第902話 クラスク市の終焉
街の各所で発生した魔族による自爆攻撃。
≪瘴気爆発≫と呼ばれる濃縮された瘴気の範囲放射。
それが他の魔族を巻き込むと、次々に連鎖して大爆発を引き起こした。
≪瘴気連鎖≫と呼ばれる魔族達の集団範囲瘴気爆破。
このクラスク市で初めて報告された非常に稀有な事例である。
この爆発に巻き込まれれば高威力のダメージにより死亡。
近くにいれば瘴気の余波を浴び体調を崩し病や呪いを受け昏倒し意識不明。
けれどこれが人類にとって初めての現象にして大惨禍であるにもかかわらず、その直撃を受けた被害者は意外なほどに少なかった。
これはひとえにこの街の軍事顧問にして太守クラスクの親衛隊長たる元アルザス王国翡翠騎士団第七騎士隊隊長キャスバスィの指揮による功績が大なりとされる。
彼女が風の魔術を巧みに操り街中の者達に最速で最適な指示を出したお陰で被害が最小限に抑えられたのだと。
彼女の剣に宿っている曰く…『風巻』と『魔巧』。
『風巻』は刀身に風を纏わせ剣を強化する、〈風巻〉という精霊魔術と同様の効果。
『魔巧』は個々の呪文の消費魔力を減らし、結果的にキャスが使用できる魔術を増やす事ができる効果。
このうち『魔巧』について、彼女は己ではなく己の母の伝説が宿った曰くだと考えていた。
本人自身は魔術が得意ではなかったからである。
その考えは半分正しいが、半分は誤りである。
確かに彼女の母親は魔術を得意とし、かつての魔族との「闇の大戦『十年戦争』に於いて多くの人を助け多くの者の記憶に残った。
けれど魔導師が、ネッカが彼女の剣に込めた『曰く』は、その剣が語り継がれた先……未来の伝承を読み取りそれを現代に現出せしめたものだ。
そしてその伝承の中には、確かに彼女の、キャスの伝承も混じっている。
地底軍が地上へと湧き出るための出入り口となる『天窓』を守護する敵幹部を討った際の敵の呪文の隙を突いた巧みな魔術の使い方。
千年にわたりこの地に君臨してきた伝説の赤竜が秘めていた初見殺し、赤竜でありながら稲妻の吐息を吐くという枠外の一撃を魔術で真空を操り逸らし仲間を守ったその手練。
そして……今回の魔族の奥の手を最小限の犠牲で防いでのけた『風の拡声器』。
これらはいずれも彼女の魔術の強力さを表すものではないが、その魔術の使い方の巧みさを表すものに他ならぬ。
『魔巧』の曰くは強力な魔術を操る者の伝承が形作るのではない。
魔術の使い方が巧みな者の伝承が生み出すものだ。
つまり……彼女の剣が先取りで得たその曰くは、親娘二代にわたる伝承が語り継がれ未来でその剣に宿るはずだった曰くだったのである。
まあ今のキャスにはそんなこと知りようがないのだけれど。
さて、幸い≪瘴気連鎖≫による甚大な被害は免れた。
多くの者は街中に響いたキャスの言葉に瞬間的に従って魔族達から全速力で遠ざかり、その爆発から免れる事ができたのだ。
距離が近すぎて退避が間に合わず巻き込まれてしまった者もいる。
爆発自体から逃れる事はできてもその余波を喰らってしまい、瘴気に汚染されてしまった者もいる。
けれどその被害は魔族達が予測していたものよりもはるかに低い。
だが……それはあくまで副次的な効果に過ぎぬ。
魔族どもの『真の狙い』は別にあった。
街の中も外も、戦闘中の殆どの魔族は連鎖的に爆破して、生きている魔族は殆どいなくなった。
だがかわりに残されたものがある。
『瘴気溜まり』だ。
これは魔族どもの肉体を構成していた瘴気が≪瘴気爆発≫によりその場に固着してしまったものだ。
魔族の軍隊がやってきたのだから、それだけの数の瘴気溜まりがその場に残されたことになる。
たったひとつでも、それを放置しておけばやがて土地を汚染して瘴気地と化してしまう瘴気溜まり。
それが数百、いやそれ以上クラスク市の内外に残されたのだ。
瘴気溜まりはそあまりに濃い瘴気のため人型生物が近くにいるだけで体調を崩し病や呪いにかかるとされている。
そんなものが大量に、各所に残されたのだ。
…通常攻城戦を行う場合、攻め手は戦力を一か所を集中攻撃するのが常である。
一点突破し城の中に乗り込んで蹂躙するためだ(ごく少数で構成された遊撃部隊は除く)。
今回は大量の飛行型魔族が一斉に襲ってきてまた既に街に潜んでいた魔族もいたという、ある種クラスク市側が最初から攻城戦としては半ば敗北していたような構図だけれど、それでも基本的に常道はかわらない。
兵は固めて運用した方が数の優位を得られる。
バラバラに運用すればそれだけ各個撃破の危険が高まるだけだ。
とはいえ魔族には物理障壁などが備わっており、個々が強力であるため分散運用も有効ではあるけれど、魔族の種族特性を考えればやはり各所で分散して戦い討ち取られるよりはまとまって行動し精神感応で意思疎通しながら統制の取れた立ち回りをする方が有利だったはずだ。
…そう、今回の戦に於いて。魔族達は戦力を分散しすぎている。
まるで街の内と外を広範囲に囲うように、だ。
すべてはこのためだった、
万が一ミエを討ち取れなかった場合、各所に散った魔族達が一斉に自爆する事で広範囲に瘴気溜まりを『設置』する。
それにより溢れた大量の瘴気は、瞬く間にこの地を汚染するだろう。
魔族がその地に留まることにより漏れ出す瘴気によって土地を汚染するよりもはるかに早く、そして効率的に、クラスク市を瘴気の闇に落とし込めるはずだ。
最悪……明日の朝日が昇る頃には、この地は瘴気地に成り果てているかもしれない。
それ程に濃縮された、いっそ物理的な呪詛と呼んでも差し支えないレベルの瘴気なのである。
キャスの懸念はそこだった。
最初の角魔族の≪瘴気爆発≫からミエを抱えて逃れる前に、既にその危険について考えていた。
けれどどうしようもない。
どうしようもないのだ。
瘴気溜まりひとつでさえ打ち消すには高い魔力で聖職者が〈破魔〉の呪文をかける必要がある。
中位階の呪文である〈破魔〉を唱えられるのは現状この街ではイエタただ一人だ。
そしてそのイエタは現在魔力が枯渇しており、魔族達のせいで他の街とは当分連絡がつかぬ。
ポーションなどをがぶ飲みしてイエタの魔力を無理矢理回復させたとしても、中位階呪文ともなれば魔力の消費が大きい。そうそう一日に何度も唱えられる呪文ではないのだ。
そして〈破魔〉の呪文は呪詛や瘴気溜まりを対象とした場合一つしか浄化できぬ。
この数百以上ある瘴気溜まりを全て浄化しきるには数か月以上かかるだろう。
それまで……この土地がもたぬ。
まず間違いなくその前に瘴気の海に沈んでしまうだろう。
けれどキャスはそれを止めるすべを思いつかなかった。
あらん限りの知恵を振り絞った果てに少しでも被害を減らすため先ほどのような拡声魔術で一次被害を減らすことに成功した。
だが、彼女が手を伸ばせたのはそこまでだった。
もしこの地がすみやかに瘴気地と化すなら、生存者にできるのはただ撤退する事だけだ。
もしここにいた魔族が全軍などではなく、まだ後詰が控えているのだとしたら、全員疲労し疲弊しきっているこの状況で、瘴気の中で不死身となった魔族達のさらなる襲撃に対抗する術はない。
つまり、詰みである。
生存者たちは……少なくとも一度は、クラスク市を捨てて撤退しなければならぬ。
そして街に再び戻ってくる頃には……そこには既に魔族達が棲みついているはずだ。
クラスク市を、魔族の街に変えて。




