第926話 変容する風景
さてラオクィクら一行がクラスク市へと向かう中途で、少し景観が変容した。
かつてクラスク市がまだ村だった時期、その周囲は瘴気が未だに残る渺茫とした荒れ地で、オーク達の怪力で土地を馴らし耕してやがて広大な耕作地へと変えた。
夏麦と牧草畜産、さらに冬麦と根菜を回す混合農業、そしてそのため細かく正方形に区切られたチェック側の耕作地である。
だが当時と比べるとクラスク市の周囲の景色は大きく変わった。
具体的に言うと『遮蔽物』である。
かつて完全に開けた平野であったはずのクラスク市の近辺は、現在所々で地平線までの視界を遮るものが生まれている。
……森である。
クラスク市の近くには、あちこち小さな森が点在するようになっていた。
半年前まではこうではなかった。
広がっていたのは冬前と春先に蒔かれた麦畑と、地味を回復させるための根菜畑や牧草地だったはずだ。
けれど今は違う。
理由は明白である。
今のクラスク市の全貌がその要因であることは間違いない。
各地に点在している森を別にすれば、街道は基本直線で正面にクラスク市を視認できる。
ラオクィクら一行からも遠くからクラスク市がよく見えた。
……樹、である。
それは街というより、巨大な樹木であった。
大きな城壁に囲まれた巨大な樹木。
それが今のクラスク市の第一印象である。
その巨樹から生えた根が街を覆っている。
一番外側の城壁にすらそれは張り出して、蔦のように城壁の上に乗っている。
こう見た目の印象で言うなら、人型生物が生み出した街が大自然の猛威の前に屈して飲み込まれた、のように見えなくもない。
そしてその巨樹がクラスク市にそびえたつようになったその少し後から、クラスク市の周囲には異変が起こるようになった。
樹が、生えてきたのだ。
畑のあちこちから、樹が。
それも恐るべき速さで。
にきょにょき、にょきにょきと。
それは日々見るたびに、いやそれこそ朝仕事に朝出かけて夜帰る頃には目で見てわかるほどの差でみるみる伸びてゆき、わずか半月ほどで小さな森となってしまった。
農夫……もとい賃金労働者たちは当初それを伐採しようかと思っていた。
彼らが耕すべき畑をその森が駄目にしてしまったからだ。
けれどクラスク市からの公式発表によりそれは止められる。
それらの森を勝手に伐採してはならぬ、と。
やがてそれらの森が十分に大きくなると、クラスク市からその森の管理人が派遣されてきた。
エルフ族である。
どうやらエルフ達がこの地方の各所からクラスク市にやってきては移住を希望し、彼らの仕事としてそれらの小さな森の管理が宛がわれたらしい。
エルフ達は皆瞳を輝かせてそれらの森を見つめ、なんとも献身的に世話をするようになった。
これに関しては畑を潰された開拓・耕作側にも恩恵があった。
それらの森のほとりから豊かな湧き水が得られるようになったからである。
エルフ達の説明によるとどうもそれらの樹木はクラスク市の中央に生えた巨樹……世界樹と言うらしい。なんとも発音しにくい名前だと作業員達は思ったそうだ……の影響で生えた聖なる木々で、世界樹の近くにしか自生しないのだという。
それらの木々が点けた実から取れる種があれば一から育てることは可能だそうだけれど、世界樹から離れた地での育成は熟練のエルフが高度な精霊魔術を用いても難しいらしい。
そしてその霊木は地中にある水脈に根を伸ばし、森の下に大きな貯水池のようなものを形成するのだという。
湧き水はその貯水池から漏れ出した水の一部。ということになるのだとか。
これらの湧き水のお陰で畑地の各所の水利は格段によくなった。
特にラオクィクの領地の近辺でその恩恵が大きかったようだ。
クラスク市が作り出した人工河川たるオーク川はクラスク市の南西からクラスク市へと接続し、堀を経由して街の北東部へ抜けそのまま蛇舌川へと流れ込む流路となっている。
つまりクラスク市の東部には直接接続していないのだ。
したがって街の東部の畑地は用水路の水が確保しにくく、井戸掘り職人たるオーク族のフォーファーやドワーフたちの手によって井戸を掘り水を賄っていた。
それがこの湧き水によって大幅に改善されたのである。
そして今、その小さな森は収穫を迎えている。
果物である。
人間族などが見たことも聞いたこともない果物だ。
名をクサィタと言う。
エルフ語で『恵みの果実』という意味だそうだ。
これがまた美味で、くどくもしつこくもないさわやかな甘味を持つ極上の果実なのである。
エルフ達はこの森の維持管理と同時に盗難防止の見張りをするために派遣されていたのだ。
この果物の特色はいくつかある。
まず保存が効きやすいこと。
無論〈保存〉の奇跡を与えれば長期保存可能なのだけれど、それがなくとも一か月はもつという。
外皮が固めで内部が影響を受けにくいからだろうか。
第二に収穫時期が長いこと。
先程『収穫を迎えた』と述べたが、『収穫期』とは言わなかった。
それはこの果物が特定の季節だけになるものではないからである。
冬の終わりからぽつぽつと花を咲かせつつ春先に実がなりはじめ、そのまま夏を迎え最後の実りは秋半ば、という、冬以外のだいたいの季節に収穫できるのである。
ただそれは一度に少量しか採れないということであり、また管理が面倒ということでもある。
なかなかに面倒な果物なのだ。
第三に用途が広いこと。
そのまま食べてもいいが干して長期保存の甘味にできるし、蜜漬けにしても美味い。
また酒の材料としてもとびっきりだという。
そして最後に……この果物を大好物とする種族がいること。
それが天翼族たちである。
かつて赤竜に滅ぼされるまでクラスク市の北端……今の横森あたりがあった場所にあったというエルフの国。
その国には世界樹はなかったけれど、この霊木の育成には成功していたらしい。
そう、古代の文献に記されていた天翼族とエルフ族の交易に於いて、天翼族が星塵……いわゆる隕鉄をエルフ達にもたらす代わりに彼らから得ていた果物とおいうのが、この恵みの果実だったわけだ。
これによりクラスク市は街の大司教……半年前に司教より昇格した。これで格としてはアルザス王国首都ギャラグフの大司教ヴィフタ・ド・フグルと同等である……天翼族イエタの故国たるヘリアロトとの交易を拡大。
結果かの地からこれまで以上に多くの天翼族の移住希望者を獲得するに至った。
さてそんな森の横を抜けながら、ラオクィクら一行はクラスク市へと向かう。
森の木々の枝の上からエルフ達が顔を出し、成ったばかりの果物を収穫しつつ樹上から一向に手を振っていた。
エルフ族と言えばドワーフ族と並んでオーク族の仇敵である。
ドワーフ達が掘った坑道跡などに住み着く事も多いオーク達は未だ生きているドワーフ達がいる地底集落なども平気で襲い彼らを全滅させ棲みついたりするし、初期のクラスク村がそうだったように、襲撃と同時に狩猟を行うオークどもであれば森に棲みつくのもまた理に適っているからだ。
そしてそれは森に住み森を愛するエルフ達にとって許しがたいことだ。
オーク達はその斧を振るい平気な顔で木々を切り倒すし、必要なら火を用いて森を焼き払いさえする。
森への敬意など欠片もない連中だからである。
けれどクラスク市ではそうではない。
少なくともクラスク市のオーク達に対し、エルフはそうでなくなった。
それはクラスクをはじめこの街のオーク達が自ら示し続けてきた行為と誠意の結果であり……
そして、この街が目指して来たことだった。




