第933話 大穴
地の底には巨大な地下世界が広がっており、そこにはいくつもの街や国、さらには帝国までがあるとされる。
クラスク村を二度にわたって襲った地底の軍団もそうした膨大な地下勢力のひとつに過ぎなかったのである。
『大穴』とは白銀山嶺の地底深くにあるとされる、そんな地底世界の巨大な空洞である。
かつてそこを通過した兵士達の報告から、各国の宮廷魔導師達はそれが地下の国と国とを繋ぐ、地上世界に於ける街道のようなものだと結論付けた。
それが歴史に登場したのは今より五十年以上前、未だアルザス盆地が一面瘴気地に覆われていた時代。
白銀山嶺に行軍を阻まれ遮られ北伐できず苦慮しているバクラダ王国の下に、ある魔導師が現れた。
…大魔導師ベアトリス。
ノーム族不世出の天才と言われる大召喚術師である。
一部の史料には大魔導師ベルティナと載っているけれど、そちらは誤記とされている。
確かに大魔導師ベルティナもノーム族の魔導師…それも伝説的な…だけれど、その名が文献に残されているのは千年近く前だ。
ノーム族は人間族より長命とはいえ寿命はせいぜい四百歳がいいところである。
流石にその倍以上昔の往古の英雄がいるはずがなかろう、というのが大方の結論である。
ともあれのその魔導師ベアトリスは連合軍に協力を申し入れ、彼らを白銀山嶺の麓まで導いた。
目の前には万年雪の積もる大山脈。
この山嶺をさてどうやって超えるのかと連合軍の兵士達が首を捻った時……彼女がそれを唱えた。
〈魔導師ベアトリスの大次元門〉
各国の魔導学院に収蔵されていないその呪文は、大魔導師にして大召喚術師ベアトリスのオリジナル呪文であると言われている。
彼女は有数の召喚術師であり、多くの怪物を呼び出し自在に戦わせたと言われている。
だが以前述べたことがある通り、召喚術とは空間と空間、次元と次元とを結ぶ技術であり、その仕組みは転移魔術と変わらない。
つまり彼女が大召喚術師であるということは転移系の魔術もまた得意分野である、ということだ。
大魔導師ベアトリスはその呪文によって大軍の前に巨大な暗闇の門を開き、そこに彼らを誘った。
兵士達が勇気を出してその門をくぐるとその先は完全な漆黒。
ランタンをつけて周囲を照らし出しても天井も見えなければ左右に壁も見えぬ。
それは完全なる広大な闇そのものだった。
ただ灯火が足元を照らすことで、下に地面があることだけは認識できたけれど。
彼らを先導しながらその大魔導師は説明する。
これは白銀山嶺の地下深くにある巨大な地下空洞だと。
彼女は次元扉の超上級呪文を用いることで、軍団をまるごと地表からその真下の地底の空間へと移送したのである。
途中地底に潜む怪物と幾度か戦闘になったけれど存在は軽微。
そして半日ほどの行軍の後、彼女が再び呪文を唱えると……
彼らは、アルザス盆地にいた。
地底に広がる空洞は、その広大さから白銀山嶺をまるまる超えて、バクラダ王国から瘴気にまみれたアルザス盆地の南端まで続いていたのだ。
魔導師ベアトリスは最初に唱えたのと同じ呪文を唱えることで今度は軍隊を丸ごと地底から真上の地表へと転送し、こうして魔族が予測もつかぬ大軍団の不意打ちが実現した。
この時の戦いが……長く続いた魔族どもとの十年戦争、その中の人型生物側の最初の勝利とされている。
この後のことは以前にだいたい語ったはずだ。
魔族どもとの長きにわたる戦いは、その時の大勝利を逆転の端緒とすることによって最終的に人類側の勝利に終わり、魔族はアルザス盆地から追いやられ北の闇の森へと退散した。
アルザス盆地の瘴気を晴らすべくそこに王国が建国され、各国が選出した王や重鎮たちが国を運営する事となった。
偉大なる功績を讃えられ、大魔導師ベアトリスにはいくつかの国から小魔印が贈呈された。
以前少しだけ述べた『魔印を所有してさえいれば喩え個人であっても国際会議に出席し国家と同格の発言できる』とはすなわち彼女のことを指したものである。
バクラダ王国は特に彼女に御執心で、熱心に己の国の宮廷魔導師にならぬかと勧誘した。
巨万の富を約束して彼女を引き留めようとしたのだ。
まあ彼らの目的を考えれば当たり前の話である。
何せその大召喚術師の助けさえあれば天嶮たる白銀山嶺を恐れることなく、狭い中森で待ち伏せされる危険もなく、悠々と地下を通って攻め込む事ができるのだ。
彼らにそれを放っておく手などありはしなかった。
けれど結局その魔導師はそうした申し出(バクラダだけでなく、他の幾つもの国からも同様の勧誘があった)をすべて固辞し、この地方を去った。
ゆえにバクラダ王国も、そして他の各国も、その地下空洞について知ってはいてももはや場所も知らず深さも知らず、誰一人そこに辿り着けるものはいなかったのである。
これがこの地方に残る『大穴』の伝承である。
これまでの数十年間、幾十人もの魔導師達が呪文でそこに直接乗り込もうとしたけれど、それらの試みはすべて悉く失敗した。
なにせ〈転移〉の呪文には移動先の正確なイメージが不可欠である。
見渡す限りの暗闇などこの世界のどこにでも転がっており、それを幾ら思い浮かべたところでその暗闇のうちの一体どこに飛ばされるのやらわかったものではないのだ。
転移先の正確な情報がなくとも、方向と距離を宣言することで正確にその先へと転送される次元扉のような呪文も無論試みられたけれど、この手の呪文は術者の魔力に応じて移動できる距離に制限がかかる。
そして挑戦したすべての魔導師が、最大の魔力で真下に転移しようとしてもその空洞にはたどり着けなかった。
つまり現状その魔導師ベアトリスが戦時中に幾度も連れて行ったその『大穴』に、彼女の手以外で誰一人辿り着けていないのである。
先程出てきた彼ら……ミノタウロスのマッパー、グルヴォキパクを擁する冒険者一行が探しているのは、つまりこの『大穴』への物理的な入口である。
白銀山嶺に幾つかある迷宮からそこに至ることができないかと探索しているのだ。
記録によれば単なる広いだけの空洞であり、たどり着いたとて冒険者の求める金銀財宝などありはしないだろうと思われるが、それでも彼らが向かうのはその発見そのものに莫大な懸賞金がかかっているからだ。
懸賞金の主はニーモウ。
アルザス王国の財務大臣である。
なにせもしこの『大穴』からの出入りが可能となってしまえば南方からの天嶮の護りが失われてしまう。
隣国を攻め滅ぼし吸収し肥大化してきた軍事大国バクラダとの間の堅牢な護りがなくなってしまう。
それだけは断固阻止しなければならぬ。
と考えるとそもそも探すこと自体が悪手のようにも思えるが彼の考えは違った。
どこかにあるのなら向こうより先に見つけてそこを塞ぐなり砦を築くなりして対応すべきなのだ。
あれば対策せねばならぬ。
ないなら懸賞金は支払わなくていい。
それは利のある行為だと彼は考えたわけだ。
× × ×
さて話を戻そう。
冒険者一行もなんとか雑踏を抜け自分たちの拠点に戻っていったようだ。
下街第二層では転入の準備やら家具の運び込みやらの横で建設ラッシュが始まっている。
街の外からどんどん石材が運び込まれてくる。
もはやネッカなしでも魔導学院の魔導師達によって(一部魔具の助けが必要だが)石材化の魔術を執り行える態勢が整っており、石材は継続的に補充されていた。
まあだとしても規模が規模である。
石材が滞って建設街のところも少なくない。
待ち切れず街に先に訪れていた者達は、旅館に荷物を置くと足早に階段を降りて街に繰り出していった。
クラスク市最大の祭り……
赤竜祭である。




