第914話 予定外と想定外
時計によって正確な時間を測る。
この『時の間』を測るというのが重要だ。
ほとんどの国の時間間隔は教会の鐘の音に寄っており、これは夜明けから日没までの時間を等分して鳴らしている。
つまり相対時間だ。
教会の鐘の音と鐘の音の間の時間をこの世界では一鐘楼と呼び、これはだいたい二時間程度を指すけれど、上述の通り季節によって若干の差が出る。
夏ほど長く、そして冬ほど一鐘楼は短くなるのだ。
こうした時間間隔の者達からすると、その古代遺跡にある転移罠は完全なランダム動作に映る。
けれど『時計』を持ち込み、『時と時の間』を測る事ができるのなら話は別だ。
時間を測り、特定のタイミングで自発的に罠を作動させる。
そうすることで、その『転移罠』はあらかじめ目的地のわかっている六ヶ所のうち任意の場所へと転移できる転移門として活用できるのではないだろうか。
魔導師イルゥディウがまとめたレポートを、サフィナはたまたま知る機会があった。
喫茶店でケーキ屋さん・トニアのケーキを堪能していた魔導学院副学院長ネザグエンと同席した時である。
混雑していたためたまたま相席となったサフィナとネザグエンはそこでとりとめのない世間話をし、その際にその論文の話題が出たのだ。
その時点では本当に『興味深いけれどあまり役に立たない論文』に過ぎなかった。
けれどその転移先のひとつが遺跡のずっと北方、赤蛇山脈の北方であるとなると少し話が変わって来る。
赤蛇山脈の北の端、ということはドルムのほぼ真西である。
つまりその転移罠を利用すればオルドゥスの街→地下遺跡→転移装置(罠)→ドルムの西へと辿る事ができるはずだ。
この移動経路は魔族に知られていない。
彼らの転移妨害は建造物などに付与してそこをで入りする者を捕縛するものと推測されるため、ドルムの居城そのものに転移しない瞬間移動は阻害できぬ。
吉凶の占術によってドワーフの街が吉でも凶でもあると出たのはこのためだ。
直接の占術連絡は阻害されるため凶。
だがもしオルドゥスに連絡を通す事ができるならその街にはこの戦況を覆す吉がある、というわけである。
これを利用すれば、魔族がドルムを落とした後、瘴気地がそれ以上広がる前に各国の兵をドルムへと向かわせる事ができる。
それならば最悪の事態になる前になんとか戦力をかき集める事ができるのではないか。
サフィナはそう考えたわけだ。
森の魔力が高まるのは各国に〈動物伝言〉の連絡が届いてからさらに数日以上あと。
魔族達がドルムを落とすその瞬間には間に合わないだろうけれど、と。
もちろん魔族達もそう踏んでいた。
仮にエルフ族が精霊魔術での転移を試みたとしてもドルム陥落には間に合わぬ。
一番近くの森…すなわちクラスク市の横森に転送できたとしてもドルムまではまだ遠く、ドルム攻略戦の時期に送れるのはせいぜい数機程度でしかないはずだったからだ。
だが……ここで両者にとって予想外のことが起きる。
サフィナが己の命を賭して行った女神イリミの一時的な『降臨』である。
女神イリミはエルフ族の主神であり、当然ながらその権能として『森』を有している。
森の化身そのものなのだ。
〈森渡り〉をはじめとする森の力を借りる魔術は森の魔力の高まりに応じてその威力や精度を上げる。
普段であれば季節や月齢といった様々な要因でその魔力が高まるのを待つしかないが、森の女神当人…もとい当神が地上にやってきたのなら話は別だ。
各地の森はそれに呼応し爆発的に魔力を高め、結果軍隊を送れるレベルの〈森渡り〉の準備が整ってしまったのだ。
サフィナとアルヴィナは〈森渡り〉の期日を指定していなかった。
彼女らが獣に託したメッセージはあくまで『森に魔力が溜まり次第〈森渡り〉をしてほしい』である。
エルフ達は突然の森の脈動に驚き、けれど同時にその奇跡に驚喜した。
それはつまり森の女神が彼らを助けてくれたということに他ならぬのだから。
そしてサフィナからの伝言がこの奇跡を指しているのだと彼らは確信した。
いやまあ実際はただの偶然が重なったに過ぎないのだけれど、サフィナ自身己の魂が消滅する覚悟で女神をその身に降ろしたことがその因果の要だというのなら、まさに彼女が命がけで引き寄せた千載一遇の好機と言えるだろう。
こうして魔族どもが、エルフ達が、多島丘陵の小国の軍隊が……そして依頼主であるサフィナ自身が、誰もが想定していなかった速度で、各国の軍隊の移送が行われた。
三々五々森へと集まり、集まったそばから転送され、目的地の森から一路山を登りオルドゥスの街へと突入。
そのまま街の最奥の扉をくぐり地下迷宮へと入り、そこから上層階へと戻りながら転移罠の前までやってきて、その場にいる冒険者に事情を語り、時計を片手にした彼らの合図で罠に飛び込み次々と北へと転送されてゆく……
そしてドルムの西の山中に転送された彼らは、ある程度の人数が集まるまでそこで待機、人数が揃い次第森を抜けドルム救援に出立、魔族たちを急襲する……といったルートを辿ることとなったわけだ。
× × ×
次々と西方から駆けてくる騎馬の軍団。
その規模は一度に十数騎と少ないが、それが途切れることなく次々とやってくる。
魔族どもにとては驚愕に次ぐ驚愕である。
彼らのまったく予測していない方角から、彼らに検知されぬ手段で、そして彼らが張り巡らせた罠と結界をすべて潜り抜けて人型生物どもが襲撃してくる。
こんなことはあり得ない……人間どもの策謀はすべて詳らかにしていたはず。
そのはずだ。
その動揺は、最悪の発想を彼らに抱かせてしまった。
『もしかしてこれもすべてミエ様の策謀なのでは?』
実際にはそんなことはない。
まったくもって、これっぽっちもない。
彼女は本気で何も知らぬ。
己の預かり知らぬところで勝手に己の武勇伝が次々に追加され喧伝されていることに彼女自身困惑と当惑のしっぱなしであり、それこそ「なっとくいかないんですけどー!」と魔族に詰め寄るところだろうが、ある意味仕方ない。
魔族どもにとってここまで計画外で予定外のことが立て続けに起こることなど完全に想定の外であって、そして都合のよいことに…というか彼らにとって実に都合の悪いことに…『その想定外をすべて説明できてしまう存在』に、現状唯一心当たりができてしまっていたのだ。
ミエである。
魔族全てが知恵を絞った策謀を全て読み切り、クラスク市での彼らの計画を悉く打ち破り、策謀を潰し、触れただけで魔族に再生不能の傷を負わせ融解せしめてしまう圧倒的存在。
彼らを恐怖におののかせてのけたのちの大皇女であれば、こちらが想定もしていない移動経路をあらかじめ策定し、各国に指示していてもおかしくはない、と。
関係者のだれもが想定していなかった偶然によって実現してしまったドルムへの最短の突入行が、よりにもよってミエの超絶的な策謀によって為されてしまったと魔族に誤解されてしまったのである。
彼らは次々にドルムの正規軍の下へと集結し、皆一様に口を開く。
『クラスク市太守クラスク殿のお陰でこうして馳せ参じる事ができた』と。
もちろんその道筋をつけたのはサフィナである。
だがサフィナは〈動物伝言〉でメッセージを届ける際己の名を使わなかった。
そもそもサフィナの名自体ほとんど知られていないのだし、獣にメッセージを伝えてもらうこの呪文には、正式な書簡と違ってメッセージを届けた相手が何者なのかを証明する手段がない。
印鑑も花押も捺印できなければサインのひとつをすることもできないのである。
一刻も早くドルムの危機を伝え、ドルムの現状を疑ってもらう…そうすれば占術でそれぞれの国が確認してもらえるからだ…ためには、なるべく影響力のある者の名が必要だった。
ゆえにメッセージの発信人として『街の一番偉いひと』ということでクラスクの名を使ったわけだ。
ゆえに彼らは口々にクラスクの名を告げて、その勇名を称えた。
そしてそのことが、魔族どものミエに対する恐怖や畏怖をますます高める結果となってしまった。
この世界は未だ男性社会である。
ミエがいかに高い知性を備えていようと自らの名で偉業を喧伝する事は難しい。
ゆえに彼女は自らの名でなく傀儡として立てた夫の名を用いこのあり得ぬ友軍を生み出したに違いない……そう思い込んでしまったのだ。
ドルムの危機を伝え彼らを導いたクラスクの勇名。
魔族に広まったミエに対する恐怖。
この二つが……結局、クラスク市のその後を決定づけることとなった。
そして彼ら魔族のミエに対する恐怖が影響を与えたもう一つの結末がある。
周囲の魔族どもが放つそれらの恐怖を浴び続け、望まぬ苦手意識を強引に植え付けられた高位魔族……
『旧き死』、グライフ・クィフィキの迎えた末路である。




