転作しつつあることも相まって、ドルムはそうした商品群の格好の販売先となった。
東街道は言うまでもない。
元々商業都市ツォモーペとはアルザス王国と反目し合う中でさえ何食わぬ顔で交易が行われてきた。
体面より実利がニーモウ伯爵のモットーである。
それが今や互いの和平によって大手を振って交易ができるようになったわけだ。
ツォモーペ側は特に蜂蜜や化粧品、書籍と言った高級な嗜好品が好まれ、大量に買い込んでいる。
それらは主に富裕層に消費されるのだろうけれど、中にはそのまま他の街や国に転売して中間搾取により楽をして暴利を得ようとする輩もいるようだ。
クラスク市の嗜好品は安価でこそないが商品の質を鑑みると遥かにお買い得で、その気になれば手数料より遥かに高値を上乗せしても購買してゆく層があるからである。
けれどそうした層は遠からず駆逐されてゆくだろうというのが両街の商人たちの見解である。
なぜならアルザス王国との和議が成ったことでクラスク市の商店は堂々とアルザス王国の各都市に出店できるようになったためだ。
そうした店との価格競争に、楽をして利益だけ得ようとする連中が勝てるはずがないからである。
そして南街道。
その先は当然軍事大国バクラダ。
だが最寄りの街であるモールツォの太守はすっかりクラスク市びいきだし、また以外にもそれより南方の街もまたクラスク市との交易を望んでいた。
単純にこの街の商品の質が高く値段が安いことによる多大な需要があり、さらにはアルザス王国との和議が成ったことでその近辺の防衛力が高まり、国王も迂闊に北征できなくなったと判断した商人たちがこぞって交易に乗り出したからだ。
そしてバクラダの首脳陣も現状それを禁じる御触れを出していない。
侵略計画を悉く邪魔されて面白くはないが、利益も多いので黙認している、といったところだろうか。
そんなこんなで以前より交易と往来が遥かに増えたクラスク市だったが、今はそれよりさらに多くの人で溢れている。
理由は単純、今がこの街の祭りの最中だからだ。
『赤竜祭』。
それが祭りの名である。
元々は棄民たちの父母や祖父母などが未だ瘴気の中で魔族どもに飼われていた頃、自分達を奮い立たせるために行っていたささやかな祈りだった。
けれどクラスク村が地底からの襲撃を撃退した時それを取り入れたことでこの村の正式な祭りとなって、そしてかの赤竜を征伐した時、それが取り込まれさらなる大規模な祭りとして成立した。
今回はその2回目である。
なにせ千年近くにわたりこの地に君臨してきた古竜の討伐を祝う祭りだというのだ。
それも倒してのけた大英雄が未だ健在の中で、である。
それはいやがおうにも盛り上がろうというものだ。
「さあさ! 今日はかき入れ時だよ! お客様に失礼のないようにね!」
「「はい!!」」
宿の女将、クエルタが手を叩き、従業員の娘らが威勢よく返事をする。
「その商品は倉庫に、そちらはそのまま出して。プリヴさんはそちらを南部の大市場へ。屋台の方々の食材が不足しているそうです。他の皆さんも気を抜かないように」
「は~~~~~い~~~~~」
「おうとも任せろ!」
「わかりましたでございますぅ」
「でちゅ!」
アーリンツ商会では大量の買い付けが街の各地で発生し、荷運びにてんやわんやだ。
今や昇進し下働きをしなくて済むようになった初期の店員たちも駆り出されているらしい。
…もっとも当人たちはそうした労働が苦ではないらしくすっかり張り切っているが。
「こっちもぉ、焼き上がりましたぁ~」
「店長すいません! 運びます!」
「お願いしますねぇ~」
今や押しも押されぬクラスク市随一の大人気店『ケーキ屋さん・トニア』の店長、小人族のトニアが次々に焼き菓子を焼いき上げるが、店頭に並んだ傍から売り切れてゆく。
今日は祭りということもあり品数を絞り、マフィンやクッキー、名物のマドレーヌやシュークリームといった数種しか販売せずに稼働率を上げているんだが、それでも瞬く間に完売してしまう。
「オット店長オーク亭ノ方デモ完売ダトサ。補充シニ来タゼ」
「あらー、シーギスクさぁん」
トニアが振り返るとそこには乱暴者で名高い蜥蜴族がいた。
だがパリッとした服を着こなしたその蜥蜴族の瞳には理知の色がある。
隠れ里出身の商人志望、蜥蜴族のシーギスクである。
彼は街に出入りできるようになった後商売人を志したがなにせ資本がない。
元手がないと商売もできない。
アーリンツ商会の店主がるアーリが彼を雇おうかと声をかけたけれど、シーギスクはその申し出を感謝しつつも丁寧に断った。
挫折するまでは己の力を試してみたい、というのががその理由である。
アーリはその言葉に感心し勧誘を止め、けれど最低限の元手を与えた。
感謝したシーギスクはだがそれに安易に手を付けることなく、街で何でも屋のような商売を始めた。
今行っているのもまさにそれである。
街の各地で荷運びなどを手伝うことで元手を増やさんとしているのだ。
「向コウニ荷物運ベバ今度ハ向コウカラ荷物運ベル。今日ノ上ガリハ多ソウダ!」
「お体にはぁ気を付けて下さいねえ」
「元ヨリ商売ハ体ガ資本! 幸イ蜥蜴族ハ頑丈デネ! ハハハ! ジャアチョックラ運ンデ来ルヨ!」
「お願いぃ、しますねぇ」
「オウヨ!」
手を振ってシーギスクを送り出したトニアは、再び窯の方へと向かう。
「今日のバイトの方々もぉ、もうちょっとお願いしますねえ」
「わかりましたデス。お任せくださいデス」
「はいはーい!」
花のクラスク村から助っ人にやってきた褐色肌のアヴィルタと小人族のカムゥが、元気よく返事をした。
レストランが。
酒場が。
商店が。
皆お祭り用の商品やメニューを出して、大繁盛している。
クラスク市を見に。
世界樹を見学に。
そして赤竜祭を楽しみに。
四方の街道から多くの人が詰めかけて、街はごった返していた。
「おい、そろそろらしいぞ」
「まじか。急がなきゃ」
「特等席特等席!」
だがやがて口々に何か囁き交わすと、群衆がひとつところへむかっていった。
向かう先は街の中心部。
そこにそびえる世界樹。
いや……世界樹に飲み込まれた居館は、その外観を大きく変貌させたもののその機能自体は失わなかった。
ゆえにそれは今やこう呼ばれている。
『世界樹城』と。




